2時半過ぎに新橋に着いた。大概の店の昼飯営業は終わっていたが汐留OLのTake Out需要を主ターゲットとしているセントラルビル1階フードコート内の鶏飯を出している店はまだ開いていた。カウンターに座り厨房を横から覗き見ると食器や配膳用品が雑然と並んでいる、日本人とはどうしても見えない南方系の青年がトングで盛りつけている~トングはやめてくれ~。こりゃ駄目だ!と思っのだが。あっという間に出来てきてしまった。一見まともな鶏飯。汁を掛けて一口。
う~ん。やっぱり駄目。鶏肉のホグし身、錦糸卵、甘く煮た椎茸とそんなに違っていない筈だが。舌に馴染んだ味から大分距離がある。出汁のせいだろう旨くない。
奄美鶏飯は鹿児島に赴任して半年位経ってようやく食べた。当時芋焼酎を130銘柄揃えていた鰻の寝床のような「芥子菜」という小料理屋だった。鶏飯は酒席の最後の茶漬けのような位置づけで刺身、焼き魚を堪能した後に頼んだのである。
鹿児島に来るまで、つまり、神戸、大阪では「飲んだ締めはカツカレー!」と豪語していた私には当初いささか頼りない締めだったが、焼酎の締めとしてやはり最適の一品と私の中でランキングは上がっていった。なにより茶漬けやカツカレーよりみめ麗しい食い物だった。
店は夫婦と思しき2人がやっていた。女性は私より7~8歳上の色白でポチャっとしていた。他の鹿児島おごじょとは少し違う訛りがあって、しゃべり出す度に「・・・さんですね・・・」と私の名前を呼ぶのがクセだった。男性は色黒で口数の少ない人だった。
しかし通ううちにこの二人は果たして夫婦なのか疑問になってきた。夫婦らしき会話はないし、休みに日に女性と偶々遭遇すると単独行動だった。
しかし、「ご夫婦ですか?」と最後まで聞けなかった。同じ職場に後から赴任してきた同僚を連れて行って「どう思う?」と言うと「分からんな。いつか聞いてみるよ。」
その同僚が鹿児島を離れて東京で再会したときに『処であの二人どうでした?「いや~俺も聞きづらくて結局分からずだよ。」
数年前に鹿児島に行った時に店を通ると喫茶店に変わっていた。永遠に謎のままで終わりそうであるが、別れた夫婦が生活の糧だけは共にしていた、それが私の推理である。
でも鶏飯は食べたかった。仕方なくその後は鹿児島市内の鶏飯専門店で2回食している。
今回の汐留の鶏飯はどれと比べても落ちる。出汁は不味くはないがしつこい気がする。鹿児島で食べた鶏飯はもっとクリアなスープだった。
う~ん。やっぱり駄目。鶏肉のホグし身、錦糸卵、甘く煮た椎茸とそんなに違っていない筈だが。舌に馴染んだ味から大分距離がある。出汁のせいだろう旨くない。
奄美鶏飯は鹿児島に赴任して半年位経ってようやく食べた。当時芋焼酎を130銘柄揃えていた鰻の寝床のような「芥子菜」という小料理屋だった。鶏飯は酒席の最後の茶漬けのような位置づけで刺身、焼き魚を堪能した後に頼んだのである。
鹿児島に来るまで、つまり、神戸、大阪では「飲んだ締めはカツカレー!」と豪語していた私には当初いささか頼りない締めだったが、焼酎の締めとしてやはり最適の一品と私の中でランキングは上がっていった。なにより茶漬けやカツカレーよりみめ麗しい食い物だった。
店は夫婦と思しき2人がやっていた。女性は私より7~8歳上の色白でポチャっとしていた。他の鹿児島おごじょとは少し違う訛りがあって、しゃべり出す度に「・・・さんですね・・・」と私の名前を呼ぶのがクセだった。男性は色黒で口数の少ない人だった。
しかし通ううちにこの二人は果たして夫婦なのか疑問になってきた。夫婦らしき会話はないし、休みに日に女性と偶々遭遇すると単独行動だった。
