心の敷石

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脳死を人の死と認めることには反対です…⑥

2009年07月01日 | 脳死・臓器移植

今まで書いてきた通り、脳死を人の死と認めることなど言語同断の行為であると
言わざるを得ません。

でも一般人の立場としては医学的な知識がないから、医学者がそのような事を認め
ているのなら正しいのではないかと思ってしまいがちかも知れないけれど、反対の
意思を貫いている医師の方達も多い事実は軽視されています。

また、臓器移植を推進したい勢力に対して、立場上配慮せざるを得ない医療関係者
もあることでしょう。

脳死が「死」であるなら、例えば脳死になってから3ヶ月も経った女性が出産した
ケースを「死人が出産した」と言うのでしょうか?

5歳の時に脳死になり、その後十何年も生き続けて普通の人間と同じように成長
しているというケースを「死人が成長している」と言うのでしょうか?

そういう事実を知っても「でもやはり…」と考える人も少なくないと想像します。
「脳死になっても生きている価値があるのだろうか?」という気持ちがあれば、
上記のような事例をいくつ聞いたとしてもきっと考えは変わらないでしょう。

脳死をどう考えるか、その考え方には各人が持つ「生命観・人間観」が影響して
いるかもしれません。「死んだら全てが終わり」「人間には価値ある者とそうで
ない者がいる」というような考えを内に持っていれば、脳死患者からの臓器移植は
価値あることになってしまいます。

また魂の存在というものを信じられなければ、はたして「脳死の状態での生」が
本人(及び家族、周囲)にとって意味のあるものなのかどうかと疑わざるを得ない
でしょう。

でもスピリチュアルな観点から言えば、例え脳死であろうと本人も周囲もその中で
沢山のことを学び成長している過程にあるとのことを、私は固く信じています。

そして、そういう立場から見れば、脳死患者からの臓器移植という行為は、大変な
負のカルマになってしまうとのことなのです。多数の人達の募金に頼った場合には
それだけ多くの人達を「極端に言えば犯罪にも匹敵するようなこと」に巻き込んだ
ことになって…

まあ、どう考えるかはあくまで個人の自由ですけどね。

                                      


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