おはようございます。
今日のポニースクールは、少な目。
たっぷり乗れていいね。
掃除は大変だけど、その代わりにいい事あるわいな。
頑張ろう!
さて、昨日のこと。
「結局は、考え方はそれぞれだから自由なんだけどね。(笑)」
「そうですね。すごく難しく思います。でもムカつきます。」
「ムカつくね!」
そんな会話をした。
昨日もね、勉強になった。
自分なりの考えをまとめて、書いてみようと思います。
そう言ったから、書く。
ブログにはコメント機能がある。
コミュニケーションのつもりだったり、同意の表現だったり、様々。
俺は文句も含めて全部ありがたいなぁと思うことにする。
と、去年誓った。
そうしないとムカついて仕方がなくて。
それでも尚、軽い気持ちでコメントをする人だなぁ、と見過ごせる場合とそうではない場合とがあります。
簡単に言えば、
「てめぇに何が分かるんだ?」
という感情。
一方で俺にとっては、はぁそうですかでも、別な人にはそう思えない事がある。
例えば、
「うどんが超うまい!」
という記事があったとして、
「そうなんですよねぇ、あそこのうどんはね!」
というレベルなら殆んどの場合、誰も気にならない。
でも、ライバルのうどん屋は頭にくるものだ。
心情を理解するのは俺には出来ません。
だから、
「わかりません。」
と言える人が俺はとても好きだ。
正直で、素敵だなぁと思います。
その上で想像するにこうだから、と色々考えると、それら全てが無駄な事だと気づくので俺の場合は黙る。
何事も全部分かってたかのように言われるとね、頭に来るもんだと思うから。
分かりません、ということを分かってはもらえませんか?
分かるはずがないのだという事を、知ってはもらえませんか?
僕がどれほど息子達が好きかは、あなたのそれとは根本は同じでも違うのだと思う。
そこに、差がある。
どちらが上でも下でもない。
相対的な差分があると思う。
その試し算は、あらゆる場面で生活を行いながらズレを調整するしかない。
それをしないことをその方は、脳味噌のエコモードと表現した。
疑って初めて、何かを信じる突破口になったりするね。
人はまた、いつものようにワガママになって行く。
あなたと過ごせないなんてつまらない。
それを追求してみようか。
あなたがいない宮城
↓
あなたがいない日本
↓
あなたがいない世界
↓
あなたがいない地球
包括する「世界」には、あなたさえ居ればいいのだ。
「いない」
を、
「いる」
に代えただけで、世界は大きく変わる。
どこかで生きていてくれれば、それでいい。
逆から辿ると視界が広くなると思いませんか?
「それでいい」のに、人はもっと望むね。
でも、それでいいと思ってる人がいて、悲しみと戦ったり耐えたりしながらの笑顔だったりってことがある。
そのことを分かってくださいとは僕は言わない。
そこの「分かった」にも差分があると思うからね。
知ることで、分からないという結論ってあると思うのです。
分からないということを分かるということは、どの場合にも大切なことかもしれません。
でも、知ったかぶりは傷つける傷つけないではないんだよね。
ムカつかせるか、ムカつかせないかの違いがあるだけ。
今日のポニースクールは、少な目。
たっぷり乗れていいね。
掃除は大変だけど、その代わりにいい事あるわいな。
頑張ろう!
さて、昨日のこと。
「結局は、考え方はそれぞれだから自由なんだけどね。(笑)」
「そうですね。すごく難しく思います。でもムカつきます。」
「ムカつくね!」
そんな会話をした。
昨日もね、勉強になった。
自分なりの考えをまとめて、書いてみようと思います。
そう言ったから、書く。
ブログにはコメント機能がある。
コミュニケーションのつもりだったり、同意の表現だったり、様々。
俺は文句も含めて全部ありがたいなぁと思うことにする。
と、去年誓った。
そうしないとムカついて仕方がなくて。
それでも尚、軽い気持ちでコメントをする人だなぁ、と見過ごせる場合とそうではない場合とがあります。
簡単に言えば、
「てめぇに何が分かるんだ?」
という感情。
一方で俺にとっては、はぁそうですかでも、別な人にはそう思えない事がある。
例えば、
「うどんが超うまい!」
という記事があったとして、
「そうなんですよねぇ、あそこのうどんはね!」
というレベルなら殆んどの場合、誰も気にならない。
でも、ライバルのうどん屋は頭にくるものだ。
心情を理解するのは俺には出来ません。
だから、
「わかりません。」
と言える人が俺はとても好きだ。
正直で、素敵だなぁと思います。
その上で想像するにこうだから、と色々考えると、それら全てが無駄な事だと気づくので俺の場合は黙る。
何事も全部分かってたかのように言われるとね、頭に来るもんだと思うから。
分かりません、ということを分かってはもらえませんか?
分かるはずがないのだという事を、知ってはもらえませんか?
僕がどれほど息子達が好きかは、あなたのそれとは根本は同じでも違うのだと思う。
そこに、差がある。
どちらが上でも下でもない。
相対的な差分があると思う。
その試し算は、あらゆる場面で生活を行いながらズレを調整するしかない。
それをしないことをその方は、脳味噌のエコモードと表現した。
疑って初めて、何かを信じる突破口になったりするね。
人はまた、いつものようにワガママになって行く。
あなたと過ごせないなんてつまらない。
それを追求してみようか。
あなたがいない宮城
↓
あなたがいない日本
↓
あなたがいない世界
↓
あなたがいない地球
包括する「世界」には、あなたさえ居ればいいのだ。
「いない」
を、
「いる」
に代えただけで、世界は大きく変わる。
どこかで生きていてくれれば、それでいい。
逆から辿ると視界が広くなると思いませんか?
「それでいい」のに、人はもっと望むね。
でも、それでいいと思ってる人がいて、悲しみと戦ったり耐えたりしながらの笑顔だったりってことがある。
そのことを分かってくださいとは僕は言わない。
そこの「分かった」にも差分があると思うからね。
知ることで、分からないという結論ってあると思うのです。
分からないということを分かるということは、どの場合にも大切なことかもしれません。
でも、知ったかぶりは傷つける傷つけないではないんだよね。
ムカつかせるか、ムカつかせないかの違いがあるだけ。