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ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

書いています…。

2017-08-21 | その他
ここに来て、台本や脚本をどっと書いています…。

・ラジオは地元のラジオ局、ならどっとFMで放送の「たまゆら劇場」(一人語りのモノローグドラマ、四年目を迎え、既に80本くらい書いたはず。 
毎月、ラジオドラマを書いています。いつも締め切りぎりぎりで、演者さんには申し訳なく…。
・10月から来年2月まで5ヶ月間、毎週放送する、地球温暖化防止ラジオドラマ「Coolchoice」(クール・チョイス)を書いています。市民参加型で、オリジナルテーマソングも楽しみ。
・奈良町にぎわいの家、恒例の奈良県芸術祭参加朗読劇を11月に。今年は築100年企画ということで、大正から平成の舞台女優たちのせりふを伝える戯曲「100年女優」を。松井須磨子から、これから書きます!
・同じ11月に、防災関連の芝居を市民参加でされるとのことで、その芝居台本を半分書き上げて…。
・来年2月にならまちセンター市民ホールで、これも参加型の劇、「奈良町ファンタジー」の脚本を…。今は頭の中。
・書くのでないけど、所属する短歌のヤママユの歌の短歌の締め切り…。これが一番苦労します…。脚本書くスピードで歌が作れたら…夢のよう!

…という感じで…活字、活字でございます。が、登場人物、それぞれが立ち上がってくると、楽しくなってどんどん進みます。問題はそれまでの時間。書かなければ!とパソコンに向かうまでの時間が…長い。とっとと向かえばいいのに…。まるで夏休みの宿題を最後までおいておくような感覚ですね。書かなければ、稽古ができない…。それを励み?!に今夜もパソコンに向かいましょう。

帽子のこと

2017-06-19 | その他
帽子が好きです。外に出る時の必須アイテムは帽子と手袋。お洒落を意識して、というよりも、かぶると安心するような、落ち着くような…。立派なものは持っていませんが、普段使いの帽子はわりと持っている方かも。
小さい時から、出かける時には、母が「帽子」と言っていました。といっても、お洒落というより、海に出かける時の麦わら帽。母は「山高帽かぶって。」と言っていました。山高帽は男の人の帽子ですが、その子どもの時かぶっていた麦わら帽子は、山高帽のような形をしていたからでしょう。冬の帽子の思い出は、母の手編みの薄いイエローの頭にフィットする帽子。耳の上に、女の子の顔を毛糸?で作ったものを
つけてくれていました。今でも懐かしく思い出します。なので、夏と冬は出かける時には、いつも帽子がありました。特別に意識もしませんでしたが、そんな延長で、今も必ずかぶってしまうのかも。
もう一つ、帽子が好きな理由は、大好きな女優さんの帽子姿にうっとりして。小学6年の時に、初めて買った映画の本、「グレタ・ガルボ」と「マレーネ・デートリッヒ」。当時、レトロな映画上映が盛んだったようで、NHKの教育テレビでも、白黒のトーキーを特集していて、よく見ました。「嘆きの天使」「モロッコ」「ミモザ館」「うたかたの恋」「肉体の悪魔」「椿姫」などなど…。私の親の世代よりもっと上の世代が見た映画にはまっていました。中でも、美の権化、グレタ・ガルボは特別で、なるほど、こういう完璧な顔もあるんだなあ、と、今でも時々、惚れ惚れと見てしまいます。先の初めて買った映画本には、あのフランスの哲学者、ロラン・バルトが、こう書いていました。「ガルボの顔は観念であり、ヘップバーンの顔は事件である。」さすが…!の形容ですね。確かに、ガルボの顔は記号を愛でるような感覚があります。「顔」って何?という根源的な問いを投げかけてくるような…顔なのです。
そのガルボのコスチュームの素晴らしさは、ハリウッドそのもの。絢爛の1920年代のファッションも楽しく、この年代のデザインのラインが、とても好きで、今、NHKで放送している「ダウントン・アビー」は、本当に目の保養になります。話を戻して…そのガルボの帽子、絵の額縁でないですが、あの顔をさらに引き立てる、輪郭の切り取り方をしてくれるのが、帽子です。ベレーに鍔の広い帽子に、トーク帽…。本当にどんな輪郭で帽子がガルボを隠しても、顔が新たな物語を湛えてくれるんですから。
帽子は基本、外でのかぶり物ですが、小さいものだと部屋でも良いとのこと。ただ、着物…となると外でもどうでしょうね?でも、着物に似合う帽子があってもいいな、と思っています。とまれ、暑くなるので、これからは帽子の出番!
ところで、ガルボそのものは、映画のように凝った衣装からほど遠い、シンプルで男性的な?方だったようです。ガルボという映画の神話は、本人とは関係ないところで、輝く虚構の中で残っていく…。それは本人にとっては、幸せなのか不幸なのか…。ただ、作品として「顔」は残り、その「顔」が歪んだり笑ったりするのを見ながら、「顔」って何だろうと考えています。
以下は、そのガルボ。流石の帽子スタイル、ご堪能下さい。

