心の敷石

Candyの 思いつくまま気の向くまま

脳死を人の死と認めることには反対です…⑧

2009年07月05日 | 脳死・臓器移植

●臓器移植法改正案、賛成・反対各票 議員名簿を後半に掲載しました

実は、脳死とそれに絡んだ臓器移植に関しての世論調査の結果を知って、本気で
ブログを閉鎖しようと考えた。

人類が始まってから洋の東西を問わずに、人々が自然に受け入れてきた「心臓が
止まり身体の機能が全停止して体が冷たくなる」ことをもって人の死とするという
こんな当たり前のことだと思われることが、これほど軽視されているということに
失望したから。

今の世界では医学界の支配的な立場である西洋医学の、「一過性的な生体実験」と
しか思われない臓器移植の為に、人間の死の判定までも捻じ曲げようとする勢力に
いかに多くが振り回されているのかと愕然もした。
                              
話変わって、もし今回の法案が参院を通過してしまったら、以下のようなケースが
発生するかもしれない。

両親と子供(達)一家揃ってのドライブ中に交通事故に会う。前部座席の両親は
即死、後部座席の子供は重態になり意識がない。こんなケースで、医学的に脳死に
させられる可能性が無いと言えるだろうか?臓器提供の謝礼が親族の手に渡ったり
することはないのだろうか?

自分の子供・家族がもし「臓器移植が必要になったら」という仮定が実際に起こる
ことなどごくごく稀なことである事なのに、それすら心配するならば、上記のよう
なケースだっておおいに心配していい。

「家族の同意があれば」というその「家族」に法的な解釈が与えられていないと
いう事は、両親が亡くなった場合は、「子供の臓器移植に同意する権限」が親族に
与えられてもおかしくは無いということだ。もしくは「病院側が用意した後見人」
が立てられるかもしれない。

「家族」は法律用語では無いと訴える社民党の福島瑞穂氏の主張(糾弾)は法律を
立案する者にとっては常識でなければおかしい。こんな法的な欠陥を無視した法律
を何故強引に成立させようとしているのか疑念が湧く。

こういう事を書くと、「人の命を助けるのが医師の仕事」なのに、臓器移植の為に
強引に脳死させるなんて有り得ないと考える人は←サイドバーにブックマークして
いる船瀬俊介氏のビデオ『抗がん剤で殺される』を見て欲しい。医師の言うことだ
からと安易に信じてしまわないほうが、今の世の中では身の為である。

私としてはもともと脳死患者からの臓器移植には反対なので、具体的なケースを
シミュレーションする事には気が向かないけれど、もし真剣に考えればもっと問題
点が見つかるかも知れない。

こういう問題点の指摘は本来ならマスコミや文化人などの「お仕事」のはずだけど
今はそういう事を期待すること自体が無理であることだけは確かなようだ…


小野寺光一氏のメルマガ「政治経済の真実」からの転載です。この天下の悪法に
賛成した議員、また反対した議員の名前を留めておくために・・


(6/18)臓器移植法改正A案への賛否(衆院)

 18日の衆院本会議で可決された臓器移植法改正案(A案)に賛成した議員、
反対した議員、欠席・棄権した議員は以下の通り。(各党別、敬称略)

 ●賛成●

【自民党】
安次富修、逢沢一郎、愛知和男、赤城徳彦、赤沢亮正、赤間二郎、 甘利明、
井上喜一、井上信治、 井脇ノブ子、伊藤公介、伊藤忠彦、伊藤達也、飯島夕雁、

石崎岳、石田真敏、泉原保二、稲葉大和、 猪口邦子、今津寛、岩永峯一、 岩屋毅、

宇野治、上野賢一郎、浮島敏男、臼井日出男、江崎鉄磨、江崎洋一郎、衛藤征士郎、
遠藤宣彦、小川友一、小此木八郎、小野次郎、小野晋也、 小渕優子、尾身幸次、
越智隆雄、近江屋信広、大高松男、大塚高司、大塚拓、大野功統、大前繁雄、

