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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

渓斎英泉『木曽街道六拾九次之内五十五 河渡』

2025年02月18日 | 美濃の歴史・文化

木曽街道(中山道)の全宿場を描いた木曽街道六十九次の浮世絵のうちの一枚です。

渓斎英泉『木曽街道六拾九次之内五十五 河渡』

26.8㎝x39.1㎝。大正時代?

歌川広重、渓斎英泉による『木曽街道六十九次』シリーズの内、55番目の宿場、河渡(合渡)の夜の風景です。

『木曽街道六十九次』は、広重の『東海道五十三次』シリーズと並んで有名な浮世絵シリーズです。

今回の品は、『木曽街道六十九次』の55番目宿、河渡を描いた浮世絵です。広重がすべてを描いた『東海道五十三次』シリーズと異なり、『木曽街道六十九次』シリーズは、広重と英泉、二人が担当しました。しかも、版元や版木が頻繁に変わり、シリーズの全貌ははっきりしていません。現在、すべてのオリジナル浮世絵が揃ったセットは、10に満たないとも言われています。いきおい、後世に多くの復刻版が作られました。これもまた、混乱に拍車をかけています。

その中で、一番オリジナルに近いと思われるのが、木曽街道版画刊行會による『木曽街道六十九次』シリーズです(大正時代の刷りと考えられます)。今回の品も、その中の一枚でしょう。

長良川の鵜飼の様子が描かれています。

「木阻路ノ驛 河渡 長柄川鵜飼船 英泉画 印(保永堂)」

長良川で漁師たちが鵜をつかって魚を獲っています。ここ河渡宿は、木曽街道(中山道)の宿場町で、長良川の渡しがあった交通の要所です。故玩館のある美江寺宿からは、4㎞ほど東、主に川止め時の客を相手にした小さな宿場町です。関ケ原合戦では、前哨戦がありました。

この場所は、これまでブログで紹介してきた長良川の鵜飼場からは、3㎞ほど下流です。今回の浮世絵が描かれた江戸後期(天保5-10年頃)には、この辺りでも鵜飼が行われていたことがわかります。

漁師の表情など、さすが浮世絵師です。

しかし、よく見ると、川岸に小高い山が迫っています。以前のブログで紹介した長良川の鵜飼いは、金華山の麓で行われていました。ところが、下流のここ河渡はまったくの平地です。近くに山はありません。広重もそうですが、英泉の場合も、現実そのものではなく、脚色した風景を描いているのですね(^.^)