しかし、「ご夫婦ですか?」と最後まで聞けなかった。同じ職場に後から赴任してきた同僚を連れて行って「どう思う?」と言うと「分からんな。いつか聞いてみるよ。」
その同僚が鹿児島を離れて東京で再会したときに『処であの二人どうでした?「いや~俺も聞きづらくて結局分からずだよ。」
数年前に鹿児島に行った時に店を通ると喫茶店に変わっていた。永遠に謎のままで終わりそうであるが、別れた夫婦が生活の糧だけは共にしていた、それが私の推理である。
でも鶏飯は食べたかった。仕方なくその後は鹿児島市内の鶏飯専門店で2回食している。
今回の汐留の鶏飯はどれと比べても落ちる。出汁は不味くはないがしつこい気がする。鹿児島で食べた鶏飯はもっとクリアなスープだった。
旧い門構えの中の大阪みみ卯本店は若い頃何回か通いました。
会社の連中と行った何回かは酩酊してました。
『福寿』と言ったか『福禄寿』といったのか、凍結状態から溶けてくる濃くて冷たい酒は舌を麻痺させて度を過ごさせてくれました。
あの頃といっても70年代中ごろと次は80年台中ごろのいずれも数年間ですが、あの陶然とした酔い心地と翌日のムカムカ感を懐かしく思い出しました。
みみ卯のうどんは一種不思議です。決して腰の強いうどんでないが、うどん漉きで最後まで煮崩れない。
東京時代も京橋のみみ卯にはよく昼食に行きましたね。昼食だからうどん漉きではなくて食べ放題の「賑わい蕎麦」でしたね。
もう「賑わい蕎麦」にトライしたくありませんが、うどん漉きは機会があったら適量の凍結酒とともに味わいたいものです。
会社の連中と行った何回かは酩酊してました。
『福寿』と言ったか『福禄寿』といったのか、凍結状態から溶けてくる濃くて冷たい酒は舌を麻痺させて度を過ごさせてくれました。
あの頃といっても70年代中ごろと次は80年台中ごろのいずれも数年間ですが、あの陶然とした酔い心地と翌日のムカムカ感を懐かしく思い出しました。
みみ卯のうどんは一種不思議です。決して腰の強いうどんでないが、うどん漉きで最後まで煮崩れない。
東京時代も京橋のみみ卯にはよく昼食に行きましたね。昼食だからうどん漉きではなくて食べ放題の「賑わい蕎麦」でしたね。
もう「賑わい蕎麦」にトライしたくありませんが、うどん漉きは機会があったら適量の凍結酒とともに味わいたいものです。
約1ヶ月前「キッチン柳」で食事を済ませた後歩いていて発見。次の機会を窺っていた。
といっても茅場町に用向きがあるわけでない。昔から得意技の「リルート」。でも昔は有ったのです「用事」が。
いい女はいないかとウロウロしてる奴、私は飯屋を探して用もないのにウロウロする奴。まあどちらも大した害はない。
昼飯後はここから又メトロに乗って本来の用件を済ます。
本来の用件と飯屋巡りとどちらが重要であるかって、そんなこと論を待たない。私の本分を外すわけにいかないのだ。
茅場町の天ぷら屋といえば若い頃よく「みかわ」に通った。当時えらく気に入っていたから仲間を連れて足繁く通った。
当時の店主の早乙女さんはカッコ良かった。何がかっこいいと云って、さい巻をむしって揚げる手際と穴子の一本揚げを金箸で折る仕草がかっこいいのだが、後は煙草をくわえていてもう灰が油の中に落ちるのではないかと思わせて落とさないのがカッコ良かった。でも昨今、絵の才能も手伝ってすっかり和食の文化人気取りになってしまった。
天才肌は認めるが嫌みが出てきた。最近も数回訪問したが彼は居らず弟子が揚げていたが、凡庸で少し焦げ臭のする決して満足しない天ぷら屋に成り下がったと思っている。これは本人が成り上がって現業放棄したのだから致し方ない。
