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Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

月に一度の大阪暮らし始める

2013-08-25 17:40:12 | Weblog
大阪の実家の片づけ、ご近所付き合いの再構築、そして関西の文化を今一度味合う事を目的に月一度を目途に帰ろうと思いだしたのは6月の母の一周忌の頃から。
暑いさなかに第一回を試みて、もしエアコンが動かなかったら眠れんかもという不安があったが、雨模様の週末帰ってきました。
木曜日まず大阪市水道局に電話してメーターを取り付けてもらった。
久しぶりの大阪は雨のお陰で30度に達せず、17日間連続の猛暑日記録が途絶えた日でラッキーだった。

エアコンは動くかと心配しながら家に入ってブレーカーを上げて二階に昇りリモコンを操作すると動いてくれてホッとする。でも水道が出ない?!
戸外の埋設メーターに張り紙がしてある。蓋をこじあけて支水栓をひねると出た。郵便受けから入ってくるチラシの類で玄関は足の踏み場もないのだが後回しにして、まだ老夫婦が生活している隣家の様子を見に行く。

もう少し数値が悪化したら透析と言われているオジサンはまだ踏みとどまっていた。脳梗塞の後遺症で喋りには不自由さがあるものの今月末に91歳になるというのに頭はまだまだシャープ。
叔母さんの自宅洋裁教室に母は独り暮らしの最後まで通い続けていたのだが、その叔母さんはご主人の世話をしながら教室をまだ週一回続けていて元気はつらつである。
「今日が息子の祥月命日やねん。そんな日に息子の兄貴分の貴方が帰ってきてくれるなんてこんな嬉しいことないわ」

「これからは出来るだけ毎月帰って来るよ。家の中の片づけもちょっとづつでもやらないかんし。家ほったらかしにしとくのは不用心でご近所も迷惑やろうし。家に泊まって、京都行ったり、奈良行ったり、神戸へ行ったり、大阪で友達にも会う積りしてんねん。水道使えるようにしたし、東京からシーツと枕カバーもってきたし。これからは重いもんで買いたいもんがあったらゆうてね。」「東京で週末暇にしてるより、こちらで月に二三日過ごす方が余程ええと思うねん。家の税金払い続けても知れてて構へんし、ちゃんと火災保険も大阪府の共済と民間のと2種入り直したよ。飛行機賃も例えば20回帰ってきても5~60万位やから今の僕には応えへんから。」

「可愛しいことゆうてくれるなあ、お父さん」と大喜びしてくれた。
「私ら、いずれはおらへんなるさかい、そしたらここの3軒みんな空き家になるやん、隣はもう駐車場になってるし4軒分合わせたら何か建てられるやん。」

「それは私も考えてるんです。まだだいぶ先の話やと思うけど、必要な時がきたら子供世代でええ話し合いが出来るようにしていこと思うてます。」
「ありがと。ええ会社入って、ちゃんとお金も貯めてて、えらいなあ。」「そんなことないけど、普通やったら親が子供のローンの肩代わりしたり、孫の学資すけてやったりという事があるけど、そういうこと僕には何も無いから。賭けごとはせーへんし、料理は毎日自分で作ってるからお金たいしてかかれへん。」

こんな話をして昼飯に出かけた。

何処に行こうか迷ったが結局は一番なじみのミナミにでることにする。まず雨の法善寺に、隣に夫婦善哉の店がある。
偶々だが、その日の夜NHKで織田作之助原作の夫婦善哉第1回放送日である。
余談だが織田作は我が高校の先輩である。といっても彼は旧制高津中学だが。
法善寺から更に心斎橋まで歩き、大学時代よく通った洋食「明治軒」でオムライスと串カツを食べ心斎橋を見物して帰る。見物というより昔馴染んだ店はまだ残っているか、潰れたかの確認が目的である。

家に戻る途中で最寄りの銭湯の定休日を確かめると生憎土曜日が定休だった。ガスは止めてあるので夜は銭湯通いを前提にしているので困ったと思ったがスマホで検索すると子供時代に通っていた隣駅の銭湯含め3軒がヒット。
晩飯はDEEPな鶴橋でと思っていたので駅のガードを越したところにある銭湯に行くことに決めた。

鶴橋の串焼きホルモンを食べる積りで駅のガード下に向かう。5時半位だったが、入ろうと思う店には既に7~8人の行列、先に銭湯に行くことにする。ゆっくり入って、ガード下に戻るがやはり4人待ち。ここのガードは近鉄線の上にJR環状線が跨っている真下である。鉄橋は焼肉の油でテカテカ光っている。同年輩と見受ける男性と共に20分以上待ったと思う。空いたのはテーブル席でその男性と向かい合わせに座る。10分くらい経ってから少し話を始める。「私は滋賀県からわざわざ来てるんです。生のセンマイとかコブクロとか食べられるところ他にないから。」

