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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』 序

2016-07-10 05:26:45 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

 宗教革命の根本的原因は何か、プロテスタントの運動をおこしたルーテルの人格と活躍、その教説とは何か、また現代のプロテスタントの主張は何か、そしてこれに対するカトリックの主張は何かを、わかりやすく説明してあります。

◆ 著者略歴

 志村辰弥1904年誕生、1933司祭叙階、1934年ローマ・ウルバノ神学大学卒業 主著「ルルドの出来事」「聖地巡礼2週間」「この事実を何と見る(神と霊界との探求)」「聖書による予言と奇跡」上記の姉妹編「命をたいせつに」「カトリック生活の手引」現在(投稿者注 この著書の発刊時)東京カテドラル大聖堂勤務 司祭のマリア運動会員 ブルー・ア一ミー(反共世界平和連動)

◆ 宗教革命の原因

 宗教革命の根本的原因は、人文主義の発生にあります。人文主義とは、神中心の世界観から人間中心の世界観に移行した思想系体であります。中世紀までは、神が宇宙の支配者であり、万物は神の光栄のために作られたのであるから、人間も神の計画に従って奉仕しなければならないという人生観か支配していました。

 ところが、時代の変遷により、政治の圧迫や不平等による社会苦が原因だと思いますが、人々は自分自身に眼を向けて、「人間とは、何であるか?生き甲斐のある生活とは、何であるか?」を考え、各自がもって生まれた能力をできるだけ発揮して幸福を求める風潮が起ってきたのです。そして、人間のあり方についての研究、金を儲けることや安楽な生活を送ることが至上目的のように考えられたのです。この思想に動かされて文芸復興がはじまりました。

 こうして哲学に文学に芸術に政治経済にすばらしい発展をとげ、十五、六、七世紀にかけて絢爛たる文化を築きあげました。宗教革命も、その波に乗って、神中心主義から脱皮して人間中心主義に変わる運動と考えたらよいでしょう。
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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、1

2016-07-10 05:24:42 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆1、神中心主義の解体

 神中心主義は、普遍主義、客観主義、聖職者主義として中世期の社会に根を張っていました。ところが十二世紀頃から、教皇と皇帝との争いによって、その思想が徐々に崩れ、その影響が各方面に現われてきました。

 まず政治の領域を見ますと、国家意識が目覚め、国民国家への形成が進められました。それが表面に現われたのは、仏王フィリップが教会財産と聖職者所領に課税を要求して、教皇ボニファチオに対抗し、教皇をアナー二で捕えて幽閉したことです。そして、教皇ボニファチオの死後、フィリップは自国のボルドー大司教を次代教皇(クレメンス五世)に戴冠させてアビニョンに住まわせました。こうして、教皇グレゴリオ十一世がローマへ帰還するまで(1205年ー1378年まで)、七十年間、教皇庁はフランスの配下におかれ、教皇の首権は全く地に落ちました。

 この事件は、内外に大きな影響を与えました。地元ローマは無秩序の状態となり、地方の諸候や都市は教皇の支配を離れて独立しました。そして他の国々においても、教皇の政治力、教皇領に対する世俗的支配力が強くなりました。それがために教会は、運営困難に陥り、聖職売買(金で高職を与えること)、派閥や親族関係で高職に任ずることが行なわれて、行政制度が乱れ、非難の声が高くなりました。

 一方、財産をもつ聖職者たちは、上からの監督がないままに、聖務をないがしろにして、遊興に耽るという有様でした。
 
 市民の宗教生活は、指導の基盤がゆらぎだしたので、宗教行事には形式的に参加しながらも、主観的、個人的な自己判断に捕らわれて、現世主義・享楽主義に傾いていきました。

 社会運動としては、民主主義の理念が次第に高まって、自由平等を叫ぶプロレタリア運動が始まりました。

 以上のような理由で、教会の内外から改革刷新の声がおこってきましたが、教会側としては、手の打ちようがなく、事態をなり行きにまかせるほか、仕方ありませんでした。
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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、2

2016-07-10 05:22:25 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆2、革命の兆し

 こうした状況のもとに、改革の火の手があかりました。それは、ウィクリフとフスです。ウィクリフ(1384年没)は、司祭で、オックスフォード大学の教授国家主義をとなえて、国家は教会をさばく権利があると主張しました。そして、教会の唯一の首長はキリストであるから、教皇は不必要、また、人は天国か地獄のいずれかに予定されているから、修道生活や告白はいらない、聖像や聖画の崇敬は迷信だというのです。

