ギャップをどう埋めようか。
日々考えている。
悲しい事が起きた人と、そうでない人。
仙台や石巻、気仙沼に住んでいる人と、住んでいない人。
たまたまの差が、近い未来、すごいとんでもない悲しみや心の傷を増やすと思う。
俺たちの子が、高校や大学に進むと、いつか同じ時間を共有することになる。
子どもは残酷だからと言うがそうじゃない。
思ったことを言うだけ。
「ご飯がないなら、お菓子とかで我慢すればいいのにね。」
と思っている子もいると思う。
仕方のないことで済ませるか、キチンと話して理解してもらうかの差は絶対に出てくると思います。
自分の子どもが、あと何年後かに彼等と時間を共有します。
「あん時の地震でさぁ・・・」
という話題は必ず出るだろう。
「お前、石巻かよ!マジで?超大変だったじゃん。」
と、もし親を亡くしましたという子に言えるかな?
その子はどう思うんだろう?
いつか彼らが結婚しました。
俺の息子と、今日ケーキを届けた子。
という可能性もゼロじゃない。
その時の親の意識の差は、その子たちに何かしらの不幸は招かないのかな?
「うちは全然大丈夫だったので!大変でしたね!とにかくガソリンとお水が手に入らなくって!」
とヘラヘラ喋るのかな?
俺がその子の親御さんなら、そんな環境で育った子と一緒になって欲しくない。
賛否はあろうが、二人が決める事だし、どうでもいいのだが、なんか遣る瀬無い。
今も、小学校では、取材クルーが
「衛生環境が・・・」
と言う位の生活を続けている人達がたくさんいる。
彼等や彼女等と親戚になる可能性はゼロではない。
その時に、
(何もしなかったからなぁ・・・)
と、向こうの親に合わす顔がねぇと、なんだか恥ずかしい思いは俺はしたくない。
俺はね。
これまでのどんな活動も全てそうだ。
息子の嫁さんや、親友になるかもしれない子どもに、俺は全財産だって使ってやる。
悔しくも惜しくもない。
命だってくれてやってもいい。
俺は可能性がある限り、全くの他人だとは思えねぇんだよ。
ヨッツンとタケチンは最初、俺を殺しに来た。
でも、今は大親友。
ヨコシンだって、藤原さんだって、誰もがそう。
30越えても、40越えても、そうやって親戚や友達が増えていく可能性はゼロではない。
恋に落ちたっていいじゃないか。
可能性はゼロじゃない。
いいじゃない。
人間だもの。
誰しもがあるだろうに。
ケチョンケチョンに「うまくねぇ」と言ってたラーメン屋の親父が実は同級生の友達の実家で、実はいい人達だった!とか。
肩がぶつかったと殴り飛ばしたアイツが、自分の会社にバイトの面接に来たとか。(俺だけか!!)
自分が恥じなきゃいいんだけどさ、
どうも子ども達の笑顔を見てると、俺は可能性がある限り、仮にも大人だったら何かを考えなくちゃいけないって思う。
やり方は様々。
どうか、てめぇが後悔しない様にだけ生きようと思ったよ。
冠水した道をイカしたケーキ屋の店主を乗せてさ、
「ざばーーーーーーーーーー!」
とケーキを届けながら、そう思ったよ。
とにかく、意識のギャップを埋めないと、時間を共有する時期が来た時に、どちらかが肩身の狭い思いをすると思う。
彼等が大学にすすんで飲み会をしました。
地震の話題は必ず出る。
その時に、なんで彼らがイチイチ胸が痛まなければいけない事になるのか。
そうなると決まった訳じゃないけどさ。
これ以上、何を我慢させるのだ。
思い出の家、モノ、元の生活、写真、友達、恋人、親戚、家族、子ども・・・。
色々失っちゃいけないものを失ってる事実がある。
俺だってそうだ、この野郎。
もうケンカも出来ない。
お土産買って来いとか、無理難題も言われない。
一緒に飯を食うことも出来ない。
髪を切れよ、と夜中に頼む事も出来ない。
だって、東京で飲んでて横で「津波」だの「地震」だのって言葉が聞こえて笑い声が出ただけで、俺はなんかイライラするもんね。
批判されてもいい。
ギャップをどうにかして埋めるプランが必要だと思う。
いつか近い未来で、
「アタシね、小さい頃地震にあった時に、家の中キレイにしてくれた人達がいたの。書いた絵とかもキレイに出してくれて。そして誕生日にケーキを持ってきてくれたんだよ。ケーキを食べる度に、なんか思い出すんだよね。モジョモジョ喋って、感じ悪い人だったけど。」
と息子の彼女がベッドの中で言う。
すると息子はこう言う。
「あ、それね、俺の親父。スコップ団。名前超ださいけどね、仲間は皆かっこいい人たちばっかりだよ。」
「そうスコップ団!」
「イエス!スコップ団!」
「結婚してくれる?」
「当然さ!」
カッカッカッカ!!
