CTNRXの日日是好日

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

■CTNRX的見・読・調Note ♯001

2023-09-16 21:00:00 | 自由研究

 ■アルカイダ、タリバン複雑な関係
     と悲劇のアフガニスタン(1)

 アメリカ同時多発テロ事件
 (英: September 11 attacks)は、2001年9月11日(火)の朝にイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃だった。

 ・ワールドトレードセンターへのテロ攻撃、2機。
 ・ペンタゴンへのテロ攻撃、1機。
 ・もう1機はテロ攻撃の失敗、ユナイテッド航空93便はワシントンD.C.に向かって飛行していたが乗員乗客がハイジャック犯の拘束を試みた結果、ペンシルバニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。

 そもそも、アルカイダは何故、アメリカ合衆国にテロ攻撃を実行したのか?

 当時、あの時のウサーマ・ビン・ラーディンの目的は何だったんだろうか?

 アメリカ同時多発テロ事件の首謀者は、イスラーム過激派テロ組織「アルカーイダ」の指導者ウサーマ・ビン・ラーディンとされている。
 当初、ビン・ラーディンは事件への関与を否定していたが、2004年には一転して同時多発テロ事件への関与を公に認めた。

 ✣アルカイダとしての主な活動目的

 ・汎イスラム主義
 ・イスラム主義
 ・サラフィー・ジハード主義
 ・反米
 ・反シオニズム
 ・反共主義
 ・反ユダヤ主義 等

 ア✣ルカイダの指導者(指揮官)

 ・ウサーマ・ビン・ラーディン(創始者)
  (1988年〜2011年)

 ・アイマン・ザワーヒリー
  (2011年〜2022年)

 ・サイフ・アル=アデル
  (事実上:2022–)

 ✘アルカイダとしての敵対勢力

 ・アメリカ合衆国

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 ❖ ウサーマ・ビン・ラーディン ❖
         (アミール)

 大学時代、ビン・ラーディンの関心は宗教に向かい、「クルアーンおよびジハードの解釈」と慈善活動に精力的に参加したほか、詩作にも興味を示し、バーナード・モントゴメリーやシャルル・ド・ゴールの著作を好んで読んだと言われている。
 思想の面では、ムスリム同胞団に加入し、サイイド・クトゥブの思想に引き付けられた。
 さらに大学で教鞭をとっていたムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザームの教えを受け、師と仰ぐようになった(のちにビン・ラーディンは、自身に影響を与えた人物として、クトゥブとアッザームの名を挙げている)。
 ビン・ラーディンは厳格なサラフィー主義から、音楽や映画などに対して不寛容であった。
 思想の面では、ムスリム同胞団に加入し、サイイド・クトゥブの思想に引き付けられた。
 さらに大学で教鞭をとっていたムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザームの教えを受け、師と仰ぐようになった(のちにビン・ラーディンは、自身に影響を与えた人物として、クトゥブとアッザームの名を挙げている)。
 ビン・ラーディンは厳格なサラフィー主義から、音楽や映画などに対して不寛容であった。

 ●アフガニスタン紛争への参加
  (1979–1989年)

 ソビエト連邦がアフガニスタンに進攻した1979年、ビン・ラーディンはサウジアラビアを離れてパキスタンやアフガニスタンを初めて訪れ、ソ連軍に抵抗するムジャーヒディーンを支援するための活動を始めた。
 のちにビン・ラーディンは当時の心境を回想し、「アフガニスタンの人々に対する不公正な行いに憤慨を覚えた」と語っている。
 1979年から1984年までの期間、ビン・ラーディンの支援活動は募金が中心であり、サウジアラビアなどの湾岸諸国を活動拠点としてアフガニスタンのムジャーヒディーンに資金や建設機械を提供していた。
 ビン・ラーディンはその後、パキスタンのペシャーワルで活動していた大学時代の恩師アブドゥッラー・アッザームと合流した。
 1984年までにアッザームと共に「マクタブ・アル=ヒダマト(MAK)」を組織して、外国からムジャーヒディーンの新兵をリクルートしてアフガニスタンに送り出す活動を始めた。
 1984年には自ら「ベイトゥルアンサール(支援者たちの館)」という施設をペシャワールに建設し、以降1986年までパキスタンを拠点として活動した。
 ビン・ラーディンがアイマン・ザワーヒリーやアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー、オマル・アブドッラフマーンなどと関係を構築したのもこの時期であった。

 ❖ イスラム原理主義 ❖

 イスラム原理主義またはイスラーム原理主義とは、イスラム神学、イスラム哲学、イスラム法(イスラム法学および法解釈を厳格にするべきとする思想・学派)を規範として統治される政体や社会の建設と運営を目ざす政治的諸運動を指す用語である。
 アメリカ合衆国をはじめとするキリスト教圏諸国の反イスラーム主義思想を反映した、往々にして否定的・批判的ニュアンスを帯びた呼称となっている。

