goo blog サービス終了のお知らせ 

■□ CANVAS F20 □■

サワノのお気に入りだけで構成するブログ

燃えよ剣。

2013-08-27 | 日々のこと

いつも「竜馬がゆく」を貸して下さる持ち主さんが 6巻を読み終えるまでの間、

「燃えよ剣」に手を出してみました 

これヤバい。

すんごくオモシロイ!

めっちゃカッコイイ!

....沖田が。

笑!

うきうきと読み進める私はきっと、少年の様な目をしているに違いない。

 

クーラーを撤去してしまった自分の部屋で

この暑苦しくて男くさいタイトルの本を読むのは至難の技でしたが

ここ数日は もう秋?なんて勘違いしたくなるほど過ごしやすい。

夜は虫の鳴く音が聞こえてます。

よい季節ですね  

 

 


みんなのウッドターニング展 エントリーしました!

2013-08-24 | 日々のこと

会津旅行中に自宅に届いていた「みんなのウッドターニング展」、

(昨年の「うつわ展」改め うつわじゃなくてもOKな作品コンペ になった 

遅ればせながら 本日 入金完了、エントリーしました!

数日後にはエントリーキットが届くことでしょう!

わくわくどきどきですな 

いや、どきどきですな。

....うん、どきどき....する.... 

 

しかし 展示会の名前が長いですね(どうしよう)。

そして一日限定なんですね(さみしい)。

みなさま、11月2日は 是非、今年も清水へお越し下さいませ!!

 

 

 


会津若松 散歩 2

2013-08-20 | 国内旅行

鶴ヶ城を出て 炎天下の中、会津松平氏庭園「御薬園」へ行って参りました 

歴代の会津藩主の別荘だったそうです。

このお庭を見た瞬間、綾野容保と稲森照姫(大河ドラマ「八重の桜」)が頭に浮かんできて

いやいや ロケは東京だろうと必死に打ち消していた訳ですが

帰宅後に拝見した方のブログによると

まさに 松平容保と照姫のシーンで使ったお庭なんだそうですヨ。

 

 

 

そんな由緒ある松平家の庭園で 私はカモの餌付けに挑戦!

カモの餌 100円 だったかな。

すいすいすいすい....「?」(小首をかしげるカモ)↓↓

うへへ、カワイイ  ↑↑ ここまで撮れれば満足だ。

途中で池の淵で 餌の入ったカップを倒してこぼしてしまったんだけど

それに食いついてきた大量の鯉がものすごく殺気立っていてコワかったです 

 

 

 

この御薬園、戊辰戦争の時には西軍戦傷者の治療所に当てられた為に戦火を免れたそうです。

西軍の治療所が 鶴ヶ城から徒歩15分(1キロ程度です!)の所に存在したというから

会津がどれだけ追いつめられていたか よく分かります。

こちら ↓ 松平容保の孫にあたる秩父宮節子妃殿下がご成婚の際 宿泊した建物を移築したもの。

「逆賊」「朝敵」 と呼ばれた会津から 天皇家(昭和天皇の弟皇)に嫁ぐことで

「戊辰の雪辱を晴らした」として ここにようやく会津の復権が実現する。 

若松市民は提灯行列を繰り出して歓喜した といわれるほど その感激は大変なものだったそうです。

これはもう、会津の人々にしか分からない感情でしょう。

余談ですが 大正天皇の四皇子のうち3人に 大物佐幕派の孫が輿入れしているそうですね。

これってすごいことですよね。なんだか時代が動いた感じを受けます。

 

 

 

「御薬園」の名前は園内に薬草を育てたことに由来するそうです。

中でもイチオシなのは 朝鮮人参。

当時大変高価な作物で 人参奉行所なんてものを設置し 会津から長崎港を経て

清国に輸出されたんだとか。これ、朝鮮人参の実です ↓ 

 

 

 

会津でお蕎麦を食べることは 旅行の目的のひとつでした ↓↓ 

東北のお蕎麦って どうしてこんなに美味しいのだろう!

