
東京滞在中、対照的な2つの建築に触れてきました。
1つは日本が世界に誇る建築家 安藤忠雄氏設計の「表参道ヒルズ」、
文句無しでしょう。
....いや、あちこちに微妙な段差があったのは気になったかな?
もう1つは大田区にある「昭和のくらし博物館」。
ここは日本の家具の歴史研究家でもある小泉和子さんが館長を勤めています。
昭和のくらし博物館は小泉さん一家が実際に暮らしていました、
言ってみれば「旧小泉邸」です。
戦争による焼け野原の中で1950年(昭和25年)から始まった政府の住宅政策により
翌1951年に 建築家 小泉孝さん(和子さんのお父さん)が設計されました。
建築資材不足の為、工事費や建物の面積にも規制があった様で
規模は想像よりもだいぶ小さかったです。

私がこの小さな博物館を訪れたとき「小泉家に残る戦争展」と題した
太平洋戦争についての展示と関連イベントが行われていました。
「赤紙」と言われた召集令状や アメリカに宣戦布告した当時の新聞など
非常に興味深く拝見してきました。
以下は昭和のくらし博物館のHPに出ている館長小泉和子さんの挨拶文です。
最近の政府の危険な動きについては、みなさんも気付いていらっしゃるでしょう。
北朝鮮のミサイル実験に対し、タカ派の要人が、
「口実を作ってくれてありがたい」といったとか。驚くべき発言です。
今の自民党は、かの自民党安全保障調査会長の山崎拓氏さえもが
「戦争の恐ろしさについての感覚が非常に鈍っている」
「我々がいったん放棄した“軍事力を背景とした外交をやるべきだ”
という考え方が目立ちはじめている」と懸念している状況です。
靖国神社も「あの戦争は正しかった」と平然と言ってはばかりません。
東京都は、歴史を彎曲した教科書を押しつけようと躍起になっています。
今後、戦争反対の動きにどんどん締め付けがきつくなっていくことは目に見えています。
こうしたことは、新聞やニュースでみんな気がついていることですが、
それ以上のことは、「はっきりわからない」、
「それがどういう筋道を経て私たちにところにくるのかつかめない」、
「そうだとしてではどうしたらいいかわからない」というのが多くの人でしょう。
また若い人にとっては、戦争というものは遠い世界の出来事でしかないのかも知れません。
すでに両親からして戦争を体験していない世代が多くなってきているのですから、
無理ないことかも知れません。
たしかに暗くて、楽しくもない戦争のことなんか考えたくもないというのも
わからないではありません。
でもそんなことは言っていられないのです。
政府が決めて、憲法を改正して、徴兵制を敷いたら、嫌も応もなく、
「戦争」に押しやられてしまうのです。
税金は高くなり、日々の生活は苦しくなり、自由な考え方は許されなくなり、
男も女も軍隊に徴発され、命さえ脅かされる苦悶の日々がやってきてしまうのです。
戦争がやってくるのは津波より早いのです。
そして津波のようにすべてを巻き込んで壊滅させてしまいます。
助かるのはあらかじめ知っていて高台に逃げていた政府要人や高級軍人たちだけなのです。
みんなで戦争について勉強して、
どうしたら戦争に引き込まれないかを考えなくてはなりません。
そうしないと取り返しのつかないことになってしまいます。
敗戦から61年目の2006年8月
昭和のくらし博物館 館長 小泉和子
そして今日、日本の首相が 靖国神社の参拝をしました。
ポスト小泉と言われる政治家のおじいさんが
東京軍事裁判の戦犯者であることも最近知った様な、
本当に何も知らない私の様な立場でモノを言うべきではないのかもしれませんが
また、これについては大変複雑な時代背景、政治政略もあるかとは思いますが
「日本の首相が靖国神社に参拝することに賛成か、反対か」という
シンプルな問題として聞かれれば私は断固「反対」です。
今を生きる私達は 歴史を出来るだけ冷静に客観的に正確に理解し、それに学び、
これからに活かさなければなりません。
何時の時代も一部の人間による政治と宗教に翻弄され続けてきた戦争に、
「正しい戦争」などあったのでしょうか?
一国の首相の様な 外交をしていく代表者が
同じアジアの人々の気持ちを何故無視出来るのでしょうか?
そしてTVやWebのアンケートで「首相の靖国参拝に反対」という意見が
実は少数派であることを知りました。
私にとってこれは予期せぬ結果。
あるアンケート結果では 主に20代30代で賛成派が半数以上を占めています。
理由を聞けば「中国の言うこと(靖国参拝反対)を受け入れたらナメラレルから」
....一体どうなるのでしょうか、これからの日本。
1つは日本が世界に誇る建築家 安藤忠雄氏設計の「表参道ヒルズ」、
文句無しでしょう。
....いや、あちこちに微妙な段差があったのは気になったかな?