 日本での「イスラム原理主義」という用語は、英語の Islamic fundamentalism の日本語訳としてジャーナリズム等で使われて広まったものであり、今日一般には「イスラム原理主義」という用語法は無批判に受容されている。

 しかし、今日一般に原理主義と翻訳される英語の fundamentalism (ファンダメンタリズム)は、もともと「根本主義」と翻訳されるキリスト教の神学用語で、それが一部の保守的キリスト教徒を嘲弄(嘲笑や侮蔑)する意図の込められたレッテルとして使われるようになったという経緯がある。

 したがって、ファンダメンタリズムの語は、本来「キリスト教に由来するもの」であり、これをイスラム教に結びつけることの是非に関しては議論がある。こうしたことからイスラーム研究の専門家の間では、イスラム原理主義の代わりに、イスラーム主義、イスラーム復興主義、イスラーム急進主義といった用語が使われる。
 欧米では政治的イスラームとも呼ばれる。

 ▼表現の起源

 日本では一般に原理主義と翻訳されるようになったファンダメンタリズムという言葉は、本来は1920年代のアメリカ合衆国で、聖書の近代的な文献批評に反対する保守的なキリスト教徒たちが自分たちをファンダメンタリストと自称したものであり、ファンダメンタリズムはその神学的立場を表す「固有名詞」であった。
 後には、当事者でない人々からの他称ないし一種の蔑称としても使われるようになり、ダーウィンの進化論を認めず、これを学校教育で扱うことに反対したような人々がファンダメンタリストのレッテルを貼られた。

 アメリカ合衆国では、1979年のイラン・イスラム革命でアメリカ合衆国の傀儡政権であったパフラヴィー政権が打倒され、イスラム法に基づいて統治する革命政権が樹立された時に、革命政権を敵視して、本来はアメリカ合衆国のキリスト教における一つの神学的立場を表す固有名詞であるファンダメンタリズムを、教典の原典を無謬と信じ、著しく極端な教義を主張し追求する、狂信的な運動や思想という意味に一般名詞化し、イスラムと連結して Islamic Fundamentalism という表現を作り、イスラム革命政権に対して敵対や侮蔑の感情を込めて(誰が?)使用し始めた。

 言葉の用法としては、第二次世界大戦時の交戦相手である日本軍・日本人に対する「ジャップ」や、ベトナム戦争時の南ベトナム解放民族戦線や北ベトナム軍に対する「ベトコン」などと同じである。

 その後、アメリカ合衆国の国民・報道・議会・政府などは、イスラム原理主義という表現を、ハマース、ヒズボラ、ムスリム同胞団、ターリバーン、アルカーイダなどに対しても使用するようになった。

 アメリカ合衆国の公的言説では、イスラム法に基づいて統治をしている国家・社会・政府・政党、イスラム法による統治を目ざす政党・団体であっても、サウジアラビアのように、アメリカ合衆国の同盟国や友好国、友好政党・団体に対しては、イスラム原理主義という表現は使用されない。

 ❖ イスラーム過激派 ❖

 イスラーム過激派(イスラム過激派)(radical Islamism、Islamic extremism)

 イスラム教徒のうち、宗教的・政治的・経済的目的を達成するために殺人、暴力、誘拐などの犯罪的手段に訴える武装グループ。
 イスラム理想社会の実現のためには大量殺人などの犯罪も辞さず、アメリカ同時多発テロ、パリ同時多発テロ、ベルギー連続テロなどを引き起こしたとされ、日本を含む多くの西側諸国からは国際テロ組織とみなされている。

 海外メディアは、イスラーム過激派に対して、ジハード主義(Jihadism)あるいはジハード主義者(Jihadist)という言葉をよく使用している。
 また日本のメディアでも、例えば時事通信が「ジハーディスト(聖戦主義者)」という表現を用いている。
 なお、ジハードの語源は「苦闘・抗争・努力」であり、1880年頃から「あらゆる種類の教義的な聖戦運動」を指す語になった。

 ▼概要

 イスラーム過激派とは、自らの理想を「イスラーム主義あるいはイスラーム原理主義」イスラム神学、イスラム法(イスラム法学および法解釈を厳格にするべきとする思想・学派)の教義をより正当化し、そのような社会の実現を図るために武力・暴力も行使する戦闘的な組織を総称する用語である。
 こうした組織は、非支持者の側から見ればイスラームの名を使用して主張を実現するために「犯罪やテロ」を行う過激派(extremist)とみなされることになる。
 この中にはサラフィー・ジハード主義を掲げるアルカーイダ系の組織なども含めるのが普通である。
 なお、95%以上がスンナ派のハンバリー法学派の信徒で占められている。

