「それは桑名の焼き蛤」ってよくいうよね。それってここなのでしょうか。蛤の名産地?
それはさておき、この桑名に入る前には2つのでかい川があるんだ。橋も車道が走りたかったんだけど、雰囲気的に横の歩行者・自転車用の側道を走らなきゃいけなさそうだったんで側道を走ったんだけど、すっごい怖かったぁ。
改めて自分が高所恐怖症なんだなって確認。
自転車乗ってると腰の位置が高いでしょ。もちろん手すりというか柵はあるんだけど普通に1mくらいだから、なんとなく落っこちそうな感じ。
自分の生活圏だとこんなに大きな川はないからすごいなぁ、よく見たいなって思ったんだけど、見たら吸い込まれそうでとても怖くて路面しか見れなかった。1本目の木曽川を走ってドキドキして、そのドキドキのまま揖斐川だし。

だから写真が行き過ぎて振り返ったものしかない。ほんとに怖かった。もう通りたくないって心底思う。今度通るなら車道走らせてくれ~。
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時間はもう9時過ぎ。日が昇ると本当に危険を感じるくらい暑い。頭に水をかけながら進むけどすぐに乾く。輪行袋をつけているので700mlくらいのボトルが一つだったんだけど、すぐに空になるから1時間に1、2回くらいのペースで頻繁に自販やコンビニで水を買う。東海道だからまだ補給できるところが多くていいんだろうね。コンビニのないところだとこの夏の暑さでボトルが一つというのは危ないなと思う。後で25号に入ると山になるから、水のボトルをサドルバッグに入れておいた。途中コンビニがないわけではなかったけど、コンビニとコンビニの間が結構あったから、買っといてよかったと3度くらい思った。
しばらくして四日市に入る。恥ずかしいんだけど、実は四日市って愛知かと思ってたの。本当に地理を全然知らない。
今回走って初めて三重だって知ったよ。情けないのはさておき、こうして走ることで自分の中に距離と地理についての感覚ができる。もう大阪までは庭だな、とは言わないけど、走る前は未知の領域だったのが、少なくとも今はその道行を知っていることで、道のりとして土地に対する現実味が生まれる。これは新幹線のように目的地へピンポイントで運ばれているときには作ることのできない感覚だよね。
四日市でmasaさんから電話をもらった。25号から163号へと走っているとのこと。結構アップダウンがあるけど、大津を回るよりもかなりショートカットできるよとのこと。masaさんはもう少しで大阪らしい。
25号から163号というのは自分で言っていたルートにも関わらず、実は四日市のあたりを走っているときにはそのルートだとアップダウンが多そうなので、1号線で鈴鹿峠を越えて大津へ行くか、いや、百均で買った三重の道路地図を見ると25号に入って柘植あたりで県道かな、ちょっと細い道になるけど川沿いに大津に抜ける道があるので、そっちだったら大型車も少なくていいかななんて思ってたんですね。
それでも、大津を回ると、今の疲労感や股の痛みから大阪には今日中にというのはちょっと難しいかなと思ったりして、大津あたりでもう一泊かなんて考えてた。
でもmasaさんがもう大阪手前だとすると、時間的に5~6時間くらいの違いだから、25号と163号ならひょっとしたら夕方には自分も大阪に抜けられるかもと勇気づけられた。やっぱり先に走っているmasaさんの存在がとってもありがたかったですね。情報もそうだし、気持ちもそう。
いまにも情けなくなりそうな自分に、いやいやもっと漕ぐぞって。
いや別に漕ぐのが義務じゃないし、どこでやめたっていいんだけどさ。それでもやっぱり自分なりに自分への期待というか、こうありたいと思うことってあるじゃない。
ここでやめる自分でありたくない。
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亀山あたりでまたしても1号線はバイパスに。
う~ん、道わかんないよぉ!
