太王四神記7話から謎・・・ 2008-11-19 10:50:06 | 作品について ずっと前から思っていた疑問を聞いてください。 突然タムドクに『自害してくれ』と言い出したこの男 ケマ隊隊長チョッカンですが、そもそもなぜあの日あの時 ヨンガリョの屋敷にいたのでしょうか? 王さまの軍隊の隊長がヨンガリョの屋敷の中を歩いているなんてヘンじゃないですか? タムドクは許していると言うか気にも留めてないみたいですけど 私は理不尽な言葉を言ったこの男にわだかまりを持ってます。 最後の最後まで…(ホゲの代わりに自分の首を…のところです) さて、ホテリアレーベル9・10話分です。 捨てるには惜しい画像がたくさんでした~。 #ペ・ヨンジュン « ホテリアー9話のイケイケド... | トップ | クリスマスには高矢禮弁当 »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 最後まで (ミルク) 2008-11-19 14:31:34 コナンさんヨンにちは~~ケマ隊長タムドクが「チュシンの王」だと分かっていても最後まで ホゲに 尽くしてましたね太子のタムドクに対して「自害しろ」なんて タムドクは自分が「王」に なってからもケマ隊長に対して何故 あんなに優しく接するのあれが「ホゲ」だったら殺してたんじゃいのガリョも貴族長達も タムドクが「チュシンの王」なのにへりくだって接する気持ちは無いのかなケマ隊長の態度も最後まで 不満でした 返信する 怒ってますね~ (コナン) 2008-11-19 16:58:58 タムドクに対する人たちはぜ~んぶ嫌いなミルクさん。みんな、キハがすごい能力を持っているところを見たばっかりにタムドクを信じられなかったんでしょうね。チョッカンはまだそれを見る前からガリョの屋敷に出入りしていた事がおかしいと思うのですよ。なぜあんなところにいたんだろう?タムドクはヨンジュンさんみたいに嫌いな人も許せるんですね。凡人には難しいです。 返信する 翻弄 (れいもん) 2008-11-20 06:47:19 コナンさん、おはようございます^^そこまで考えてなかった。。7話の吹き替え完全版は素晴らしかったです!ものすごく理解できました。ホゲやケマ隊長は、若くてまっすぐで、まんまと大長老に引っかかってましたね。だから、私は、ケマ隊長をそんなに悪くは思ってないです。悪いのは、大長老です!!タムドクはどこまでも儚くて美しかったです~(〃▽〃)ホテリアーのレーベルも素敵です~(^-^)v顔がにまにまにてしまいますわ♪タムドクバッグ5000円までなら買います♪よろしくお願いします。 返信する 自害 (コナン) 2008-11-20 08:40:33 れいもんさん。突然言い出した『自害』と言う言葉にビックリしませんでしたか?これって、隊長が自分で考えた事なんでしょう?でも、大長老もホゲパパもそうなる事を知っていたかのようなセリフがありましたよね。ホゲを叱責して『無血で解決するいい機会だったのに。混乱が起きる事があったらホゲの責任だ。』と言ったところは、自害を迫ることを知っていたセリフでした。なんで、あんたたちが知ってるの?と思ったのですが、シナリオあったんでしょうか?タムドクについていったのはヤン王に頼まれたからで、そんな作戦立てる間はなかったのに…隊長の思いと大長老の作戦がピッタリ合致した事にイヤ~な感じも…バッグの事了解です。大きさの種類が2種類だそうです。写真撮影禁止になってますので、その場では画像メール送れませんね。ドキドキしてきました~ 返信する Unknown (通りすがり) 2010-06-04 18:57:27 どうも、初めまして。 先日、親編集劇場公開版・第三部を観覧して来たものです。 御指摘の騎馬隊長(鎧馬隊長)は、ヨン・ガリョと同じ桂婁部出身で、その忠誠は王では無く部族に対するものだったのでしょうね。 厳密には違いますが、例えていうと日本の江戸時代(室町時代でもいいのですが)、大名がいて、その上に征夷大将軍がいますが、この場合王様は将軍で、ヨン・ガリョはどこかの有力大名、騎馬隊長はその大名家の家老と考えるとわかりやすいと思います。 但し江戸時代には、大名の家来が将軍お目見え出来るといったケースが無いのですが、豊臣秀吉が天下人だった時代には、直江兼続(上杉家家老)・明石掃部(宇喜多家家老)・小早川隆景(毛利家分家)等が、大名の家臣ながら豊臣家の直臣の待遇を受けています。 この頃の高句麗は部族制(氏族制?)国家で、各部族より推戴された者が王位に着くというものだったと思います。ですから自部族の権益(既得権)を保持してくれる者が王だったわけで、この体制は高句麗の末期迄動かしがたく、高句麗末期に淵蓋蘇文という一世の梟雄(と私は思っている)が出現して中央集権的体制を作りますが、それは彼一代しか持ちませんでした。 もっとも高句麗末期には世界帝国である唐王朝が出現して周辺を制服して行きましたして(だから世界帝国になった)、高句麗も滅亡したのですが。 こんな所でおじゃま致します。 返信する ありがとうございます (コナン) 2010-06-05 07:33:10 おはようございます。通りすがりにこんな昔の私の疑問にお答えいただきありがとうございます。わかりやすく教えていただいていてなるほどと思いながら、少し経つとこんがらがってやっぱり『ん?』と思ってしまっています。騎馬隊は桂婁部族の人だけで成り立っているわけではないですよね。隊長の意向がそのまま反映されちゃうんでしょうかね。王の軍隊だけど桂婁部に近かったということなんですね。そのほうが自分に有利だから。近衛隊とのちがいもいまひとつ疑問でしたが、どちらも王の軍隊ですよね。フッケが『王の軍隊に指図するとは何事だ』とヨンガリョに言っていましたので余計に変な感じがしたんです。歴史に疎くて折角教えていただいた事が上滑りしそうです。もう少し学ばないと頭に入って行かないですが、ありがとうございました。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
ケマ隊長
タムドクが「チュシンの王」だと分かっていても
最後まで ホゲに 尽くしてましたね
太子のタムドクに対して
「自害しろ」なんて
タムドクは自分が「王」に なってからも
ケマ隊長に対して
何故 あんなに優しく接するの
あれが「ホゲ」だったら殺してたんじゃいの
ガリョも貴族長達も
タムドクが「チュシンの王」なのに
へりくだって接する気持ちは無いのかな
ケマ隊長の態度も最後まで 不満でした
みんな、キハがすごい能力を持っているところを見たばっかりにタムドクを信じられなかったんでしょうね。
チョッカンはまだそれを見る前からガリョの屋敷に出入りしていた事がおかしいと思うのですよ。
なぜあんなところにいたんだろう?