大村秀章、岡下信子、岡本芳郎、

奥野信亮、加藤勝信、 加藤紘一、海部俊樹、片山さつき、金子一義、金子善次郎、
金子恭之、 亀井善太郎、亀岡偉民、川崎二郎、河井克行、河村建夫、瓦力、
木原稔、木村太郎、木村隆秀、木村勉、木村義雄、岸田文雄、北川知克、
北村茂男、久間章生、倉田雅年、

小池百合子、

小泉純一郎、小坂憲次、小島敏男、小杉隆、木挽司、  河野太郎、河本三郎、
高村正彦、近藤三津枝、近藤基彦、佐田玄一郎、佐藤勉、

佐藤ゆかり、佐藤錬、坂井学、坂本哲志、桜井郁三、桜田義孝、笹川尭、清水鴻一郎、
清水清一朗、塩崎恭久、篠田陽介、柴山昌彦

島村宜伸、新藤義孝、菅義偉、菅原一秀、杉浦正健、杉田元司、杉村太蔵、
鈴木俊一、鈴木淳司、鈴木恒夫、園田博之、田中和徳、田中良生、田野瀬良太郎、

田村憲久、平将明、  高市早苗、竹本直一、谷公一、谷川弥一、谷本龍哉、
玉沢徳一郎、中馬弘毅、

津島雄二、土屋品子、戸井田徹、渡海紀三朗、渡嘉敷奈緒美、土井亨、徳田毅、
冨岡勉、  

中川秀直、中川泰宏、中谷元、中野正志、中山太郎、仲村正治、永岡桂子、
長崎幸太郎、長島忠美、長勢甚遠、

二階俊博、西村康稔、西銘恒三郎、西本勝子、

額賀福志郎、野田聖子、野田毅、

萩生田光一、萩山教厳、橋本岳、馳浩、鳩山邦夫、浜田靖一、林幹雄、原田憲治、
原田令嗣、原田義昭、平井卓也、深谷隆司、福岡資麿、

福田峰之、福田康夫、藤井勇治、藤田幹雄、藤野真紀子、

船田元、古川禎久、古屋圭司、細田博之、馬渡龍治、牧原秀樹、

町村信孝、

松浪健四郎、松浪健太、松本純、松本文明、三ツ林隆志、三原朝彦、御法川信英、
宮腰光寛、宮沢洋一、武藤容治、村田吉隆、茂木敏充、盛山正仁、森英介、

森喜朗、

森山裕、森山真弓、矢野隆司、谷津義男、安井潤一郎、保岡興治、柳沢伯夫、
柳本卓治、山内康一、

山際大志郎、山口俊一、山口泰明、山本明彦、山本拓、吉川貴盛、吉田六左エ門、
吉野正芳、渡辺具能、渡部篤


【民主党・無所属クラブ】
安住淳、赤松広隆、石川知裕、石関貴史、市村浩一郎、内山晃、大畠章宏、

小沢一郎、岡田克也、菅直人

太田和美、逢坂誠二、川端達夫、吉良州司、黄川田徹、小平忠正、小宮山洋子、
近藤洋介、下条みつ、神風英男、

仙谷由人、田嶋要、田村謙治、高山智司、津村啓介、土肥隆一、中井洽、
中川正春、長島昭久、長安豊、

羽田孜、馬淵澄夫、牧義夫、


松野頼久、松原仁、松本龍、村井宗明、山岡賢次、山口壮、柚木道義、渡部恒三

【公明党】
赤羽一嘉、伊藤渉、石田祝稔、江田康幸、北側一雄、坂口力、
谷口和史、谷口隆義、

福島豊、冬柴鉄三、桝屋敬悟、池坊保子、

【国民新党・大地・無所属の会】
鈴木宗男、野呂田芳成

【無所属】
江田憲司、滝実、中村喜四郎、西村真悟、前田雄吉、渡辺喜美



 ●反対●

【自民党】
