いわずと知れた世界三大宗教キリスト・イスラム・仏教の最大信者数を誇るキリスト教。
1993年の集計で約21億人(うちローマ・カトリック10億人、
プロテスタント5億人、東方正教会2.4億人、その他宗教2.75億人)もいます。
他の宗教と比較してもイスラム教徒11億人、ヒンズー教徒10.5億人と、
遥かに超える世界最大の教徒を誇ります。
教派から見る地域的な分布は、カトリックはヨーロッパ全土に広く分布し、
プロテスタントはイギリス及びアメリカに多く、
東方正教会は東地中海沿岸及びロシアに広まっています。
16世紀頃からイギリス、スペイン、フランス、オランダ、ポルトガルが
世界各地に選出し、アフリカ、アメリカ、アジアなどの多くの国を支配し、
植民地として行く過程で、宣教師が派遣され、キリスト教に改修させていった。
キリスト教は紀元1世紀中頃、イエスの教えを元に生まれました。
当時のローマ帝国ではユダヤ教が中心でした。イエス・キリストは元々ユダヤ教徒で、
当時のイエスの活動も「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばれていた。
しかし、イエスは神の言葉を民衆に伝える為に、神から使わされた者で、
民衆と共に苦しみ、同じ場に立って真実の信仰を訴えました。
そのイエスの教えに信仰する民衆が増えてくると、ユダヤ教の僧が
ローマの権力者を動かして弾圧し、イエスは十字架に掛けられてしまいます。
イエスは自分の死を知っていた為、12の弟子を自分の後継者とした。
「キリスト」とは「救世主」の意味で、
「イエス・キリスト=救世主イエス」という意味になります。
ユダヤ人は、紀元前2000年頃からパレスチナ地方に定住し始めた民族で
苦難の道を経て、民族の団結を保つ為に生まれたのがユダヤ教でした。
しかし、パレスチナに対する幾たびかの外国の支配を受ける中で、
ユダヤ人の間では救世主を待望する声が高くなっていました。
キリスト教の経典には、「旧約聖書」と「新約聖書」の二つがあり、
「約」とは神との「契約」という意味です、「旧約聖書」は天地想像の物語から
「救世主」が生まれる直前までの事で、特にユダヤ人について書かれている。
キリスト教はkの「旧約聖書」を元にしながらも、神とイエスとで交わされた
新しい契約、つまり「新約聖書」になり、キリスト教では主に
「新約聖書」を経典としています。
またユダヤ教の経典にはキリスト教を認めていないので、
結果「新約聖書」は認められずユダヤ教の経典は「旧約聖書」とは呼びません。
地中海一帯を支配していたローマ帝国は、西暦395年、東西に分裂し、
キリスト教も東と西に分れ独自の道を歩み始めます。
東ローマ帝国(別名ビザンチン帝国)では、コンスタンチノーブル
(現イスタンブール)を拠点に国教として発展を遂げ、一方西ローマ帝国では、
バチカンを拠点にローマ法王(イエスの弟子ペトロの後継者)を最高の首長に、
キリスト教会の中心として発展します。
東はギリシャ語園、西はラテン語圏と違いもあり、東西のキリスト教会は
教義の上でも独自性を高めていきます。そして1054年、両者は徹底的に分裂し、
お互いを破門し合い、東は東方正教会(ギリシャ正教会)、
西はローマ・カトリック教会が成立します。
その後、東方正教会は東ローマ帝国の滅亡と共に中心地をモスクワに移します。
西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって滅亡しますが、
アイルランドからの修道士が西ヨーロッパ各地に派遣され、
彼らの支援もありローマカトリックはキリスト教の中心として発展を続けます。
11世紀、イスラム王朝のセルジューク朝によりパレスチナが占領されます。
この時東西ローマ帝国は協力して「聖地奪回」を大義名分に「十字軍」を派遣します。
教会は十字軍の参加によって罪が許されるとした事もあって、
全ヨーロッパで宗教熱が高まります。
初期の十字軍はエルサレムを占領し、パレスチナとシリア地方を侵略し、
キリスト教諸侯国を建設しました。十字軍は計8回派遣されますが、
最終的にはイスラム教徒の反撃により西アジアを追われます。
十字軍による宗教熱の高まりの一方で、東西分裂後のカトリック教会は
組織を固める必要性にかられていました。またヨーロッパの土着信仰は、
一神教であるキリスト教と相容れない面があり、
この為カトリックの教義と離れた信仰を異端と呼んで弾圧する