このあたり結構迷った。結局そんなには余計に走ってはいないのだけど、すっごく不安。亀山市役所とかのあたり通ってて、そりゃあ今Webの地図で小さい縮尺で確認すればこうだったのかって思うけど、もともと1号線がそんなにあっちこっち下ろされるなんて思ってなかったもんだから、そこまで詳しく予習してなかったのさ。
亀山あたりはバイパスだからね、西に行く人、このあたりは予習必須ですよ。僕は余計なところで曲がって県道?41号に入ってしまったので迷ったけど、あれは素直にまっすぐに亀山駅の方を抜けてればよかったのかな。
ということで、亀山は試験に出るよ。くれぐれも予習ポイントだからよく学習するように。
でもまぁ、1号は存在感があるので結局方角を頼りに走っていてもでも何とか戻れるのね。
そして、25号線とさっきから言ってますが、25号はバイパスと旧道とがあって、もちろん自転車で走るのは旧道だからバイパスの入り口を通り、関宿を通り過ぎてようやく25号へ。
25号は川沿いの道で、車の通りも少なくいい感じ。川を見ると家族連れなどが川に入って遊んでいて、股ズレに熱を感じつつ汗だくになりながら走っていると、このまま川に入れたらどれだけ気持ちいいだろうと思わされた。河原でBBQなんかもしてる人がいるけど、少し走っていくとだんだん人も少なくなり、それにつれてなぜか路面が砂利道になったり。とても国道とは思えない雰囲気で、落石注意とか、一部崩落ありの表示とかがあり、まるで林道みたい。
浜名湖過ぎて、名古屋辺りからずっと街だったから山になって気持ち良かったけど、山なのになぜか日影がとても少ない。そんなに高いところじゃないからとても暑いし。写真の隧道はちょっとだけひんやりしてて気持ち良かったけど、あとはずっと暑かったなぁ。
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ただ山道だなって思ったのは最初の1時間くらいで、25号も163号も結局は開けてたね。神奈川で言うと秦野あたりの感じかなぁ。
あんまり暑いので途中でアイス。せっかくここまで来たのだからガリガリじゃなくて中日の大人気マスコット、ドアラの氷バーを買ってみた。味はともかくとても気になったのが・・・

写真はイメージですって、なにが? なんのこと???????
って食いながら考えること1分。
あぁ、実際にはドアラは食べないよってことかな、ってそんなことに注釈がいるのか!!!
何か間違ってませんかこの国は。
一抹の不安を覚えたよ。
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こっから先も道は続く。163に入ったとたん、川沿いのドライブインだののレジャー施設が増えて、車も増える。
そろそろ豊中の親戚にも連絡。163号で向かっているというと、近いやん、もう着くんちゃう、というお言葉。
いや、自転車だからさ。まだですってば。
ただ、よく周りを見ると大阪ナンバーの車がたくさんいる。そうか、このあたりはもう大阪から日帰り遊び場圏内なんだ。
川沿いでなかなか風景はいいんだけど、とにかくアップダウンは多い。上ったら降りる。降りたら登る。
そろそろ股が限界に近くて、実は25号に入って以降少なくとも3分の1くらいはダンシングだった。
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股は痛いけど進まないといけない。進むにはとにかく食っとかないと進めない。
だけどこんなに暑いとなかなか食う気にならないってのもある。でも食べなきゃって思い、たまたまあったドライブインに入ってうどんを注文。
不思議なんだけど、関西圏に入ると立ち食いでもどこでも大抵の店でうどんはうまいんだ。
汗臭さに気が引けながらうどんを食ってたら、二十歳そこそこの男3人女3人のグループがかき氷を食べに入ってきた。
見るからに今風の若者たちで、チャラっとした感じなんだけど、6つのかき氷が出てきて
男の子「いやぁ、むっちゃおいしそうやん。これすごいわぁ。」
てな感じですごい場を盛り上げてるのね。すかした感じじゃなくてストレートな感じで、なんとなく江の島辺りではないようなお国柄的な感じが漂います。
あんまり記憶してないんでこれしかセリフはないんだけど、男の子たちが、とてもなんというかすごい場を盛り上げようという気遣いのようなものが感じられてちょっと楽しかった。
ステレオタイプなものの見方や表現であんまりよくないんだけど、女の子に対する気遣いの情熱では、きっと大阪あたりから来たこの男の子たちだったらイタリア男にも負けないのではないんじゃなかろうかなんてくだらないことを思ったりして(笑)
(※イタリア男全員が必ずしも女性への気遣いに情熱をもっているというわけじゃないですね。)
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@163号
163号を走り木津川、すなわち京都に着いたのが17時頃。
木津川に着けばあとはもうすぐにでも大阪だって思ってたんだけど、そんなに甘くはなかったね。