  





年末に…われにかえる?!

2016-12-30 | その他
先日、関西系の深夜テレビでたまたま、ビートルズの特集をしていました。そういえば…このところ聞いていなかったビートルズ。ビートルズとの出会いはかれこれ四十年前!小学生の後半だったような…。初めて買ったLPレコードが「4人はアイドル」つまり「HELP!」。流行言葉で言うなら、まさに「神ってる」ビートルズ。中学はべったり、ビートルズメインに、まだ当時日本でメジャーでなかったデビッド・ボウイに、クイーンに…。洋楽にはまっていました。
音楽のベースがビートルズだったのは、つくづく良かったと思います。彼らは解散までの8年の間に、目まぐるしく変化しました。私がのめり込んだ頃にはとっくに解散していたので、アイドル時代から、まさに「神ってる」、「アビーロード」まで、全部聞くことができたのですが、やはりローティーンの頃は、アイドル時代の曲、「抱きしめたい」「シーラブズユー」などが理屈抜きに好きでした。今も元気な曲ももちろん好きですが、「アビーロード」のB面のメドレーなんか、なんというか、「別格」な気がします。つくづく大天才、ビートルズは誰も越えられません。
10代の頃にのめり込んだ音楽は、まるで空気のようです。もちろん、全曲、どのアルバムのどこかもほぼ覚えてますし、曲の順番やLPの構成なんか、今思うと、よく考えられているなと感心します。ジャケットのデザインも。なので、耳にした途端、時間が逆流するというか、完全に別の方へ、つまり、夢見る10代へ行くような感じでしょうか。その頃、誰が奈良に住むと思っていたでしょうか。何にも縛られない自分は、妄想だとしても、大きな世界を見ていた、それが若いということかなと思います。
ビートルズを聴くと、そういった、何のしがらみもない、大きな世界に引きずり出されます。その大きな世界のことをすっかり忘れている「私」に、今更ながらに気づくのです。
ビートルズは時代の寵児ですが、音楽のみならず、いろんな世界への窓を開いた芸術家だなと思います。政治、文学、絵画…こういったものが、個別にその枠でおさまるのでなく、ビートルズの音楽から広がってきます。ビートルズを聴くというアクションは、私にとって単に音楽を聞く、というだけでない、大きな世界につながる始まりにある、音楽以上の事件なのかもしれません。
この4人の若者が、たった8年の間に、ルックスも含めて変貌し成長していく様は、奇跡です。彼らの王道を行く明るさと、イギリスならではのきついジョークをユーモアたっぷりに自分の言葉にするセンスや、当時の新しい音楽技術への挑戦は、この4人という複数形だからこその奇跡でしょう。若者が出会うべき物と人に出会うと、とんでもないことができるという、素敵な例ではないかと思います。
そもそも、彼ら四人だけで、こうなったわけではなく、やはりプロデューサー、ジョージ・マーティンの力が大きいでしょう。売り込みにいったマネージャーのブライアン・エプスタインの敏腕もありますが、正直、やんちゃな四人を音楽的に操縦?!した、プロデューサーの手腕も大きいでしょう。若者がノリだけでない、才能を発揮し、磨くためには、こうした「大人」の存在が大事なんだなと、この頃、特に思います。信頼できる大人に出会える若者は、幸せだと。
そんな若者の才能をうまく理解し、物を作る方向に持って行ける大人は?というと、とても難しい…。ブラック企業などのニュースを耳にすると、一体、この国は若者をどうしようとしているんだろう、と思ったりします。
ところで、われにかえった一つは、今年、先のビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンも、デビッド・ボウイも亡くなったのです。ジョージは天寿を全うしたとして、ボウイは本当に残念…。私は日本でブレイクした「レッツ・ダンス」の前の時代が好きで、映画「地球に落ちてきた男」のボウイは、やや暗い七十年代の象徴ともいえる存在でした。ビートルズとの「スタア」性とは全く違うスタア。三年前のあのヴィトンとボウイのコラボなんて、まるで映画のヴィスコンティの世界で、目の保養になりましたよ。。
ビートルズを聴きながら「若者」だったころの何か尖ったものが蘇り、自分の今いる場所に「?」を送ってきます。そして、あなたはどこに向かって何を作ろうとしているのか、と揺さぶってきます。
ビートルズを聞いてわれにかえる。それから?
来年、何ができるかなと思いながら、ポールの傑作「夢の人」を聞いています。