阿部俊子、秋葉賢也、麻生太郎、新井悦二、井沢京子、伊藤信太郎、伊吹文明、
石破茂、石原宏高、稲田朋美、今村雅弘、江渡聡徳、江藤拓、遠藤武彦、

遠藤利明、小里泰弘、小野寺五典、大島理森、太田誠一、岡部英明、嘉数知賢、
梶山弘志、上川陽子、鴨下一郎、木原誠二、北村誠吾、後藤茂之、佐藤剛男、

坂本剛二、塩谷立、七条明、実川幸夫、下村博文、鈴木馨祐、関芳弘、
薗浦健太郎、高鳥修一、棚橋泰文、谷垣禎一、谷畑孝、土屋正忠、寺田稔、

土井真樹、中野清、中山泰秀、丹羽秀樹、丹羽雄哉、

西川京子、西川公也、西野あきら、西村明宏、根本匠、葉梨康弘、萩原誠司、
早川忠孝、林潤、林田彪、平口洋、平田耕一、広津素子、

福井照、二田孝治、堀内光雄、松島みどり、松野博一、松本洋平、三ツ矢憲生、
宮路和明、宮下一郎、村上誠一郎、望月義夫、

山中あきこ、山本公一、山本幸三、山本有二、若宮健嗣、渡辺博道


【民主党・無所属クラブ】
池田元久、泉健太、岩國哲人、枝野幸男、小川淳也、小沢鋭仁、大串博志、
大島敦、岡本充功、奥村展三、加藤公一、金田誠一、川内博史、菊田真紀子、

北神圭朗、楠田大蔵、玄葉光一郎、小宮山泰子、古賀一成、後藤斎、

郡和子、近藤昭一、佐々木隆博、笹木竜三、階猛、篠原孝、末松義規、鈴木克昌、
園田康博、田島一成、田名部匡代

田中真紀子

高井美穂、高木義明、武正公一、筒井信隆、寺田学、長妻昭、西村智奈美、
野田佳彦、鳩山由紀夫、

原口一博、伴野豊、平岡秀夫、福田昭夫、藤井裕久、藤村修、古本伸一郎、
細川律夫、細野豪志、前原誠司、

松木謙公、松本大輔、松本剛明、三日月大造、三谷光男、三井辨雄、森本哲生、
山田正彦、山井和則、

横光克彦、吉田泉、笠浩史、和田隆志、渡辺周

【公明党】
赤松正雄、井上義久、石井啓一、漆原良夫、遠藤乙彦、大口善徳、太田昭宏、
神崎武法、佐藤茂樹、

斉藤鉄夫、田端正広、高木美智代、高木陽介、富田茂之、西博義、東順治、
古屋範子、丸谷佳織

【社民党・市民連合】
阿部知子、菅野哲雄、重野安正、辻元清美、照屋寛徳、日森文尋、保坂展人


 ●欠席・棄権●

【自民党】安倍晋三、赤池誠章、石原伸晃、今井宏、大野松茂、川条志嘉、
古賀誠、後藤田正純、斉藤斗志二、

高木毅、竹下亘、武田良太、武部勤、中川昭一、中根一幸、中山成彬、並木正芳、
平沢勝栄、保利耕輔、

増原義剛、水野賢一、山崎拓、山本朋広、与謝野馨

【民主党・無所属クラブ】
仲野博子、鉢呂吉雄、平野博文、古川元久、横山北斗、鷲尾英一郎

【公明党】
上田勇

 【共産党】
赤嶺政賢、石井郁子、笠井亮、穀田恵二、佐々木憲昭、志位和夫、塩川鉄也、
高橋千鶴子、吉井英勝

【国民新党・大地・無所属の会】
糸川正晃、亀井静香、亀井久興、下地幹郎、綿貫民輔

【無所属】
平沼赳夫、横路孝弘




(7/13)臓器移植法改正A案への賛否(参院)