私もセンマイを頼むことにする。襞のびらびらの根元の胃壁の部分に旨みが集中している。焼き物は「つらみ 心臓、赤センの3種」彼の食べているコブクロ刺し身が美味そうだが私はコブクロのタタキを頼むことにする。鰹のたたきの如く炙り焼きしたものを想像したのだが、コブクロをまさに叩いて小さくして赤辛い冷たいスープに入れた代物。人生初めての味でDEEPさを体感。

夜はテレビも無いのでラジオを少し聞く、木造家屋だとAM放送のなんとクリアに入ることか。そして曽野さんの近刊書を読んで寝る。

翌日は散乱していたチラシはビニール袋に入れ、電気のブレーカーを落とし、水漏れが怖いので再び支水栓を閉めて隣家に行き「申し訳ないけどゴミ出しお願いします。これ私の携帯番号のメモです。これから帰ってきているときはこれに連絡してください。」
「いいよ、いいよ。昨日の晩ね、娘と2時間くらい電話で話してたわ、よかったな~ゆうて」

家では2階のベッドのある部屋だけで生活し、二階トイレを使うだけにしようと決めている。今回掛け布団のカバーも敷布団のシーツも、枕カバーも持ち帰って洗濯する。

従って空腹状態で家を出て、変貌著しい大阪駅周辺の百貨店見物の前にモーニングを食べようと思ったが、昔懐かしい立ち飲み串カツの「松葉」で足が止まった。
確か数ヶ月前NHKでこの店が今年閉店するのを取りあげていた。大阪駅から阪神電車に乗る為の階段を降りた通路にある店で、立ちこめる魅惑的な匂いに「大人になったら行ける店」と幼いころから思っていた。
番組では「深夜勤明けの人、そして家庭内で居場所を失った高齢者が通ってくる中高年の心の拠り所として紹介していた。今回行っておかないと行きそびれる・・ そう思って朝からアルコール?と思うものの、珈琲代わりの生中、そしてサンドイッチ代わりの牛串とウズラ卵フライと思って入りました。1000円弱 まあいいでしょう。付け合わせのキャベツもたっぷり食べました。





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週末、大阪に住もう

2013-07-22 14:59:39 | Weblog
昨日の横浜での「日銀の金融政策1」で前期スクーリングが終了した。
5月、青森での白神山地入りから始まり7月第一週の札幌でのバラッド(欧州の口承音楽)を入れて全部で6科目受講した。
終了後に期限をつけてレポート提出を求められたのは白神の屋外授業科目及び東京で受講した企業財務、債券投資の3科目。面倒と思ったが、人さまの目に触れさせるのも申し訳ない乱雑な文字でスクーリング終了前の短い時間で殴り書きレポートを提出し帰途に就くより、家で資料を読み返しNETで確認しながら、黙考する時間を取ってキーボード入力したレポートを出せた事に満足感があった。
週末を無為に過ごすも、有意義に過ごすのも自分の勝手となったわけだが、スクーリングのあった週末のなんと価値の高いことか。洗濯と掃除だけであらかたが終わった週末の夜に軽い後悔の念に陥ることのなんと多かったことか。

5500円受講料を払い、交通費そして大概は外食費、場合によって宿泊費が掛かるが余りある自己投資リターンがある。
札幌では旧い友人に新しい友人を交え色気は無い「酒と薔薇の日々」の宵を持てたし、その後2日休みを取って何年ぶりかの函館旅行もした(写真)。

後期のスクーリングの案内が来た。一覧した処、南の方角で食指が動く科目は見当たらなかったが、北の方角には3科目好奇心をそそるものがある。ネット登録申請が可能になる8月15日の朝9時1分には申請ボタンをクリックするスタンバイをせねばならん。

