Le contrebassiste

コントラバス奏者ちんの日常。
趣味の音楽、フランス語、興味関心などを書き散らしています。

オケな1日

2004年10月31日 11時07分40秒 | Weblog
>今日は朝からオケの練習がありますが、家を出るまであと6時間近くあります。
>どうしよう!?

と昨日のブログに書いてありますが、どうしようも何もこの状況になったら起き続けるという選択肢が一番だろうということで、ずっと起きていました。
4時半に朝食を作って、その後風呂に入ってからオケに行きました。

今日のオケの練習は若松河田というちょっと珍しい場所。
ここは昔私が仕事で講師をした時に何度か来たことがある、思い出の地です。
そんな若松河田で練習。軽い曲を中心に進める。

で、終わったあとは中華料理屋で食事をし、その後飯田橋に移動して駅ビルのコージーコーナーでボウイングを決める会をする。
今回は比較的軽い曲で構成されているせいか、さくさくと進む。
コントラバスはピチカートが多いのと頭打ちが多いのとで、周りと一緒にボウイングを決めるところがあまりない。

帰りがけに、そのオケのビオラ奏者とともにおすし屋さんへ。
あれだけ安いおすしだったら満足! というくらい満足しました。
あれだけ食って1260円だったらまた行くかも。

で、家に帰りましたが、すぐにダウン(最近このパターンが多すぎ。。。)
熟睡をしてしまい、起きたら朝10時前でした(睡眠13時間。寝すぎ。。。)
で、今に至っています。

ちょっとしたうれしいこと

2004年10月30日 02時38分17秒 | Weblog
今日はいくつか嬉しいことがありました。

まず学校に行った時、しょっぱなに先生が私の演奏会に来てくれたという話をして下さいました。
いきなり演奏会のパンフを掲げられた時には少し吃驚しました。
先生は予定があって前プロ、中プロを聞いて出て行かれたとのことでした。
休憩時間中に舞台へご挨拶に近寄っていただいたそうですが、私は気づかずに袖に引っ込んでしまいました。
フランス人の先生なので私から気がついてお声がけすればよかったのに。。。。
この場でもお詫び申し上げます。

それにしても先週の授業終了後に演奏会の話をしたかいがありました。
自分の伝えたいことになると、無意味に色んな言葉が出ると気がついたのもその時でした。
日・仏・英の3ヶ国語チャンポンでしたが。

で、その演奏会の話が縁となって、休み時間にクラスメートのチェロ弾きと話が出来、オケに見学に来ていただくようにお願いをしました。もしかしたら来てくれるかも。

というわけで、今日は学校でちょっとしたいいことがありました。
授業自体では、「今住んでいるところより住んでみたいところ、その理由」というような話があり、私は金沢を選択しました。食べ物がおいしいから。他の方は北海道とか沖縄とか、横浜とか、山形とか。

で、帰りにクラスメート3人とタイ料理のお店に。
クラスの人と本格的に話をしたのは今日が初めてだったけど、その後のお茶も含めてかなり色んなことが話せたような気がする。
クラスにカレーの好きな人がいるなんて知らなかったなぁ。
今度また他のお店にも一緒に行きたい。

帰宅後、昨日から寝ていなかったためダウン。
17時というまだ寝るのには到底早い時間だったけど、体は言うことを聞きませんでした。
熟睡し、さっき起きました。8時間睡眠。

今日は朝からオケの練習がありますが、家を出るまであと6時間近くあります。
どうしよう!?

T-FAL万歳!