【賛成(138)】

▼民主党・新緑風会・国民新・日本(52)

足立信也、浅尾慶一郎、家西悟、池口修次、岩本司、梅村聡、尾立源幸、
大久保潔重、大塚耕平、

加賀谷健、加藤敏幸、金子恵美、亀井郁夫、川合孝典、木俣佳丈、郡司彰、
小林正夫、行田邦子、

佐藤公治、桜井充、自見庄三郎、高橋千秋、武内則男、谷博之、津田弥太郎、
辻泰弘、外山斎、

徳永久志、轟木利治、内藤正光、直嶋正行、中谷智司、中村哲治、長浜博行、
長谷川憲正、平田健二

平野達男、平山幸司、広田一、広中和歌子、藤本祐司、藤原正司、前川清成、
増子輝彦、松浦大悟、

水戸将史、森田高、柳沢光美、柳田稔、吉川沙織、米長晴信、蓮舫

▼自民党(67)

愛知治郎、青木幹雄、秋元司、浅野勝人、石井準一、石井みどり、泉信也、
礒崎陽輔、

市川一朗、岩城光英、岩永浩美、尾辻秀久、岡田直樹、岡田広、荻原健司、
加治屋義人、加納時男、川口順子、河合常則、木村仁、岸宏一、岸信夫、

北川イッセイ、小池正勝、鴻池祥肇、佐藤昭郎、佐藤信秋、佐藤正久、椎名一保、
島尻安伊子、末松信介、鈴木政二、

世耕弘成、関口昌一、田村耕太郎、伊達忠一、塚田一郎、鶴保庸介、中曽根弘文、
中村博彦

中山恭子、二之湯智、西島英利、西田昌司、野村哲郎、南野知恵子、長谷川大紋、
橋本聖子、林芳正、藤井孝男、古川俊治、牧野たかお、

舛添要一、松田岩夫、松村祥史、松村龍二、松山政司、水落敏栄、溝手顕正、
森まさこ、矢野哲朗、山崎正昭、山田俊男、

山本一太、山本順三、吉田博美、吉村剛太郎

▼公明党(14)

荒木清寛、魚住裕一郎、風間昶、草川昭三、木庭健太郎、西田実仁、浜田昌良、
浜四津敏子、

弘友和夫、松あきら、山口那津男、山本香苗、山本博司、渡辺孝男

▼改革クラブ(4)

荒井広幸、大江康弘、松下新平、渡辺秀央

▼無所属(1)

山東昭子


【反対(82)】

▼民主党・新緑風会・国民新・日本(56)

相原久美子、青木愛、犬塚直史、植松恵美子、小川勝也、小川敏夫、大石尚子、
大河原雅子、大久保勉、

大島九州男、岡崎トミ子、風間直樹、神本美恵子、亀井亜紀子、川上義博、
川崎稔、喜納昌吉、工藤堅太郎、

輿石東、今野東、佐藤泰介、芝博一、島田智哉子、下田敦子、主濱了、鈴木寛、
鈴木陽悦、田中康夫、高嶋良充

谷岡郁子、千葉景子、ツルネン・マルテイ、富岡由紀夫、友近聡朗、那谷屋正義、
西岡武夫、羽田雄一郎、白真勲、

林久美子、姫井由美子、福山哲郎、藤末健三、藤田幸久、藤谷光信、藤原良信、
舟山康江、前田武志、牧山ひろえ、

松井孝治、松岡徹、松野信夫、円より子、水岡俊一、室井邦彦、森ゆうこ、簗瀬進

▼自民党(6)

有村治子、神取忍、中川雅治、丸山和也、山谷えり子、若林正俊

▼公明党(6)

浮島とも子、沢雄二、白浜一良、谷合正明、山下栄一、鰐淵洋子

▼共産党(7)

井上哲士、市田忠義、紙智子、小池晃、大門実紀史、仁比聡平、山下芳生

▼社民党・護憲連合(4)

