昭和に活躍した洋画家、伊藤廉の油絵です。
油彩『メロンと桃と栗』(10号)。昭和十(1935)年。
伊藤廉:いとうれん、明治三一(1987)ー昭和五八(1983) 。名古屋市生れ。東京美術学校卒。渡仏し、ジョルジュ・ルオーに師事。独立美術協会を設立。東京芸大教授、愛知県立芸大教授。各地の美術館に作品収蔵。
古典的なタッチで果物が描かれています。
メロンと・・・
桃と栗。
金属プレートが付いています。どこかの施設で展示されていたのでしょうか。
それが今や、故玩館のトイレに都落ち!?
実際、油絵を描いていらっしゃる御婦人が来訪された時、「伊藤先生の絵をトイレに掛けるなんて」と憤慨なさっていらっしゃいました
この絵、元々『メロンと桃と栗』のタイトルで売られていました。しかし、最後の栗がどうも納得できません。
スモモかザクロ、はたまたクワイに見えてしまう。
そこで、私が書いたタグの最後は、空白としてあります。
ブログ読者諸氏のご提案で、『メロンと桃と〇』の〇を確定したいと思います。どしどし妙案を(^.^)
念のため、例のごとく裏返してみました。
老舗画廊、大阪画廊の商標に、『メロンと桃と栗』とあります。うーん、やっぱり栗か?
でも、季節が合わないし・・・ここはやはり衆議で
いつものことですが、実際にみえている絵はこんな感じで、写真よりずっと暗いです。
私もスモモかザクロに見えますが イチジクとは違うような。
いややはり描いた本人が 栗と名前も付けていますので
大粒の栗でしょう。栗の滑らかな外皮に隣のメロンの青が映っているのでしょう。
印刷物でなく本物の絵を こうしてトイレに掛けてあるとは これこそ究極の贅沢ですね。
その一部(小さい)は剥がれ落ちて、下地がのぞいていました。ここだけの話ですが、そこを私がアクリル絵の具で塗りました(^^; 今では、どこを塗ったのか自分でもわかりません(^.^)
まあ、こんな無謀なことも、自分の物に対してですから、許される!?(^^;
なるほど、メロンの青が栗に写り込んでいるようにも見えますね。
栗のとんがり頭も有るような無いような・・・微妙ですね。
ファーストインプレッションは「イチジク」でした。
私が「イチジク」が好きなものですから、「イチジク」に見えてしまうのかもしれませんが、、、。
昔の油彩画は暗すぎますよね。
魅力が半減してしまいますね。
いろいろ当てはめることができるので迷いますね。
黒っぽく描かれているので、よけいわかりにくいです。
私は、明治の暗い絵はわりと好きです。
前回の薔薇の絵のバッグは暗くないといけないと書きましたが、この果物の絵のバックは、明るいほうがよいと思いました。バックが明るいほうが果物が新鮮に見えると思いましたから。
と、有名な画伯の作品に意見してしまいました。
トイレに飾っていると怒られたご婦人がおられたそうですが、私はトイレこそ究極の鑑賞場所ではないかと思えます。なにしろ作品の間近で便座という椅子に座って鑑賞できるのですから。美術館などでは、他の作品に目移りして落ち着いて鑑賞できないときもありますが、私のように便秘がちの人はトイレの時間を有効利用できますから一石二鳥です。
私も一度故玩館にお邪魔してトイレ美術館に長居させていただきたいと希望しますが、お許しいただけますでしょうか?
いろいろな見方がありますね。
これが本来の絵画の鑑賞法だと思います。
もう、いっそ、タイトルは各自で決めていただくのがいいかとも(^.^)
誰でも、知らず知らずのうちに、絵画と、無言の対話をしていますね。
その意味でも、トイレは良い環境だと思います(^.^)
故玩館は、どなたでも、いつでも、ウェルカムです。
この作品もメロンが実に巧みに描けていると思います⤴✨
思うに、メロンで力尽きてしまい、栗とモモにまで精力を注ぎこむことができなかったのではないでしょうか🍈✨✨✨
とはいえ、これは栗に見えます👀(でも黒紫色のプラムもありますよね!なのでスモモにしてもいいのかも・・でもやっぱり栗ではないかと🌰)
どうも、栗派とその他派は拮抗しているようですね。ここは、大阪画廊(もしくは本人?)に敬意を表して、栗にしておきましょうか。