「異端審問」が頻繁に行われるようになりました。
当時は異端者に対する捕縛・拷問などの刑事的な措置でしたが、
次第に悪魔の助力を受ける行為、つまり「魔女行為」も審判の対象となり、
15世紀中頃には「魔女狩り」が本格化します。
この魔女狩りにより虐殺された人は200万人~数千万人に及ぶとされます。
なお、十字軍も魔女狩りも、現在のカトリック教会は
これを歴史上の誤りであったと認めています。
中世末期、ローマ教皇頂点とする秩序が確立し、教会は土地の所有や税の徴収など、
封建蝋主を超える権力を獲得します。
こうした流れに対して、16世紀初頭「マルティン・ルター」により
ドイツで「宗教改革」が始まります。
教会による「免罪符」(これを購入すると罪が許されるとした)の販売など
教会の腐敗に対し批判して、ルターは教会を破門させられますが、
当時登場した印刷技術によりルターの教説はドイツ諸侯や民衆に広まり支持されます。
ローマ・カトリックにプロテスタント(抗議)した人々をプロテスタントを呼び、
これが元でプロテスタント教会と言われるようになった。
プロテスタント教会は教派により違いはあるが、
「旧約聖書」に聖典としての価値を全く認めない急尾会もあります。
多くの派に分かれていたプロテスタント教会は、
1910年、ローマ・カトリック、東方正教会、及び非キリスト教の諸宗教の代表を
招き、エジンバラで教会の一致が教義されました。
その結果、世界教会協議会(WCC)が誕生し、
エキュメニカル運動(教会一致運動)が推進されることになった。
キリスト教、特にカトリックには様々な慣習や儀式があります。
その背景となっているのが「秘蹟」です。
洗礼式:多くの聖職者は生まれて間もない子供の顔に水をかけ、名前を授けます。
聖体拝領:キリストの肉と血の象徴としてのパンとぶどう酒を与えます。
堅信:信者が聖体拝領の式に出るのを許す事です。
告解:信者が聖職者に犯した過ちを懺悔し、聖職者が許しを与えます。
塗油:病人や死を迎える人達に祈りを唱えながら手をあてます、死に際しては、聖油を塗布する事で死への準備をします。
徐階:司教によって、教会の聖職者の地位を与えられる儀式です。
婚姻:聖職者の手によって教会で行われる。
1993年の集計で約21億人(うちローマ・カトリック10億人、
プロテスタント5億人、東方正教会2.4億人、その他宗教2.75億人)もいます。
他の宗教と比較してもイスラム教徒11億人、ヒンズー教徒10.5億人と、
遥かに超える世界最大の教徒を誇ります。
教派から見る地域的な分布は、カトリックはヨーロッパ全土に広く分布し、
プロテスタントはイギリス及びアメリカに多く、
東方正教会は東地中海沿岸及びロシアに広まっています。
16世紀頃からイギリス、スペイン、フランス、オランダ、ポルトガルが
世界各地に選出し、アフリカ、アメリカ、アジアなどの多くの国を支配し、
植民地として行く過程で、宣教師が派遣され、キリスト教に改修させていった。
キリスト教は紀元1世紀中頃、イエスの教えを元に生まれました。
当時のローマ帝国ではユダヤ教が中心でした。イエス・キリストは元々ユダヤ教徒で、
当時のイエスの活動も「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばれていた。
しかし、イエスは神の言葉を民衆に伝える為に、神から使わされた者で、
民衆と共に苦しみ、同じ場に立って真実の信仰を訴えました。
そのイエスの教えに信仰する民衆が増えてくると、ユダヤ教の僧が
ローマの権力者を動かして弾圧し、イエスは十字架に掛けられてしまいます。
イエスは自分の死を知っていた為、12の弟子を自分の後継者とした。
「キリスト」とは「救世主」の意味で、
「イエス・キリスト=救世主イエス」という意味になります。
ユダヤ人は、紀元前2000年頃からパレスチナ地方に定住し始めた民族で
苦難の道を経て、民族の団結を保つ為に生まれたのがユダヤ教でした。
しかし、パレスチナに対する幾たびかの外国の支配を受ける中で、
ユダヤ人の間では救世主を待望する声が高くなっていました。
キリスト教の経典には、「旧約聖書」と「新約聖書」の二つがあり、
「約」とは神との「契約」という意味です、「旧約聖書」は天地想像の物語から
「救世主」が生まれる直前までの事で、特にユダヤ人について書かれている。
キリスト教はkの「旧約聖書」を元にしながらも、神とイエスとで交わされた