近藤正道、福島みずほ、渕上貞雄、山内徳信

▼無所属(3)

糸数慶子、川田龍平、田中直紀


【棄権・欠席(21)】

▼民主党・新緑風会・国民新・日本(10)

石井一、一川保夫、大石正光、北沢俊美、榛葉賀津也、田名部匡省、峰崎直樹、
山下八洲夫、山根隆治、横峯良郎

▼自民党(8)

衛藤晟一、小泉昭男、谷川秀善、中川義雄、丸川珠代、山内俊夫、義家弘介、
脇雅史

▼公明党(1)

加藤修一

▼社民党・護憲連合(1)

又市征治

▼無所属(1)

江田五月


脳死を人の死と認めることには反対です…⑦

2009年07月01日 | 脳死・臓器移植

脳死による臓器移植に関する人々の考え方で多いと思われるものに「自分が脳死に
なったら臓器を提供しても良いが、家族が脳死になった場合は臓器提供には抵抗が
ある」というものがあります。

この「自分の臓器を人助けの為に役立てて欲しい」という考えは、TVなどで放映
される「臓器に疾患を持つ幼い子供」の映像記憶などによって(もしかしたら意図
的に)形成させられてしまったものかも知れません。

何故ならマスコミは「80歳の莫大な資産家が若者の健康な臓器の移植を希望して
います」などとは決して報道するわけがありません。臓器移植は、なにも先天的な
臓器機能不全を持った可愛そうな子供や、将来のある若者達にだけに施す手術では
ないのです。

自分が提供する臓器が「どこの誰に」移植されるかドナーには分からないのです。
もし相手が金持ちの強欲なお年寄りだと想像(仮定)しても、ドナーになる事に
同意する気持ちに変わりはないでしょうか。

まあ臓器を必要とする相手が資産家なら臓器提供に対する謝礼も高額かもしれま
せんが…?

それにしても臓器に所有権があるから売買という発想になるのか…私にはよく分か
りません。そして脳死になった子供の臓器は親のものなんですか?多分おおかたの
人達は、自分自身の臓器だって本当に自分のものかどうかなど突き詰めて考えた
ことはないでしょう。

だからもし自分の臓器は自分のものか問われれば反射的に「当然」という答えが
浮かんでくるのではないかと思うのですが。

しかし身体は単なる個人の所有物ではないでしょう。身体の働き(生命の営み)に
関して私達は自分の意志でそれを変えることは出来ない、つまり心臓の鼓動や消化
器の働きを意のままに変えることなど出来ないという意味です。

言葉では上手く表現出来ませんが、本人でさえ自由に出来ない臓器を、他人に提供
するという発想自体、極端に言えば人間の「思い上がり」のように思います。

何に対しての「思い上がり」かというと、それは「神」に対して。神様でもいいし
命を命たらしめている「大生命」でもいい…

そういう感性が希薄になってしまっている現代だから、今の世界の混迷が生まれて
いるのではないかと思うのです。

「神無き教育は知恵ある悪魔を作る」・・一説にはガリレオ・ガリレイの言葉とも
伝えられるこの教訓が、今こそ必要な時はないのでは?と思う今日この頃です。


脳死を人の死と認めることには反対です…⑥

2009年07月01日 | 脳死・臓器移植

今まで書いてきた通り、脳死を人の死と認めることなど言語同断の行為であると
言わざるを得ません。

でも一般人の立場としては医学的な知識がないから、医学者がそのような事を認め
ているのなら正しいのではないかと思ってしまいがちかも知れないけれど、反対の
意思を貫いている医師の方達も多い事実は軽視されています。

また、臓器移植を推進したい勢力に対して、立場上配慮せざるを得ない医療関係者
もあることでしょう。

脳死が「死」であるなら、例えば脳死になってから3ヶ月も経った女性が出産した
ケースを「死人が出産した」と言うのでしょうか?

5歳の時に脳死になり、その後十何年も生き続けて普通の人間と同じように成長
しているというケースを「死人が成長している」と言うのでしょうか?