色もキレイだし さらさらっと食べちゃいます 

囲炉裏型のテーブル席で 横にいらした現地の方と 少しお話しが出来ました。

去年までの会津は 震災と風評被害の影響で 観光客が激減していたそうですが

今年は大河ドラマのおかげもあり 少しずつ活気を取り戻しつつあるそうです。

人が来てくれることが 本当に嬉しい、とおっしゃってました。

 

 

 


鶴ヶ城

2013-08-18 | 国内旅行

「歴史の中で 都市ひとつがこんな目にあったのは 会津若松しかない」

(司馬遼太郎 「街道をゆく」より)

 

 

 

そんな会津の歴史を象徴するのが、天下の名城、鶴ヶ城(若松城とも)。

現在の天守閣は 1965年(昭和40年)に鉄筋で復元されたモノです。

天守閣が見えた瞬間、ああ キレイだ  と思いました。素直にね。

戊辰戦争の折 新政府軍から逆賊とされた松平容保の会津勢が篭城し

板垣退助率いる迅動隊(土佐の主力部隊)、それに加わる薩摩の援軍の攻撃に抗戦するも

一ヶ月後 ついに降伏勧告を受け入れた。

新政府軍による砲弾を受けた会津城(Wikipediaより写真 拝借)↓↓ 

            

コチラでも写真見つけました  「国立公文書館デジタルアーカイブ 若松城写真」

お城ってこんなにぐずぐずになるんだなぁ....なんとも痛々しい。 

公文書館にあるこの写真は1873年(明治6年)に撮影されたもので 翌年に解体されています。

 

本来の姿は「鶴ヶ城」という名がつく位 凛としてキレイだったはず ↓↓

桜の頃は本当に素敵だろうな 

       

天守閣にのぼると 360度 城下の町が見渡せます。

こちら 白虎隊で有名な飯盛山方面を望む。↓ この矢印の真下 手前の山です。

望遠鏡をのぞいていた家族連れが「白虎隊のお墓が見える」って言ってました。

そしてこちら 新政府軍が鶴ヶ城攻撃の拠点にした ↓ 小田山。矢印の真下、手前の山。

 

....ち、近い。

天守閣内に展示された小田山を示す地図と実際の風景を何度も確認しながら

観光客の誰もが その近さに驚いていました。

あんなトコロから砲撃されたら相当コワイだろうな。

私のカメラのレンズは単焦点、いわゆるパンケーキ()なので

天守閣から見える飯盛山と小田山の距離感は 写真のままです(ズームしていません)。

苦戦を強いられ撤退を余儀なくされた白虎隊が 命からがら落ち延びた飯盛山で

戦火に燃える城下町を目撃し自刃を決意するのが 鶴ヶ城からおよそ5キロの距離。

それに対し 新政府軍が鶴ヶ城総攻撃を仕掛ける小田山はわずか1.6キロの距離。

鶴ヶ城天守閣を見下ろす小田山のアームストロング砲(四斤山砲とも)の射程距離は

2キロを越えていたそう。

 

 

「会津戦争記聞」 ↓ (城内の展示から写真を撮ったので写りが悪くてゴメンナサイ!)

右から梶原兵馬、護衛される松平容保、内藤介右衛門、玉木勇女、中野竹子、原田対馬、

それから 山川大蔵(←ちょっと覚えておいて下さいこのヒト)。

左奥には 山県、伊地知、板垣、西郷の新政府軍が迫る。

戊辰戦争において 会津藩は女性も含めて全藩士が戦争に参加したことを題材に描かれたもので

実際にはこのような場面はなかったとされますが なんだかこの絵がとても気になりました。

もっといい写真撮りたかったぁ。

「会津軍記」 ↓↓

中央の松平容保が降伏状を渡すのは板垣退助、中村半次郎(後の桐野利秋)。

中村半次郎はこのとき 会津に同情し 男泣きに泣いたとされています。

会津藩士に親身だった対応を感謝し 後に容保が宝刀を贈っている。

(こちらも実際には参加していない人物が描かれている。錦絵ってそういうモノなんですね)