なるちゃんバスケット

2016-09-11 | その他
お洒落なものは好きだけど、それに夢中になるほど、お金も時間もありませんが、時々行く美容室で、写真のきれいなぶ厚い月刊誌を見るのは、楽しみの一つで、そこから、今の洋服のラインや着物の感じを知ったりします。最新の婦人画報10月号に、あ!!と思わず目がとまるものがありました。それは「なるちゃんバスケット」です。誌面には美智子様と、幼稚園のころの浩宮様の写真があり、浩宮様が小さなバスケットを持っています。このバスケットが「なるちゃんバスケット」。「なるちゃん」というのは、浩宮様のこと。誌面にもあるように、この「なるちゃんバスケット」、当時、大流行したのだそうです。
これと同じようなバスケットが、実家にあります。万年筆のペンで「おのこまち」と書かれた、古い紙の入ったバスケット。そういえば、子どものころ母が「浩宮さんが持っていた」というようなことを言っていました。
母は早くから独り立ちした人で、洋裁の技術を見につけ、自分で身につけるものは全て自分で作っていました。当時、既製服が大量に出ていない時代、洋服は個別に仕立ててもらうものでした。プチ・オートクチュール!?今にして思えば贅沢ですよね。母は自分で作るので、当時流行のラインを取り入れて、中々、お洒落な服を作って着ていました。私は母が若い頃着ていた服が好きで、オーバーもコートも、今も持っています。大きなくるみボタンとか、すごくかわいいのですが、その服のラインを見ていると、お若い頃の美智子様の洋服に重なるものがあります。確かに、母も同時代を生きてきた世代です。上品なスーツやワンピース、いかにもお母さんがお出かけするといった感じの。このレトロな感じは今もとても好きです。
さて、「なるちゃんバスケット」もそんな母が私に買ってくれたもののようです。幼稚園にあがる前にはあったので、よく覚えていませんが、このバスケットを持つと、お出かけ気分になったのを覚えています。
婦人画報の誌面には、このバスケットの中に入っていただろう、お弁当が再現されていました。アルミの楕円のお弁当箱に三色弁当が入っています。美智子様が作られていたお弁当。なんて美味しそうなことでしょうか。
母の世代は、子どもの頃、戦時中で物がなくて、食べ物も服も十分になかった世代です。自分が家庭を持ち、子どもたちの着るもの、食べるもの、手をつくしてやりたいと思ったことでしょう。「なるちゃんバスケット」を持って、中にお弁当を入れて、母とおそろいの洋服を着ておでかけをする…。別段、裕福な家ではなかったですが、母の手が行き届いたところに、子どものころの時間があったことは、幸せだったと思います。
といって、自分がそのような丁寧なお母さんでいられるかというと全然で…唯一、ごはんだけはなんとか、しっかり作っていますが…。
なのに、バスケットに、母の時代の洋服に、今もひかれるのは、母の世代の「お母さん」のスタイルがなんだかいいな、ほっとするなと思うからでしょうか。スーパーの買い物袋もなくて、籐で編んだ買い物籠でお買い物に行く…。昭和は遠くなりにけり…。
(写真は、母が60年前に手に入れたバスケット。私の「なるちゃんバスケット」は実家に眠っています。)



