もう2ヶ月以上前になってしまった4月14日。
私は熊本の友人とカープの試合をマツダスタジアムに見に行っていた。
快勝の余韻に浸りながら帰路についていた頃、姉からのメールで熊本に大きな地震が起こったことを知った。
すぐに次男坊にメール。無事を確認した。
「皿が一枚割れただけ。大丈夫」
のこと。
友人のご家族も無事で何より。
翌日は宮島に観光にでかけ夕方帰宅。
夜中まで呑気にTVを見ていたら突然の緊急地震速報。
私と長男の携帯が同時に大きく鳴り出した。
多少揺れたものの大したことなかった。
TVでは今までは報道のなかった阿蘇の状況を報じ始めていた。
暗闇の中グランドに避難している住民が映しだされている。
次男に連絡をとってみるが全く通じない。
連絡がつかないまま何度も揺れる。被害がどんどん明らかになる。
阿蘇では学生アパートが倒れているとか橋が落ちているとか細切れな情報はあるもののはっきりしない。
ツイッターで倒れているアパートの名前がわかった。次男のとは違うので少しホッとする。
時間はもう朝の5時。
外が明るくなってきて被害の大きさがしっかりわかってきた。
もの凄い土砂崩れが映しだされる。橋が無くなっている。
7時。アパートの大家さんに電話してみるが連絡取れず。
途方に暮れているところ、やっと次男から連絡が来た。
「携帯がドコモしか使えなくて、友達に借りて電話してる。無事だから安心して。
家の中はぐちゃぐちゃ。」
とだけ言ってすぐ切れた。
とりあえず安心したがTVの中はかなり深刻な状況。
夕方大学からTEL。
「息子さんとは連絡取れましたか?」
今朝話はしました。
「ありがとうございます」
状況聞きたいのはこっちだよ!と思いながら終了~。学校も混乱しているんだなと思った電話だった。
17日、息子から2回めの電話。
「俺どうしようか」
どうしようかって何?帰ってこられるなら帰っておいでよ。ガソリンは残っている?
「うん。そうだね。通れる道もあるみたいだから帰れると思う。電池ないから切るね」
またすぐ切れた。
(迎えに行く発想は全く無かったのだが、今思えば迎えに来てくれるかと思ったのかな・・・
この時は、帰らないでどうするんねん!!と思っただけだったけど)
その後また連絡なく・・・18日。
朝10時頃、どうするつもりなのか?と、ダメ元で電話してみると繋がった!
「今帰っているところ。大分にいる。山口と岡山の友達二人と一緒。」
それならそうと知らせてくれよ~。まぁとりあえず良かった。
14時頃「山口まで帰ってきた。休ませてもらっている」と連絡あり。
よく頑張ったね。あと少し気をつけてね。
19時頃疲れた顔をして帰宅した。よかったよかった。長い2日間だった。
・・・が、これからもまだ色々なことが起こる2ヶ月を過ごすことになるのだった・・・つづく
ちょうどこの頃、ヨンジュンさんは奥様と一緒にパリにおでかけでしたね。
その時の写真が今モバイルに出てきてます。
お元気そうで何よりです