お城の展示を見ていて気になったのが 山川大蔵(←このヒト)による「彼岸獅子」敵陣突破策。

鶴ヶ城の篭城戦が決定されると 各地に派遣されていた部隊に帰城命令が下る。

大鳥圭介とともに日光口方面の国境警備をしていた山川大蔵が城下に駆け戻ると

鶴ヶ城は敵の包囲網の中にあった。

そこで思いついた奇策が 会津伝統のお祭り 彼岸獅子の格好で 包囲網を破るという作戦。

激戦の最中の祭り囃子に 新政府軍はあっけにとられてただその入城を見ていた という逸話。 

新政府軍の 武士の情けという説もあって 私はこちらを支持しちゃいますけどね....。

山川大蔵が守備していた日光口の守りが堅く

そこから会津に攻め入ることが出来なかったのは 板垣退助と谷干城。

谷干城は武市半平太の尊王攘夷に傾倒する中で

坂本龍馬や後藤象二郎とも交流を持ち 次第に影響されて倒幕派になった。

中岡・坂本が暗殺された近江屋事件に真っ先に駆け付けた 龍馬を敬愛する人物として有名。

明治になって 谷は戊辰戦争での腕を見込んでいた山川を探し当て自分と同じ陸軍に推挙する。

後の西南戦争では 熊本鎮台司令長官を勤めて4000人で熊本城に篭城し

西郷軍14000人の攻撃に耐えることになったのですが、このとき山川は

谷がこもる熊本城に 薩摩軍の包囲網を撃破し 一番乗りで谷を救出するのです。

山川大蔵、二度目の包囲網突破。谷とは生涯の盟友であったらしい。

こんなふうに続く歴史もあるんですね。

しかし 西南戦争に参加する際の山川大蔵の句はややショッキングでした。

「薩摩人 みよや東の丈夫(ますらお)が 提げ佩く(さげはく)太刀の利(と)きか鈍きか」

薩摩の人は 会津の男が持つ太刀がいかに切れるか見るがいい、という意味と思われます。

西南戦争は 会津の深い恨みをもって 会津戦争の復讐と位置付けられました。

憎悪なんてモンじゃない、こんな風に続いてしまう歴史があるんです。

更には 明治16年、山川大蔵の妹 山川捨松の夫となるのは かつての薩摩藩士 大山巌。

大山巌の薩摩軍が会津戦争の際に攻め入った(が初日に負傷して護送)鶴ヶ城には

まだ8歳だった捨松と その家族が篭城していたというから 歴史って実に人間臭い。

 

 

 


葛餅を作ってみた!

2013-08-17 | ごはん・スウィーツ

短い夏休みのお土産で 吉野の葛をいただきました 

葛と言えば吉野、吉野と言えば桜 ...じゃない葛!

ってなワケで 葛餅を作ってみることにしました!

 

和菓子作れたらカッコイイよなぁ...みたいな不純な動機でレシピを探していたら

葛って非常に繊細な素材らしく、冷蔵庫で冷やしすぎると食感が悪くなるとのこと。

「冷やしすぎると」って一体 どのくらいのこと  ?....時間?それとも温度?

さっぱりわからないのでLINEで相談、笑。

早速 Kちゃんから「半日 冷やしたら食感が悪くなった」とお返事。

さすが、だ。

Kちゃんは、お料理もお菓子も すごく美味しく作れるヒトで

いろんな素材を知っているヒトだけど、そこに至るまでには 経験を積んでいるのだと思う。

そのKちゃんから 以前 黒砂糖から黒蜜が作れることを聞いていたので

この際 それも挑戦してみることにしました 

うまく出来るか分からないので サワノ家にしてはかなり控え目な分量で 試作開始。

なるべく簡単に出来そうなレシピを探したにも関わらず

素材が良いせいか 本当に美味しい葛餅が出来ました 

また作ろっ

 

 

 

 


