10月1日金曜日、なんと台風! ちょうど休みだったので、その嵐の中、友人が勧めていた映画を見に行った。今日やめたら一生見ないだろうと思ったので思いきって行ってきた。
田端は乗り換えたことはあるが、改札を出たことはない。初めての場所は不安だ。ましてやこの嵐、迷ったらやばい。地図でなんどもシミュレーションしたのでなんとかたどり着けた。でもやっぱり迷った。通り過ぎてしまい、おかしいと思ってスマホで確認した。小さいとは聞いていたが、やはり小さかった。
「いまはむかし」というドキュメンタリー。戦時中、国策映画に携わった父親の足跡を追う家族の話。全編静かだ。インドネシアの人々の語り口が優しい。酷い目にあっても激高するわけでもなく、話したくないという拒絶も柔らかい印象だ。占領時代に覚えた日本語や歌を披露し、笑顔さえ見せる。なぜこんなに穏やかなのだろう。壁に残る、日本兵が銃の後ろで住民を殴る姿と対比する。
その国策映画が、オランダの視聴覚研究所に残っていた! これはすごいことだ。有り難いことだ。感謝すべきだ。きっと日本だったらオランダの作ったものなどすべて燃やしてしまっただろう。貴重な資料であっても。
おかげで何十年後でもこうして目にすることができる。その映画は日本はあなた方を救うために来たという。実質は子どもは少国民として育て、大人は労務者として日本のために働かせるのが目的なのに。オランダ→日本→オランダと翻弄された現地の人々の戸惑いはいかばかりか。
そして伊勢長之助はどんな思いでこの国策映画を作っていたのか。本当に国の言うことを信じていたのか? 食うため、身の安全のために仕方なく協力するふりをしていたのか? ただ、映画を作りたかっただけなのか? 敗戦後は日本でも記録映画作りに携わった。「東京裁判」など、どんな思いで仕事をしていたのだろうと考える。自身の戦争責任と向き合ったのかどうか。教科書の墨塗りなど、手のひら返しはその時代を生きた人々には当たり前のような気もする。あるいはジャワに向かった時から考えることをやめて、日本に帰ってからもただひたすらにフィルムだけに向き合ってきたのかもしれない。今となっては本人に聞きたくても聞けないが。この伊勢長之助という人物に興味をそそられる。
Cinema Chupki Tabataというほんとに小さい映画館。でも居心地はよかった。目や耳に障がいがあっても楽しめるユニバーサルシアターだ。座席にイヤホンジャックがついていて音声ガイドはここで丁寧に作られている。日本語字幕も全部につく。車いすスペースももちろんある。ほっとするあったかい映画館だ。
映画館を出たとたん、現実に戻された。帰りは土砂降りで上りの坂道はもう滝だった。あーあ。
それにしても映画をほんとに観なくなったが、振り返るとここ3本はなぜか全部ドキュメンタリーだった。