遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

ガラス22 納得のソビエトガラス大皿

2021年02月17日 | ガラス

先回に続いて、大陸のガラスです。

ソビエトのガラスということで購入した大皿です。

 

だからどうだと言われても、答えようがありません(^^;

ただ、相当に大きく、重い皿であることは確かです。

 

中央がかなり厚く、端へ行くにしたがい、薄くなっています。

 

径 37.5cm、高 5.9cm。重 1.6kg。20世紀。

 

中央が大きく窪んでいて、一種の兜皿です。

 

光の当たりようによって、明るい感じにもなります。

 

こうやって見ると、かなり歪んでいます。

 

ボディはブルーなのですが・・・・

 

太陽の光が強く当たると・・・・

赤紫色が浮かび上がってきます。

 

謎のキャラクターが鋭いツメを研いで潜んでいる?ようにも見えます(^.^)

 

何とも不思議です。

ソビエトだから、赤か?(^^;

 

ライトを当ててみると、赤くなるのは周りだけであることがわかります。

中央は、赤くありません。

おおやっぱり、これはソビエトの皿か・・・分厚い中央は、赤とは無縁の独裁者と官僚。おまけに、ボディが歪んでいる(^^;

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ガラス21 森林ガラス小皿

2021年02月15日 | ガラス

しばらく紙物が続いたので、工芸品に戻ります。

 

ずいぶん昔に、田舎の骨董屋で買った物です。

親爺は「変わったガラス皿があるけどどうか」と言うだけです。

私もどういうガラスか、全くチンプンカンプン。

まあまあの値段だったので、わからないままに、入手しました(^^;

 

      径 15.0㎝、高 4.6㎝。

 

 

ボディは薄緑色で、大小の気泡が見られます。

外側には、青色ガラスが点々と貼り付けてあります。

全体に分厚い造りですが、特に高台は厚く、1.5㎝以上あります。

 

手にズシリとくる重さ(530g)です。頑丈な実用品でしょうか。

 

調べてみると、これは森林ガラス(フォレスト・ガラス、Forest glass)とよばれるガラスであることが分かりました。森林ガラスは、中世にヨーロッパで、ブナの森の灰を原料にして開発されたソーダガラスで、緑がかった黄色が特徴です。日用品に多く用いられました。

今回の品はそれほど古い物とは思われませんが、ヨーロッパの民芸品とみなしてよいのではないでしょうか。

日本でいえば、沖縄ガラスや倉敷ガラスに通じる雰囲気をもっています。

 

 

 

 

地味なガラス器ですが、光を受けると健康的な輝きを増します(^.^)

 

それにしても、看板もない田舎のもぐりの骨董屋に、なぜこんな物が?(^^;

 

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パロディではなかった!『仏説療痔病経』

2021年02月13日 | おもしろ古文書

古い木版刷りのお経です。

『仏説療痔病経 唐三蔵法師義浄譯』

    14.3x87.4 cm、天保2年

唐三蔵法師義浄譯とあり、あの三蔵法師が訳された有難いお経ということでしょうか。

 

 

 

 

 

どうやら、痔を治療するためのお経が書いてあるようです。

・・・・我諸の苾芻(びっしゅ、僧侶))の患る所の痔
病も。亦復かくのことし。また血出ることなく。また
膿流るゝことなし。永く苦痛を除き。悉
く皆平復して。即ち乾燥せしむ。亦復も
し常にこの経を誦する者ハ。宿命住智をえ
・・・・・・・・・・・・・・・

このお経を唱えれば、血が出ず、膿も流れず、痛みがなくなり、乾いて、痔病が直る、とい書いてあります。

昔から、痔に苦しんでいる人が多かったんですね。それにしても、痔を直すお経など聞いたことがありません。

これはやっぱり、江戸時代に流行ったパロディの一つではないかと思いました。

 

ところがっ!

実は、これ、本物のお経だったのです!

しかも、由緒正しい医学系学術雑誌に、『療痔病経』についての論文が載っていました。

山中行雄、山下勤、赤羽律、室屋安孝「仏教文献『療痔病経』とその関連文献について」日本医史学雑誌、57巻3号293-304(2011)