居酒屋百名山 「籠太」

2013-08-13 | ごはん・スウィーツ

「居酒屋百名山」。

私自身 アルコールに全く興味が無いので 旅先で地酒や地ビールを楽しむなんてことはなく 

こんなタイトルのブログ記事は おそらく最初で最後です、笑。

それでも行きたい居酒屋さんが、会津にありました。

「籠太(かごた)」さんです。ガイドブックにも載ってます。

会津に旅立つ直前に見たテレビ番組で紹介されていたお店なのですが

店主さんは 会津の郷土料理を復活させるべく メニューに出しているそうなんです。

まずは会津で避けては通れないニシン。ニシンの山椒漬け ↓↓

そして「馬刺し」↓↓ 大蒜と辛子味噌でいただきます 

「桜」ではなく「けとばし」と呼ぶみたいです。

他のお店でも「蹴飛ばし(馬刺し)」みたいなメニューの書き方してました。

これがもう ホント美味しかったです  かなりハマってました!

それから創作料理 ↓ トマトの串焼きです!トマトをくるんでいるのは...ベーコンかな 

これ びっくりする程 美味しいの ↑↑ 

居酒屋ご飯ではなく、イタリアンみたいな感じ。ヤバかったです!

焼き茄子 ↓↓

テレビでメニューを見た時から狙っていた 岩牡蠣 ↓↓

それから女将さんにオススメされた 塩とうふ ↓↓

このお豆腐は 江戸時代の作り方をしているそうですよ。

江戸時代って言われたら食べるしかないでしょ、笑。

豆乳みたいに濃厚で 塩が大豆の甘みを引き出す様な美味しさでした。

大豆、水、塩、本当にそれぞれの素材が良いんだと思います。

で、勝手にタイトルに使わせてもらっちゃった「居酒屋百名山」↓↓ が、コレ!

この中に 籠太さんが載ってました。

お店にあった本をお借りして写真撮りました  横にあるのは かにおむすび。

筆者の太田和彦さんは 資生堂のアートディレクターだったという経歴の持ち主。

Wikiってみると 居酒屋関連の著書ばーっかり出てきますが 飲ん兵衛のおじさんじゃありません!

もともとは高度成長期を支えた(と推測される)グラフィックデザイナーです!笑!

テレビ番組の中で 会津の町を歩きながら解説してくれた建築の知識も素晴らしかったです。

仕事も趣味もマニアック、こういう人に憧れます 

「さるなし」のジュース ↑↑

初めて飲みました...てか、初めて知りました 猿梨って果実っ!

ちなみに籠太さんは 「居酒屋」というより

小料理屋さんの様な趣のある門構えで 女性でも入りやすく店内も明るくてキレイです ↓↓ 

       

 

 

 


会津若松 散歩 1

2013-08-12 | 国内旅行

東京駅から 東北新幹線「やまびこ」で郡山まで。

郡山から磐越西線で猪苗代を通り、会津若松へ。

会津って遠いんだなぁ... しかし だからこそ価値があるんだなぁ...

猪苗代湖は見えませんでしたが 磐梯山はキレイに見えました ↓↓

磐越西線の車窓から 

会津は只今、電車も駅も町も 八重さん一色です。ポスター貼りまくってました、笑。

タクシーの運転手さんが言ってました、「八重さまさま、です」って 

余談ですが ここ最近の大河ドラマ幕末編が 土佐の福山龍馬、薩摩の宮崎篤姫、

会津の綾瀬八重ときたら....次はきっと長州ですよね?ね?ね?

この流れを 長州なら黙って見過ごすワケないですよね?

(話し戻して)が、しかし NHKが新島八重を取り上げるまで

この町は古くから「白虎隊」の町だったハズ、笑!

駅前には白虎隊の少年達とあかべこ。それと笹の葉さらさら 見えますか?旧暦の七夕です 

町の主な観光名所は 周遊バスが走っているので とっても便利です ↓

明治初期から昭和40年まで 海産物問屋だった建物 ↓

現在はお料理屋さんと旅館になっているそう。

お菓子屋さんの入口に打ち菓子の型 ↓

銘菓「会津の天神さま」↑↑ 食べ歩き 

会津の天神さまというのは 張子人形の民芸品...のことだと思います。

会津木綿はどれもすっっごくステキでしたが、正直なところ、デザインがピンとこない。

もっとモダンなモノが作れると思います。

立派な蔵を改装したお店が多い。

カフェやレストラン、雰囲気あります。

と、その脇に!