南の方角とは中国、四国、九州、沖縄を意味するが、それとは別に大阪、京都、神戸での科目を2科目程度申請する積りである。

というのは札幌での「酒と薔薇の宵」の際に友人に宣言した事だが、大阪の家に月一目途に帰ろうと思っている。理由は次のような事だ。

一つ目は実家の母の遺品を順次片づける事、母と自分の思い出でが残った家財をなんかの羽目で重機で「えいやっ」と壊すのは無分別だ。

二つ目は両隣のご近所のお年寄りとしばしお付き合いをしたい。右隣は我が家と同じく空き家と思われる。叔母さんは存命の筈だが一昨年秋にご主人が無くなってから独り暮らしは無理になったようだ。
左隣はご夫婦とも存命で、叔母さんはまだ元気で母が東京に越すまで長年通っていた洋裁教室を今でも週に一度開いている。90歳を過ぎたご主人は頭はしっかりしているが、透析に入るか入らないかの瀬戸際だ。従って右隣に何が出来るという訳はないが、左隣は私が定期的に帰ってくると分かればお役にたてることがあると考えている。ご夫婦の一男一女は当然私の幼馴染で、私より3歳下の長女はJ社の優秀な後輩と結婚しパリ暮らし、金沢暮らしを経験したが、20年ほど前に後輩は病死、彼女は子育てを終え今は千葉県で図書館司書の仕事をしている。弟は私の家庭教師の只一人の教え子だが5年前だと思うが、すい臓癌で無念にも亡くなった。このご夫婦に、何が出来るかわからないが母がお世話になった分も含めて少しでも恩返しと思っている。そして何年か後には我が家も含め3軒の家が無住になる宿命なのだから、後の始末を子供世代同士で話し合えるように素地を準備する意味はある。

三つめは、二つ目と関わるが、何年先か分からないが実家を壊して更地にする日がいずれ来るが、いまだ私自身に大阪、関西の生活に未練がある。そうならこの家を基点にして、京都、奈良、神戸を訪れたら良いではないか。母の愛した薬師寺、四天王寺、真如堂を母の思い出を辿って訪ねればいいではないか。関西の四季を二廻りくらい写真撮影でもしながら経験すれば自分の気が済むのではないか。そしたら家も家財も処分する踏ん切りがつくだろう。小学校も中学校も同窓会長でありながら、一度も出席したことがない不義理をしている幼な友達に会う機会も今ならまだつくれるだろう。学生時代は行けなかった先斗町の割烹を訪ねるのもいいだろう。腹違いの姉とももっと親しい関係にもなれるだろう。

ガスは止めてある。水道も止めてあるが昨年水道局に事情を話したら帰る前日に電話すれば栓を再開すると言われた。「時々帰られるんだったら栓は開けたままにしておきますから、発生ベースで5立方メートル分だけ料金払ってもらえばいいですよ」とのことだった。
電気はブレーカーを落としただけなので必要な時に使える。従って家で食事は出来ないが、照明と空調をつかい、トイレを使える。風呂は子供の頃にも通った銭湯に行けばよい。テレビは見れないが30年くらい前に買ったラジカセがあれば十分だ。そして夜は大学時代に買いそろえた昭和40年代の日本の知的資産の集大成である小学館の「日本大百科事典」を読んで眠る。
月に2日程度大阪に帰りそんな生活を納得するまでやってみることは、大学のスクーリングに使う週末と同じくらい意味がある筈である。

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墓参りの後の愉しみ 根津界隈で一献やる 秋田料理たけや

2013-06-29 23:01:02 | Weblog
一周忌の時に思い立った通り夕方の墓参りをやってみる。午後4時少し前に家を出て糀谷駅から京急に乗り、三田で三田線に乗り換え、大手町で千代田線に乗り換える。寺に着いたのは5時に5分前。
これで寺の門が閉まっていたら不様な謀だったことになるのだが、墓参りを済ませて出てきたと思われる家族と門で行き違う。やれやれまだ大丈夫だったと安堵するが。線香は求められるかしらん。
幸い線香はまだ置いてあって自分で点火セットで火をつけ200円置いて墓に向う。あちこちの寺から5時の鐘の音がなる。これは風情が有っていいではないか。墓前に手を合わせて何を報告するでもないが無心に20秒くらい手を合わせる。

不謹慎にも墓前でスマホを取り出し今宵行こうと思っていた店に予約を入れる。「すぐ近くに居るんですけど」「空いております、店は5時半からです。」「ではカウンター席をお願い。」
寺から店までは坂を下って5分だ。まだ時間がある。所在無いから線香というもののは見ている間にたって短くなるものなのだろうかと暫し眺める。これにもすぐに飽きて周りの墓を見る。
今まで気にした事が無かったが、見渡した周囲でわが家の墓が最も古く、崩れそうでは無いが目立たない見劣りする墓である。
墓守するべき人間が何人かいるのであれば、墓石を立派にしようとかいう話になりそうである。でも私はそんな風に思わないし、傍目を気にする事もこれからある訳も無いだろう。この墓の50年先の保守状況を心配する事はない。それよりは15年位先かなあ、私の世の中との処し方に対する考え方がまだしっかりしている間に墓を逼塞させるとか、集団埋葬に移して空き地にして先々寺に迷惑を掛けないように考える方がまともな成り行きだ・・・等と考えるうち開店時刻10分前になる。墓に再度手を合わせ、母に「きょうも数珠持ってくるの忘れてるね、まっ勘弁して」

