とりあえず、外伝的な感じですがゲームの研究に関してのお話。
一応、卒論・修論ともにゲームとその身体への影響に関しての
社会学的見地からのことを述べていくつもりです。
ただ、まだ修論については研究が浅いこともあるので、
卒論のことを掻い摘んでお話。
ちょうど書く2年ほど前に例のゲーム脳の本が出て、
もう何度目かというゲームに対しての影響バッシングが出たのが
僕にとっては卒論を決めるきっかけでした。
で、少しだけ調べてみると卒論を書きあげた2004年序盤に限らず、
現在に至るまで、ゲームに限っての悪影響への、
確実なるいわゆる演繹的な論ってのはないんですよね。
まあ、当たり前ですけどw。
でも、帰納的な論に関してはまあありまして、
ちなみに一応ゲーム脳もその一つです。正しいかどうかは別にして。
で、そんな中で僕がコレと思ったのが、お茶の水女子大の
坂元章助教授のゲームに関する5つの影響の可能性です。
それは、
1.暴力
2.コミュニケーション能力
3.認知能力と学力
4.視力
5.体力
となります。
簡単に説明していくと、
1に関してはやはりありますが、コロンブスの卵的な論と言えなくもなく
確定的とは当然いえない、
2は確かに自閉的になる人もいるが、子どもの場合ゲーム自体が触媒となって
コミュニケーションを広げる、
3は、学力低下とかゲーム脳に絡む部分ですが、
勉強時間を削ってのゲームであることが多く、そういう意味で
学力が落ちるのは必然、という論です。
4に関してはほぼ肯定。まあ当然ですw
5は、都市化の問題もあるし、一概には言えないが影響は否定できない
という感じで、総じて確定的とはいえないが、
影響がないとは言えないし、直接的だとも言えない、
という論です。
一見あやふやですけど、結局のところそれが当然ではないかと。
与えられる情報が多すぎる現代において、
一つに固執して悪人とするのは間違いですし、
逆に一つに固執している人の場合、それ自体がどういうものであれ
病理であると言えるわけですから。
まあ、この論理なんかを取り上げつつ、その他の研究とかに触れたりして
結論的に出したのが、
・CEROがどう動いていくか
・結局はプレイする本人・及び親がしっかり見ていくべき
という陳腐ですが最も真っ当と感じる結論で終えております。
その上で僕としては修士論文では1つ目のほうの結論を
深く掘り下げるということで進行しています。
本当は下の方の研究も面白いと思うんですよ。
ある程度経過を見た上での研究になりますけど、
親としっかり話し合った上でゲームを遊ぶ家庭と、
全く自由に遊ばせている家庭の子どもを観察して、
その意識を調査するというものになると思うわけで、
一つの大きな意味があるとは思うんですが、
なにぶん時間がかかるし大変だろうということで断念w。
まあ、いつの日か誰かがやって欲しいなあと思いますがw。
さて、次回で最終回予定。何書こうか決めていませんw。
一応、卒論・修論ともにゲームとその身体への影響に関しての
社会学的見地からのことを述べていくつもりです。
ただ、まだ修論については研究が浅いこともあるので、
卒論のことを掻い摘んでお話。
ちょうど書く2年ほど前に例のゲーム脳の本が出て、
もう何度目かというゲームに対しての影響バッシングが出たのが
僕にとっては卒論を決めるきっかけでした。
で、少しだけ調べてみると卒論を書きあげた2004年序盤に限らず、
現在に至るまで、ゲームに限っての悪影響への、
確実なるいわゆる演繹的な論ってのはないんですよね。
まあ、当たり前ですけどw。
でも、帰納的な論に関してはまあありまして、
ちなみに一応ゲーム脳もその一つです。正しいかどうかは別にして。
で、そんな中で僕がコレと思ったのが、お茶の水女子大の
坂元章助教授のゲームに関する5つの影響の可能性です。
それは、
1.暴力
2.コミュニケーション能力
3.認知能力と学力
4.視力
5.体力
となります。
簡単に説明していくと、
1に関してはやはりありますが、コロンブスの卵的な論と言えなくもなく
確定的とは当然いえない、
2は確かに自閉的になる人もいるが、子どもの場合ゲーム自体が触媒となって
コミュニケーションを広げる、
3は、学力低下とかゲーム脳に絡む部分ですが、
勉強時間を削ってのゲームであることが多く、そういう意味で
学力が落ちるのは必然、という論です。
4に関してはほぼ肯定。まあ当然ですw
5は、都市化の問題もあるし、一概には言えないが影響は否定できない
という感じで、総じて確定的とはいえないが、
影響がないとは言えないし、直接的だとも言えない、
という論です。
一見あやふやですけど、結局のところそれが当然ではないかと。
与えられる情報が多すぎる現代において、
一つに固執して悪人とするのは間違いですし、
逆に一つに固執している人の場合、それ自体がどういうものであれ
病理であると言えるわけですから。
まあ、この論理なんかを取り上げつつ、その他の研究とかに触れたりして
結論的に出したのが、
・CEROがどう動いていくか
・結局はプレイする本人・及び親がしっかり見ていくべき
という陳腐ですが最も真っ当と感じる結論で終えております。
その上で僕としては修士論文では1つ目のほうの結論を
深く掘り下げるということで進行しています。
本当は下の方の研究も面白いと思うんですよ。
ある程度経過を見た上での研究になりますけど、
親としっかり話し合った上でゲームを遊ぶ家庭と、
全く自由に遊ばせている家庭の子どもを観察して、
その意識を調査するというものになると思うわけで、
一つの大きな意味があるとは思うんですが、
なにぶん時間がかかるし大変だろうということで断念w。
まあ、いつの日か誰かがやって欲しいなあと思いますがw。
さて、次回で最終回予定。何書こうか決めていませんw。