中大杉並高校 音楽部

中央大学杉並高校の部活動のひとつ〈音楽部〉のブログです。

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続・部活動とライブハウス

2019-05-20 10:19:55 | 
(参考過去記事:部活動とライブハウス


昨今の本校の活動を見て、「中杉はライブハウス禁止だったのでないのか。真面目に部活で軽音をやっている他校の希望だったのに!嘆かわしい!」といった意見(意訳)をいただきましたので、アンサーを書きます。


(1)前提としての「無届集会」の考え方

本校には「無届集会の禁止」という校則があります。校則としての文言はたいした情報量ではないので、以下は大舘による「法解釈」です。

「無届集会の禁止」という校則は、その立法の精神において「『打ち上げ』の禁止」です。人は集団になると気持ちが大きくなります。時に、虚勢を張ろうとすることで、普段ではやらないようなことをやらかしたりもします。それによって逸脱行為が起きないように、未然に防いでいるのがこの校則であると理解しています。

「どこからが無届集会なのか?」について具体的な線引きがあるわけでもなければ、判例が積み重ねられているわけでもありません。ただ、大舘は「○年○組集まれ」「○○部で集まれ」といった「看板」で人が集められたとき、それは無届集会であると理解しています。(ですから、当然のことながら、普段からの仲良しグループでカラオケに遊びに行くことは何ら妨げられるものではありません。)

看板で人が集まっている以上、その集団は緩やかな匿名性を帯びることになります。それゆえに「自分がここでこんなことをやらかしても大丈夫」といった油断も生じますし、その匿名性を拭い自分の存在を知らしめるために虚勢を張る、といった行動も誘発されるわけです。

もちろん、「生徒が集まれば必ずや問題行動を起こす」と決めてかかっているわけではありません。特に問題行動を起こさないにしても、本校生徒がどこか校外で(しかも学校の名前の下に)大ぜいして集まっているのを、学校だけは関知していない、というのはあまり歓迎すべき状況ではありません。

「無届集会の禁止」は、「転ばぬ先の杖」的な過保護な校則ではありますが、まあ、校則とは得てしてそういうものかもしれません。



(2)中杉音楽部とライブハウスをめぐるあれこれ

私(大舘)が顧問になったのが2002年です。前任の顧問は完全なる「名前だけ顧問」で、(良く言えば)生徒たちの自主的な活動に任されていました。(それこそ、100万円単位の合宿の集金をし、支払いをするところまで生徒がやっていたのです!)

ここには書けないような悪しき風習がそこかしこにあり、その一つに「ライブハウスでのライブ」がありました。当時、完全なる内輪ノリの部活動であり、「出演者も中杉音楽部員で、フロアの客も音楽部員(そしてごくわずかの?部員以外の高校生)」という状況でした。(とはいえ、私はその状況を直接は見ていません。一度、計画されていたことが分かり、中止させたことがありました。)まさに先に書いた「無届集会」であり、「学校側が関知していない場所に(学校の名前の下に集まった)本校生徒が大勢いる場」が出来てしまっていたわけです。

まだ当時(2000年代前半)は、合同ライブの文化もなく、学校にも練習用の機材はあったものの学校の中でライブを行うだけの機材も揃っていませんでした。(文化祭のPAにしても、まさかPAなんてものが高校生の手でやれるなんて思いもよらず、常にレンタル業者がバンドの時間のPAを手掛けていました。)

それでも学校の外でライブがしたい!との要望があり、公民館のホールを借りてみたり、地域の児童館イベントとコラボしてみたり、いろいろと試行錯誤をしました。そうはいってもライブハウスの音響と照明に勝るものもなく、常に「ライブハウスでやりたい」という要求が付きまとっていたことも確かです。

転じて、今や都内にあるライブハウスのいくつかは、非常にきれいで、高校生の使用に理解があり、アングラな香りもあまりしないような雰囲気になっています。教員も若返り(そしてもうあまり若くなくなり笑)、もし「部活動としてライブハウスを借り切って活動をしたい。お酒&たばこは当然NG。終了時間も下校時刻に合わせます。」という形で、会議に出せば認めてもらえるかもしれません。

ただ、現在、都内の軽音楽部員は非常に恵まれており、毎週のようにどこかの学校で合同ライブが開催され、学校によってはライブハウスに負けずとも劣らない素晴らしい音響と照明が我々を出迎えてくれます。本校も「視聴覚室ライブハウス化計画」とばかりに設備や機材を充実させていっています。同時並行で、ライブハウスやリハーサルスタジオ主催のコンテストイベントも「なんとか学校側の論理と矛盾しないように」と様々に配慮がなされたながら行われるようになっています。もちろん、東京都軽音楽連盟主催のコンテストも10年を超えて継続的に行われており、ライブハウスでの音楽活動をしている多くの「部活バンド」にとっても、「もっともテッペンを取りたいコンテスト」として位置付けられています。すなわち、わざわざライブハウスでブッキングライブを行うまでもない――そう言えるほどに環境は整っています。