ゆっくり歩いて言問通りから5メーター引っ込んだ店の入り口につく、階段を男性が降りてきて、「準備中」の板を裏返し暖簾をかけようとする。「さっき電話したものだけれど、もういい?」「勿論です。初めてですかね?」「初めてだよ。」「そうですか余り当店にお一人でフラッとこられる方は居ないもので。階段気をつけて上がってください。」階段を上がりきって振り向いた所に入り口が有る。
カウンターと言問通りに面した奥は障子になっていて、ゆったり配したテーブルが3卓か。カウンターの一番入り口に近い席に座る。
たけや という秋田料理の店でソムリエが居るというのはスマホで調べていった。そうか彼がソムリエか。雇われか、オーナーか様子を探る。厨房の中は女性二人。最初思ったのは親子3人の経営、母と子供二人。厨房の会話は賑やかなのだが親子にしては少々会話の辻褄が変だ。若い女性とソムリエは似てると見受けられる。3人の横顔を観察して額の線を比べる。年配女性の額の線はほぼフラットでソムリエと厨房にいる30代半ばと思われる女性の額の線は目の上で盛り上がっていて兄妹であること間違いなさそうである。ほどなく入ってきた二人目のなじみ客との会話を聞いて、オーナー兄妹と古くからの女性従業員と確定する。
二人目が入ってくる前に取り急ぎ、何故この店に現れたのかを説明できた。「何年も前から昼間通って気になっていたよ」「でも母と寺に行く途中で、母の最後の数年は必ず車で来ていたから、来る機会が無かったよ」「墓参りは午前中にするものだと思っていたから、このままではこの界隈の店に来れないのは良さげな店が何軒もあるのに勿体ないと思ってね、一周忌の時に住職の奥さんに聞いたんだ、夕方墓参りするのは変ですか?って」「そんなことありませんって言われたからさ、これで気になっている店を巡ってその中から何軒か馴染みを作ろうと思い立った訳、きょうがその初回だよ」「どこのお寺さんですか?「宗善寺なんだけど」「彼処の若い住職と私同級でした、お姉さんが確か居ましたけど」「それらしき女性は見かけないけど。嫁いだんじゃない?」

こんな話をして取りあえず打ち解けて、料理を2品頼む。今ワインを毎晩嗜んでいる事も告げるとソムリエは「どんなワインがお好みです?」「そんな蘊蓄語る知識はないし、高いワインを飲む余裕もないけどね、今日は白のドライなのがいい。」ソムリエはオーストリア産のボトルを開けた。

オーストリアのワインは綺麗である。綺麗という意味は栓がコルクでなくてガラス製なことである。「ブショネというコルク栓に一定割合で混じる異臭は避けられます。でも酸化の進行が早いかもしれないのがガラス栓の不安な点ですね。」手頃な価格だというのでグラスで頼んだ。「以前、ヨーロッパにちょくちょく行ってた頃にもしかしたらオーストリアワインも飲んだかな」「家飲みのグラスはオーストリアのリーデル社製だよ。「当店もリーデル使っております。」

料理はヒラマサのカマの塩焼きと名物の つくね にしてグラスワインは2杯。もう一品は山菜を頼み、秋田の「刈り穂」の冷やを一杯飲む事に。

食事もワインも、応対も満足したので又来るよと告げた。「墓参りは月に一度かな、この界隈に行ってみたい店があと数軒有るので、ここにくるのは四季に一度くらいかな、でも覚えておいてね。」

気分よく店を出ました。

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先輩に会う

2013-06-27 22:59:25 | Weblog
大学の航空貨物業界で仕事した仲間の会に出た。2回目である。
私は端に座ったので、近況報告は私が口切りだった。私は今の仕事の事は殆ど触れず、先の放送大学の弘前でのスクーリングの事、今関心を持っている統計学の事等織り交ぜて喋った。
4人目に近況報告をされた大先輩の近況報告を聞いて、前回とほぼ同じ内容の繰り返しだとは思ったが。

御歳まもなく78歳の腕っ節は筋骨隆々で背が伸びている。ゴルフと筋トレを欠かさないとのことであるが悠然とした話しぶりはそうそうたる連中が揃っている中でも存在感が目立つ。

6人目に元ルフトハンザのGさんが近況を話しだす頃には既に相当酔いの廻ったK社の元イタリア駐在員の不適切言動、そして同じくK社のボストン駐在で気は良いがちょこちょこ動き回りすぎる私と同年卒のご仁の「軽さ」が大分目障りになり、Gさんが「シャラップ!」と叫んでも聞かず、少々荒れた雰囲気になっていく。
最後に事務局長のJ社のY元役員が締める頃には段々収拾がつかなくなる。Yさんが反対側の離れた席から私に「この年代は俺が纏めるから、お前はエアラインの中の現役世代の掘り出しをやれ」とハタ迷惑なことをいう。まあ多少は協力しなければならないが。 