お前の親父は負けねぇぞ。
お前らの為にだ。
知っておけ。
だから、ボランティアじゃねぇんだよ。
うぇい、うぇい、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
君達の未来を少しでもキレイにすっからよ。
スコップ団。
皆が手伝ってくれねぇもんかな。
2万人のスコップ団。
いいね。実に。
はぁ、もう寝よ。
明日は、内装仕上げ。
頑張りまちゅ。
日々考えている。
悲しい事が起きた人と、そうでない人。
仙台や石巻、気仙沼に住んでいる人と、住んでいない人。
たまたまの差が、近い未来、すごいとんでもない悲しみや心の傷を増やすと思う。
俺たちの子が、高校や大学に進むと、いつか同じ時間を共有することになる。
子どもは残酷だからと言うがそうじゃない。
思ったことを言うだけ。
「ご飯がないなら、お菓子とかで我慢すればいいのにね。」
と思っている子もいると思う。
仕方のないことで済ませるか、キチンと話して理解してもらうかの差は絶対に出てくると思います。
自分の子どもが、あと何年後かに彼等と時間を共有します。
「あん時の地震でさぁ・・・」
という話題は必ず出るだろう。
「お前、石巻かよ!マジで?超大変だったじゃん。」
と、もし親を亡くしましたという子に言えるかな?
その子はどう思うんだろう?
いつか彼らが結婚しました。
俺の息子と、今日ケーキを届けた子。
という可能性もゼロじゃない。
その時の親の意識の差は、その子たちに何かしらの不幸は招かないのかな?
「うちは全然大丈夫だったので!大変でしたね!とにかくガソリンとお水が手に入らなくって!」
とヘラヘラ喋るのかな?
俺がその子の親御さんなら、そんな環境で育った子と一緒になって欲しくない。
賛否はあろうが、二人が決める事だし、どうでもいいのだが、なんか遣る瀬無い。
今も、小学校では、取材クルーが
「衛生環境が・・・」
と言う位の生活を続けている人達がたくさんいる。
彼等や彼女等と親戚になる可能性はゼロではない。
その時に、
(何もしなかったからなぁ・・・)
と、向こうの親に合わす顔がねぇと、なんだか恥ずかしい思いは俺はしたくない。
俺はね。
これまでのどんな活動も全てそうだ。
息子の嫁さんや、親友になるかもしれない子どもに、俺は全財産だって使ってやる。
悔しくも惜しくもない。
命だってくれてやってもいい。
俺は可能性がある限り、全くの他人だとは思えねぇんだよ。
ヨッツンとタケチンは最初、俺を殺しに来た。
でも、今は大親友。
ヨコシンだって、藤原さんだって、誰もがそう。
30越えても、40越えても、そうやって親戚や友達が増えていく可能性はゼロではない。
恋に落ちたっていいじゃないか。
可能性はゼロじゃない。
いいじゃない。
人間だもの。
誰しもがあるだろうに。
ケチョンケチョンに「うまくねぇ」と言ってたラーメン屋の親父が実は同級生の友達の実家で、実はいい人達だった!とか。
肩がぶつかったと殴り飛ばしたアイツが、自分の会社にバイトの面接に来たとか。(俺だけか!!)
自分が恥じなきゃいいんだけどさ、
どうも子ども達の笑顔を見てると、俺は可能性がある限り、仮にも大人だったら何かを考えなくちゃいけないって思う。
やり方は様々。
どうか、てめぇが後悔しない様にだけ生きようと思ったよ。
冠水した道をイカしたケーキ屋の店主を乗せてさ、
「ざばーーーーーーーーーー!」
とケーキを届けながら、そう思ったよ。
とにかく、意識のギャップを埋めないと、時間を共有する時期が来た時に、どちらかが肩身の狭い思いをすると思う。
彼等が大学にすすんで飲み会をしました。
地震の話題は必ず出る。
その時に、なんで彼らがイチイチ胸が痛まなければいけない事になるのか。
そうなると決まった訳じゃないけどさ。
これ以上、何を我慢させるのだ。
思い出の家、モノ、元の生活、写真、友達、恋人、親戚、家族、子ども・・・。
色々失っちゃいけないものを失ってる事実がある。
俺だってそうだ、この野郎。
もうケンカも出来ない。
お土産買って来いとか、無理難題も言われない。
一緒に飯を食うことも出来ない。
髪を切れよ、と夜中に頼む事も出来ない。
だって、東京で飲んでて横で「津波」だの「地震」だのって言葉が聞こえて笑い声が出ただけで、俺はなんかイライラするもんね。
批判されてもいい。
ギャップをどうにかして埋めるプランが必要だと思う。
いつか近い未来で、
「アタシね、小さい頃地震にあった時に、家の中キレイにしてくれた人達がいたの。書いた絵とかもキレイに出してくれて。そして誕生日にケーキを持ってきてくれたんだよ。ケーキを食べる度に、なんか思い出すんだよね。モジョモジョ喋って、感じ悪い人だったけど。」
と息子の彼女がベッドの中で言う。
すると息子はこう言う。
「あ、それね、俺の親父。スコップ団。名前超ださいけどね、仲間は皆かっこいい人たちばっかりだよ。」
「そうスコップ団!」
「イエス!スコップ団!」
「結婚してくれる?」
「当然さ!」
カッカッカッカ!!