 イスラーム過激派では、唯一神(アッラーフ)の性質である「神の単一性」(タウヒード)が、「イスラム信仰者の共同体(ウンマ)の単一性」として解釈されている。
 前提として、どんな人間でも「神の単一性」の共同体に加わろうとすることは可能だが、こうした考えや信仰からすると、共同体の外側は全て「敵」ということになる。

 20世紀のイスラーム思想家で最も影響力があった一人は、過激派のサイイド・クトゥブと見なされている。
 エジプトの「ムスリム同胞団」活動家だったクトゥブの解釈では、全世界が反イスラーム的状態にあり、人間の思想が「神の地位を与えられている」。
 しかし、世界の政治的抑圧[要曖昧さ回避]・不道徳・不平等・物欲等は ―― 「ユダヤ人」が打倒され、世界が「神の法則」のみによって統治されるようになれば ―― 全て終わるとクトゥブは言う。
 彼のメッセージは、すぐに民衆から支持された。
 暴力革命をはじめとするクトゥブの主張も、急進的なイスラーム主義者たちによって広く受け入れられている。

 クトゥブによれば、鳩でさえ「不幸」に見える場所が大都会であり、ニューヨークは「騒々しく」「やかましい」「巨大な作業場」である。
 そしてアメリカでは嘆かわしくも、「金銭、映画スター、新車」以外について会話されることは無いに等しい。
 日常生活には「誘惑[要曖昧さ回避]的な空気」があり、衝撃的な官能性や女性の慎みの無い行動で悩まされる。
 大都会ではないコロラド州の町グリーリーでも、教会の主催したダンスパーティーがあまりに「淫ら」だったため衝撃を受けた、とクトゥブは言う。
 クトゥブによれば

 イスラム以外の社会、そこで神以外のものが崇拝されている社会は、どんな社会であれすべてジャーヒリーヤだ。

 本来ジャーヒリーヤとは、イスラームにとっての「無知」 ―― つまり「偶像崇拝」 ―― を指す宗教用語であり、近代以降は「野蛮」という意味にも解釈されるようになった。
 近代におけるこの善悪二元論は、「悪」に対する戦争を煽動しており、イスラーム的であるが近代的でもある思想として、思想史に位置づけられている。
 クトゥブの論では

 イスラム教の生き方でのみ人間は他の人間への隷属から解放される。
 そして神の崇拝だけに専心し、神からのみ指導を受け、神の御前にだけひれ伏すようになる。

 実は「西洋」の中にはクトゥブが高く評価した部分もあったが、それはドイツロマン主義であり、フランツ・マルクの芸術作品(狐の絵)だった。
 アメリカ人はその作品を一瞥しかしないため、「西洋人」が「精神的、審美的熟考」に不向きなのは明らかである、とクトゥブは結論した。
 クトゥブによれば「西洋人」または「ユダヤ人」は、世界的な「陰謀」を企んでおり、その証拠としてクトゥブは、ロシアの偽造書『シオン賢者の議定書』を好んで引用している。
 クトゥブの「確信」によれば

 (イスラム)コミュニティーを、その宗教から遠ざけようとする者は、誰もがユダヤ人の手先に違いない。

 そして、宗教・人種・国家といった障壁を超越しているかのような国際的な文化や共通遺産は、「世界のユダヤ民族によって企てられた策略の一つ」であり、「全世界の国家へ潜入し、邪悪な計画を永続させるための試み」であるとクトゥブは言う。
 この「邪悪な計画」の頂点に立っているのは高利貸しであり、彼らを通じて

 (世界の富は)ユダヤ金融機関の手中に収められていく。

 こうしたイスラーム運動における「人間社会」とは、「純粋な信心」によって成り立つものであり、ドイツの国家社会主義(ナチズム)における「国家」が、「純粋人種」によって成り立つことに類似している。
 クトゥブによると、ジハード(努力・聖戦)の目標は「神の法[要曖昧さ回避]のみに権威を与え、人間が作った法を除去すること」だった。
 この「宣戦布告」は、隠喩・比喩の類としてではなく文字通りに受容されねばならないとクトゥブは言い、その理由として次を挙げた。