それより日に焼けたからだろうか、もう夕日だというのに日に当たっていると体がだるくつらい。またも痛い。
そうだ、ファミレスに入って休憩しよう。ファミレス、ファミレスと心でつぶやきながら漕ぐけど、はい、この日の朝と同じことだね、そう探し出すと見当たらない、というかもともとここまで163号走っててファミレスらしきものはなかったけどさ。
道には焼肉屋だのガソリンスタンドだのは出てくるがファミレスはない。陽射しから隠れるところもない。車はだんだん増えて結構走っている上に寄せてくる。
ここらあたりは結構つらかったぁ。
でも何とか救いはあるもんだ。木津川から7kmくらいかな、鹿の台というところでガスト発見。
うれしかったよ。とにかく日が落ちるまで休もうと仮眠。40分くらいしてmasaさんのコールで起きた。
masaさんはもう兵庫に入ったとのこと。すごいなぁ。
たぶんmasaさんから電話をもらわなかったらあと1時間くらい寝ちゃってたね。
ありがとうmasaさん。
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地図を見ればわかるんだけど、この先、大阪までに清滝峠というのがある。結構長いがトンネルがあるので峠自体は通らないで行けるんだけど、峠があるってことはまだ上るってことだね。
これは考えなくてもわかるんだけど、奈良は盆地なんだ。盆地を抜けるってのはアップダウンが多いってことさね。
たぶん地図を見てた時にわかってはいたんだけど、アップダウンがあるってわかりたくなかったからきっと見ないように見ないようにしてたのね。アルプスラボでルートを確認した時も標高の断面を見ながらもこれくらいなら平地と同じだろうなんて無理に思おうとしたりして。
でも実際に走るときゃそのアップダウンを走るわけで、見ないようにしたからって平地になってくれたりはしないのよ。
おまけに股の痛みは絶頂に。痛いだけじゃなくて、すごく熱をもっている感じ。もっと前から冷やすのに水をかけたいと思ってたんだけど水をかけると余計に擦れそうな感じだから我慢してた。
でもあんまり熱いからこうなれば仕方ないや、冷やそうと冷たい水をかけたら、冷たくて感覚が鈍ったせいかどうかはわからないんだけどちょっと痛みが引いて、座って続けてペダリングができるようになった。
たぶん距離を走ればこれでは効かなくなるし、逆に余計にひどくなりそうなんだけど、今のところちょっと復活。
こっからあと、信号で止まるたびに股に水をかけていて、傍目から見るとちょっと怪しい感じ。
大阪の自転車海苔のイメージが下がったらどうしよう。大阪の自転車海苔のみなさんごめんなさい。
何とか登りにも耐えてようやく峠のトンネルに到着。まぁ登りといっても箱根より高いところはないからね。足がつったのも旧道だけで、その後はアップダウンがあっても大丈夫だったので、箱根を登れる人は25号から163号を通るこのルートはもう少し楽に走れるんじゃなかろうかと思います。
ただ今思うと、結局大阪ゴールなら京都の街も走っておきたかったなと思ったりして。京都市街を走るなら大津に抜けないとね。
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トンネルを抜けると、そこは大阪だった。
スコットよ見よ、あれが大阪の灯だ。
なんちゃってね。大袈裟だぁね。
でもうれしかったな。ようやく大阪までもう少し、手の届くというか、脚の届くところまで来たなと。
トンネルを抜けた所からは結構なダウンヒル。車もびゅんびゅん走っているし、暗いし、握力もちょっと弱ってるしで結構怖かった。う~ん、やっぱり人より怖がりなんだな。それにしても結構距離があった気がする。
ところで、このあたり、四条畷というんですが、てっきりまだ京都かと思ってたのね。条とか地名についているし。
まだまだそのまま163走っててさ、ちょっとまたハンガーノック気味だったから門真のマックに入ったのね。
そこで、マックの若い女性の店員さんに「門真」って京都ですか? って聞いたらキョトンとされて「は?」って返された。
質問がよくわからなかったみたいだったんだけど、1テンポおいて「大阪ですが。」と言われた。
えぇ~もう大阪だったんかいな。
後で調べたらさ、四条畷はもう大阪なんだな。
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門真から豊中まで車なら1時間もかからないらしいところを、あっちこっち痛いやら、吹田あたりでまたバイパスに弾かれて道に迷うやらで2時間弱かかった。
吹田の手前で、あともう少しだなと思っていたところに自宅から電話。
21時前で、子供はもう布団に入ってたんだけど、小2の娘が死について考えだしてしまったらしく怖くて寝られなくなって泣いてたらしい。何か言って上げてと嫁さんから。
えぇ~、俺だってそんな気の利いた事なんか今言えないっすよ。だって股痛いんだもの。早く豊中まで行って休みたいって、それしか今考えてないような俺に何が言えるんだ?