もう1つは大田区にある「昭和のくらし博物館」。
ここは日本の家具の歴史研究家でもある小泉和子さんが館長を勤めています。
昭和のくらし博物館は小泉さん一家が実際に暮らしていました、
言ってみれば「旧小泉邸」です。
戦争による焼け野原の中で1950年(昭和25年)から始まった政府の住宅政策により
翌1951年に 建築家 小泉孝さん(和子さんのお父さん)が設計されました。
建築資材不足の為、工事費や建物の面積にも規制があった様で
規模は想像よりもだいぶ小さかったです。

私がこの小さな博物館を訪れたとき「小泉家に残る戦争展」と題した
太平洋戦争についての展示と関連イベントが行われていました。
「赤紙」と言われた召集令状や アメリカに宣戦布告した当時の新聞など
非常に興味深く拝見してきました。
以下は昭和のくらし博物館のHPに出ている館長小泉和子さんの挨拶文です。
最近の政府の危険な動きについては、みなさんも気付いていらっしゃるでしょう。
北朝鮮のミサイル実験に対し、タカ派の要人が、
「口実を作ってくれてありがたい」といったとか。驚くべき発言です。
今の自民党は、かの自民党安全保障調査会長の山崎拓氏さえもが
「戦争の恐ろしさについての感覚が非常に鈍っている」
「我々がいったん放棄した“軍事力を背景とした外交をやるべきだ”
という考え方が目立ちはじめている」と懸念している状況です。
靖国神社も「あの戦争は正しかった」と平然と言ってはばかりません。
東京都は、歴史を彎曲した教科書を押しつけようと躍起になっています。
今後、戦争反対の動きにどんどん締め付けがきつくなっていくことは目に見えています。
こうしたことは、新聞やニュースでみんな気がついていることですが、
それ以上のことは、「はっきりわからない」、
「それがどういう筋道を経て私たちにところにくるのかつかめない」、
「そうだとしてではどうしたらいいかわからない」というのが多くの人でしょう。
また若い人にとっては、戦争というものは遠い世界の出来事でしかないのかも知れません。
すでに両親からして戦争を体験していない世代が多くなってきているのですから、
無理ないことかも知れません。
たしかに暗くて、楽しくもない戦争のことなんか考えたくもないというのも
わからないではありません。
でもそんなことは言っていられないのです。
政府が決めて、憲法を改正して、徴兵制を敷いたら、嫌も応もなく、
「戦争」に押しやられてしまうのです。
税金は高くなり、日々の生活は苦しくなり、自由な考え方は許されなくなり、
男も女も軍隊に徴発され、命さえ脅かされる苦悶の日々がやってきてしまうのです。
戦争がやってくるのは津波より早いのです。
そして津波のようにすべてを巻き込んで壊滅させてしまいます。
助かるのはあらかじめ知っていて高台に逃げていた政府要人や高級軍人たちだけなのです。
みんなで戦争について勉強して、
どうしたら戦争に引き込まれないかを考えなくてはなりません。
そうしないと取り返しのつかないことになってしまいます。
敗戦から61年目の2006年8月
昭和のくらし博物館 館長 小泉和子
そして今日、日本の首相が 靖国神社の参拝をしました。
ポスト小泉と言われる政治家のおじいさんが
東京軍事裁判の戦犯者であることも最近知った様な、
本当に何も知らない私の様な立場でモノを言うべきではないのかもしれませんが
また、これについては大変複雑な時代背景、政治政略もあるかとは思いますが
「日本の首相が靖国神社に参拝することに賛成か、反対か」という
シンプルな問題として聞かれれば私は断固「反対」です。
今を生きる私達は 歴史を出来るだけ冷静に客観的に正確に理解し、それに学び、
これからに活かさなければなりません。
何時の時代も一部の人間による政治と宗教に翻弄され続けてきた戦争に、
「正しい戦争」などあったのでしょうか?
一国の首相の様な 外交をしていく代表者が
同じアジアの人々の気持ちを何故無視出来るのでしょうか?
そしてTVやWebのアンケートで「首相の靖国参拝に反対」という意見が
実は少数派であることを知りました。
私にとってこれは予期せぬ結果。
あるアンケート結果では 主に20代30代で賛成派が半数以上を占めています。
理由を聞けば「中国の言うこと(靖国参拝反対)を受け入れたらナメラレルから」
....一体どうなるのでしょうか、これからの日本。
挨拶文にはいたく感心させられました。
昨夜(8/15)のNHK総合「日本のこれから」でも若者の保守化傾向は想像を超えるものがあり驚かされました。
若さに期待したいのはナイーヴな感性と知への旺盛な欲求のはずなのですが …?
