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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

伊予松山 散歩 1

2014-01-12 | 国内旅行

写真は 松山城に咲いていた 桜 ↑ ニキザクラ...シキザクラだったかな。

 

昨年 岡山から「南風」に乗って 土佐(高知!)旅行に行ったので

今年は 同じく岡山からですが「しおかぜ」↓↓ に乗って 伊予松山へと行ってみました 

岡山って スゴイ数の路線が乗り入れているンですねー、改めてびっくり 

正月を 四国で過ごす マイブーム。

...あ  !!

別に一句詠んだつもりはナイですヨ!そのまま書いただけです!

瀬戸内海を渡って丸亀辺りまでは 高知行きも松山行きも まだ同じ線路を行く。

この辺りで見えて来る香川の山々は 丸かったり三角だったり とても個性的だと思う。

そして岡山まではのぞみですっ飛ばすので 岡山からの2時間半が 何故か非常にツライ。

土佐の時も同じように 乗り物酔い状態になったー 

 

到着した 松山駅は ↓ 会津若松の様なレトロ感。

松山と言えば このヒト ↑↑「春や昔 十五万石の 城下かな」。正岡子規です。

15万か...。松山はいまでこそ 四国最大の人口を誇っていますが

「土佐 24万石」からしたらやはり小さめだったのかな。なんてことを思う。

駅前にあまり人がいなかったので やや不安にもなりましたが

路面電車に乗って街の中心地に来ると 人の多さに驚くくらいでした。

元旦、まずは松山城に行ってみることに 

       

石垣が印象的。左奥に見えるのが ↑ 天守閣 ↓

入口には ゆるキャラの「よしあきくん」....  

えーと、「加藤嘉明」、初代城主の名前らしいけど 知らない(し、興味もなかった)。

そんなコトより 三つ葉葵の紋が気になった。

 

個性的な天守閣の造り。な、気がする。

気になった葵の紋については 何となーく調べてから行ったけれど、松山城でハッキリしました。

ここ伊予松山は幕末の動乱期、旧幕府側の立場にありました。

十四代藩主 松平定昭のころ 親潘として京都の警護や長州征伐に先鋒として出兵していますが

後に徳川慶喜に従ったとして 朝敵の汚名を受け 各地に松山藩追討令が下り

土佐の山内家に占領されることになる。

明治になって 正岡子規が自由民権運動にのめり込んだことを考えても

良くも悪くも 土佐の影響はただならないのデスね。

       

もう間もなく7巻に差し掛かろうとしている「竜馬がゆく」では

ちょうど松山藩が財政難をおして長州征伐に出て行くところが描かれていました。

しかし これが、けちょんけちょんにされるワケです。

待ち受けているのは 長州藩を起死回生させた風雲児 高杉晋作 ですからね 

(余談ですが、NHKの大河ドラマに長州来ましたね!来年だそうで!

しかし、松蔭の妹...という人物設定は如何なものか....?)

 

そうそう 伊予松山と言えば 新撰組十番隊組長、宝蔵院流 原田左之助の出身地でもありますが

松山はドコを見てもナニを見ても ほとんどそれには触れていない。

プッシュしたいのが圧倒的に「坂の上の雲」、俳人正岡子規と秋山兄弟であることは

コレが歴史なんだなぁと思わざるをえないです。

 

 

 


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