 これらの全ては説教や論説を通じて為されるものではない。
 この世で神の力を強奪し、崇拝者を奴隷にした人間は、言葉の力だけでは片付けられない。

 ▼原因または背景

 このテロリズムの原因は幾つかの観点に従って様々に与えられる。

 マレック・チーベルによると、民衆の悲哀とエリートの堕落への、社会的抗議の状況におけるテロリズムそのものがイスラムの国家統治の失敗をもたらす。
 「金持ちがぼろを着たろくでなしの単なる報復として乱暴にこの現象を解釈するような、イデオロギー上の闘争において同じのこちらの、ものである富める国家の無理解」においてテロリズムは永続する。

 社会学者のドミニク・バレ
 (仏語:Dominique Baillet)

 その原因が経済的、政治的、社会的そして心理的に重なっていることを考える。

 ▶経済的な面で、これは開発途上国の経済のひとつの状況において見られる、イスラム世界のことから考えて、それは南北の不均衡にたいしてそれと同時にもたらされる。

 ▶政治的な面で、それは植民地解放以来の立場における体制での専制的なそして権威的な特徴による圧力であり、それと同時にパレスチナ問題や、イラク経済制裁のような未解決の問題についてのことによる圧力である。

 ▶社会的な面で、それは失業、社会的苦悩、ならびに個人の自由の不存在、の増加によって引き起こされる。

 ▶他の原因は心理的である:失望、より良いひとつの世界の夢、唯物論の拒絶、恨み、欲求不満、感謝の欠如、によって陥り易いことはそれをとりわけ与える。

 ドミニク・バレによると、いくらかのイスラム人は屈辱を受けたと意識しているのと同様に堕落させられたと思う、そして後進的な宗教のようにイスラムを考える西洋も堕落していると思う。
 彼によれば屈辱は結果における原因ではない。

 J.ナイリンク
 (仏語:J.Neirinck)
 によれば、そして説教師で神学者のイスラム人のタリク・ラマダンによれば、西側諸国において多神教もしくは《金銭、充足、セックス、暴力、騒音、全部の道徳と全部の超越性における、すべての精神性の巧妙なまたは乱暴な否定》の崇拝のひとつの形が宗教の否定を形作るのをイスラム教徒たちは見ている。
 それらのこれがこの意識の周囲に連なるのを認識する。

 哲学者ルネ・ジラールによれば、《テロリズムは私たちの異なったひとつの世界、けれども想像もつかないようさせる、私たち同士の遠く離れたこの違いをかきたてるところの、これに束縛する。 
 それは目的への集中そして類似の極度の欲望とは正反対である》。
 それそのものはそれゆえ《欲求不満の人々のひとつの第三世界をめぐる再結集と呼びかけの意思、そして西洋諸国をもって模倣的な敵対関係の彼らの報告における死傷者》において仲間を受け入れる。

 テロリズムの原因における複雑さは理解と対話による終結のために込み入った思考に解決を求めることが必要である。

 21世紀からは、ひとつの類似の議論での理由において、そしてパレスチナ、ボスニアまたはカシミール地方において不当が多くのイスラム教徒において耐え忍ばせることの:正しさを示すところのいかに大きな《原因》であるかの以前における事例としての、グローバルな動きのひとつであるかのように、イスラムのテロリズムはしばしば考えられている。それが西洋の国、そして主に伝統的なイスラム教徒の国、とりわけアフリカと中近東において、明らかになる。Boko Haram: Inside Nigeria's Unholy Warにおいて、マイク・スミス(フランス語:Mike Smith)によれば、見られるその起源は、ソマリアまたはチャドにおけるような、たとえ一般的な注目点をつけ加えても、時代の国家への抵抗での社会における宗教のひとつの手段化(フランス語:instrumentalisation)においてそれはしばしば生じる。
 一般のイスラム文化に表現力のあるオリビエ・ロイ(フランス語版)は、グローバルなイスラムにおける2つの要因を強調する:《道徳と国家の決定の優位は、新‐原理主義のための周辺のジハードでの手段化だけでなく、一般のウンマ》からの、欠点をおぎなう、中身を与えるためにも》。
 国家による行政からの反対者と(パキスタン、カノならびにナイジェリア…などの)シャリアを制度化している、ダゲスタンまたはイスラムのたくさんの首長国から、イエメンの南部での、タリバンにおけるものを見分けるものであるこれが、この《イスラモトラバリスム(フランス語:islamotrbalisme)》である。
 2005年において、いかにグローバル化がテロリズムを生んできたかをRetour de flammeにおいて教える、アリ・ライディ(仏語:Ali Laïdi)によれば、テロリズムの10のうちの9近くというものは国家の弱さである、しかしながら逆に《本質的に独裁者によって統治されたイスラム教徒の世界においては、イスラムは、暴力活動によって弾圧された、不安定化の要因とならざるをえない》。