これが「あいづっこ宣言」↓↓「什の掟」現代版です。

頑なまでに真っ直ぐな会津魂、ならぬことはならぬ。

町の中で幾つか同じ物 見掛けました。

スゴイよね....私、子供の頃 誰かから静岡を誇れと教わっただろうか? 

 

こちら 有名な竹藤さん ↓ 会津関連のTV番組では常連さん。

お店のおじさんが「この建物は八重の頃からある」って言ってましたね。

コレが幕末の風情ですよーーーっ!

こちらは思い切りモダンな鈴善漆器店さん ↓↓

ココのアウトレットでお椀を買ってしまった、アウトレットでね!笑! 

こちらも有名。田楽の満田屋さん ↓↓

リアルタイムアップのブログに載せたのはココからです。

好きな田楽の串を選んで焼いてもらいます。

楽しそうだから囲炉裏の目の前の席に座ったけれど 熱い暑い  笑!

でもすっごく美味しかったデス 

一本から選べるので 散策で小腹がすいた時でも大丈夫。

お米もお野菜も素朴な具材ばかりですが その素材が美味しい 

すっかり田楽好きになっちゃいました 

また食べたいな 

 

 

 


会津葵

2013-08-11 | ごはん・スウィーツ

静岡で生まれ 静岡で暮らし、葵の御紋なんて 見慣れている様な気になっていたけれど

「会津葵(会津三つ葉葵)は 葵紋の一種で、三つ葉葵の変種。

特に会津松平家が用いた。

徳川家の三つ葉葵の紋とほぼ同じ図案であるが

3枚の葉は徳川葵のフタバアオイではなくコウホネの葉に見えることから

会津葵は厳密には葵紋ではなくコウホネ紋であるとの見方もある」

っと、Wikipediaに書いてあった。

徳川御三家でも それぞれ違いがあり、将軍家であっても 家康から慶喜にかけて変化したり、

会津葵に似た感じの変種を用いた時もあったらしい。

いろいろあるのねー 

 

ンで、その「会津葵」を名乗るお菓子屋さんに行ってきました 

実は以前、何処かのデパートの物産展で ココ会津葵さんのお菓子を買ったことがある。

そしてまた 今度は会津で同じお菓子を買ってしまった。

そのくらい、パッケージがカワイイです 

あ、もちろん、味もイチオシだと思います  !(目で食すタイプです!)

       

コレが ↓↓ お気に入りの「あかべこ」。あかべこは会津の民芸品です。

やはりカワイイ 

ココまで来ると もうデザインの入る余地がないと思うんです。

 

トップの写真は「会津藩御法度 」の干菓子 ↓↓

その文字の並びだけで幕末っぽくてクラクラする、笑。

こちらの打ち菓子は 会津産の特上の白蕎麦が使用された 蕎麦落雁で、

勤倹節約を旨とした会津藩が 白蕎麦の使用を禁じていたことから

「御法度」なワケなんですが、反面、慶事の際の最高のおもてなしでもあったそうです。

あ、器にしたのは会津塗りの茶匙です!

その大きさから 繊細な仕事がご理解いただけると思います。

 

打ち菓子には幾つか種類がありますが 私が購入した「花喰い鳥」は コチラ ↓

シルクロード文明館だけのオリジナルなんだそうです 

 

 

 


会津 郷土料理 2

2013-08-10 | 国内旅行



今日は味噌田楽っ♪
こんにゃく、さといも、しいたけ、生揚げ、
それぞれ四種類の味噌を使い分けている。
とにかく素朴美味い!
素材が良いのかな?




会津 郷土料理

2013-08-09 | 国内旅行




郷土料理のお店で わっぱ飯 堪能中!
「わっぱ」って、「輪箱」って書くのねー!
ちなみに会津では「めっぱ」と言うらしい!

素朴美味い!
これには驚いた