2004年10月29日 08時47分32秒 | 食べ物・飲み物
私は最近少しずつ自炊をするようになりました。
と言ってもまだ圧倒的に外食が多いのですが。

そもそも私と料理という話は語ってもそんなに奥深い話はありません。
小学生くらいの頃は、料理と言うよりはお菓子に興味がありました。

そう、何が嫌で料理をしなかったかというと、フライパンで焼いた後、こびりついた汚れを落とすのが面倒くさかったというのが大きかったかもしれません。
だから、テフロン加工のフライパンが出た時はうれしかったです。

しかし、今テフロン加工の普通のフライパンを凌ぐ調理用具が私を魅了してやまない。


T-FAL


よくイトーヨーカ堂なんかで売っているのを見かけます。
私は両親に勧められて使い始めました。

これが非常に使いやすい。
取っ手が外れるので、洗いものが実にスムーズに出来る。もちろん取っ手もちゃんと洗える。
しかも、これが一番重要な点ですが、汚れがスムーズに落ちる。これは感動的。
洗い物が苦にならなければ、おのずと料理の頻度は上がるだろう。
でもって、セットのおなべの大きさで大体の料理に対応できる(まぁ私は中華鍋を振るったりするほどの腕はないので)。
取っ手が着脱可能であることから、若干不安定さがあるのは欠点といえば欠点ですが、調理をする際に気になるほどではないと思います。

というわけで、最近T-FALは私の自炊に欠かせない一品となっている。
回し者ではないが、もし使ったことがない方、お勧めします。

ニュースといえば

2004年10月29日 04時02分29秒 | Weblog
いや、単にニュースと言えば、といってみただけで他意はないです。

イラクの人質事件ですが、ウェブ上で発表された声明内にある期限を過ぎたそうですね(Yahoo!ニュースの共同通信の記事による)
今のイラクは非常に危険な状況なのに、なぜ行ったんでしょうかね。
とりあえず、「君主危うきに近づかず」かなと。
・・・君主ではありませんが。


そういえば、危ないところといえば、海外の街で深夜にうろうろするというのはところによって危険かと思いますが、初めて行った海外で深夜外をうろうろしてしまったことがあります。
ベルリンで深夜11時くらいでした。自分では安全だと思っていましたが、実は日本人が暴行事件に巻き込まれたことがあるという話を聞いて怖くなったことがありました。

そんな自分は懲りずにパリでも深夜歩き回ったことがあります。
しかも今度の時間帯は深夜2時から3時半にかけて。
友達の家に行く時に、行く時間そのものが遅くなった上に、タクシーに乗れなかったのです。
で、その時初めてバスに乗りました。「ノクタン・ビュス」という深夜バスです。

同じような時間帯にうろうろしたことがあるのがソウルです。
この日は純粋に友達の家から帰る途中で、遅くなってしまったのです。

パリもソウルも怖いとは思わなかったのですが、何が起きてもおかしくないので気をつけねば。


最初の話から目茶苦茶脱線してもうた。。。

どっちの料理ショーに影響されて

2004年10月29日 01時10分28秒 | Weblog
今日の「どっちの料理ショー」は、豚のしょうが焼きvsハンバーグでした。
ずっとこの番組を見ていたわけではなかったのですが、出来上がりを見ているとすごくおいしそう。



・・・・作るか。

というわけで、ハンバーグを作ることにしました。
とはいっても、独り者としてはあまり手間をかけるわけにはいかず、最小限の労力で何とか2枚のハンバーグを作る。勢いで煮込みハンバーグにする。たまたまぶなしめじが買ってあったのは絶妙でした。

「そういえば、テレビでは目玉焼きを乗っけてたな」

というわけで、テレビと同じく目玉焼きを乗せる。
自宅ではビールを飲まないのでビールはなく、テレビとは微妙に違うけど何とか完成。

そこそこおいしかったのはいいが、まだハンバーグが一枚余っている。
明日も朝食からハンバーグだな、こりゃ。


テレビに影響されるのは親の影響も少しあるかもしれない。
昔目黒に住んでいたときに、「アド街ック天国」で中目黒が取り上げられ、すごくおいしそうな蕎麦屋さんが出た時に突然「行くぞ!」ということに。で、テレビ放映後30分後にはお店にいました。

