日テレの『スッキリ!』で
MCの加藤さんも、
「やめてまえ」が関西人にとって
暴言かどうかは微妙だと仰っていましたが、
実は昨日も、そのことで
関西人たちと話題になりました。
関西人の方言、
関西弁の言語感覚や言語感性は、
他の地方の方の感性とは、
少し違うところもありまして、
関西人同士やと、
「やめてまえ!」と言われたら、
「やめへんわ!」と言い返せる(笑)。
し、
言う側は、そう返ってくる
(突っ込まれる・言われる)ことを
期待してボケとして言っていたりします。
「やめへんのかい!」と続いて、
皆で笑う、までのストーリーがあったりね。
ボケとツッコミを理解していないと、
MCの加藤さんも、
「やめてまえ」が関西人にとって
暴言かどうかは微妙だと仰っていましたが、
実は昨日も、そのことで
関西人たちと話題になりました。
関西人の方言、
関西弁の言語感覚や言語感性は、
他の地方の方の感性とは、
少し違うところもありまして、
関西人同士やと、
「やめてまえ!」と言われたら、
「やめへんわ!」と言い返せる(笑)。
し、
言う側は、そう返ってくる
(突っ込まれる・言われる)ことを
期待してボケとして言っていたりします。
「やめへんのかい!」と続いて、
皆で笑う、までのストーリーがあったりね。
ボケとツッコミを理解していないと、
そこんところはツラいな~。
「辞表書く?」のほうがキツくて
何のボケもないわ。。。
「すみません」(ショボン)ってなる。
「書かへんわ!」とは言えない。。。
ま、関係性の問題と、言い方、
立場の違い、年代にも違い、時代の許容度、
言われた方の受けとり方、場の空気、雰囲気、
さまざまに考慮が必要ですが。
考慮しすぎて、
方言としての関西弁、関西弁の感性が無くなるのも寂しいな。
かつて、研修で訪れた
和歌山で年配の部下が「すまんの」って謝るのが
通じていなくて
軽んじられてると落ち込んでいた
若い官僚の管理職がいたのを思い出す。
「申し訳ございません」と謝るもんだという
その人にとっての「常識」や「べき」があったけど、
実は、和歌山の人にとっては『申し訳ありません』と標準語で言うときよりも
心がこもっているときに言う言葉だと、
聴いて理解したと。
お互いに理解することって大事だよね。
(注!)
この記事は、方言としての単に言語感性の話で、
その場面で、その立場の人が言うことが
適切かどうかといういう話題ではありません。
また、「暴言」の定義の話題でもありません。
「辞表書く?」のほうがキツくて
何のボケもないわ。。。
「すみません」(ショボン)ってなる。
「書かへんわ!」とは言えない。。。
ま、関係性の問題と、言い方、
立場の違い、年代にも違い、時代の許容度、
言われた方の受けとり方、場の空気、雰囲気、
さまざまに考慮が必要ですが。
考慮しすぎて、
方言としての関西弁、関西弁の感性が無くなるのも寂しいな。
かつて、研修で訪れた
和歌山で年配の部下が「すまんの」って謝るのが
通じていなくて
軽んじられてると落ち込んでいた
若い官僚の管理職がいたのを思い出す。
「申し訳ございません」と謝るもんだという
その人にとっての「常識」や「べき」があったけど、
実は、和歌山の人にとっては『申し訳ありません』と標準語で言うときよりも
心がこもっているときに言う言葉だと、
聴いて理解したと。
お互いに理解することって大事だよね。
(注!)
この記事は、方言としての単に言語感性の話で、
その場面で、その立場の人が言うことが
適切かどうかといういう話題ではありません。
また、「暴言」の定義の話題でもありません。