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志村辰弥神父著『召命について ー わたしの体験』、5

2016-07-30 10:19:40 | 召命
志村辰弥神父著『召命について ー わたしの体験』

◆5、回心

 こうして二・三日が過ぎた。心臓がおちつくと食事も少しは取れるようになった。最年配の従兄は、わたしの心を察してか、「気分がよかったら、これでも読んで見ないか」と「真理の本源」を枕元へおいた。この本は、パリー外国宣教会のドロワール・ド・レゼー師が出した当時の唯一の護教書である。わたしは早速ひもといて読みはじめた。緒言を見ると、

 「わたしが祖国や家族を離れて日本へ来たのは、わたしの信じるところを皆さんに伝えて、共に生き甲憂のある人生を辿りたいと思う一念からです。わたしが述べることに納得できるなら、真剣に考えて見てください」。

という意味のことばがあった。

 ドロワール・ド・レゼー師は、フランスのベルサイユに生まれ、パリー外国宣教会の神学校を卒業して、明治六年(一八七三年)日本へ渡来し、各地で布教したのち、晩年は御殿場の神山ライ病院へ引退して、八十二才でこの世を去った。貴族の出身で学問の造詣が深く、弁舌もたくみで、当時の優秀な宣教師だった。わたしはなんの縁か知らぬが、同師から洗礼を受けた関係上、父から師の話を聞いて尊敬していた。「死に臨める人の言やよし」という句があるが、生涯をかけて、ひとすじに信仰に生きた人の言葉には、かならず聞くべきものがあると思った。

 師はまず、神の存在から論旨を進めている。これこそわたしが長年悩み苦しんだ問題であるので、かれがそれをどう説明するか、わたしの運命はそれにかかっていると言ってもよい。それだけに、大きな期待をもって読みはじめた。師は、「結果があれば、それにふさわしい原因がかならずなければならぬ」という因果律を基礎にして、宇宙の発生、その驚くべき秩序と法則、生物の発生、人聞の良心と道徳感など、色々と証明や実例をもって説明している。殊に神の存在とその本性については、全く反論の余地がない論証である。

 わたしはこれに全く承服されて、頭をさげざるを得なかった。そして、自分がいかに無知でおろかであったか、また傲慢で軽薄であるかを悟った。次に、霊の世界があることに醒め、人間に霊魂かあることによって、来世の問題も難なく解決した。さらに、キリストによる救いの問題であるが、これは「真理の本源」の続編で詳しく説明され、予言と奇跡によって認められることが証明されている。

 こうして、噺話しのように笑っていた聖書は、神の啓示による記録であることが認められるようになった。わたしは、暇にまかせて、繰返し繰返し熟読した。そして、宣教師たちが、祖国を離れ、生涯をかけてキリストのみ教えを宣べている信念を理解することができた。それからというものは、過去の生活を改め、ひたすら神に従って生きようとする心に燃えて、よく祈り、黙想し、現在の不幸を神の戒めとして甘受する心構えができた。これは、わたしの人生における一大転換であった。

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