『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、23
「聖霊のマイク」として自分を使ってくださった神に、ウゴ神父は、どんなに感謝しても、したりないほどでした。
病床の彼は、このようにいうことができました、
「私は、聖母マリアの特権を守りました」と。
また彼は、「神のおん母型マリア、私のためにお祈りください」と、取りつぎを願ってから、聖パウロの言葉を借りて言いました。
「私は、良い戦いを戦い、走るべき道のりを走り尽くし、信仰を守った。既に、私の為に正義の冠が具えられている。正しい審判者である神は、それを私にくださるであろう。ただ、私だけではなく、その現われを愛したすべての人々に」(ティモテオ後4、7-8)と。
病気は長びき、3か月もの苦しみの果てに、教皇さまからの特別な祝福を受けて後、1969年1月22日に帰天しました。当年70歳でした。
弟のフェデリコ・ラッタンツィ神父にあてた電報のなかで、教皇パウロ6世は、ウゴ神父のために祈りと、祝福をおくり、彼のことを、「教会の忠実なしもべ」と讃えました。これこそ、ウゴ神父最大の特長といわねばなりません!神の真理と愛にその身を完全に燃やし尽くした、何と偉大な、そして、幸いな生涯でしょう!
(写真:ウゴ神父の葬式。正面にひざまずいているのは、弟のフェデリコと、ふたりの姉妹たち)
「聖霊のマイク」として自分を使ってくださった神に、ウゴ神父は、どんなに感謝しても、したりないほどでした。
病床の彼は、このようにいうことができました、
「私は、聖母マリアの特権を守りました」と。
また彼は、「神のおん母型マリア、私のためにお祈りください」と、取りつぎを願ってから、聖パウロの言葉を借りて言いました。
「私は、良い戦いを戦い、走るべき道のりを走り尽くし、信仰を守った。既に、私の為に正義の冠が具えられている。正しい審判者である神は、それを私にくださるであろう。ただ、私だけではなく、その現われを愛したすべての人々に」(ティモテオ後4、7-8)と。
病気は長びき、3か月もの苦しみの果てに、教皇さまからの特別な祝福を受けて後、1969年1月22日に帰天しました。当年70歳でした。
弟のフェデリコ・ラッタンツィ神父にあてた電報のなかで、教皇パウロ6世は、ウゴ神父のために祈りと、祝福をおくり、彼のことを、「教会の忠実なしもべ」と讃えました。これこそ、ウゴ神父最大の特長といわねばなりません!神の真理と愛にその身を完全に燃やし尽くした、何と偉大な、そして、幸いな生涯でしょう!
(写真:ウゴ神父の葬式。正面にひざまずいているのは、弟のフェデリコと、ふたりの姉妹たち)