お前の親父は負けねぇぞ。
お前らの為にだ。
知っておけ。
だから、ボランティアじゃねぇんだよ。
うぇい、うぇい、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
君達の未来を少しでもキレイにすっからよ。
スコップ団。
皆が手伝ってくれねぇもんかな。
2万人のスコップ団。
いいね。実に。
はぁ、もう寝よ。
明日は、内装仕上げ。
頑張りまちゅ。
どなたかが三日かかって読破したというこのブログ。
私は風邪をひいて会社を休んだので2日で読みました。
初めから今日のまで(笑)
どうにかして皆に伝えたい気持ちに溢れたブログでした。
今日の放映も拝見しました。
少なくとも、私は生きる勇気や楽しさを分けてもらいました。
【がんばって】ではなくて【ありがとう】って伝えたいです。
何か出来る事探します。
今日の放送でドライアイスは集まりそうですか?
まだスコップ団なるものが何だか分かりませんが(携帯から飛べない?)
今日は遅いので諦めて寝ます。
何か自分にも協力出来る事が有ればいいなとおもいます。
大雨で大変だったようですがあまり無茶はせず
お体は大切に!
なかなか電話もメールも出来ずに今に至りました。
けれど、一歩いや半歩進めました。主人と息子の納骨を済ませることができました。
長女がその時、号泣している私に『これからは私に頼ってね』って言ったんです。まだ13歳の子供が。
自分だって辛いだろうに、大好きだった弟と父を亡くして泣き狂った長女が、いつのまにかすごく大人になってました。
私だけが悲劇のヒロインのようでいたけど、まだ『母親』でいさせてくれたことに今は感謝です。
これからは娘達と三人で、少しずつ進んでいきたいと思います。
そして、貴方達の様々な優しさで、私達遺族は大好きな人に会って『さよなら』を言えることが出来ました。
ありがとう。
おかげで新しい道を見つけました。
もう少し気持ちの整理がついたら、是非スコップ団に入団させて下さいね。
いろんな本を読んで、いろんなモノを見てその中から自分の答を見つけられる人に育って欲しい。
今思うこと。出来るなら平さんの両親に会ってみたい。
ゴキブリ、ワンタンと来たら、次は唐揚げ??
団長、涙で怪我しないように
ですが、同じ町の数キロ先の私の周りは、屋根瓦が落ちたくらいの被害がほとんどです。
ギャップ。
まさにそのとおりで。
小学校の卒業式の話を出して差しさわりがないかと心配しつつ・・。
同じ町内での震災の被害に差があり、開催自体が危うく、学校からの一斉メール配信では児童への授与だけのはずでした。
なのに、保護者が出られないのはおかしい!と、学校・教育委員会にねじ込んできた保護者がいます。
結果、参加できる保護者は参列してもいいことになり・・・。
着飾った保護者・児童と、負担着のままで参加した児童がいたと聞きました。
私の子供達が卒業するのはまだ先のことですが、なんと思いやりのない状況だろうと、ただただ悲しくなりました。
前から思っていたことですが。
おもいやりって想像力の賜物なんだと思います。
了さんのブログを見ていて、それが間違っていないと確信しました。
ギャップ。
大人の意識、変えるのが難しそうだけど・・・
未来のオトナへのアプローチはまだ間に合いそう。
了さんやスコップ団・SFBの皆さんが草の根運動で活動するのを身近に、肌で感じたら。
きっとギャップは埋まる。
そう信じています。
嬉しかったです。
さっき言ってた、アンテナ私でよければ直しに行きます。上司に屋根の上に上がってもらうので私は画面チェックだけだけど。
あと、何か出来るかな?
保育士の経験と建具屋だったって位しかなくて、何かできる事は少ないけど。
子どもの遊び相手とか!
鉋かけるとか!(ボコボコなるかも知れないけど)
なんでも言ってください。
いやー無愛想!
でもあーゆー時ニコニコ愛想良くインタビュー受けてる人って、嘘っぽくて私は好きじゃないです(^^;)
ギャップかー…。
状況が全く違うけど、阪神大震災の時にも感じましたね。
私は今は笑って話せる立場ですが、大切な人を失くした人達はどうだろう。
震災直後は阪神地区に住む私達とそれ以外に住む人達とでは相当な温度差を感じてました。
悲しいかな、ギャップが埋まることはないんだと思います。
ただ想像して近付く努力をするしかなくて、でも悲しみや苦しみを実感するには同じ環境に置かれない限りは想像の域を出なくて。
それなら気楽な立場の人間は苦しい思いをした人達に寄り添って、その人達がもたれかかってきても支えられる強さを持たなきゃいけないのかな、と思いました。
一緒に倒れちゃったら元も子もないですもんね。
平さんは既に沢山の人達の支えになってますね。
私は平さん達を支えられるような強い人間になりたいです。
長々と失礼しましたm(__)m
そうする事でギャップが縮まっていくと思います。
自分は津波、地震、災害というワードが出たら「スコップ団」のことを話すようにしてます。
Tシャツも届いたことだし、アピールしますよ!