 トマ・ピケティはパリ同時多発テロ事件について、緊縮財政政策が国家主義的緊張を作りだし、所得格差が中東におけるイスラム過激派のテロリズムを促す大きな要素だという見解を示した。
 人口の10%にも満たない石油王らの生産量が地域のGDPの60から70%を占めており、地域の発展にお金が使われていない。
 女性や移住労働者を含む大多数は準奴隷同然だとピケティは述べた。
 そして近年における中東の若年失業率は25%に達する。
 大学卒の失業率はエジプトやヨルダンでは15%を超えている。

 オリヴィエ・ロワは1995年以降にフランスで活動したテロリストのプロフィールを調査した結果、移民二世がテロリストになった事例が突出して多い事実を見いだし、イスラム過激派への入信現象の本質は移民家庭内の世代間闘争であると主張した。
 ロワは、移民二世は自発的に移民した一世より格差や貧困に対する覚悟が足りず、憎悪や復讐心を募らせ、自らのアイデンティティを問わずにはいられない。
 そういった不安定な状況を「宗教的な目覚め」が後押ししてイスラム過激派になる、と推測した。

 母国で育った移民や出身者が母国でテロを起こすことを「ホームグロウン・テロ」と言い、「ホームグロウン・テロ」は頻繁に起きている。

 ▼ジハード
(جهاد‎ jihād)

 アラビア語の語根 جهد(J-H-D、努力する)から派生した動詞جاهد(ジャーハダ、自己犠牲して戦う)の動名詞で、「違うベクトルの力の拮抗」を意味するが、一般的にイスラームの文脈では「宗教のために努力する、戦う」ことを意味する。
 「大ジハード」と「小ジハード」がある。

 「大ジハード」(内へのジハード)は個人の信仰を深める内面的努力を指す一方、「小ジハード」(外へのジハード)は異教徒に対しての戦いを指すため、一般的に「ジハード」というと後者を指す。
 イスラム法学上の「ジハード」は、「イスラムのための異教徒との戦闘」と定義される。
 しばしば「聖戦」と和訳されるが、ジハードという語には「聖」の意味はないため、正確ではない。

 ▼概要

 ジハードは、『クルアーン(コーラン)』に散見される「神の道のために奮闘することに務めよ」という句のなかの「奮闘する」「努力する」に相当する動詞の語根 jahada (ジャハダ、アラビア語: جهد‎)を語源としており、アラビア語では「ある目標をめざした奮闘、努力」という意味である。
 この語には本来「神聖」ないし「戦争」の意味は含まれていない[4]。しかし、『クルアーン』においてはこの言葉が「異教徒との戦い」「防衛戦」を指すことにも使われており、このことから異教徒討伐や非ムスリムとの戦争をあらわす「聖戦」(「外へのジハード」)をも指すようになった。
 したがって、「聖戦」という訳語は、ジハード本来の意味からすれば狭義の訳語ということができる。

 奮闘努力の意味でのジハードは、ムスリムの主要な義務である五行に次いで「第六番目の行」といわれることがある。
 ジハードの重要性は、イスラームの聖典『クルアーン』が神の道において奮闘せよと命じていることと、あるいはまた、預言者(ムハンマド)と初期のイスラーム共同体(ウンマ)のあり方に根ざしている。

 近現代におけるイスラームの反帝国主義・イスラーム復古主義・イスラーム原理主義においては、イスラーム世界防衛のため、「実際に武器を持って戦うジハード」が再び強調されている。
 『世界大百科事典』では次の解説がある。

 イスラム法の理念では,世界はイスラムの主権の確立されたダール・アルイスラームでなければならない。
 まだその主権が確立されていない世界は,ダール・アルハルブdār al‐ḥarb(戦争世界)と定義され,そこではイスラムの主権が確立されるまでジハードが必要となる。

 ▼2つのジハード

 ジハードは、六信五行というムスリムの信仰と義務の項目には含まれていないが、『クルアーン』では「奮闘努力」という非常に幅広い意味で登場し、したがって、その意味からも六信五行を越え、イスラームの信者として当然持たなければならない基本的な心構えとして、いっそう重要な命令と考えられている。