そうはいっても、「合同ライブは誰でも自由に見学できるものではない」「大学生やそれより上の世代と一緒にライブをする機会は得られない」などの理由で、今年度に入り3年バンドの一つが(何十とお誘いがある中の!)一つのライブに出てはダメか――という相談がありました。完全なるライブハウスのブッキングイベントです。

そこで条件を出したのが、「客として一切中杉生を呼ばないこと」です。学校としては、別にライブハウスを悪の巣窟として認定しているわけではありません。もちろんそこではお酒やタバコが提供されるかもしれませんが、「〈合法的にそれらを楽しんでいる人たち〉がいる場に居合わせてはいけない」という理屈もありません(それがダメならファミレスだってNGになります。)終了時間が遅くなるかもしれません。もちろん、補導対象となる時間までには帰宅することが求められますが、今どきの高校生、ディズニーランドに行けば多くの人が閉園時間近くまで夢の国の世界を満喫していると聞きます。だからといって、「高校生を夜遅くまで外出させるディズニーランドはけしからん場所だ」という声はついぞ聞いたことがありません。(でも補導されない時間には帰宅しましょう!)

そういうわけで、「中杉生聞きに来て」「音楽部のみんな聞きに来て」というように看板の名で人を集めない以上は、お友達同士でディズニーランドに行くのと同じ(=無届け集会には当たらない)と判断しました。先の3年生バンドのメンバーにしても「無届集会の禁止」という校則は理解していますから、「中杉生を一人たりとも呼ばない」という顧問の出した条件を(大きな抵抗なく)呑んでくれました。私も、わざわざ生徒たちのディズニーランドについて行ったりはしません(つまりそのライブに引率することはしません)。


以上のことは、詭弁だと言われるかもしれません。しかし、――これは常々生徒に言ってきていることですが――中杉音楽部が「ライブハウス禁止」としているのは、「無届集会になるから」であると同時に、「顧問が付き合いきれないから」です。(残念ながら、そこに全部付き合っていると顧問の身がもちません。そうでなくても、現在は部活と関係のないところで休日出勤の多い分掌にいるので!)裏を返せば、合法的な「集会」であれば、顧問の引率は大前提であり、「中杉音楽部がたくさんいるのにそこに顧問だけがいない」という状況は作らないよう心掛けています。(顧問の手が回らないところができると「じゃあそこは『生徒の自主的な活動』ということで」と逃げたくもなるのですが、それをやると線引きがあいまいになるので、やっぱり「集会は顧問の引率のもとで合法的に」というところを守っていかねばなりません。生徒たちがやりたいと思っていることを諦めてもらうこともしばしば起こります。)


我々の業界の周りに、「ライブハウスを容認するか禁止するか」という議論があります。中杉はその二分法で答えることができません。「ライブハウスであろうがカラオケだろうが、看板の名の下に大勢の中杉生を許可なく集めるなら禁止」ですし、「学校のルールを逸脱せず、かつ顧問引率の責任の下で事故や事件に繋がる心配のないものであれば容認」です。


以前にも当ブログで書いたことがあるのですが、軽音楽部の活動というのは、どうしたって「趣味や遊び」の延長に見えてしまいます。翻って、「部活動である以上は教育的な機会にならなくてはならない」という点にも異論はありません。しかし、もし法律や校則を逸脱していないのであれば、「何が教育的で何が教育的ではないか」の判断は、顧問教諭に委ねられて然るべきです。今回、「ライブハウスは非教育的な場なのに、その非教育的な場に部員を出すのか」と批判をされたわけなのですが、それは余計なお世話というものです。たしかに私は頻繁にライブハウスのブッキングイベントに出るような活動を教育的な機会にはする力量がありません(一方でそれが出来ている顧問の先生もいますし、そうできることに敬意を表したいと思います)。中杉としては、今後も「ライブハウス中心の活動」になることはないでしょう。しかしだからといって「ライブハウスだから悪」といった思考停止に陥るつもりもありません。昨今、音楽自体の楽しまれ方が多様化してきています。それとともに教育の機会である(軽)音楽部の活動も多様化してきています。そうした一つ一つについて、部員と共に「これは教育的な場(学びの場)になりうるだろうか」ということを話し合いながら活動をしています。

もう一つ。これも以前に私は当ブログで書いたのですが、私は生徒の遊びに付き合うために自分の時間を削られるのはまっぴらゴメンです。しかしこういう仕事に就いた以上、それが教育的な機会だと認められるなら、生徒たちの成長に資するように努力したいと思います。そうした姿勢である以上は、今後も、表面的なところだけを見て「あれは悪でこれは正義だ」「これは禁止であれは容認する」といった思考停止に陥らないようにしたいと思っています。


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