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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 18

2017-03-26 07:02:01 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 18

「天国に行ったら、この地上に、ばらの花の雨を降らせましょう。救われなければならない人がいるかぎり、わたしは、天国で休むことができません」

 これは、聖女が亡くなるまえにいった言葉でした。はたして、テレジアの名は、帰天後全世界に知れわたり、かぞえきれないほどの恵みが、そのとりつぎで地上をうるおしました。まるで天から降ってくるばらの花のゆたかな雨のように。

 おお、しあわせな聖テレジアよ、あなたのご保護にゆだねられた日本の教会とこの国のすべての人々に、あなたのばらの花を降らせてください。イエズスヘの愛と忠実のあの花を!

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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17

2017-03-23 05:34:01 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17

 すべてに越えて神を愛する。その愛のために人々を愛し、その救いを願って生涯をささげつくした小さな聖女テレジアは、地上で多く苦しみました。しかし、まもなく神は、かの女に大きな光栄を与えはじめました。

 その光栄も人々の救いになり、かの女の著書自叙伝は、まもなく印刷され、世界じゅうの言葉にほん訳されました。この書を通じてテレジアは、なんと多くの人々に天国に行くための、やさしい道を示したことでしょう。それだけではありません。生きている間は、なんの寄島もなかったのに、かの女のとりつぎで、たくさんの奇跡が行なわれはじめました。

 まもなく、列福、そして次に列聖調査がすすめられました。1925年5月17日教皇ピオ11世は、荘厳な式をもって、テレジアを聖人と宣言し、その英雄的な善徳の模範を全世界に示しました。教皇は、こういっています、「幼ないイエズスの小さなテレジアは、天から降ってきた愛の花です。これをみて、天も地も感激します」と。

 人々の救いに一生涯をささげたテレジアは、布教地の保護者とし宣言されました。このために日本では聖女の祝日を荘厳に祝うことになりました。それは10月1日です。そのとき司祭は、ミサの集会祈願で、こういいます、「聖テレジアが示した信頼の道をわたしたちもあゆみ、聖女のとりつぎに支えられて栄光のいのちにあずかることができますように、わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン」と。
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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16

2017-03-22 13:21:06 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16

 テレジアの父が病気になりました。誓願式の時には、式にもあずかれないほど重くなっていました。こうして、6年の闘病生活に耐えた父は、1894年、セリーヌの看病をうけて聖人のような死をとげました。世間にとどまる必要のなくなったセリーヌも、2か月後にカルメルへ移り、すべてをイエズスにささげました。

 父が亡くなった同じ年、テレジアののどは、激しい炎症をおこして痛みはじめました。つとめを怠らず耐えてきた2年目の聖木曜日のことです。ご聖体のまえでひと晩じゅう徹夜する許可を願いました。しかし、許されたのは12時まで。さて、個室に帰って頭を枕につけると、とつぜんテレジアは、天からの呼び出しをうけたように思いました。次の朝、くちを拭いたはんかちを見ると、はたして、大出血だったのです。わたしも近いうちにイエズスの所に行けると思うと、テレジアの喜びは大きくなっていきます。

 それからは、シスターたちに暖かく見守られて暮す日々でしたが、ある晴れた日、車椅子に乗せてもらって、ひさしぶりに庭に出ました。ここで、テレジアは、自叙伝の最後の個所を書いたのです。その後は、病室に移って3か月のあいだ一度も起きれません。テレジアは、苦しみを英雄的な忍耐と愛で罪人の救いにささげました。それにしても精神的な悩みは、さらに苦しいのです。3か月間吐き気に悩まされ、聖体拝領はやっと2回きりです。医者の手当も甲斐なく、人間的にはどうすることもできなくなりました。こんな時でさえテレジアは、一つの詩をつくりました。

「愛のために死ねるとは、ああ、なんとすてきな殉教! わたしは、この殉教で死にたい。おお、やさしいみ主よ、わたしの島流しが終わろうとしています、わたしの夢を、愛のために死ぬこの夢を実現させてください」

