大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

剣門関2000

2017年03月09日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

以下は2000年当時の剣門関。内側から関楼に向かう道は
コンクリートで出来ていたが、橋のような造りで険しさが感じられる。

四川大地震で倒壊したという噂だけど、どんな感じに壊れたのか…。

久々に中国名勝辞典を引用すると、

剣門関は剣門ともいい、剣閣県市街の北方25kmの剣門山にある。
かつての蜀道の要害。
剣門山は剣山ともいい、かつては梁山、高梁山ともいった。
山脈が東西100km余りにわたって起伏しつつ連なり、
利剣(鋭い剣)の形をした72峰が聳え、絶壁の中断したところに
2つの山が門のように相対するので、剣門という。
(中略)
三国時代に諸葛亮が蜀の丞相になると官をおいて防備を固めた。
頂上の姜維城は、姜維が兵を留めて鐘会を迎撃したところで、遺構が現存。
登山口に「剣門関」という石碑がある。 

現在、関楼門から外側はすぐ下り階段になっているが、当時は山肌沿いに
作られた道+階段だった気がする…あまりにも階段が多くて大変だったので
よく覚えていないが、アップダウンに苦労した。 

▼こんな岩の側面に穿たれた階段で延々移動するのだ…。

▼一夫関に…の石碑

当時、入場券裏のざっくりした地図を元に姜維の墓を探して彷徨ったが、
全く見つからなかった。長い階段の昇降で足はガクガク、膝は笑うで
あわや遭難一歩手前だった…だって人が居ないんだもの(笑)

途中、岩だなに人影を見る。

………第一村人発見!!!

手相み兼ガイドをしている近所のおじいさんだった。
こんなに人通りの無いところで、客が来るのを待つのも大変そうだ。

「姜維の墓はどの辺ですか?」

「あっちだよ」と我々が来た方角を指すおじいさん。

「差し支えなければ、姜維の墓まで案内していただけないでしょうか」

「よしきた」

地獄に仏なのでこの手相見兼ガイドのおじいさんに、姜維の墓まで
連れて行っていただくことにした。
料金は10元。三人で10元か、1人10元かというところは交渉しなかった。
それほど疲労困憊していたのだ(笑)。 

……さすが剣門関育ち(;_;)

このおじいさんの健脚ぶりときたら大したもので、あっという間に
引き離される。

▼我々を待ってくれている、おじいさん/まだご健在だろうか…
 最初は一緒に登っていたんですよ。 

▼姜維神像2000/おじいさんが教えてくれました。

▼2000年当時の川陝公路/現在は風景区の敷地内
 川陝公路のすぐ脇に切符売場があり、ちょっと行くとすぐに関楼だった。
 姜維の墓に向かって移動する。 

▼山の斜面に出来た段々畑の途中にあった石碑「剣閣72峰」

▼姜維の墓2000/墓碑銘は「漢大将軍姜維之墓」