話が逸れたが、この店はまだ新しい。「みかわ」あり、「稲菊」ありのむずかしい場所によく出したものだ。
主人は40代半ばか、ここも私の好きなタイプの店の重要ファクターである、素敵な奥方が慎ましいサービスを提供してくれる店だ。
「天重は少しお時間掛かりますがよろしいですか」・・・・ソンな時間は織り込み済みで、しかも口開けに来てるのですよ私という人種は仕事はもとから放っぱらかして・・・11時45分入店だったが、先客は2組、カウンター9席の小さな店である。他の方は一番安いコースの菫と見受けたがどの種も旨そうである。天重は2800円
よろしければと日本橋暖簾会の冊子を読みながら待つこと約10分。冊子を読みながら、これが私の天重様に揚げ奥に惹いていくパッドだなと察しをつける。
立派な大きめのお重に入って出てきた。色どりのいい素材がちりばめられていて見るからに美しい。巻き海老も綺麗だし、カボチャも綺麗。そして海苔で巻いたホタテの中の生しさが感激的。街の蕎麦屋や定食屋がだす大きな海老の水ぶくれ土左衛門が2匹横たわっている棺桶のような天重とはえらい違い。汁もしつこくなく大好き。
ただ悲しきかな、ご飯はほんの一皮。とても少のうございます。
でも先回の深町で油が疲弊していてガッカリしたのと対照的。やっぱり揚げ物は口開けに限る。
誠実そうな主人。素敵な奥さんと、可愛い娘さん。まだ新しい清々しさとマイブームになりそうな店。

店名からして航空会社の人にお勧めだろう。特典があるかどうかは請け合わない。
といっても茅場町に用向きがあるわけでない。昔から得意技の「リルート」。でも昔は有ったのです「用事」が。
いい女はいないかとウロウロしてる奴、私は飯屋を探して用もないのにウロウロする奴。まあどちらも大した害はない。
昼飯後はここから又メトロに乗って本来の用件を済ます。
本来の用件と飯屋巡りとどちらが重要であるかって、そんなこと論を待たない。私の本分を外すわけにいかないのだ。
茅場町の天ぷら屋といえば若い頃よく「みかわ」に通った。当時えらく気に入っていたから仲間を連れて足繁く通った。
当時の店主の早乙女さんはカッコ良かった。何がかっこいいと云って、さい巻をむしって揚げる手際と穴子の一本揚げを金箸で折る仕草がかっこいいのだが、後は煙草をくわえていてもう灰が油の中に落ちるのではないかと思わせて落とさないのがカッコ良かった。でも昨今、絵の才能も手伝ってすっかり和食の文化人気取りになってしまった。
天才肌は認めるが嫌みが出てきた。最近も数回訪問したが彼は居らず弟子が揚げていたが、凡庸で少し焦げ臭のする決して満足しない天ぷら屋に成り下がったと思っている。これは本人が成り上がって現業放棄したのだから致し方ない。
話が逸れたが、この店はまだ新しい。「みかわ」あり、「稲菊」ありのむずかしい場所によく出したものだ。
主人は40代半ばか、ここも私の好きなタイプの店の重要ファクターである、素敵な奥方が慎ましいサービスを提供してくれる店だ。
「天重は少しお時間掛かりますがよろしいですか」・・・・ソンな時間は織り込み済みで、しかも口開けに来てるのですよ私という人種は仕事はもとから放っぱらかして・・・11時45分入店だったが、先客は2組、カウンター9席の小さな店である。他の方は一番安いコースの菫と見受けたがどの種も旨そうである。天重は2800円
よろしければと日本橋暖簾会の冊子を読みながら待つこと約10分。冊子を読みながら、これが私の天重様に揚げ奥に惹いていくパッドだなと察しをつける。