座にいる連中は殆ど事務局長の話を聞いておらず、これは大分まずい雰囲気だと私が気をもんでいると 彼がすっくと立ち上がる。さすがに一瞬で座が静まり、前向きな方向性の話をしてくれてなんとなく上手く座が収まってしまった。さすがである。昔の業界での存在感は生きていた。
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一周忌

2013-06-12 16:11:14 | Weblog
梅雨入り以降振らない日々が続いていたが昨日やっと湿り気のある空気に。
今日は仕事を休んで一周忌を、やはり独りで行う。
読経を10時にお願いしたので20分くらい前に着く。通された広間に堂守に引き取ってもらった人形を彼女は持ってきてくれた。

人形を眺めお茶を飲みながら暫し考える。一年前の今朝、母は息を引き取ったのだが、10時前のこの時間は寺にお願いした納棺の為の迎えの車を病院で待っている時間だったな。
あのとき、心に余裕は無かったようだけど、ちゃんと看取れたという達成感はあった。

最近買い替えて電池切れの不安が無くなったスマホでGoogle Calendarを辿り1年前の自分の行動記録を改めて読み返す。
前日の11日に月初めに終わらせなければならないルーティーンの仕事を終えて、経営会議資料を昼前に完成している。
11日の夜には母の一番の親友の方から電話が入っている。「もう間もなく旅立つと思います」という話をしたと脚注してある。
当日3時半に病院から電話の入った事、6時半に息を引き取った後、ご友人と大阪のご近所には8時過ぎに電話を入れている。
寺で11時過ぎに納棺し、根津の「須田」で豆腐定食を食べ、区役所に届けを出し、3時過ぎには家で包丁を研いでいる。
何故その日に包丁を研いだのか些か合点が行かなかったが、その日は通夜もしなかったので晩飯を作っている。メニューは鶏胸肉のマスタード炒め、鯛の薄造り、ゴーヤーの浅漬けと記録している。
鯛の薄造りの為に必要だった訳で、研ぎながら「これから新しい人生を始めるのだ」と少々気負って研いだんだと思い出す。

翌日の13日午後には町屋の斎場で亡骸を焼いてもらっているが、朝はジムに行ってレッグプレスほか2種の筋トレを行っている。
淡々としかし堅実に行動していたと我ながら感心する。

人形をつぶさに観察してみる。紋付は母が恐らく60年くらい前に作り直している筈だが母の歳と同じという人形は本当に保存状態がいい。堂守が自分の人形と一緒に守っていてくれる事は有り難い限りである。紋付の柄は虎だと思われるが私が寅年生まれなので誂えたのだろう。「この子達 俺と違って歳はとらなくていいよなあ。」

読経が終わってから堂守りに「墓参り、いつも午前中に来てるんですが、墓参りって夕方するのは変ですかね?」と訊く。そんなことないと言うことなので「じゃあ今後、時々5時前に来させてもらいます。参ってから谷中か根津のお店で一献やって帰ることを組み入れようと思ってます。」
谷根千で一杯やって帰るのをもう定番にする気でいる。

母の部屋を実はまだ殆ど触っていない。マンションの玄関前には母が使っていた歩行器がまだ2台置いてある。さすがに日焼けして色がくすんできた。
もう気持ちの整理はついている。始めよう。まずは大物のベッドを大型ゴミとして出す事から。
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スマートフォンを買い替える

2013-05-26 23:29:57 | Weblog
昨年1月買った1代目の富士通スマートフォンは酷いものだった。
携帯はこの10年ほど前に、首からぶら下げるという不格好だが堅実、賢明なるスタイルに変えたことより、落とす、忘れる、水没させるという、私如きそそっかしい輩が起こすべくして起こした数々の事故が絶滅した。
スマホ1代目も従って、徐々に無くなりつつあるストラップホルダーのついた機種を選別した。

