2019年5月25日土曜日、天候晴れ。午前1時30分現在時外気温23℃湿度68%、南東の風2.4m/s。
昨日は時間休をとって3時間早めに退社した。
午前午後の半休の他に、1時間単位で有休がとれる制度だ。
昨年購入した本を再読した。
松本清張著『渡された場面』である。
2018年1月に購入したkindle版である。
これまでに数回TVドラマ化され、ご存知の方も多いかと思う。
ネタバレだが、
佐賀県呼子町(現唐津市肥前町、作中では坊城町)の旅館「千鳥旅館」に一人の男性が投宿する。
小寺康司と言う作家である。小寺の係女中を務めるのは信子。
信子には唐津市の陶磁器店次男・下坂一夫という恋人がいて、下坂は同人誌「海峡文学」のメンバーでもある。
宿滞在中に小寺は数日間(2〜3日)外出し、宿を留守にした。
その間、掃除目的で信子は部屋に入る。
読みかけの新聞の下に数枚の原稿を見つけ、つい読んでしまう。
文面の内容に惹かれた信子は、恋人・下坂の文学の参考になればと思い、原稿を書き写す・・・
と行ったような流れであるが、
小寺が宿を発ったあと、ゴミ箱に捨てられた数枚の原稿(信子が書き写した原稿)を見つけた信子は、
それをハサミで細かく絶ち、風舞う玄界灘の岸壁から海に捨てる場面がある。
この場面、同じ松本清張作『砂の器』の中で、中央線を走る列車の車窓から、
細かく切り裂いた手紙(実際には布)を飛ばす“紙吹雪の女”を彷彿とさせた。
原作に有ったかは記憶に定かではないが、
見た同名の映画の中での1シーンとして印象的だった。
『渡された場面』の面白さは、福岡と四国の二つの殺人事件が、
繋がり無く平行に進んでいきながら、それが一つに合流するところであろうか。
複線区間の2つの線路が、単線区間で合流するのと同様に。
この作品は1976年に約半年間、週刊誌に連載されたものだが、
作中出てくる実名の地名(唐津、福岡、深江、宗像等々)は、この作品を身近なものとした。
福岡の殺人事件、作中に事件として扱われるのは最終局面であるが、
事件の加害者・下坂の動機はまことに身勝手極まるものだ。
概して素質がない人間ほど、人以上に素質が有ると勘違いし、
それらしく振る舞うもので、下坂もその類の人間だった。
そのことは下坂が書いた作品の中で、盗作した6枚の原稿の箇所と異なって描かれたことで
かえって目立ってしまい、読み手には作品全体の中で違和感を覚えさせてしまうのである。
下坂は、信子の他に福岡のバーの女性とも情事を重ね、
同時期に二人の女性が妊娠する。
最後はバーの女性を自分の連れ添いと選んだことで、
信子の存在がじゃまになった。
その信子を始末するために選んだ場所は偶然にも、連れ添いに選んだ女性の伯父伯母の住む、
家の近隣でも有った。
この作品は読み進むに連れ、人間の情欲とか自己中心的で身勝手な振る舞いを、
文学青年もどきの男に演じさせ、その男の犠牲者になった女性の悲劇を綴っている。
四国で起きた殺人事件でも同様に、身勝手なふるまいの犠牲者になったのも女性である。
作品全体に覆う鬼と化す人間の本性に、慄然とした思いは禁じ得なかった。
当方の青年時代、友人と競うように清張作品を読んだものだが、
今の時代でも、自己中や身勝手な性格の人間が起こす事件事故は後を絶たない。
新たな興味を持って清張作品に再び接しているが、この人の生い立ちから
読み返してみるのも面白いかも、と思っている。
昨日は時間休をとって3時間早めに退社した。
午前午後の半休の他に、1時間単位で有休がとれる制度だ。
昨年購入した本を再読した。
松本清張著『渡された場面』である。
2018年1月に購入したkindle版である。
これまでに数回TVドラマ化され、ご存知の方も多いかと思う。
ネタバレだが、
佐賀県呼子町(現唐津市肥前町、作中では坊城町)の旅館「千鳥旅館」に一人の男性が投宿する。
小寺康司と言う作家である。小寺の係女中を務めるのは信子。
信子には唐津市の陶磁器店次男・下坂一夫という恋人がいて、下坂は同人誌「海峡文学」のメンバーでもある。
宿滞在中に小寺は数日間(2〜3日)外出し、宿を留守にした。
その間、掃除目的で信子は部屋に入る。
読みかけの新聞の下に数枚の原稿を見つけ、つい読んでしまう。
文面の内容に惹かれた信子は、恋人・下坂の文学の参考になればと思い、原稿を書き写す・・・
と行ったような流れであるが、
小寺が宿を発ったあと、ゴミ箱に捨てられた数枚の原稿(信子が書き写した原稿)を見つけた信子は、
それをハサミで細かく絶ち、風舞う玄界灘の岸壁から海に捨てる場面がある。
この場面、同じ松本清張作『砂の器』の中で、中央線を走る列車の車窓から、
細かく切り裂いた手紙(実際には布)を飛ばす“紙吹雪の女”を彷彿とさせた。
原作に有ったかは記憶に定かではないが、
見た同名の映画の中での1シーンとして印象的だった。
『渡された場面』の面白さは、福岡と四国の二つの殺人事件が、
繋がり無く平行に進んでいきながら、それが一つに合流するところであろうか。
複線区間の2つの線路が、単線区間で合流するのと同様に。
この作品は1976年に約半年間、週刊誌に連載されたものだが、
作中出てくる実名の地名(唐津、福岡、深江、宗像等々)は、この作品を身近なものとした。
福岡の殺人事件、作中に事件として扱われるのは最終局面であるが、
事件の加害者・下坂の動機はまことに身勝手極まるものだ。
概して素質がない人間ほど、人以上に素質が有ると勘違いし、
それらしく振る舞うもので、下坂もその類の人間だった。
そのことは下坂が書いた作品の中で、盗作した6枚の原稿の箇所と異なって描かれたことで
かえって目立ってしまい、読み手には作品全体の中で違和感を覚えさせてしまうのである。
下坂は、信子の他に福岡のバーの女性とも情事を重ね、
同時期に二人の女性が妊娠する。
最後はバーの女性を自分の連れ添いと選んだことで、
信子の存在がじゃまになった。
その信子を始末するために選んだ場所は偶然にも、連れ添いに選んだ女性の伯父伯母の住む、
家の近隣でも有った。
この作品は読み進むに連れ、人間の情欲とか自己中心的で身勝手な振る舞いを、
文学青年もどきの男に演じさせ、その男の犠牲者になった女性の悲劇を綴っている。
四国で起きた殺人事件でも同様に、身勝手なふるまいの犠牲者になったのも女性である。
作品全体に覆う鬼と化す人間の本性に、慄然とした思いは禁じ得なかった。
当方の青年時代、友人と競うように清張作品を読んだものだが、
今の時代でも、自己中や身勝手な性格の人間が起こす事件事故は後を絶たない。
新たな興味を持って清張作品に再び接しているが、この人の生い立ちから
読み返してみるのも面白いかも、と思っている。