
昨日「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」を読み終わりました
対談ってまるで台本の様になっていて 読みにくそう?とも思っていましたが
先に読んだ「戦時期日本の精神史」の
カナダの大学での英語講義を日本語に直したという
ちょっとマワリクドイ気がする日本語よりも ずっと読みやすかった。
それに話し口調で書かれているので 3人のそれぞれの人間味というか
個性が すごく出ていて その場にいてお話を聞いている様な感覚で読めてしまう。
3人ともつい先日まで名前も知らず まるで興味の無かった人達ですが
いまではもうなんだか親近感まであります(笑)。
鶴見さんのいう 戦中の日本の指導者と国民の心理は 比較的単純な図式で理解できる。
明治初期以降 学習能力を持つ若手エリート達をヨーロッパへ派遣し
ヨーロッパの能率の高い制度を学習させたのち
政府はそれを そのような文化基盤のない日本に応用しようとする。
戦中は 様々な政策によって国民の思想をひとつにまとめ
ありとあらゆる日本人が協力すること、統一することを目指した。
日本の軍事、経済について 事実と反する情報を国民に流してきた指導者自身が
自己欺瞞に陥り、太平洋戦争の泥沼に引き込まれていく。
終戦を迎え それまで築き上げた思想が一度崩壊し そこから15年もすると
今度は様々な職域の知識人達が 様々な考えをもって立ち上がってくる。
ここからがきっと日本が面白くなるところなんだと思う。
ヨーロッパ文化の受け売りではなく 自分たちの在り方を考え始めた瞬間。
ところがその図式はものすごく複雑で、様々で、突然 分からなくなる。
マルクス主義、共産党、60年安保、べ平連、全共闘、内ゲバ、連合赤軍....、
これを掘り下げてみようと60年安保からWikiっていたら
気付かないうちに爆睡していました(笑)。
まだまだです私。
私が特に印象に残ったのは
大義や理念というような抽象的なモノで何かを判断するべきではない、
人間にはそれを判断出来る能力は無い。
大切なのは 誰なら信じられるのか、誰となら行動を共にしていいのか
それを見極めること。
という内容の鶴見さんの言葉でした。
これはすごくシンプルでわかりやすい。
人が人に出会った時に感じる、ぼんやりとした でも確かなもの。
それは同時に、自分を信じることでもあるんだよね。