朝、フル充電状態で首からぶら下げて職場に着いた時点ではや2割程度電池が消耗し、電話をかける訳でなく、強いて言えば電話帳機能を活用するだけで、昼過ぎには電池切れ警告がなる。仕方なく予備電源で充電するのだが、夕方帰る頃には心細い状態になり、家に帰る前には再び警告がなるという案配であった。家に帰ると即、充電器にさすので、家に帰ってからの着信電話、メールに気がつかない事がしばしばだった。
自衛策として着信電話のなさそうな平日昼間は、職場で電源を切るのが標準的な使い方となった。
これではいくらなんでもスワッ地震、事故という時の連絡手段として機能する訳もない。
という事ではや1年半弱で2代目スマホを購入する事に決めました。
選別基準はやはりストラップホルダがついていること、電池持ちの一番良さそうな機種という事で今回選んだのはシャープ製、しかも先進的?な置くだけ充電方式です。
ドコモショップで順番待ち番号をとったのは午後1時、250分待ちとの考えられない掲示に怒る気もせず、一旦家に帰り夕方5時半にもう一度再来店。
結局手続き開始は7時半頃、必要データを移し終わったのは8時半。
多分ソフトバンクでもauでも大同小異だろう。なにかおかしくない この手のかかり方方?
でも、これでノマドワーキングスタイルに私は進化できるのか?

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器が小さい

2013-05-21 22:51:28 | Weblog
日曜に鹿児島に行く。昨年末孤独死した叔母の預金残高確認が取れたので来てくださいとのメールが入り、毎月仕事が中休みになる二十日前後の今の時機を逃すと先々人間の様々な欲望の糸が延びて、絡み付いて動きががとれなくなる。サッと動いて、求められている金額を処理するにしくはない、ということで日曜の朝鹿児島に降り立った。
協力者の姪御さんと落ち合い、叔母の係累の同意書を取り付けるまでの苦労をお聞きする。
「取りあえず家に行って、金庫探しましょ。」大事なものは金庫に入れてると既に縁切り状態になっていた親族に叔母は語っていたという。私も土地の権利書を探し出さないと先の作業が思いやられる。
しかし昨年末結構丁寧に探したがに見つけられなかった。従って今度も見つけられる可能性はそんなに高くないと思っていたが、私が洋服ダンスの服が畳んで重ねてある奥に手を突っ込んだ処、固いものに触れた。手提げ金庫だった。「良かったですね~、でも開かないですね。鍵無いし。」
しばし二人で思案したが、私は「取りあえず元の所に戻して、金庫業者にあたって簡単に開けてくれるもんだか何らか資格証明の書類がいるもんだかどうだか、調べましょう」と提案してその日の捜索作業を終えた。
既に名寄せ作業の済んだ預金はすぐにでも現金化出来るというので私は「これから何年か固定資産税の支払いが続くだろうし、私の名義で相続関係の管理口座を作ります」と提案。
彼女と別れてから、地銀に口座を開設しようと決めた。翌朝には地銀本店に並び口座を開設し、税の自動引き落としの手続きもとる。

金庫業者に電話すると「ハイ、開けますよ、費用は5000円位です。」とあっさり言ってくれたので翌日持ち込む予約をする。
当初は当日朝に叔母の家までタクシーで行き、車を待たせて金庫を運ぼうかと考えていたが、常識的に考えて手提げ金庫をさげて道を歩いていても、タクシーに乗っても、降車後運転手が警察に通報するかもしれない。
と言う事で私はアウトドアショップに行ってリュックを買えばいいと発想した。好日山荘で小型のリュックを買う事にしたが口の部分がこの幅と大きさだったら入るだろうというギリギリ小振りなものを選んでしまい、もし入らなかったらどうしようと途中気が気で無い。
冷静に考えてリュックなんぞ買わずキャリータイプのゼロ・ハリバートンでも買っておけば先々使えて重宝するのに思いつかなかった。「つくづく器の小さい人間だ。」とこじつけておかしくなる。
でも家に入って金庫をいれると思惑通り丁度収まった。しめしめ、これで金庫もって市電に乗っても怪しまれない。ということで前日夕方にホテルまでの移送作業は終了。

ここらの顛末を早速行きつけの和食店に行っておもしろおかしく話す事にした。

この店では大体、最初の数品は私の顔をみて、主人が貴男はこれで良いよね。と勝手に決める。

シマアジが出た。「シマアジは今日は鹿児島で一本しか上がらんだったよ。少し小さいけどね」。私はショーケースを見て「この左端の魚がシマアジだよね。という事は何かい?こいつの裏側はすっからかんな訳ね?」「面白い事言うね、そんな事言われたの初めてだよ」「でもそうだよね」シマアジはうまかった。
「アオリイカも食わんとね?」というから「いいよ」と応えておもむろに彼が分厚いまな板の上で細かい筋目を入れるのを見ている。普通筋目は切る方向と直角にさっと刃を渡すんだけど、彼は横長に置いたイカの包丁の下半分を使って下半分に筋を入れ、もう一度今度は刃先を使って上半分に筋を入れた。「なんでこんな面倒な下処理するの?」「いやあアオリは身が厚いから真ん中で膨らんでる、だから真ん中の前と後ろで別々に包丁入れてやった方が年寄りには食べやすいから」「そりゃ良いね、という事は私はその年寄りに区分された訳ね」「いやそういう訳でもないけど」

