立原 道造「 風が…… 」1933年
私が詩に目覚めたのは、
小学5年の国語の時間でした。
宮沢賢治さんの余りに有名な
「雨ニモ負ケズ」は自分にとっては
衝撃的でした。
「世の中にはこんなに優しいことを
言える人がいるんだ。自分もこんなことを
言える人になりたい」と思ったものでした。
今でこそ、仏教思想に裏打ちされた
インテリジェンスな人が書いたからと解るものの
当時は詳細も経歴もツユほども知らない私ですから、
無理もありません。
ややあって思春期になり、恋にに目覚めた頃に
目にしたのが、叙情派詩人で知られた
立原 道造さんの処女作と言っても過言では
ないと思いますが、詩集「日曜日」の
冒頭にあったこの詩でした。
「 風が…… 」( 詩集 日曜日より )
《郵便局で 日が暮れる
《果物屋の店で 灯がともる
風が時間を知らせて歩く 方々(ほうぼう)に
たった 3行の詩の中に静かな映像が
次々と感じられ、思春期の私は
物思いに耽るのでした。
道造さんが高校最後の年を迎えた
1933年(昭和8年)、上記の詩が収められた
詩集『日曜日』と『散歩詩集』を手製で製作しました。
以下、敬称略
立原 道造(たちはら みちぞう)
1914年(大正3年)7月30日 東京・日本橋生まれ
1939年(昭和14年)3月29日)24歳で急逝した詩人。
学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業。
1937年(昭和12年)、石本建築事務所に入所。
賞歴は、辰野賞3年連続受賞、中原中也賞受賞。
また建築家としても足跡を残していて、
立原が構想した図面に基づき、
2004年に「ヒアシンスハウス」が
さいたま市の別所沼公園に竣工されました。
(下記の拙いスケッチは私が若かりし頃に、
詩に感動して描いたものです。)
私が詩に目覚めたのは、
小学5年の国語の時間でした。
宮沢賢治さんの余りに有名な
「雨ニモ負ケズ」は自分にとっては
衝撃的でした。
「世の中にはこんなに優しいことを
言える人がいるんだ。自分もこんなことを
言える人になりたい」と思ったものでした。
今でこそ、仏教思想に裏打ちされた
インテリジェンスな人が書いたからと解るものの
当時は詳細も経歴もツユほども知らない私ですから、
無理もありません。
ややあって思春期になり、恋にに目覚めた頃に
目にしたのが、叙情派詩人で知られた
立原 道造さんの処女作と言っても過言では
ないと思いますが、詩集「日曜日」の
冒頭にあったこの詩でした。
「 風が…… 」( 詩集 日曜日より )
《郵便局で 日が暮れる
《果物屋の店で 灯がともる
風が時間を知らせて歩く 方々(ほうぼう)に
たった 3行の詩の中に静かな映像が
次々と感じられ、思春期の私は
物思いに耽るのでした。
道造さんが高校最後の年を迎えた
1933年(昭和8年)、上記の詩が収められた
詩集『日曜日』と『散歩詩集』を手製で製作しました。
以下、敬称略
立原 道造(たちはら みちぞう)
1914年(大正3年)7月30日 東京・日本橋生まれ
1939年(昭和14年)3月29日)24歳で急逝した詩人。
学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業。
1937年(昭和12年)、石本建築事務所に入所。
賞歴は、辰野賞3年連続受賞、中原中也賞受賞。
また建築家としても足跡を残していて、
立原が構想した図面に基づき、
2004年に「ヒアシンスハウス」が
さいたま市の別所沼公園に竣工されました。
(下記の拙いスケッチは私が若かりし頃に、
詩に感動して描いたものです。)