以下、この論文から、『仏説療痔病経』の本文(漢訳)と著者による日本語訳を載せます。

佛説療痔病經
    大唐三藏義淨奉制譯
如是我聞。一時薄伽梵。在王舍大城竹林園中。與大苾芻衆五百人倶。時有衆多苾芻身患痔病。形體羸痩痛苦縈纒。於日夜中極受憂惱。時具壽阿難陀見是事已詣世尊所。頂禮雙足在一面立。白言世尊。今王舍城多有苾芻。身患痔病形體羸痩痛苦縈纒。於日夜中極受憂惱。世尊此諸痔病 云何救療。佛告阿難陀汝可 聽此療痔病經。讀誦受持繋心勿忘。亦於他人廣爲宣説。此諸痔病悉得除差。所謂風痔熱痔癊痔三合痔。血痔腹中痔鼻内痔。齒痔 舌痔眼痔 耳痔。頂痔手足痔脊背痔屎痔。遍身支節所生諸痔。如是痔瘻悉皆乾燥。墮落消滅畢 差無疑。皆應誦持如是神呪。即説呪曰 

 怛姪他 掲頼米 室利室利
 魔掲室至 三磨夭都 莎訶

 此呪 怛姪他 頞闌帝 頞藍謎 室利鞞
 室里室里 磨羯失質 三婆跋覩 莎訶 

阿難陀於此北方有大雪山王。中有大莎羅樹名曰難勝。有三種華。一者初生二者圓滿。三者乾枯。猶如彼華 乾燥落時。我諸痔病亦復如是。勿復血出亦勿膿流。永除苦痛悉皆乾燥。又復若常誦此
經者。得宿住智能憶過去七生之事。呪法成就莎訶。又説呪曰

怛姪他 占米占米 捨占米 占沒儞 捨占泥 莎訶

佛説是經已。時具壽阿難陀及諸大衆。皆大歡喜
信受奉行。佛説療痔病經

 

仏説療痔病経 

     大唐三蔵義淨奉制譯
以下のように私は聞いた。ある時、仏は、ラージャグリハの竹林園に、五百人ほどの比丘サンガと滞在しておられた。その時、比丘には、身体に痔病を患っているものが多かった。[彼らの]身体は弱り、やせ細り、痛苦は、[身体に]纏いつく[かのようであった]。[痔に罹患した比丘たちは]昼夜を通じて、ひどく憂い悩んでいた。その時、長老アーナンダは、この[多くの比丘が痔に苦しんでいる]事を見て、世尊のところへ詣でた。長老アーナンダは[ブッダの]両足に頂礼をして片側に立った。[長老アーナンダは]世尊に[次のように]言った。「今、ラージャグリハに多くの比丘がおり、痔病を患い、身体は弱り、やせ細り、痛苦は、[身体に]纏いつく[かのようで]あります。[彼らは]昼夜を通じて、一日中、憂悩を感受しております。世尊は、これらの様々な痔をどのように治療されますか。」
ブッダは、アーナンダに告げられた。「汝は、この療痔病経を聞くのがよい。[この経を]読誦して、受持し、心に繋げて忘れてはならない。また、他人に広く[この経を]説きなさい。[そうすれば、]これらの様々な痔病を悉く取り除くことができる。すなわち、[その様々な痔病とは]風痔、熱痔、癊痔、三合痔、血痔、腹中の痔、鼻内の痔、歯の痔、舌の痔、眼の痔、耳の痔、頭頂の痔、手足の痔、背中の痔、屎痔(肛門部の痔)[そして]身体全体の関節部に生じる諸々の痔[である]。このような痔がすべて乾燥し落ちて消え、すべて治ることに疑いをはさむことはできない。皆は、このような神呪を誦持すべきである。すなわち、その呪文に曰く:
怛姪他 掲頼米 室利室利 魔掲室至 三磨
夭都 莎訶
この呪は(丹藏では[次のように]云う。)
怛姪他 頞闌帝 頞藍謎 室利鞞
室里室里 磨羯失質 三婆跋覩 莎訶
アーナンダよ、これより北方にヒマーラヤという山の王がある。そこには、難勝という名前の大莎羅樹があり、三種の花を有している。一に初生、二に円満、三に乾枯[という花]である。まさに、この花が乾燥し落下するように、我の諸痔もまたそのように[落下するように]。また出血してはならない、また膿が流れてはならない。苦痛は永々に取り除かれ、[痔は]すべて乾燥せよ。あるいはまた、もしこの経を常に読誦する者があれば、その者は宿住智を得て、過去七生の事を思い出せるようになる。呪法は成就せよ。スヴァーハー。さらに[ブッダは]呪を説き、[その呪に]曰く:
怛姪他 占米占米 捨占米 占沒儞 捨占泥 莎訶
 ブッダがこの経を説き終わった時、長老アーナンダと他の僧侶たちは皆大歓喜して[この経を]授かり、[ブッダの言う通りに]行じた。
ブッダがお説きになった痔病を治療する経。

 