思いつきも重要かもしれないな、きっと。
明日になったら「あの時TV番組に出てたハンバーグ、おいしそうだったな」なんてことは絶対に忘れてるから。

テナーリコーダー

2004年10月28日 18時38分02秒 | 音楽
せっかく買ったテナーリコーダー。
今日は時間があるのでちょっと練習をしてみた。
初めてのせいもありますが、低音がなかなかいい音にならない。
押さえ方がよくないのかもしれない。

早いパッセージや高音部を吹くのにはやっぱりテナーよりソプラノの方がいいけど、テナーは現段階ではアルトよりちょっと吹きやすい。本当はアルトの方がふけると嬉しいけど。

でもやっぱりテナーとソプラノは指が同じでC管なので非常に吹きやすくていいです。
アルトはF管で、時々頭が混乱します。

衝動買い

2004年10月28日 02時56分39秒 | Weblog
今日も学校では相変わらず地震の話題。
地震が怖いか否か、から始まり、地震が起こったら何をすべきか、地震が来るかもしれないとしたら日本を離れたいか否か、などといった話題となる。

で、学校が終わった後、(昨日の用事を済ませるために)恵比寿に向かうか迷ったが、結局行かず。
代わりに渋谷のヤマハに行きました。

目的は楽譜を購入することでしたが、ふと思い立ち、テナーリコーダーを購入。
最近リコーダーアンサンブルをやりたいことから、テナーをそろそろ買おうかなと思っていました。
ただ、今日買うつもりではいなかったのです。
あとは、楽譜をいくつか購入しました。
昨日練習したシューマンの交響曲第1番のミニスコアを持っていなかったのであわせて購入しました。

家に帰ってテナーリコーダーを吹いてみましたが、かなりいい感じです。
テナーリコーダーはソプラノリコーダーと同じ指使いなので、大きさは大きいもののかなり吹きやすいのです。
うん、買ったかいがあった。

で、そのうれしさを引きずったまま、もう一つやりたかったことに着手します。
かつおの刺身を使ったお茶漬けを作ることでした。

非常に作り方は簡単なのですが、出来上がりが見事に失敗でした。
基本的なミスをかなり犯しているのかもしれませんが、お茶漬けだからお茶を使おうという発想がそもそもよくなかったようです。
お茶が濃く出てしまったからかもしれませんが、かつおの刺身と合わない。。。
あとしょうがの使い方に迷いが生じたのもダメでした。
このレシピはかなり改善の余地がありそうです(すごく簡単に作れるのに。。。。)

終わったあと、なぜか安心して寝てしまい、今の時間になりました。
明日は学校が無い日ですが、今から眠気がないので、つらい一日になりそうです。

skypeがライブドアから提供

2004年10月27日 06時27分49秒 | Weblog
毎日新聞のサイトによると、「ライブドア:P2P型IP電話ソフトを無料で提供」だそうです。
で、そのソフトの名前を見たら「skype」と。。。。

最近私が使い始めたソフトでした。私が入っているメーリングリストで紹介されていました。
ただ、どうも日本人利用者が少ないような気がしていました。
こうやってライブドアで提供され始めることによって、多くの人に利用されればいいな。

やってもうた!

2004年10月27日 01時18分40秒 | Weblog
昨日の記事で夜早々と寝て、朝3時に起きたという話を書きました。
実はその後寝れず、あっという間に朝がやってきました。
で、10時過ぎにふと眠気が襲います。

「ちょっと寝ればすぐ元気になるだろうから、寝てから今日の用事を済ませよう」
そんなことを考えていました。

そう、今日は恵比寿の日仏会館に行く予定でした。
私の頭の中では、11時に自宅を出発、信濃町でメーヤウを堪能した後に、千駄ヶ谷からバスで恵比寿に行って、その後学校に行くというスケジュールが立てられていました。
目覚ましもばっちり11時にセットして(っていうかこの時点で「11時出発」って無理なんじゃないかと)セットして床に就きます。



寝すぎた!