主人は明日金庫空けると、「何が出てくるか楽しみだね、インゴットでも入っとらんかね?」「そんなもの入っているわけないけど、軽い訳でもなくてゴソッゴソと音するんですよ」
他の客はすぐに居なくなったので主人夫婦と四方山話をしていい気分でホテルに戻る。

今日は姪御さんと落ち合い預金を全ておろし、親族が求めている供養料その他を即振り込み手続きして、「あ~これで肩の荷がおりましたね」「金庫の中から又国債でも出ると面倒だよね」とお互いいいながら金庫業者に向う。持ち込むと業者はちょっと触ってほんの10秒で開けた。「鍵はかかっていませんでしたよ」「千円頂いたら充分です」あっさり3分で用事は終わってしまった。

という事で当初予定していた作業は順調に終わる、金庫の中からは蛇は出なかったが思いがけないものが一点、これは後で処理を考えますと言う事にし、不動産と家財の処理は涼しくなる秋口にやりましょうという事でお開きにした。

そして鹿児島の友人に電話して「お茶するのに出て来れる?」と聞くと「すぐ行きますよ。」ということで鹿児島の代表ホテル、城山観光ホテルでお茶する事にした。「地ビールのんでみたら?」と勧められ小さな器に2杯飲んだ。友人をいつまでも引き止める訳に行かないので「後はホテルの温泉で俺はぐたっとするよ。」といって別れる。
晴れておれば桜島が望める展望温泉で「あ~片付いてよかった」と骨休めして帰路につきました。
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わらじサンダル使い始めました。

2013-05-14 09:29:25 | Weblog
膝に問題を抱えて以来色々な靴を試しています。

普段履きしているのは旭メディカル製のヒールの底に赤いゴムの円盤を付けたもの、そして有楽町のアシックス歩人館で足形測定をしてから求めているウオーキングシューズにインソールを調整してもらっているものの2種。

ゴールデンウイーク休み中には日比谷でビブラム社の五本指のランニング靴を試してみました。しかしこの製品は欧米人の足に合わせて作られており甲高、幅広の日本人には合わないようで私は指を入れることさえできず断念。
その代替として買ったのがミズノと東大で商品開発した草鞋を原型にヒールを付けたこの製品です。
売りは「一番涼しいウオーキングシューズ」。

時代劇でみる通り、腰かけて紐を結ぶので、まずホームセンターで玄関で腰を下ろすための台を買いました。
今日が2回目です。鼻緒が少し窮屈ですが片道1時間の徒歩通勤に全く問題ありませんし多分慣れるでしょう。
これからの暑くて蒸すシーズンは履く機会が増えそうです。女性用もあります。
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弘前の夜桜

2013-05-10 22:18:12 | Weblog

今学期初めての面接授業の為、弘前に向かう。職場で3時少し前まで仕事して3時35分の便に乗った。誰かに手土産買う必要もなく搭乗手続きの必要もないタッチ&ゴーを利用することで可能になる ぶらり独り旅の手軽さは一種快感。

昨年からは旅にはiPadを携えるのが常だが今回はそれもやめた。代わりに着替えを多めに入れて雨具と共に、通勤に使っているいつもの赤いリュック一つに纏め青森便に乗る。

弘前の桜は例年は4月末なのだが、雪の多かった今年は10日程遅れて7日頃に満開となった。ホテルにチェックインしてニュースを見ると予定の桜まつりの期間は終了したが弘前城の夜間ライトアップは延長されているとのこと。駅前のホテルから25分くらい歩いて夜桜見物に向かう。

さすがに染井吉野はだいぶ青葉が出ているが、枝垂れは丁度満開の時期だった。昼の弘前の桜を写したのはまだ函館勤務の時だったから12年くらい前だ。母と来て津軽塗のお椀と箸を買って帰った。でも今回のライトアップに映える桜の方が見ごたえはあったというべきか。

小一時間、本丸の周りと堀の水面に映った染井を写し満足して引き上げた。もう観る機会はないだろう。

放送大学のスクーリングは当の前から日程が決まっていて、そのタイミングに桜が遅れてくれた結果で旅人しては幸運な巡り合わせだが。

地元にとって多雪に拠る農作物への影響は深刻なようである。本来なら5月10日位がフジ林檎の開花時期なのだがまだ後10日程掛かるらしい。開花、受粉の遅れは収穫を考えると林檎一個あたり一日5グラム分生長を遅らせ、今年は小ぶりなフジになりますと同じニュースで伝えていた。

