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パウル・クレー 東洋への夢

2009-07-28 | 美術館・博物館
「パウル・クレー 東洋への夢」展へ行ってきました。
先駆けて開催されていた千葉市美術館の展示を見た方の中には
ややパンチに欠けるという様なレビューもあったので心配ではありましたが....。

この展示会はスイス、ベルンにある「パウル・クレー センター」の
日本人研究者が立ち上げた企画なんだそうです。
研究を重ねるうち、東洋(展示会場では主に日本と中国)との繋がりを感じ始め
クレーの所持していた東洋に関する書籍や、
北斎漫画とクレー作品を比較しながらその関係を模索した展示会です。



ドイツは フランス等の文化国家に比べて日本美術に対する感心が低く
ジャポニズムブームも2~30年ほど遅かったそうです。
それでも1900年代に入るとヨーロッパで川上貞奴が爆発的人気を集め、
1902年にはドレスデン、1905年にはベルリンで浮世絵版画の特別展が開催され
ようやくドイツにも日本文化が浸透していきます。
これはクレーがミュンヘンの美術アカデミーを辞め「画家を志す学生」ではなく
「画家」として歩み始めた頃のこと。

こんな時代背景を併せて考えれば
確かに北斎漫画を見て真似たとも思えなくないですし
所持していた幾つかの仏像の本も展示されていますし
実際にクレー「も」貞奴を絶賛しているので
日本に感心がなかったとは言い切れない。
でも、メモ魔なクレーにしては「日本って すごい!」という明確な文献がない。
この展示会は その狭間で揺れる観覧者への問いかけでもあります。



個人的には旅してきたドイツのベルリンやドレスデン、
いつか訪れなければならない美術館のあるミュンヘンや
バウハウスでおなじみのヴァイマールとデッサウ、
クレーセンターのあるスイス ベルンの名前が飛び交い
位置関係もその歴史的な背景も理解しやすかったし
解説のパネルでほんの少し触れていた
当時バウハウスに学んでいた山脇厳とクレーの接点も興味深かった。

また60年の生涯で9000点以上の作品を残したクレーは
(一般的に画家としては10000点前後で作品数が多いとされるそうです。
ちなみにピカソは6~70000点とも140000点とも言われている
非常に熱心な勉強家で 子供の様な無邪気さで描かれた可愛らしい絵一枚とってみても
その裏で理論書を読み、民俗学や古代文学を学んでいたのだそうです....



大学に進学して間もない頃、色彩構成の授業で
先生に 隣り合わせに配色した色の理由を聞かれました。
ただ自分の感覚にそって出した色合わせ。
「この組み合わせがすきなので」と答えたら 厳しく怒られました。
「好きだから、は、理由にならない!」と。

....当然です

東京で、ベルリンで、静岡で、彩度と明度のバランスを
「音楽的なリズムを持って」描くクレーの作品を目の当りにして
あの時の意味が、今なら分かるのです。



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