とまぁ、悩む間もなく娘が電話に。
「いいか、人に生まれたからにはみんないつかはもちろん死ぬ。でもそれは今じゃないし、ましてや当分先というかまだまだずっとずっと先のことだ。生きているうちは生きていることについて考えなよ。生きているうちに今やることがあるから、それについて考えなね。おやすみ。」
なんで大阪の道端で自転車にまたがっておれは娘と死について語っているんだろう。
それにしても大して気の利かない平凡なセリフだ。もともとそんなに気は利かないんだけどさ。それにお父ちゃんは今はなにより死についての哲学的な考えより、もっと実体的に痛いし、疲れてるということしか考えられない感じ。
何かの足しになったかならなかったかはわからないけど、まぁ、お父ちゃんはまだ自転車で走っているっていうことで多少安心してくれたかな。子供はいろいろ考えるからねぇ。
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結局21時30分頃、無事に豊中の親戚宅に到着。
今回の漕ぎ続ければは、ここがゴールに。
走ったのは土日の2日間。距離にして543km。
股の痛みにもそうだけど、やっぱり気持がここをゴールにしてしまった。
休みは水曜日まであったから、少なくとも月曜日、火曜日とあと2日は走れたのにね。
それでもやっぱり股と尻の痛みには勝てなかったかな。
せめて大阪まではと当初から思っていたけど、そこまでは何とかこれた。
なるほど、漕ぎ続ければ着くもんだ。
ところで、ここの大阪の親戚の家に神奈川から自転車で来るのは実は初めてじゃなくて、別の従妹が学生の頃に四国まで自転車で行った帰りに寄っているらしい。だからそれほどは驚いてもなく、おまけに、新幹線で帰ると言ったら、従弟に帰りも自転車ちゃうん?とか言われちゃう。
なんてこった。
帰りも自転車で帰れるなら、帰らないで関門海峡まで行くってば(笑)。
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今回のこのとても長い文章を、飛ばしながらでも読んでくれたみなさんありがとう。
箱根の旧道を、足付きなしで登れないヘタレだけど、漕ぎ続けて何とか今回は大阪まで行けました。
たぶん行ったことのある人なら、それはそんなに大したことじゃないって言うかな。
でも行ったことがなかった時は、自分自身、大阪という500km先のところに自転車で行くなんて思ってもみなかった。
行ける行けないじゃないんだね。
たぶん誰でも自転車で、漕ぎ続ければそこに着くんだ。
“そこ” 自分の行きたい場所へ
それはたぶん、行くか、行かないか、漕ぐか、漕がないか、やるか、やらないか、
自分で選ぶことのできることなんだ。
漕ぎ続ける気持ちの強ささえあれば、いつか自分も関門海峡まで行けるだろうか。
いいや、行けるだろうかではなく、いつか行く。
あと何回チャレンジするかわからないけど、
またいつか、西に向かって走ってみたい。
西だけじゃないね。
いつまでも、いくつになっても“そこ”に向かって漕ぎ続けたい。漕ぎ続けられる強い自分になりたい。
そんなことを今回走って思ったよ。