立派な大きめのお重に入って出てきた。色どりのいい素材がちりばめられていて見るからに美しい。巻き海老も綺麗だし、カボチャも綺麗。そして海苔で巻いたホタテの中の生しさが感激的。街の蕎麦屋や定食屋がだす大きな海老の水ぶくれ土左衛門が2匹横たわっている棺桶のような天重とはえらい違い。汁もしつこくなく大好き。
ただ悲しきかな、ご飯はほんの一皮。とても少のうございます。
でも先回の深町で油が疲弊していてガッカリしたのと対照的。やっぱり揚げ物は口開けに限る。
誠実そうな主人。素敵な奥さんと、可愛い娘さん。まだ新しい清々しさとマイブームになりそうな店。

店名からして航空会社の人にお勧めだろう。特典があるかどうかは請け合わない。
都内中心部は週末と言えども昼飯を頂こうとすると駐車場探しが大変。駐車場難民を三カ所やって、諦めて帰ろうかと思ったのですが最後のトライを京橋の深町へ。この店も最近3回車を停められなくて断念していますが今回は店を50メーター位通り越したところに一カ所空きスペース発見。店に携帯で空席を聞いたところ一時過ぎだったので空いていますとのこと。半年ぶり位ですね多分。
種のグリーンアスパラは変わらずですが旬でないのでミズミズしさが有りません。夏と違って百合根と蟹の身が入っています。
種の工夫はさすがと思いましたが、口開けから油を変えていないのでしょう。1時過ぎの油はへたっていていささか胃にもたれました。

でも店は清潔でトイレも百合の花の香りが漂ってとても気持ちいいものでした。
車に戻る際、横筋に「天七」の看板を偶々発見、一軒家の風情ある佇まい。一度覗いてみたいと思いました。機会あれば・・・でもその前に行ってみたい店を茅場町で偶然発見したばかり。そこは今週中に是非行ってみるつもりですが。
外出機会の少ない今、中々こなせません。
種のグリーンアスパラは変わらずですが旬でないのでミズミズしさが有りません。夏と違って百合根と蟹の身が入っています。
種の工夫はさすがと思いましたが、口開けから油を変えていないのでしょう。1時過ぎの油はへたっていていささか胃にもたれました。

でも店は清潔でトイレも百合の花の香りが漂ってとても気持ちいいものでした。
車に戻る際、横筋に「天七」の看板を偶々発見、一軒家の風情ある佇まい。一度覗いてみたいと思いました。機会あれば・・・でもその前に行ってみたい店を茅場町で偶然発見したばかり。そこは今週中に是非行ってみるつもりですが。
外出機会の少ない今、中々こなせません。
木場にある外資系フォワーダーの方に数年前何度か彼の車で連れて行って貰った。場所の記憶が不確かで確か橋のたもとにあったと思って何度か以前に探したのだが辿り着けなかった。実際は永代通りから大横川に掛かる巴橋を渡って、もう一つ先の橋の手前だった。私は永代から直ぐの大横川の手前と思いこんで探索していたので見つからなかったわけだ。
探した理由は秋田料理ということに興味を覚えた事、デラックス丼という余りに陳腐であるが故に新鮮に思えるネーミングが気に入った事、そして何より1500円という価格以上の値打ちがあると感じたからである。
今回ネットで場所を確認してようやく辿り着いたわけだが値段は変わっていなかった。マグロで丼のベースを作って、その上に烏賊、小鰭、イクラ、甘海老、ウニ、ホタテと豪華に載る。牡丹という少し辺鄙な処にあるとはいえお値打ちと云える。
ウニは二塊でタップリである。マグロも切り身とネギトロとが相当量載っている。タレは掛かっていなくてワサビをしょう油でといて頂く。
実はここはパーソナリティの生島さんの行きつけの店である。タクシーでさっと来てさっと帰る。今はどうだか知らないが当時は週一は来ていた。