オリンピック・リレーと閉会式から

2016-08-22 | その他
・400メートル・リレーのこと
400メートル・リレーの銀メダル…。予選の組ではトップでしたが、アメリカもジャマイカも2番手メンバーなので、メダルは厳しいだろうなあ、と思っていました。ところがの結果…。本当にびっくりしました。陸上でメダルが取れるなんて…。体格的に日本人は絶対無理だと思っていたし、実際、走者四人とも、個人レベルではいい成績を残せませんでした。だって、ボルトのストライドの長さには身体的にどう考えても、日本人は追いつけない…。そこをバトンでカバーしたことが勝因とのこと…。私ごとですが、昔、三年間、陸上をしていました。小さな学校で人数もなくて、何でもしました。100メートル、200メートル、走り幅跳び、400メートルリレー…。地域でしか通用しないレベルの走者でしたが、それでも、「走る」感覚が今でも、体の中になんとなくあります…。昔、地域の運動会で、大人も子どもも、裸足で走っていたのを思い出します。かけっこ、走るというのは、道具がなくても出来ます。「走る」と風がおきます。シンプルな動作の中に「詩」が見えることの多いスボーツかなと思います。本当に銀メダルには驚きました。

・閉会式の日本の演出から
ドラえもんにスーパーマリオにキティちゃん、お馴染みのキャラクターとコンピューター制御による電飾、クールジャパンの面目躍如、日本の「今」をものすごく感じる演出でした。パヒュームにきゃりーぴゃむぴゃむのスタッフも入り、完璧と思います。こういうエンタメ好きです。ただ、これが「オリンピック」の名の下にあると…単にエンタメとして楽しめないところもあります。クールがそのまま、冷たいのです。コンピュータ制御の中に人間がいますが、これは人間が機械のように動く、失敗したり、おかしな動きをしたら、途端に破綻する類いのものなので、出演者の緊張感は、それは大変なものだったことでしょう。この日本の出し物の後に、ブラジルのマスゲームがありましたが、かなり適当な感じで、私はそれもいいな、と思いました。クールジャパンの最先端が、人間というアナログを機械の制御にはめない、もう一つのシーンを、期待したいと思います。
さて、こうしたオリンピックのイベントで、さすがだなあと思ったのは、2012年のロンドン五輪。開会式での映画音楽の演奏になんと、Mr.ビーンが絡むシーン。Mr.・ビーンこと、ローワン・アトキンソンは、世界的に有名なコメディ・アクターですが、天下のラトルの指揮する、ロンドン交響楽団に絡ませるなんて…ものすこく洒落ていて、楽しい!オチの音にには、びっくりしました。ネット動画で是非、ご覧下さい。オリンピックという世界が注目する中で、馬鹿らしいことをして、楽しむ余裕があるイギリスは、さすが、批評精神にあれているなあ、ビートルズを生んだ国だなあ、と当時、拍手したのを覚えています。同じように、ビートたけしさんが、浅草の伝統背負って、「え?うそ?!」みたいな隙間を作り、大きな風を起こしてくれるようなオリンピック、イベント…できたらいいなあ、と夢見ています。