 広い意味でのジハードには、次の2種類が存在するといわれている。

 ・個人の内面との戦い。
 内へのジハード。非暴力的なジハード

 ・外部の不義との戦い。
 外へのジハード。暴力的なジハード

 この2つについて、ムハンマドが実際の戦闘から日常生活に戻ったときに語ったと伝承される言葉が、その内実をよく説明している。その言葉とは、

 私たちは小さなジハード(戦争)から大きなジハードに戻る。…

 というものである。

 「大きなジハード」すなわち「内へのジハード」は、個々人のムスリムの心の中にある悪や不正義、欲望、自我、利己主義と戦って、内面に正義を実現させるための行為のことであり、それだけに、いっそう困難で重要なものとされる。
 このことに関して、イスラーム共和制をとるイランでは、ラマダーンの期間、「ラマダーン月はジハードの月」などといった標語を掲げることによって、弛緩しがちなムスリムたちの規律を正し、イスラーム共和国の理想を思い起こさせるための行為という意味で「ジハード」の語が用いられる。
 イスラームが五行のひとつとして1ヶ月にわたる断食(サウム)を信徒に命じている理由は、人びとに食欲という本能を抑える訓練をさせることによって、精神は肉体よりも強固なものであると自覚させ、同時に食べものへの感謝の念を起こさせるためであるといわれている。

 現在、多くの学者は「内へのジハード」を「大ジハード」(الجهاد الأكبر‎ al-jihād l-akbar) と呼んでおり、それに対して「外へのジハード」を「小ジハード」(الجهاد الأصغر ‎ al-jihād l-asghar)と呼んでいる。
 どちらも、アッラーの命令を完遂できないような環境がつくられないための「奮闘努力」という点では共通している。

 もっとも広い意味でのジハードは、すべてのムスリムに課される義務を指している。
 神の意志にしたがい、神の意志を実現して倫理的な生活を営むために、説教、教育、実例および文書などによってイスラーム共同体の拡大のため、ムスリム一人ひとりとしても、イスラーム共同体としても、おこなうべき義務なのである。また、「ジハード」には、イスラーム教とイスラーム共同体を外部からの攻撃から守る権利(実際には義務)という意味もある。
 20世紀後半にあっても、1978年からのソ連のアフガニスタン紛争において、アフガニスタンのムジャーヒディーンが、ソヴィエト連邦の占領に対し、10年におよぶ長いジハードを戦ってきた。

 歴史的にみれば「大ジハード」は、平和主義と寛容さを旨とするイスラーム神秘主義の潮流のなかで特に支持されてきたものであり、その一方で、支配者・権力者は領土拡大や侵略の大義名分として「外へのジハード」を利用してきた。
 現代でもしばしば、テロリストと目される過激な集団が「外へのジハード」を大義名分として行動し、ムスリムの結集を呼びかけるために用いている。

 ❖ サラフィー・ジハード主義 ❖ 

 サラフィー・ジハード主義
 (アラビア語: السلفية الجهادية‎)

 フランスの政治学者ジル・ケペルによる造語で、サラフィー主義において1990年代半ばに勃興したジハード運動体もしくは思想。

 2000年代にはアメリカ同時多発テロ事件を契機としてジハード主義を掲げるアルカーイダ系組織が世界各地で台頭、これにより組織の影響を受けたジハード主義者(イスラーム過激派)によるテロが各地で発生している。
 さらに2010年代に入ると、その分派組織であったISILがシリア内戦(アラブの春)を契機としてアラブ世界で台頭し、地域情勢が深刻化している。

 ▼主なサラフィー・ジハード
            主義組織

 ・アルカーイダ系組織
 (アルカーイダ自体は一組織を指すわけでなく、国際的なネットワークの名称)   アル=ヌスラ戦線
 (シリア国内で活動、アルカーイダの下部組織とされる)

 ・ISIL
 (シリア・イラク両国内を中心に活動、アルカーイダとは絶縁状態)

 ❖ テロリズム ❖

 テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。「テロ」と略される。

 ▼概要

 『日本大百科全書』によると、テロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など苛酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」とされている。
 1980年代以降、イスラム過激派によるテロリズムが激化し、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受けて米欧各国が対テロ戦争を主導した結果、ホームグロウン・テロリズムが主流となる。
 その中でも特に単独犯の形態はローンウルフと呼ばれるが、海外での先行研究によれば、ローンウルフは反人工中絶や反性的少数者の立場からの犯行など動機・目的も多様化し、人種主義やヘイトクライムとの境界も曖昧となっていることから、厳密な定義には当てはまらない形態とされる。

 テロリズムは、左翼および右翼政党、ナショナリズム集団、宗教集団、そして政府側など多岐に渡る政治的な組織が、彼らの目的を達成するために実施している。
 テロリズムを行う主体は、個人から集団、政府や国家などまで含まれる。

 テロリズムを行う主体はテロリスト(英: terrorist)と呼ばれる[5]。テロリストのうち、グループの場合はテロ・グループ、組織の場合はテロ組織、国家の場合はテロ国家と呼ばれる。
 また、テロリストを支援する国家はテロ支援国家と呼ばれる。