花見を終わって街の中心部に向かっている積りでどんどん歩いて行ったが、段々街灯の間隔があいて暗くなる。方角を間違えたらしいが暗くて目印になる建物を確認できない。仕方なく自転車に乗った女学生に尋ねることにした。中学生の連れだろうか、親切な、しかし正確度に欠ける説明を有難く聞いて今来た道を取り敢えず2ブロック戻る。もう一度OL二人連れに尋ねて、今度は的確な説明を受けた結果、15分位余分に廻り道をして覚えのある土手町の飲食街に戻れた。

以前に入った「結き」という一見は入りにくい店にはいる。相変わらず客筋はいい。そして若くてかわいい接客係が割烹着を着て笑顔で迎えてくれる。ママがそのうち出てきたので暫く経ってから「3~4年前に来て、小難しいことを聞いた客です。」ととっかかりの会話をする。

そう、未だに私の記憶が整理できないというか安住しないのだが。10数年前、まだ函館勤務だった時に来て偶々入った、今は無い居酒屋の女主人の様子と店の佇まいと席の後ろの棚に飾ってあった、白い磁器製の一升入りの大きさの酒徳利に書いてあった、酒の銘柄名を辿りたいという小難しい話。

又その話をすると、隣の常連客が、店の名前は「かぎのはな」でしょうと言う。私のうろ覚えな店の位置と雑居ビルの外観がほぼ一致したので間違いなかろう。でも地元の人の口から確かに存在したのだという記憶を裏付してほしいと思っている「電気正宗」という徳利が並んでいたことまでは確認できなかった。今は無い店なのだから。これは私の脳裏に生涯留まって、誰かと共有するのは不可能なことになってしまいそうである。

勿論こんな、他人にとってどうでもいい話を延々していたわけでない、久しぶりに良くしゃべってよく飲んで、いい気分でタクシーの乗ってホテルに帰還しました

齢をかさねて、自らの記憶の一こまを酒の肴にして一部始終のある噺を語れるようになったという事です。

 

 

 

 

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好天の休日の墓参り

2013-05-04 15:23:18 | Weblog

根津駅で出札に向かうと女性トイレは長蛇の列、これは根津権現の躑躅見物を終えた人の列。

人ごみをかき分け見に行く気にならず不忍通りを渡る。11時少し過ぎだったが言問通りの『芯ころカツ」の信濃屋も、豆腐料理の須田も中を覗き込む客で一杯。

墓のある寺にあがってゆく坂の途中の猫グッヅが置いてある喫茶店も5人程の客が空きを待っていた。

寺に入り、人形を引き取ってもらった堂守りに挨拶するが彼女には左瞼と、額の左側に内出血の跡、顎にも痛々しい傷が。彼女の話によるとトイレで転倒し便器に顔をぶつけて口が切れ相当出血したとの事。

「腰を打ちませんでしたか?」と聞くと「痛かったの、でも東大病院で検査してもらったら骨折は無くて、「折れていたらとても歩けませんよ」と言われたと説明してくれた。「それは災難でしたね、内出血とれるまでまだ日にち掛かりますね。」とこの話は一段落にする。

彼女は週3回透析を受けているが、この1年半くらいの間で随分と体力が落ちた。だけではなくて前回話した時に気づいたのだが、言語が不明瞭になり始め、記憶力も衰え始めたのが、はっきり私には感じられた。透析生活は健常者より早く老いさせるのは避けられないのかと思う事しきり。

「お人形さん会ってゆく?」といってくれたが「今日は相談があります。来月母の一回忌です。亡くなった時と同じく私独りで伺う予定です、本堂でお経をお願い出来ますか」「12日が命日です、その日は休みとれますので命日にお願い出来ますか」「分かりました、3回忌だったのかしら」と頼りない応答だが帳面に書いていたので大丈夫だろう。

一年半程前諸々相談した時に親身に相談に乗ってくれた彼女には感謝しているが、この案配では彼女は1~2年で要介護者となり堂守りは務まらなくなるかもと気がかりである。

ともかく1周忌の予定が組めたので寺を後にし、根津方向には戻らず日暮里駅を目指した。昼を少し回っていたが薬膳カレーの店で昼食を済ませた。思えば母がまだ独りで墓参りが出来ていた5年位前まで、母はお寺に独りで行ってくると言い「日暮里にはどうして行ったら良いの?」と聞くのでJRで蒲田から行くのが一番簡単だよと都度都度に教えた。何回かこの店で「薬膳カレー食べて来たよ」と夕方報告してくれた。

結構辛い。母は辛いものが苦手だったので半分以上は残していたに違いないと思いながら美味しく頂いた。

その後、日暮里駅に近い寺でも躑躅がきれいだったので一枚撮って帰ってきました。

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