やってしまいました。起きたら16時。おいおい、寝すぎだろ。。。。
というわけで、日仏会館に行く予定はキャンセルし、そのまま学校に行くことにしました。

学校では簡単な単語の発音に苦戦しました(丁寧に発音を直してくれる学校に行っているせいか、かなり厳しくチェックされています)。いかにそういった単語を丁寧に発音していなかったのか、ということを昨日今日でかなり思い知りました。
昨日は「Elle est~」、今日は「une certaine」


で、学校終了後メーヤウでいつも通りカレーとソバを食したあと、楽器を持って四ツ谷へ。

夜はオケの練習でした。
来年の本番に向け、譜読みということで決定している曲の譜読みをしました。
先生がシューマンはいいですよね、という話をされていましたが、確かに最近シューマンはいいなと思うようになりました。
今度やるシューマンの1番の良さもこれからどんどんわかるようになるのでしょう。
そのほかの曲もどうなることか。
最近ブラームスの演奏機会が増えているような気がします。

その後、四ツ谷のアトレにてオケの友達と食事。久々に会ったので近況などを話しました。
で帰宅し、今に至ります。

明日こそ日仏会館に行くぞ、って水曜日だとそんな時間、取れるんかな?

フランスの辛い料理

2004年10月26日 06時25分00秒 | フランス語
フランスで供される料理で辛い料理と呼ばれるものは、全く辛くありません。
私はタイ料理を食べたことがありますが、「辛くしてくれ」と言っても辛くならないくらいでした。
フランス人は辛いのが苦手な人が多いという話を聞きました。


ただ、フランス人といってもレユニオン(モーリシャスの方にある)など、クレオール系では香辛料がよく使われるようです。
かの有名な小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本に来る前にアメリカのニューオリンズで10年間を過ごしており、クレオール文化とつながりが深く、「クレオール物語」という書籍を残しています。
そんな小泉八雲はニューオリンズ時代に集めた膨大なレシピを、「ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本」でまとめています。
(小泉八雲はその後、熊本に移り住みます。というところから、南九州の方と言うことで親近感があります)

フランスではクスクスを始めとしたアフリカ料理も広く流通しているので、香辛料に対する抵抗は無いはず。
ということはもうちょっと色んな店を物色した方がよさそうです。

パリ高島屋のHPでこんなページを見つけました。
次にパリに行く時はチェックしてみたいところです。
他にフランス国内で辛くておいしいお店をご存知でしたら、お教え下さい。

地震他雑多な話(フランスまわり)

2004年10月26日 06時09分42秒 | フランス語
昨日のフランス語の授業で、地震のことが話題となりました。

フランスは日本と台湾の新幹線で争っていることから、新幹線の脱線のニュースがしばらく話題の中心となるだろうという話でした。確かに、今後の動向はフランスにとっては気になるところですからね。
そういえば、地震のニュースはYahoo! Franceのニュースでも取り上げられています。ここでは新幹線ネタはあっさりとしたものですが。
今日のめざましニュースでやっていましたが、新幹線の撤去って大変みたいですね。
特殊なクレーンを使うんだとか。
復旧に数週間かかるというのが、あまり実感できません。

フランスのニュースと言えば、フランスでは野球ネタは殆どと言っていいほど出てきません。
イチローが記録を達成した時、情報を流していなかったくらいです。
フランスでは野球ははやらないのかなぁ?

昨日から今日にかけて

2004年10月26日 03時56分01秒 | Weblog
10月24日(日)
この日は前日にあった演奏会の飲み会でオール。
その後色々とあり、突然遠出をしたくなり、東海道線(快速アクティ熱海行)に乗り込みました。
そのまま、熱海で浜松行に乗り換え。正直言ってどこまで行くかも考えず。
月曜日は学校があるため、遠出をしても家に帰らないといけません。さてどこまで行くか。