久しぶりに食べながら昨年春亡くなったフォワーダーの彼の事を思い出していた。随分世話になった航空貨物業界先達の一人。ボジョレヌーボーは彼が仕掛け人の一人であることは間違いない。彼からもっと話しを聞いておけばよかったと後悔するのであるが、This is aircargo! というべき超大型流行嗜好品ボジョレの黎明期と80年代の第一次ブーム後の数年の低迷を脱してからのビール会社の仕掛けの話、いつか航空業界の誰かが記録にまとめるべきなのだが、このドキュメントライターはもしかして自分がなるべきか?とこの季節になると思う。
探した理由は秋田料理ということに興味を覚えた事、デラックス丼という余りに陳腐であるが故に新鮮に思えるネーミングが気に入った事、そして何より1500円という価格以上の値打ちがあると感じたからである。
今回ネットで場所を確認してようやく辿り着いたわけだが値段は変わっていなかった。マグロで丼のベースを作って、その上に烏賊、小鰭、イクラ、甘海老、ウニ、ホタテと豪華に載る。牡丹という少し辺鄙な処にあるとはいえお値打ちと云える。
ウニは二塊でタップリである。マグロも切り身とネギトロとが相当量載っている。タレは掛かっていなくてワサビをしょう油でといて頂く。
実はここはパーソナリティの生島さんの行きつけの店である。タクシーでさっと来てさっと帰る。今はどうだか知らないが当時は週一は来ていた。
久しぶりに食べながら昨年春亡くなったフォワーダーの彼の事を思い出していた。随分世話になった航空貨物業界先達の一人。ボジョレヌーボーは彼が仕掛け人の一人であることは間違いない。彼からもっと話しを聞いておけばよかったと後悔するのであるが、This is aircargo! というべき超大型流行嗜好品ボジョレの黎明期と80年代の第一次ブーム後の数年の低迷を脱してからのビール会社の仕掛けの話、いつか航空業界の誰かが記録にまとめるべきなのだが、このドキュメントライターはもしかして自分がなるべきか?とこの季節になると思う。

石焼ビビンバの類の定食を出す新しい店。
沖縄流に皮を残した豚バラ肉を焼いて出す五段豚バラ丼を注文。店内は小上がり、テーブルと合わせて結構席数はあるのだが昼のサラーリーパーソン(サラリーマンという言葉もGender Freeの世相には相応しくない?)の昼食とするのには注文から出てくるまで時間が掛かりすぎ。隣に座っていた男のサラリーパーソンの二人連れは一人分先に出てきたもののもう一人分が出てこない。後から入った私の分が先に出てきたが、相方の男性は痺れを切らして「もういいから」と返金させて、先に食べ始めた連れの丼を恨めしそうに「ちょっと俺に食わせて」と一口だけ食べて出て行った。
豚肉はバラ肉の旨さが引き出されていてパサパサでず中々に満足感のあるもの。
値段も低廉で時間に余裕があればお勧めの昼食。
沖縄流に皮を残した豚バラ肉を焼いて出す五段豚バラ丼を注文。店内は小上がり、テーブルと合わせて結構席数はあるのだが昼のサラーリーパーソン(サラリーマンという言葉もGender Freeの世相には相応しくない?)の昼食とするのには注文から出てくるまで時間が掛かりすぎ。隣に座っていた男のサラリーパーソンの二人連れは一人分先に出てきたもののもう一人分が出てこない。後から入った私の分が先に出てきたが、相方の男性は痺れを切らして「もういいから」と返金させて、先に食べ始めた連れの丼を恨めしそうに「ちょっと俺に食わせて」と一口だけ食べて出て行った。
豚肉はバラ肉の旨さが引き出されていてパサパサでず中々に満足感のあるもの。
値段も低廉で時間に余裕があればお勧めの昼食。