 1897年9月30日のタべ、十字架のイエズスをみつめながら、かすかな声でいいました、「おお、わたしは愛します。わたしの神よ・・・わたしは・・・あなたを・・・愛します」

 最後のかがやく表情で!
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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 15

2017-03-21 11:48:12 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 15

 ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。

 修道院のシスターには、各人に当番があります。最初の一年目の当番はテレジアのため洗濯がかり、次の二年間は食堂がかり(食卓の準備と皿洗い)、そして次に香部屋がかりになりました。これこそ、いちばん楽しい当番です。テレジアは、天使の自分にもあまるほどの任務と思い、その光栄を喜びました。

 祭器を準備しながら、「おん血になって、ここにおはいりになるイエズスさま、このなかにわたしの愛をみつけてください」と考えます。祭壇の花を準備するときも、花にいいました、「ねえ、ご聖体のイエズスさまのおそはで、主を賛美するのですよ」と。でも白いゆりには、「イエズスさまに伝えてね、わたしを、あなたのように清くしてくださいって」。赤いばらには、「わたしの心も、愛にもえていると申しあげてね」。そして菊にもいいました、「悲しげな菊の花さん、イエズスのように人々の救いのためにたくさん苦しみたいのよ、わたしの気もちを伝えてね」と。

 人の注意をひかないで、かくれていたいと望んでいるのに、シスターはみんなテレジアに感嘆しました。ある日、院長は考えました。《テレジアの受けている恵みを知ったら、どんなに多くの人が聖徳のはげみを得るでしょう》それで命令を与えました。

「幼ない時からの思い出をみんなノートに書きなさい」

「まあ、院長さま、ご冗談を」、テレジアは笑いだしました。

「いいえ、冗談ではありません。従順による命令ですよ」と院長。

 テレジアが入会する時まで書いたころ、院長がかわりました。新しい院長も読んで感心し、あとを続けるように命じます。こうして、有名な聖女テレジアの「自叙伝」ができました。日本語にもほん訳されました。その一つは、「小さな聖テレジアの自叙伝」という題で、東京ドン・ボスコ社にあります。
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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

2017-03-20 03:05:09 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

 誓願をたてて完全に自分をイエズスにささげる準備は、修練長の指導に従うことです。テレジアは、そのとおりに実行しました。修練長はひじょうに喜びました。修練期はふつう一年ですが、教会のきめた年令になっていなかったので、テレジアには、20か月もありました。それが、これほどの大きな試練の日々になろうとは! テレジアの心を悩ませる思いが、つぎつぎと心に浮んでくるからです。

「わたしは、あんなにイエズスさまにささけたのに、イエズスさまのほうでは、わたしを捨てておしまいになったのでは?」

 こう考えないでいられないほど虚しい感情が心のどこからか、にじみ出てきます。もちろん、イエズスはテレジアをお捨てになりません。ただ、霊的楽しみからさえ清められた、ぎせいと離脱の真の愛をテレジアに求められただけでした。ついに試練はおわって、嵐のあとの光と平和のうちにテレジアは、誓願をたてました。それは、1890年7月8日で、はじめから荘厳な無期請願だったのです。テレジアが選んだ修道名は、幼ないイエズスのテレジア。聖母のご保護のもとで今はまったくイエズスの花よめです。習慣どおりその日一日じゅう、はらのかんむりを、かぶっていました。夕方、庭に出て星を眺め、テレジアは、思いだしています、空にTの字をみつけた日のことです、「きょうこそ、わたしの名が決定的に天にかかれた。イエズスさまの花よめになったのだから」と心にいいました。

 たしかにテレジアは、聖人になったのです。修道院に入って帰天するまでは、7年間の短かい期間でした。かの女は、大きな苦業も、ぎせいも、人をあっといわせる事柄も、たてませんでした。でも、その生活は、愛とぎせい! あるときは、長いあいだ病気のシスターの世話をしました。その人は、病気で気むずかしくなり、すべてが不満で、親切さえ気にさわるという人でした。ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。
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