 フス(1415年没)は、ボヘミアの出身で司祭となり、プラーグ大学の学長を勤めていました。ウィクリフの説を擁護し、討論会、説教に、その雄弁をもって多くの共鳴者を得ました。かれは、教会の悲しむべき事態について、教会とその中に働く聖職者たち、教皇職と教皇個人とを混同して、個人を攻撃せず、教会や教皇権を非難しました。かれの生活は厳正で、教会の成聖を望み、受刑に際しても、熱心に祈りつづけた姿が人々に感動を与えました。それで、プラーグ大学はかれを国民的英雄、聖人とあがめ、その祝日や記念碑を設けたほどであります。

 オッカム(1347年没)は、フランシスコ会修士で、哲学者、神学者、唯名論者です。かれは、「すべての思考の基礎になる普遍的概念はむなしい記号にすぎない、だから物事は信仰によって真と認めることができるし、理性によって反対することもできる」と主張しました。

 ルーテルは、この学派に属していたので、信仰の砦となる哲学を無用の長物と決めつけて、信仰一筋を主張したのは、当然であります。
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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、3

2016-07-10 05:18:42 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆3、ルーテルの生涯

 マルチン・ルーテルは、1483年11月10日、冶金工を父として、アイスレーベンに生まれました。成長してエルフルト大学に学び、1505年博士号を取得しました。父の希望によって、法律を専攻しました。

 ルーテルは、この勉強をはじめてから二か月後急にやめ、1505年7月17日にエルフルトのアウグスチノ修道会へ入会しました。なぜそうしたかその動機については、同年7月2日に落雷に会い、「もし命が助かるなら、修道者になります」と誓ったからだと一般に伝えられています。しかし、この動機をルーテルの当時の先生ドゥングルシャイムは、みとめません。ルーテルは、別の理由で命がたすかるために入会したのだといいます。それは、こうです。つまり、ルーテルはひとりの学友を決闘で殺した犯罪で、命があぶなくなったのでした。あの当時の習慣では、どんな犯罪者でも教会や修道院に避難すれば、法律の手にかからなかった(つまり、逮捕されなかった)ので、ルーテルは、修道会に急に入会したわけです。

 ルーテル自身、数年後、もう逮捕の心配がなくなったとき、二つの説教のなかで、目分が殺害者だったこと、逮捕をさけるために修道者となったことを話したことがあります。しかし、ドイツ語での説教なのに、一般の人にわからないように、そのことをラテン語でいいました。ルーテルはまた、自己弁解のために「教会への避難権論」という小冊子も書きましたが、ふしぎにも今までのすべてのルーテル研究者がこの小冊子を無視したのです。

 これらのことは、最近(1983年)ディトリッヒ・エンメ氏の研究で発表され、大きな波紋をおこしました。
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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、4

2016-07-10 05:17:07 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆4、ルーテルの生涯

 こうして修道会へ入会したルーテルは、その翌年(1506年)を誓願を立て、1507年4月3日司祭に叙階されました。それから、ウィッテンベルク大学をふり出しに哲学、神学を講じ、ローマに派遣され、1515年には地方代理として修道院を監督する地位につきました。かれは、すぐれた才能に恵まれていたばかりでなく、熱心な信仰をもっていたので、当時の教会の堕落をみて不満に思っていました。その頃から、自分の召命について疑問を持ち、また深い情欲のとりこになって、罪に対する内的恐怖を覚えるようになり、この苦悶を解決するためにあらゆる努力を払いました。そして、人文主義やアウグスチノの恩恵論、ベルナルド、ボナヴェントゥラなどの神秘神学の影響を受けて、かれ独特の新しい神学を提唱しはじめました。

 それによると、「人間の本性は、洗礼後もただ罪を犯すことのほかは何もできないほど堕落している。情欲は克服できず、人間の意志はこれに対してもはや自由ではなく、救霊のためのすべての闘争は無益である。義化(神のみ前に正しいものとされること)は、キリストの十字架上の死の功徳への信理よる信頼のみにある。情欲は洗礼後も残り、原罪の本質をなすから、義化は罪の絶滅、霊魂の浄化と更新ではなく、もっぱらキリストの正義によって罪が見のがされることであって、むしろ義認というべきである」というのです。

 そしてこれを論証するために、ローマ書1・!7「義人は信仰によって生きる」などを引用して、「人は信仰によって義とされる」ということばを「信仰によってのみ」と強調しました。
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