私の木版刷り『仏説療痔病経』は、論文のものと少し異なっています。漢文が書き下してあるのと、呪文の一部が異なっています。

 

釈迦のいたインドの寺院、竹林園では、多くの僧侶が痔病に苦しんでいました。この時、痔病の治療方法を懇願された釈迦は説法を行い、痔病を取り除く経を伝えたと言われています。それが『仏説療痔病経』です。

この経典のサンスクリット原本は未発見ですが、チベット語訳と漢訳が存在します。漢訳は、唐の三蔵法師(635–713 年)が、710年頃に行ったとされています。

 

三蔵法師義浄譯といえば、日本では『仏説阿弥陀経』が有名です。

如是我聞(にょぜがもん)。一時仏在(いちじぶつざい)。舎衛国(しゃえこく)。祇樹給孤独園(ぎじゅきッこどくおん)。与大比丘衆(よだいびくしゅう)。千二百五十人倶(せんにひゃくごじゅうにんく)・・・・・・・・・・・・・・ 

浄土真宗本願寺派の我が家では、これまで何百回となく聞いてきました。ですから、教本があれば自然に詠えます。ただ、非常に長いので疲れます(^^;

 

それに対して、『仏説療痔病経』は、500字足らずの短いお経です。

如是我聞(にょぜがもん)。一時薄伽梵(いちじばがぼん)。在王舎大城(ざいおうしゃだいじょう)。竹林園中(ちくりんおんちゅう)。与大び芻衆五百人倶(よだいびしゅしゅごひゃくにんぐ)。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両者、よく似ています。これなら詠めそうです。

ところが、幸いにも、痔とは無縁の日々が続いています。ヨーグルトを食べ始めて30年以上になりますが、すこぶる調子が良いのです。

昔の人は、不摂生で痔が多かったのでしょうか。それにしても、お釈迦様にすがるほどに深刻とは!

と思いながら、「痔」を調べてみました。すると、その昔、「痔病」とは、文字通りの痔だけではなく、目、鼻、口、舌・・・体中の腫れもの、特に癌を表す言葉であることがわかりました。

今の我々にも切実な病気です。

この短い経文を唱えれば、辛い病気も快癒するかもしれません。心を入れかえ、明日からは、読経の日々(^^;

 

出物腫れ物所嫌わず(^^;

されど、

出物腫れ物『仏説療痔病経』嫌う(^.^)

 

 

 

ps. 日本ではほとんど知られていませんが、台湾では一般的なお経のようです。

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番外『歌舞伎・浄瑠璃カルタ』

2021年02月11日 | 納札・紙物

先回のブログで、『納札 東西名物名所合せ、能楽合せ』の紹介は終わりました。が、折帖の裏側には、納札とは別のカードがいっぱい貼ってありました。小さなカード(4x6㎝)です。すべて、人物と名が書かれています。

どうやら、これは納札ではなく、カルタのようです。時代はやはり大正末でしょうか。

少し調べてみると、ほとんどが歌舞伎や浄瑠璃の登場人物であることがわかりました。

全部で48組あります。

【てんじく徳兵へ】(天竺徳兵衛)
歌舞伎狂言。四世鶴屋南北作。天竺徳兵衛は日本国転覆をねらう謀反人として描かれています。妖術を使った神出鬼没ぶりが見所。

【あさひな義秀】(朝比奈義秀)
朝比奈義秀は、鎌倉前期、和田義盛と巴御前の間に生まれたとされる剛勇無双の武士。歌舞伎「寿曽我対面」に登場します

【さくらひめ】(桜姫)
 桜姫は、歌舞伎狂言、人形浄瑠の『桜姫東文章』(さくらひめあずまぶんしょう)の主役。鶴屋南北作。

【きじんおまつ】(鬼神お松)
鬼神のお松は女盗賊で、石川五右衛門、自来也とともに日本三大盗賊とされます。歌舞伎や錦絵などでおなじみですが、架空の人物です。

 

 

【やっこ妻平】(奴妻平)
 歌舞伎、浄瑠璃、「新薄雪物語」。薄雪姫に横恋慕する秋月大膳の手下と大立ち回りを見せる。

【まつおうまる)(松王丸)
 人形浄瑠璃、歌舞伎の演目「菅原伝授手習鑑」の登場人物。

【をほぼし由良助)(大星由良之助)
「仮名手本忠臣蔵」など忠臣蔵ものの歌舞伎、浄瑠璃に登場する人物。赤穂義士の大石内蔵助良雄。同志を率いて主君の仇を討つ。

 【くずの葉】
浄瑠璃、歌舞伎劇、「蘆屋道満大内鑑」(あしやどうまんおおうちかがみ)。信太妻(しのだづま)伝説中の白狐が、女(葛の葉)に姿を変えて安倍保名の妻となり、安倍晴明を産むが、正体が現れて信太の森に姿を隠す。