新しい契約、つまり「新約聖書」になり、キリスト教では主に
「新約聖書」を経典としています。
またユダヤ教の経典にはキリスト教を認めていないので、
結果「新約聖書」は認められずユダヤ教の経典は「旧約聖書」とは呼びません。
地中海一帯を支配していたローマ帝国は、西暦395年、東西に分裂し、
キリスト教も東と西に分れ独自の道を歩み始めます。
東ローマ帝国(別名ビザンチン帝国)では、コンスタンチノーブル
(現イスタンブール)を拠点に国教として発展を遂げ、一方西ローマ帝国では、
バチカンを拠点にローマ法王(イエスの弟子ペトロの後継者)を最高の首長に、
キリスト教会の中心として発展します。
東はギリシャ語園、西はラテン語圏と違いもあり、東西のキリスト教会は
教義の上でも独自性を高めていきます。そして1054年、両者は徹底的に分裂し、
お互いを破門し合い、東は東方正教会(ギリシャ正教会)、
西はローマ・カトリック教会が成立します。
その後、東方正教会は東ローマ帝国の滅亡と共に中心地をモスクワに移します。
西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって滅亡しますが、
アイルランドからの修道士が西ヨーロッパ各地に派遣され、
彼らの支援もありローマカトリックはキリスト教の中心として発展を続けます。
11世紀、イスラム王朝のセルジューク朝によりパレスチナが占領されます。
この時東西ローマ帝国は協力して「聖地奪回」を大義名分に「十字軍」を派遣します。
教会は十字軍の参加によって罪が許されるとした事もあって、
全ヨーロッパで宗教熱が高まります。
初期の十字軍はエルサレムを占領し、パレスチナとシリア地方を侵略し、
キリスト教諸侯国を建設しました。十字軍は計8回派遣されますが、
最終的にはイスラム教徒の反撃により西アジアを追われます。
十字軍による宗教熱の高まりの一方で、東西分裂後のカトリック教会は
組織を固める必要性にかられていました。またヨーロッパの土着信仰は、
一神教であるキリスト教と相容れない面があり、
この為カトリックの教義と離れた信仰を異端と呼んで弾圧する
「異端審問」が頻繁に行われるようになりました。
当時は異端者に対する捕縛・拷問などの刑事的な措置でしたが、
次第に悪魔の助力を受ける行為、つまり「魔女行為」も審判の対象となり、
15世紀中頃には「魔女狩り」が本格化します。
この魔女狩りにより虐殺された人は200万人~数千万人に及ぶとされます。
なお、十字軍も魔女狩りも、現在のカトリック教会は
これを歴史上の誤りであったと認めています。
中世末期、ローマ教皇頂点とする秩序が確立し、教会は土地の所有や税の徴収など、
封建蝋主を超える権力を獲得します。
こうした流れに対して、16世紀初頭「マルティン・ルター」により
ドイツで「宗教改革」が始まります。
教会による「免罪符」(これを購入すると罪が許されるとした)の販売など
教会の腐敗に対し批判して、ルターは教会を破門させられますが、
当時登場した印刷技術によりルターの教説はドイツ諸侯や民衆に広まり支持されます。
ローマ・カトリックにプロテスタント(抗議)した人々をプロテスタントを呼び、
これが元でプロテスタント教会と言われるようになった。
プロテスタント教会は教派により違いはあるが、
「旧約聖書」に聖典としての価値を全く認めない急尾会もあります。
多くの派に分かれていたプロテスタント教会は、
1910年、ローマ・カトリック、東方正教会、及び非キリスト教の諸宗教の代表を
招き、エジンバラで教会の一致が教義されました。
その結果、世界教会協議会(WCC)が誕生し、
エキュメニカル運動(教会一致運動)が推進されることになった。
キリスト教、特にカトリックには様々な慣習や儀式があります。
その背景となっているのが「秘蹟」です。
洗礼式:多くの聖職者は生まれて間もない子供の顔に水をかけ、名前を授けます。
聖体拝領:キリストの肉と血の象徴としてのパンとぶどう酒を与えます。
堅信:信者が聖体拝領の式に出るのを許す事です。
告解:信者が聖職者に犯した過ちを懺悔し、聖職者が許しを与えます。
塗油:病人や死を迎える人達に祈りを唱えながら手をあてます、死に際しては、聖油を塗布する事で死への準備をします。
徐階:司教によって、教会の聖職者の地位を与えられる儀式です。
婚姻:聖職者の手によって教会で行われる。
自国にはそれにまつわる神話が本来つきものなんですよね。