 ▼用語

 テロリズムとは何らかの政治的な目的を達成するために暴力や脅迫を用いることを言う。「テロリズム」の語源はフランス語のterrorismeで、1793年から1794年のフランス革命の際の恐怖政治(フランス語: La Terreur)に由来し、更にフランス語のterreurはラテン語のterreōから派生した語で「恐怖」を意味する。
 「テロリズム」という用語が使われるようになったのはフランス革命において行われた九月虐殺がきっかけであった。
 この虐殺事件では革命派が反革命派1万6千人を殺害する恐怖政治を行い、その中で政治的な用語として登場した。
 フランス革命ではジャコバン派が恐怖政治を行い、ジャコバン派の権力喪失後に「テロリスト」の用語は使用されるようになった。
 この語の用法には歴史的な議論があり、例えばネルソン・マンデラやチェ・ゲバラ、マハトマ・ガンディー、シャナナ・グスマンもかつては「テロリスト」と呼ばれていたのである。

 ▼定義

 「テロリズム」の語の正確な定義には多数の困難が伴っており、100を超える多数の定義が存在している。

 オックスフォード英語辞典(OED)はきわめて古典的な用法を真っ先に挙げている。

 1.1789-1794年のフランス革命時にフランスの権力者が指示し遂行した威嚇による統治(恐怖政治)
 2.(派生用法)脅迫や威嚇を意図した攻撃方針

    — オックスフォード英語辞典

 だがこのOEDの説明では現代的な用法を理解するにはもの足りないと感じられることになる。
 「テロリズム」という語の現代的な用法は政治的なものである。
 テロリズムの概念は、しばしば国家の権威者やその支持者が、政治的あるいはその他の敵対者を非合法化し、更に国家が敵対者への武力行使を合法化するためにも使用されている。

 各国政府が独自に定義付けをしている例があるが、自国や自国の支持する武装集団による暴力行為は「テロリズム」から除外して、他の組織のもののみを「テロリズム」と呼んでおり、定義が自己中心的で、普遍性を持ちえず、妥当性に関しては疑問視されている。
 たとえばノーム・チョムスキーは、アメリカの公式文書によるテロリズムの定義に従えば「アメリカが1985年にベイルートで1人の聖職者を暗殺すべくモスクの外にトラックに仕掛けた爆弾を設置し、80名を殺し、250名に怪我を負わせた」行為(en:1985 Beirut car bombings)や「アメリカが1980年代にニカラグアを攻撃し壊滅状態に陥れた」(コントラ戦争)のは間違いなくテロである、と主張している。

 ◆国際連合

 国際連合は、2004年11月、国際連合事務総長による報告書において、テロリズムを以下のように示した。

 住民を威嚇する、または政府や国際組織を強制する、あるいは行動を自制させる目的で、市民や非戦闘員に対して殺害または重大な身体的危害を引き起こす事を意図したあらゆる行動。

 ◆テロ防止関連諸条約

 当条約ではハイジャック関連を中心に、以下がテロ行為とされている。

 ・航空機内の犯罪:航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約(航空機内の犯罪防止条約 東京条約)

 ・航空機ハイジャック:航空機の不法な奪取の防止に関する条約(航空機不法奪取防止条約 ヘーグ条約)

 ・民間航空機の安全に対する不法行為:民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(民間航空不法行為防止条約 モントリオール条約)、2010年作成の国際民間航空についての不法な行為の防止に関する条約(北京条約)においては、さらに核物質や生物兵器等の具体的事項を列挙

 ・国家代表等に対する犯罪行為:国際的に保護される者(外交官を含む。)に対する犯罪の防止及び処罰に関する条約(国家代表等犯罪防止処罰条約)

 ・人質を取る行為:人質をとる行為に関する国際条約(人質行為防止条約)

 ・国際輸送中の核物質の窃盗:核物質の防護に関する条約(核物質防護条約)

 ・空港における不法な暴力行為:1971年9月23日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書(空港不法行為防止議定書)

 ・海洋航行の安全に対する不法行為:海洋航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(海洋航行不法行為防止条約)

 ・大陸棚プラットフォームの安全に対する不法行為:大陸棚に所在する固定プラットフォームの安全に対する不法な行為の防止に関する議定書(大陸棚プラットフォーム不法行為防止議定書)

 ・爆発物を公共の場所に設置する行為:テロリストによる爆弾使用の防止に関する国際条約(爆弾テロ防止条約)

 ・テロリストに資金を供与する行為:テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約(テロ資金供与防止条約)

 ・放射性物質や核爆発装置を所持し、使用する行為:核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約(核テロリズム防止条約)

 ◆アメリカ合衆国政府による定義

 連邦捜査局(FBI)の報告書においても、統一されたテロの定義がないことが示されている。

 合衆国法典第18編第2331条 18 U.S.C. § 2331においては、暴力行為若しくは人命に危険を及ぼす行為又は政府の行動に影響を及ぼすための大量破壊、暗殺、誘拐などを指す。