タムドクはヨンジュンさんみたいに嫌いな人も許せるんですね。
凡人には難しいです。
そこまで考えてなかった。。
7話の吹き替え完全版は素晴らしかったです!
ものすごく理解できました。
ホゲやケマ隊長は、若くてまっすぐで、まんまと大長老に引っかかってましたね。だから、私は、ケマ隊長をそんなに悪くは思ってないです。
悪いのは、大長老です!!
タムドクはどこまでも儚くて美しかったです~(〃▽〃)
ホテリアーのレーベルも素敵です~(^-^)v顔がにまにまにてしまいますわ♪
タムドクバッグ5000円までなら買います♪よろしくお願いします。
突然言い出した『自害』と言う言葉にビックリしませんでしたか?
これって、隊長が自分で考えた事なんでしょう?
でも、大長老もホゲパパもそうなる事を知っていたかのようなセリフがありましたよね。
ホゲを叱責して『無血で解決するいい機会だったのに。混乱が起きる事があったらホゲの責任だ。』
と言ったところは、自害を迫ることを知っていたセリフでした。
なんで、あんたたちが知ってるの?と思ったのですが、シナリオあったんでしょうか?
タムドクについていったのはヤン王に頼まれたからで、そんな作戦立てる間はなかったのに…
隊長の思いと大長老の作戦がピッタリ合致した事にイヤ~な感じも…
バッグの事了解です。
大きさの種類が2種類だそうです。
写真撮影禁止になってますので、その場では画像メール送れませんね。
ドキドキしてきました~
先日、親編集劇場公開版・第三部を観覧して来たものです。
御指摘の騎馬隊長(鎧馬隊長)は、ヨン・ガリョと同じ桂婁部出身で、その忠誠は王では無く部族に対するものだったのでしょうね。
厳密には違いますが、例えていうと日本の江戸時代(室町時代でもいいのですが)、大名がいて、その上に征夷大将軍がいますが、この場合王様は将軍で、ヨン・ガリョはどこかの有力大名、騎馬隊長はその大名家の家老と考えるとわかりやすいと思います。
但し江戸時代には、大名の家来が将軍お目見え出来るといったケースが無いのですが、豊臣秀吉が天下人だった時代には、直江兼続(上杉家家老)・明石掃部(宇喜多家家老)・小早川隆景(毛利家分家)等が、大名の家臣ながら豊臣家の直臣の待遇を受けています。
この頃の高句麗は部族制(氏族制?)国家で、各部族より推戴された者が王位に着くというものだったと思います。ですから自部族の権益(既得権)を保持してくれる者が王だったわけで、この体制は高句麗の末期迄動かしがたく、高句麗末期に淵蓋蘇文という一世の梟雄(と私は思っている)が出現して中央集権的体制を作りますが、それは彼一代しか持ちませんでした。
もっとも高句麗末期には世界帝国である唐王朝が出現して周辺を制服して行きましたして(だから世界帝国になった)、高句麗も滅亡したのですが。
こんな所でおじゃま致します。
通りすがりにこんな昔の私の疑問にお答えいただきありがとうございます。
わかりやすく教えていただいていてなるほどと思いながら、少し経つとこんがらがってやっぱり『ん?』と思ってしまっています。
騎馬隊は桂婁部族の人だけで成り立っているわけではないですよね。
隊長の意向がそのまま反映されちゃうんでしょうかね。
王の軍隊だけど桂婁部に近かったということなんですね。
そのほうが自分に有利だから。
近衛隊とのちがいもいまひとつ疑問でしたが、どちらも王の軍隊ですよね。
フッケが『王の軍隊に指図するとは何事だ』とヨンガリョに言っていましたので余計に変な感じがしたんです。
歴史に疎くて折角教えていただいた事が上滑りしそうです。
もう少し学ばないと頭に入って行かないですが、ありがとうございました。