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無分別な熱心を警戒すべきこと

2023-04-20 00:04:14 | 格言・みことば
無分別な熱心を警戒すべきこと

5 無分別な熱心の弊害

 さて、これまで、眠りこけている人をめざめさせ、途中で立ち止まって道草を食っている人を突進させるつもりで述べてきましたが、これを勘ちがいして、無分別な熱心という反対の極端に走れという意味にとらないでください。いろいろの霊的な病気には、なまぬるさのような冷えがもとでかかるとはかぎらず、度を越した熱心のような熱がもとでもかかるからです。「道理にかなった礼拝」をささげるように、と聖パウロは言っています。つまり聖パウロは、「主こそ判断する力-分別-を愛する王」と詩編作者の歌ったこと、また「あなたは、自分の供えもののすべてを塩で味をつけなければならない」とレビ記にあらかじめ命ぜられたことが真実である、とわかっていたのです。まったくベルナルドも言うとおり、敵〔なる悪魔〕は、人の心から真の愛徳を奪い取るのに、霊的な良識によらず軽はずみに愛徳を行なわせることほど、かかりやすいわなを持ち合わせないのです。「なにごとにも度を過ごさぬこと」という哲学者の戒めば、万事につけて守られなければなりません。伝道の書に「あまりに正しすぎてはならない」とあるように、正義そのものにおいても守られなければなりません。この節度を保たなければ、善は悪に、善徳は悪徳に変わってしまい、このような歩き方をしている人には全然そのつもりはなくても、多くの弊害を招きます。

 まず第一に、この人は長く神に奉仕することができなくなります。ちょうど、〔長旅に乗って出た〕馬が道のりの初めのうちに疲れすぎてしまうと、目的地までたどり着けなくなることがあるように、ほかの人々がこの人の世話をしなければならなくなります。

 第二に、このように、あまりにもあわただしく獲得したものが長つづきすることは、まずありえません。〔聖書も言うとおり〕「一挙にもうけた財産は減ってしまう」ものです。減ってゆくだけならまだしも、「足を急がす人はけつまずく」とあるように、ころぶことにもなりかねません。そして、階段の上のほうでころんだらさいご、下まで止まらないのですから、高い所から落ちれば落ちるほど、その危険も大きいのです。

 第三に、このような人は、自分を船にたとえれば、船荷を積みすぎる危険を避けるよう気をつけないことになります。空荷で航海するのは誘惑に押し流されてしまうので危険ですが、沈没しかねないほど積みすぎるのは、もっと危険です。

 第四に、古い人を十字架につけようとするあまり、新しい人まで十字架につけてしまい、衰弱して徳を実践することができなくならないともかぎりません。そして、ベルナルドによれば、この行き過ぎによって、四つのことが奪い去られます。つまり、行き過ぎは「身体に及ぶ善業の効果、心の愛情、隣人に示すべき模範、神に帰すべき誉れを奪ってしまう」のです。ですから、このように神の生きた聖殿〔である肉体〕を虐待する人は汚聖の罪を犯す人である、と言えます。ここでベルナルドが「隣人に示すべき模範を奪う」と言っているのは、一人がころべば、つまずきとなり、他の人々をもつまずかせることになるからです。〔その理由から〕同じベルナルドは、このように極端な人を「一致の破壊者、平和の敵」と呼んでいます。ある人のつまずきの例は大勢の人を恐れさせ、かれらの霊的進歩を妨げてなまぬるくさせてしまいます。そして自分自身はといえば、高慢と虚栄の危険にひんしています。つまり、自分以外のどんな人の判断よりも自己判断を重視するか、少なくとも自分にない権利を主張して、正しくは上長がそうあるべきなのに、みずから自分にかかわることの判定者となってしまうのです。

 こうした弊害をぬきにしても、まだ他の不都合も起きてきます。たとえば、まるでサウロのよろい・かぶとを着けたダビデのように、使いこなせない武具で身を固めたり、あばれ馬にくつわもかけずに、やたらに拍車をかけているようなことになったりします。それで、この点について徳の実践がいずれの極端にも片寄らないよう、節度を保つ分別が必要となります。ベルナルドもさとしているように、「善意は必ずしもいつでも信用してよいわけではなく、むしろ抑制し、制御しなければなりません。ことに初心者の場合はそうです」。他の人に親切であろうとする人は、自分自身に不親切であってはならないからです。「自分にさえ堅苦しい人が(シラ14:5)、だれに親切でありえましょうか」。

聖イグナチオ・ロヨラ 「コインブラのイエズス会士への書簡」1547年5月7日






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