遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

古い埋木菓子鉢

2019年12月07日 | 漆器・木製品

先日のブログで、能『頼政』を紹介しました。クライマックスは、平家打倒の旗をあげるも、敗退した源頼政が、辞世の句を残し、自刃する場面です。

平等院の庭で、鎧を脱ぎ、扇を敷いてその上に座し、刀を抜いて果てる。平家物語がどの程度史実を伝えているかはわかりませんが、介錯人もいたといわれていますから、おそらく、切腹でしょう。武士道の代名詞のように言われる切腹の、最も初期のものであるのかも知れません。しかも、77歳という高齢。

埋木(むもれぎ)の 花咲く事もなかりしに 身のなる果は あはれなりけり

 埋れ木の花が咲くことがないように、我が身がこのように終わりを迎えるとは、まことに哀れだ・・・・・・自分の人生を埋木にたとえて、最期をむかえたのです。
 
 
埋木は、樹木が土中に長期間埋もれてできた物です。そのうちの質の良い物は、珍重され、様々な品に加工されました。また、世間に埋もれた自分を埋木になぞらえて、古来より、多くの和歌にうたわれてきました。

 

江戸時代の埋木菓子鉢です。

 

   「奥州名取川名木 御菓子鉢」とあります。

 

 

共箱です。江戸時代の埋木細工は、非常に珍しい。

 

           25.0cm x 14.5cm x 0.7cm

表は、丸く彫り込んで、菓子鉢(皿)に仕立てています。

 

裏側は、ざっと削ってあります。

 

木目が出ています。

 

節も生かされています。

 

埋木とは、樹木が、地殻変動や火山活動、水中の堆積作用などが原因で土中に埋もれ、長い間に変化した物です。水分が多い場所では、腐敗や風化が進みにくく、圧力や熱で圧縮変化し、炭化がある程度すすんだ物になるのです。土中の鉄分が浸透して黒褐色をおび、細工物に用いられます。神代杉も一種の埋木です。

 

名取川流域では、古くから良質の埋木がとれ、埋木と名取川がセットで、和歌に詠まれてきました。

詠み人しらず「名取川 せせの埋もれ木あらはれは いかにせむとか 逢見そめけむ」古今集 

藤原定家「名取川 春の日数は顕れて 花にぞ沈む 瀬瀬の埋もれ木」続後撰集

寂蓮法師 「ありとても 逢はぬためしの名取川 朽ちだに果てぬ 瀬々の埋木」新古今和歌集


 埋木はまた、「世間から捨てられて顧みるものもなくなった境遇の者。たよる所のない身」を象徴するものとして、和歌にも好んで取り入れられました。

冒頭の、源頼政の辞世の句は、そのうちで最も有名なものです。


他によく知られているのは、井伊直弼の埋木舎です。直弼は、十四男。彦根藩の藩主になれる身ではありません。そこで彼は、自ら埋木舎(うもれぎのや)と名付けた居所(現存)で、能、茶道、和歌など趣味に没頭し、出世や競争とは無縁の日々を過ごしました。茶道は本を出版するほどに極め、小鼓も相当の腕だったようです。

世の中を よそに見つつもうもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は

しかし、皮肉にも上の兄たちが次々と死去したりして、直弼に藩主の座が回ってきたのです。その後、老中となり、安政の大獄をへて、桜田門外の変で命を落とします。この悲劇は、思うようにならない埋もれ木の身ながらも、「埋もれておらむ 心なき身は」(埋れ木も、うもれたままではいないぞ)と詠んで、捲土重来を期していた直弼の屈折した心情の中に潜んでいたのかもしれません。

井伊直弼は、本来、政治には向いていない人だったのでしょう。もし、埋木舎でそのまま一生を過ごしていれば、江戸後期の傑出した文化人として名を残したに違いないと思うのです。

直弼には、埋木が良く似合う。





 


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初期伊万里、それとも藍九谷... | トップ | 埋木細工菓子皿 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2019-12-07 11:48:09
井伊直弼の「埋木舎」というのは、以前、「藍色のベンチャー」(幸田真音著)という小説を読んで知りました。
でも、「埋木」にそのような深い意味があるとは知りませんでした。
また、埋木細工というものがあることも知りませんでした。
江戸時代の埋木細工というものは、非常に珍しいんですか。特に、奥州名取川の名木を使った埋木細工は珍しく、価値もあるんでしょうね。共箱でもありますし。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2019-12-07 12:31:32
彦根市は比較的近いですが、私たちの辺りとずいぶん雰囲気が違います。やはり、井伊家の伝統が街全体に生きているのですね。能も盛んです。埋木舎を訪れると、ここで直弼が道楽三昧をしていたのかと、妙に親しみがわきます(^^;)
埋木細工は仙台名物として、明治以降、かなり多く作られました。ただ、名取川の物は、ほぼ取りつくしてしまったようです。名取川埋木は、江戸時代からの一種のネームバリューでしょうね。
返信する
Unknown (tkgmzt2902)
2019-12-07 14:00:33
「埋木舎」を訪れ、井伊直弼がここにいたと思うと感慨が深く、ずっとここに居たら良かったのにと思ってしまいました。権力欲は理屈ではないのですね。

埋木の本当の意味を初めて知りました。それを文学にまでするのは日本人のセンスですね。
とてもためになりました。
返信する
tkgmzt2902さんへ (遅生)
2019-12-07 16:37:14
埋木舎へ行かれたのですね。井伊直弼がまだそこにいるかのような錯覚をおぼえます。不思議な感覚です。
江戸に出ていったのも、運命なのでしょうね。

埋木は、もののあわれやはかなさに思いを寄せる日本人の感覚に合いますね。
返信する
菓子鉢 (ことじ)
2019-12-07 19:34:09
埋もれ木の菓子鉢は味がありますね。
あるものを活かしたデザインで飽きがこないですね。
木目もこんでいますね。
返信する
ことじさんへ (遅生)
2019-12-07 20:29:44
どう見てもこれが菓子鉢とはピンときませんが、江戸時代は、皿より鉢の方が上等だったんでしょう。
自然現象で埋もれたので、ナラやクヌギなどの雑木が多いようですが、けっこうな木目ですね。こういう物の利用を考えついた人は偉いと思います。
返信する
Unknown (メグ)
2019-12-08 10:13:25
埋もれ木についての講義をうけているようで新鮮な気持ちで読ませていただきました。

埋もれ木は詫び寂びに通じるものがあるような気がして
興味深かったです。

彦根の埋木舎に行ってみたい思いに駆られました。
お深いんですね。
返信する
メグさんへ (遅生)
2019-12-08 10:53:04
コメント、ありがとうございます。
埋もれ木なんて、今では気にとめる人も少ないと思います。詫び寂びより実利の世の中で、こういう忘れられた物をとりあげてみるのもよいかと思いました。
彦根城と埋木舎、ぜひ行ってみてください。歴史に繋がることができたような感覚をおぼえます。近くには、湖東三山という隠れた名刹もあります。
返信する

コメントを投稿