・・・と思ったら事件は起こりました。
オールの疲れで電車の中で寝ていた私にもはっきり聞こえました。
自分の車両で「ミシッ」という変な音が聞こえたのを。
で、右の方を見てみると、優先席のガラスにひびが入り、そこにいた方が避難をしていました。
その後、電車が動く衝撃でひびの入ったガラスは割れました。
電車は蒲原駅で止まり、車掌がやってきました。そしてガラスをささっと掃除。
ガラスが割れたまま、20分後電車は再び発車しました。

私はこの時点でこの列車に長時間乗ることに抵抗がありましたので、清水まで行き、電車を降りました。そしてUターン。帰りは沼津から御殿場線経由で帰りました。

10月25日(月)
今日は夜から学校。今日も楽しく授業を受け、特に変わったことはなし。
その後、元会社の同期と食事。近況などを話す。
で、かえってくるわけですが、この一連の何気もない状況で、急に疲れが襲い、ソファーにいつの間にか横になっており、気がついたら3時。何じゃそりゃ。
というわけで、中途半端に寝たせいで、全く眠くなくなってしまいました。
むむむ。

外国語と私(その3)

2004年10月26日 01時48分53秒 | フランス語
社会人となりましたが、私の仕事はおよそ海外とは縁遠いものでした。

しかし、そんな私にふとしたきっかけで海外関係の仕事が舞い込んできました。
その仕事では海外7カ国のどこかに出張でいけるということで、韓国とスイスを選びました。
韓国ならハングルを少しだけ読めるし、行ってみたかった。
スイスはなんとなくこれを逃したら行く機会がないかも、という理由です。

基本的にその国の言葉が出来る人と仕事をするわけですが、仕事をお願いするためには自分もある程度その言葉が出来たほうがよいかと思い、頑張って覚えようとしました。
韓国語は特定の単語が入った文章なら読めるようになりました。

問題はスイスです。
スイスは公用語が4つあり、その全てを覚えるのは不可能です。
というわけで、仕事上ではドイツ語を軸に仕事をしました。行く先がドイツ語圏というのも理由の一つですが。

で、出張で韓国とスイスに行きます。
実際に韓国に行って戻った次の日にスイスに行くという超ハードスケジュールですが、何とかこなしました。
スイスで、お店に立ち寄った際に、覚えていたフランス語で会話をしてみると意外に話が出来ることがわかり、ちょっとうぬぼれます。
このうぬぼれも後に重要な要素になりました。

その後、その仕事は終わりましたが、フランス語が面白かったことから、フランス語関連の仕事を求めるようになりました。

そしたら、ある年に突然複数の仕事が舞い込んできました。
今度は出張でフランスにいけることになりました。しかも2回も。
行くのは楽しいのですが、仕事だから、というのがちょっと鬱。

フランス出張は12月と2月という非常に寒い時期に行われました。
サバイバルなフランス語ならしゃべれるだろうと、うぬぼれていた自分はここで手痛いダメージを受けます。
思うように話せないのです。。。。
話したいことが表現できず、すぐに通訳や英語に頼ってしまいます。
仕事はうまくいきましたが、自分の中ではもやもやするものがありました。

その後、紆余曲折があり、フランス語が出来ない自分を見直すことにし、フランス語学習を始めることにしました。
簡単なクラスから始めた割には自分の知らないことが多く、未熟者であることを認識することとなりました。

今は修行中の身です。同時に自分の能力を試すために、いくつかの試験を受けることにしました。
この間DELFを受験してきました。次は仏検2級を受けます。その後はTEFを受験予定です。

もちろん言葉は手段であり、目的ではありません。
このままフランス語を続けてどうするの? と聞かれると、とりあえずは「野望があって。。。」ということしか言うことが出来ません。
その野望が達成される(もしくは挫折する)まで、この修行が続くようです。

さてどうなることやら。

外国語と私(その2)

2004年10月26日 00時27分30秒 | フランス語
迷走!?