ネオリベラリズムは若い世代にこそ蝕んでいるのでしょうね。
首相の言動がマスコミで騒がれるのは「靖国参拝に反対」だからだと思っていたからです。
私達は中国や韓国の文化を素直に受け入れていて、次第に交流も出来ていくのではないかと思っていましたが、保守化する若者の意見などを聞くと、あまりにも中国や韓国を軽視し過ぎるのではないかと思います。
15日のNHKは見てないけど、文句を言い合う前に、お互いに自国の歴史を学ぶべきだし、現在の状況も知るべきだと思う。我が身を冷静に振り返るのが必要なんじゃないかな~。政治の世界はそうもいかないんだろうけど。
あと、国際問題を担う首相も結局は国民が選挙で選んでいるのだから、まずは国民が自分の考えを持って選挙に行ってから意見を言うべきだと思う。その責任を放棄して何が言えるんだろうって感じ。すべての基本はここにある気がする。
あと、いろんな意見が混ざり合って同居できるのが民主主義なんだろうから、賛成も反対もあっていいと思うし、心をやわらかくして、時間をかけてどんどん話し合うのがいいと思う。完全な和解はないだろうけど、ある程度、納得はできるようになるかも…。
私が大切だと思うのは 意見が違ってもお互いの話を聞く事、だと感じています。お互いの意見、肌の色、宗教が違っても話を聞いて存在を知ること。理解しようという姿勢を持つこと。それだけで世の中から戦争は減ると思うのだけど。
選挙の責任を放棄して何が言えるのか、と言うのは国民の選挙離れについて?と思うけど 賛成でも反対でもおそらく意見を持っている人は選挙に行っている方が大半かと思います。話が分散していってしまうのでシンプルな問題で考えていこうと思います。
私はお互いに自国の歴史を学べばこそ、冷静に我が身を振り返ればこそ、先の侵略戦争をも正当化する靖国神社への首相公式参拝は反対です。
もし私達の国が侵略された歴史を持っていたらどうだろう?それも「過去の話」ではなく 私達の祖父母が、父母が、精神的 肉体的に侵略された経験があったら私はおそらく相手の国を許すことは難しい。私達は今この瞬間も歴史の中にいるので たった60年前の歴史が現在の政治に影響を与えるのは当然ありうる事だと思う。
最も近い存在である中国や韓国の神経を逆撫でし続けて、アジアの中の日本という未来はあるのだろうか?
あと、靖国参拝=軍国主義・侵略戦争正当化っていう図式ってとても偏ってるなあと感じる。いつの間にそういう決まりになったんだろう…?誰がそう決めたの?そういう疑問がどんどん出てくるんだよね。自分の国の代表者である首相が、軍国主義を誓うために参拝してると言われてるんだよ。えっ、そうじゃないよ逆だよ…ってところから話が始まるのが素直な流れのような気がしてる。でも、おっしゃる通り!って考えてるのであれば、参拝反対するひとつの理由として理解はできる…。
選挙を問題にしたのは、どんな政治問題も回り回って返ってくるところが選挙だと思うから。自分が選んだ人が国の代表として各国の代表と話をするわけだから。この靖国問題も。
今度の選挙の時はなるべく自分に近い考えの人に投票することが、これらの問題に直接意見することになるんだと思う。だから別の話ではないよ…。
例えば15日のNHKの番組を興味があって見たけど、アンケートにも答えたけど、選挙には行ってないな~って人、けっこういると思うんだけどなあ。国際問題は、みんなの問題だよね…。
この問題はなかなか難しいよね(笑)
ちなみに僕は戦争反対、参拝賛成。
但し中途半端な形で一国の首相が参拝するのは反対。
形はどうあれ「国の為に」と信じて命をかけてくれた人を、
「犯罪者だから行くのは間違っている」と言うのはどうかな?
マッカーサなど、極東軍事裁判で日本を裁いた人たちの多数が
「あの裁判は間違っていた」
と言っているよ。
改めてココに書きます。靖国神社は先の戦争中、国の為 天皇陛下の為に戦争に行き 戦死しても神として靖国に祀るからという戦争美化の象徴、精神的な支柱だったのではないでしょうか。戦前は神社でありながら陸軍、海軍省が共同管理していました。
首相が本当に素直に、戦没者の慰霊を行っているのであれば靖国問題は起きないと思います。問題は靖国神社が戦死した軍人や戦犯者を「顕彰・崇敬」の目的で神と祀っている点にあるのだと思います。そして首相の言動ががアジアの国々に与える影響を 私は疑問に思います。
靖国神社はHPの中で戦争を「日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくため」「まわりのアジアの国々と共に栄えていくため」だったとし、遊就館では「近代国家設立のため、我が国の自存自衛のため」としていますが(アジアの平和を守る様な日本の戦争記録を私は1つも知りません)、「戦後、謝った風潮による大東亜戦争批判が日本人の心の中に埋め込まれ、戦争を知らない若い世代にまで浸透し、祖国に汚名がきせられたままです。本作品によって英霊を思い、その真実を若い世代に伝えたい」という内容の映画を上映しているようです。
それでも参拝・見学した新聞記者が「戦争を正当化するような感じはない」と答えた例もあるので 受け取る個人の感覚はこうも違うものかと実感しています。