 

【けぞり九右衛門】(毛剃九右衛門)
 浄瑠璃、歌舞伎の登場人物。浄瑠璃「博多小女郎波枕」の密貿易船の首領。近松門左衛門作。歌舞伎でも「和訓水滸伝などに登場。

【ふハ伴左衛門】(不破伴左衛門) 
 歌舞伎十八番の一つ『大福帳参会名古屋』の主役。現在はほとんど上演されていません。

【この下藤吉】

不明(^^;  木の下藤吉郎のことか?

【えん藤むしや盛遠】(遠藤武者盛遠)
  歌舞伎・浄瑠璃の外題。 遠藤武者盛遠は、平安時代末期の真言宗僧侶文覚正人の俗名。

 

 

まだまだ、たくさんの人物が登場しますが、歌舞伎、浄瑠璃には全くもって不案内でして、大変疲れました。

残りは皆さんでどうぞ(^.^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『納札 東西名物名所合せ』(10)

2021年02月09日 | 納札・紙物

『納札 名所名物合せ』の最終回です。

『東西名物名所合せ』の納札交換会は、先回のブログの江戸の天愚會と今回のブログで主に紹介する浪花の曙會が主になって行ったようです。

 

右:浪花 曙會
    浪花名物 新町廓
左:贈催主 天愚會 西田亀 大中雲峰 後藤花雪 森田正
    江戸名物 吉原

浪花 曙會、江戸 天愚會の一号札(4.6x14.3㎝)2枚です。単色の地味な刷りながら、縦長納札のデザインは洒落ています。

 

一丁札の倍(9.5x13.9㎝)、折帖1頁分の大きさの納札です。納札睦會の幹部名が書かれています。
睦會は、全国各地にあったようです。この納札に書かれた幹部の人たちは、全体の世話人ということでしょうか。名前が書かれたうちの何人かは、現在も続く東都納札睦会のホームページの上部に写真がのっています。いずれも、粋ないで立ちです。

   

東西名物名所合せ
   明治初年の高麗橋
  このほとりに住む
  森田正

 上の納札と同じ大きさの札です。但し、この納札は、先回のブログの西田亀、大中、後藤の納札と同様、左右がセットで一枚の横長納札となります。しかも、個人的な好みが非常に強く前面に出ています。今回の納札は、大阪高麗橋の明治初めの光景を描いたもので、森田正本人がそのほとりに住んでいがるのです(^^;

 

『納札 東西名物名所合せ』の最後に貼られている納札です。

    【寛政時代道頓堀之図】

これまでで最大(14.2x19.2㎝)の納札で、見開き両頁にまたがっています。右下に書かれているのは、


浪花澪標會 井田捨、やま一、にし岡、彫寿、西村庄翁                   大正十年十月二三日


浪花の澪標會が、大正10年10月23日に出した物であることがわかります。

この折帖の納札を多数出している天愚會は江戸の交換会ですが、左上に、「浪花 天愚會 御連中さん江」とあるように、この浮世絵のあて先は、浪花の天愚會です。睦會と同じく、天愚會が各地にあったことがわかります。

 寛政時代道頓堀之図は、江戸時代の大阪を描いた浪花情緒あふれる浮世絵です。上方歌舞伎が全盛期の頃の、良き大阪の風情を描いています。

 顔見せや 衣に指し 橋の霜   大江丸                    大友大江丸(1722 - 1805):江戸時代中、後期の大阪の俳人。


納札(千社札)は、元々、神社仏閣に納め、貼り付るために作成されたものです。
屋号や名前を黒の単色刷にした札がほとんどでした。その後、錦絵のような美しい色摺の納札が多くなり、納札を交換する催しが盛んになりました。色絵納札は美的にもすぐれ、復刻されることがない品です。特に今回のような品は、明治、大正と変わる世に、人々が浪速の街にもっていた郷愁が感じられる逸品です。

 

納札や千社札には、何の関心も知識もなかったのですが、10年ほど前、能楽の資料として、古い納札帖入手しました。それをを少しずつ読み解いていきました。思ったより手間と時間のかかる作業でしたが、100年前の庶民の習俗を知り、粋でいなせな町民文化の一端を知ることができました。納札で取り上げられていた名物や名所は、当時の人々に身近なものばかりです。けれども、今では消えているものも多くあります。納札は、ともすれば記録に残り難い生活文化の貴重でもあることをあらためて思いました(終)。

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