花は桜木・山は富士

完全に自分為の資料的ブログですが、このサイトを見て感じる人がいると嬉しいです。

チベット

2006-04-02 20:17:49 | 世界の紛争
「チベット自治区」は中国の少数民族自治区の一つで、
面積約122万平方キロメートルは中国全土の1/8を占めています。

対話のみによって独立を求める姿勢が高く評価され、
1989年にノーブル平和賞を受賞しているダライ・ラマ14世の運動は続いているが、
中国側はなかなか対話に応じようとうはしていない。
密教であるラマ教の定着したチベットでは、伝統的にダライ・ラマと、
第二の高僧パンチョン・ラマが東西チベットを二分して統治する、
正教一致の支配体制が敷かれている

チベットは、吐蕃王朝~諸侯割拠~元朝帰属などの時代を経て、
17世紀にダライ・ラマ7世が現在の礎を築いた。
清朝では皇帝のチベット仏教信仰もあり、保護国としての独自の文化を築く。
第二次世界大戦後、共産党政権になった中国は1950年にチベット人民の解放を
大義名分にして東チベットに侵攻し、強引に「チベット平和解放条約」を結ばせた。

条約には自治権や信仰の自由などが記されていたが、
やがて中国政府による土地改革や宗教弾圧は激しくなる。
ついに1959年、約2万人が蜂起するチベット動乱が勃発。
しかし鎮圧され、ダライ・ラマはインドの北部の都市ダラムサラに亡命した。
以来、ダラムサラは「チベット亡命政府」として独立運動の拠点となる。
一方、中国はパンチョン・ラマをリーダーとしてチベットを支配した。

1960年代後半の文化大革命(文革)時には、チベット語の使用を制限したり、
漢人の入植が行われている。中国の改革路線で外国人観光客が
訪れるようなった80年代には、独立運動は活発化してデモなども
発生するようになった。

1988年ダライ・ラマは、中国からの分離独立は現実的に不可能として、
防衛・外交は中国が担当し、高度な自治を求める自治連邦構想を発表した。
国際的にも独立の声は高まっているが、中国側はあくまで国内問題として無視している。

1989年にはパンチョン・ラマ10世が死去。
チベットの信仰として輪廻転生があり、チベット国内から新たな
パンチョン・ラマ11世に転生した子どもを探した。
しかしチベットと中国はそれぞれ別の11世を認定した為、
新たな対立を生んでいる。また、チベット動乱から30年目のこの年、
チベットの首都ラサでは1万人規模のデモがあり、1年以上にわたる戒厳令が敷かれた。

1998年には、独立を求めるチベット人の元僧侶が焼身自殺をして
世界に衝撃を与えた。
2000年には3番目の地位をもち中国が優遇しているカルマパ17世が
ダライ・ラマと合流している。
チベット問題は、中国による少数民族の抑圧である、ダライ・ラマの
ノーベル賞受賞も欧米諸国による中国への牽制という見方もある。
だが、チベットに保有核の1/3を置き、膨大な経援助をしている中国としては、
同様に独立運動があるほかの自治区も考慮しなければならず、
解決は難しい状況にある。

最新の画像もっと見る