高校のフランス語の先生はエレファント・カシマシが大好きなちょっと不思議な風貌の先生でした
(エレファント・カシマシが流行するのはその2,3年後なので、その頃から目を付けていたこの先生はある意味すごいです)。
発音が滑らかなのが怪しさを誘う、そんな感じの先生でした。
フランス語は「r」の発音が最初の壁になるのですが、この先生のもと、かなり練習しました。
しかし、他の教科同様の力の入れ具合だったので、大して進歩せずに大学に進学しました。

大学では、既習者のクラスに入れられます。
1年目の授業はいきなりスピードアップした授業が展開され、あわてるものの、何とか終了。
この時に会話の授業で習っていたフランス人の先生は非常によくしていただき、フランスに関するレポートを執筆する際に助言を頂いたこともあります。この先生の存在が、私のフランス語を続けている一つのきっかけになっています。

2年目は絶対にこの先生の授業を引き続き取るぞ! と気合が入っていました。
同じ授業を取っていた人にも公言し、よろしくとまで挨拶をしていました。

・・・・しかし、やってしまいました!

履修登録失敗・・・・

まぢで???? _| ̄|○


一瞬脳裏には「履修登録失敗→フランス語全落ち→語学留年」という黄金の方程式が頭をよぎりました。すぐに教務に駆け込み、何とかフランス語が全部落ちることは免れました。

しかし、当然自分がとりたい授業は全て取れず、あまりものを選択する羽目になります。
基本的に大学生は第二外国語にそれほど力を入れていない人が多いせいか、人気のない授業というのは、「新聞購読」とか「和仏作文」だとかそんな授業だったりします。当然会話の授業は埋まっています。

というわけで、新聞購読と和仏作文を取ることになりました。
新聞購読の先生は非常にぱっとしない先生で、この授業ははっきり言ってやる気はありませんでした。ただ、やっている内容が内容なので、勉強はしました。
和仏作文については、毎回毎回作文の宿題が出る非常にハードな授業でしたが、何とかついていきました。
最後は「原子力発電所の是非について」という内容の作文を書いた覚えがあります。
こちらについては、先生が非常にいい先生で勉強になりました。
この授業にかなり鍛えられたと言ってもいいかもしれません。

その後、大学の授業でやらなくなったせいか、フランス語から遠ざかります。
時々読む機会がある、程度になっていました。

社会人になって、「フランス語の資格でも取るか」と言って受けたのが仏検3級。
面接がないので、筆記だけならフランス語をうまく話せない自分でも何とかなるかと思い、勉強せず。というか、勉強する時間がとれず。それでもとりあえず取得だけは出来ました。

外国語と私(その1)

2004年10月25日 23時05分03秒 | フランス語
フランス語を始めたきっかけについて。

私が初めて触れた(英語以外の)外国語は韓国語でした。小学生の頃、朝早く起きるとNHK教育テレビで「アンニョンハシムニカ~」とやっているわけです。意味もわからず見ていました。
次に出会ったのはスペイン語。中学2年生の時でした。
父が買ったと言うスペイン語の教材を見つけたのです。しかし、その教材は全て英語で書かれていました。当然すぐに挫折。

そんな私ですが、高校生時代に図書室に入り浸る日々が始まります。決して根暗というわけではなく、単に通学時間が長かった(片道2時間)ので読む本が必要だったのです。図書室の司書の先生とは非常に仲がよくなりました。
雑多な本を読む機会が多かったのですが、その中に語学の本が含まれていました。
ハングルはその時期に覚えました。電車の中は時間があるので、文字を覚えるのには最適だったと思います。
キリル文字の読み方もその時覚えました。

私の通った高校は3年生になると第2外国語を選択することになっていました。
フランス語、ドイツ語、中国語です。
私はフランス語を選択することにしました。理由はシャンソンの歌詞を理解したいということでした。とは言っても、当時は消去法でもフランス語という選択肢になってはいました。

ここから、私のフランス語学習が始まります。中国語の方が簡単だよと言う話を聞いてもいましたが、そんなことはお構い無しに進んでいきました。