 連邦規則集第28編0.85条(28 CFR 0.85(l))においては、FBIとして「政治的又は社会的な目的の促進のために、政府や市民、もしくはその一部への脅迫や強制ないし、人物や資産に対する不当な実力行使や暴力」としている。

 アメリカ国務省は、合衆国法典第22編第2656f条 22 U.S.C. § 2656fに基づき、国際テロリズムに関する年次報告書を作成しているが、そこでは「工作員や非国家的団体によって行われる政治的な動機による非武装目標への計画的な暴力行為」としている。
 また、テロ活動を支援する団体も含めて、国務長官により国外テロ組織(Foreign Terrorist Organizations, FTOs)に指定され、監視や制裁の対象とされる。

 ◆日本政府による定義

 日本の法令でテロリズムに関連するものには以下のようなものなどがある。

 ・公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金等の提供等の処罰に関する法律 第1条

 ・警察庁組織令 第39条[法令文 2]

 ・自衛隊法 第81条の2第1項[法令文 3]

 ・特定秘密の保護に関する法律 第12条2項[法令文 4]

 ・その他
 北朝鮮による日本人拉致問題 - 2001年より北朝鮮による拉致被害者家族連絡会、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会が「拉致はテロ」の表現を使用し、2003年6月の衆議院本会議で小泉純一郎首相が「普通には、テロと言えると思います」と答弁した。
 2007年12月には衆議院の拉致問題委員会で「拉致はテロであり、拉致被害者が抑留され続けている以上、テロは今も続いている」として、アメリカ合衆国政府による北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除に反対する決議案を、日本共産党を除く賛成多数で決議した。
 しかし秘密裏に行われた拉致を政府は当初は「テロ」と呼んでおらず、この表現には議論も存在する。

 ▼種類・分類

 背景や動機による分類としては歴史的用語を含めると、極端に右翼的な思想を動機として行われるものを「右翼テロ」、共産主義思想などを動機としたテロを「赤色テロ」、反革命思想を動機としたテロを「白色テロ」、アナキズムを動機としたテロを「黒色テロ」、宗教的目的を背景とするテロを「宗教テロ」、貧困の苦境や貧富の極端な格差が原因となって起きるテロを「貧困テロ」、環境保護を動機としたテロを「環境テロ」、ある国家が他の国家の政府や国民・市民を恫喝するテロを「国家テロ」(state terrorism)と分類することがある。
 また、ある国の政府が自国の国民を虐殺するなどして脅すテロは、特に古典的な用語を用いて「恐怖政治」と分類されている。

 また実施者の人数による分類では、国家の諸組織を動員して国家ぐるみ国家規模で他国に対して行われている「国家テロ」、一定規模の集団による「集団テロ」などと分類できる。1名~数名程度で行うテロは、長らく「個人テロ」と分類されていて、こちらがオーソドックスな分類法だが、近年では「ローンウルフ(型)」と比喩的な用語で分類することも増えている。

 自国内の市民が自国内の市民に対して行うテロリズムを特に「ドメスティック・テロリズム(domestic terrorism)」やホームグロウン・テロリズムと言う。

 テロの実行手段による分類としては、実行犯が爆弾を大衆あるいは特定の人物の周辺へ投げ込み爆発させる「爆弾テロ」、爆発物を無差別あるいは計画的に設置して区域を爆破する「爆破テロ」や実行犯が自爆する「自爆テロ」、核兵器または核物質を使用するぞと脅したりあるいはそれを実際に使用する「核テロリズム」、病原体を使用したり使用するぞと脅す「バイオテロ」、サーバ・PC・コンピュータネットワークなどに対する攻撃を行う「サイバーテロ」などがあり、近年では特にサイバーテロは日々、日常的に行われており、しかもサイバーテロは情報インフラの破壊だけでなく、石油パイプラインなど重要な社会インフラまでも数カ月停止させてしまうほど破壊力があり影響が甚大である。

 サイバー攻撃や重要施設の破壊、重要人物の暗殺など破壊工作を行うために、各国に潜伏している工作員や諜報員によるテロリズムを特に「スリーパーセル」と言う。日本政府も対抗手段として、内閣情報調査室、警察庁警備局、公安調査庁、防衛省情報本部など専門機関を設置している。

 1960年代~1980年代などでは、ハイジャックや重要施設を占拠して人質を取るタイプのテロが続発したが、解決手段として特殊部隊の突入が行われるようになり制圧に成功する事例が増えてからは、これらの手段は下火になった。

 〔ウィキペディアより引用〕