家内は土曜朝8時5分からの朗読「ラジオ文芸館」を楽しみにしている。
朝の忙しい時でもあるので録音しているようだ。
私も時々聞く。
今日は小松左京作の「行きずり」だ。
私は、期待して耳を傾ける。
昭和50年ころから遡ること150年前(今なら190年前か)の文政年間のお話。
「峠 一里半 吉田」の峠道を帰る途中雷雨に見舞われしかもお腹に差し込み。
苦しんでいるところ異様な風体のひとに助けられ峠の茶屋まで。
何度か会ううちに異様な風体の人は150年後の世から来たと告げる。
主人公はそのことにいぶかしがることもなく、むしろ、150年後の世にも人情が日本人にあることに安堵する。
最後に「これで会うこともないでしょう」と別れ際に150年後の団地群の姿を垣間見させその方向へと。
見やる方に去る人の姿も団地群も掻き消えた。
小松左京らしいお話だし、朗読するアナウンサーも良かった。
現代人の姿を当時のひとから表現するとあのようになるのかな、と。
なかなかその表現からイメージが難しかった。(二度目に聞いて大体イメージできた)
家内は今日のお話にはあまり関心がないようで床のワックスがけをしたり掃除機をかけたりしたりしていた。
掃除機の時はラジオに近寄る。
録音してあったので再度聞き直す。
朝の忙しい時でもあるので録音しているようだ。
私も時々聞く。
今日は小松左京作の「行きずり」だ。
私は、期待して耳を傾ける。
昭和50年ころから遡ること150年前(今なら190年前か)の文政年間のお話。
「峠 一里半 吉田」の峠道を帰る途中雷雨に見舞われしかもお腹に差し込み。
苦しんでいるところ異様な風体のひとに助けられ峠の茶屋まで。
何度か会ううちに異様な風体の人は150年後の世から来たと告げる。
主人公はそのことにいぶかしがることもなく、むしろ、150年後の世にも人情が日本人にあることに安堵する。
最後に「これで会うこともないでしょう」と別れ際に150年後の団地群の姿を垣間見させその方向へと。
見やる方に去る人の姿も団地群も掻き消えた。
小松左京らしいお話だし、朗読するアナウンサーも良かった。
現代人の姿を当時のひとから表現するとあのようになるのかな、と。
なかなかその表現からイメージが難しかった。(二度目に聞いて大体イメージできた)
家内は今日のお話にはあまり関心がないようで床のワックスがけをしたり掃除機をかけたりしたりしていた。
掃除機の時はラジオに近寄る。
録音してあったので再度聞き直す。
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