そういう事実を知っても「でもやはり…」と考える人も少なくないと想像します。
「脳死になっても生きている価値があるのだろうか?」という気持ちがあれば、
上記のような事例をいくつ聞いたとしてもきっと考えは変わらないでしょう。

脳死をどう考えるか、その考え方には各人が持つ「生命観・人間観」が影響して
いるかもしれません。「死んだら全てが終わり」「人間には価値ある者とそうで
ない者がいる」というような考えを内に持っていれば、脳死患者からの臓器移植は
価値あることになってしまいます。

また魂の存在というものを信じられなければ、はたして「脳死の状態での生」が
本人(及び家族、周囲)にとって意味のあるものなのかどうかと疑わざるを得ない
でしょう。

でもスピリチュアルな観点から言えば、例え脳死であろうと本人も周囲もその中で
沢山のことを学び成長している過程にあるとのことを、私は固く信じています。

そして、そういう立場から見れば、脳死患者からの臓器移植という行為は、大変な
負のカルマになってしまうとのことなのです。多数の人達の募金に頼った場合には
それだけ多くの人達を「極端に言えば犯罪にも匹敵するようなこと」に巻き込んだ
ことになって…

まあ、どう考えるかはあくまで個人の自由ですけどね。

                                      


脳死を人の死と認めることには反対です…⑤

2009年06月30日 | 脳死・臓器移植

臓器移植に使うドナーの臓器のことに関してです。ほとんどの人は心臓死で最期を
迎えるわけで、脳死状態になるケースはほんの一部(0,4%)です。要するに、
移植の為に臓器を乞われるドナーというのは、事故などで身体の方はさほど大きな
ダメージを受けなかったけれど頭には…という場合でしょう。

そのようなケースは全体から見れば稀少なケースです。そのような亡くなり方を
する少ない人達の、そのまた一部の人達が臓器を提供していることを考えると、
私にはある疑問が生じてしまいます。

それは、これまでに移植の為に渡米した人達のドナーが「意外に早く」見つかって
いることです。特に小さい子供の場合など、ドナーもそれなりの年齢の子と思われ
るのに何故こんなに早く手術が出来たのかというのが「?」なところです。

ドナーの家族の立場なら、幼い我が子が脳死になったからといって安易に臓器
提供を受け入れはしないでしょう。しかし、そこに多額の金銭が絡めば「話は別」
になることは考えられます。

そして、臓器移植に絡む人身売買の噂。ブラジルなどで親のない子供達を「飼育・
管理」して金持ちに臓器を売るという臓器売買ビジネスの存在は、単なる噂では
無さそうです。

もしA案が参院も通過してしまったらどうなるのでしょう。事故で病院に運ばれた
子供が「脳死」と告げられ、もし臓器を提供してくれれば?千万円の報酬を…と
言われたら、中には心が動いてしまう親だっているでしょう。

臓器移植が早くから行われているアメリカではドナーになった人達の家族(遺族)が
後になって「後悔」して苦しむことも多いということは、このような行為が単純に
「人助け」にはなってはいないことを示しているのではないかと思います。

          ※独り言:オバマさんでもマシュー君でもいいから、
              この問題(脳死とか臓器売買)なんとかして欲し…



臓器移植はしないという選択

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

脳死問題にとって切り離すことが出来ない臓器移植ですが…

「臓器移植をしなければ命は長くない」ー世の中には家族がこのような宣告をされ
てもあえて臓器移植を望まない人達も少なくないと思います。

例えそれが可愛い我が子であったとしても、そのような運命(宿命)を受け入れて
残された日々を大切に過ごされている方達がおられるでしょう。「諦め」という
境地からではなくて、言うならば達観した境地からそのような「積極的な選択」を
されているケースを、周囲はどう見るのでしょうか?

「親に臓器移植をしてもらえない可愛そうな子供」…そんな風に同情の目を持って
みる人達もいるのでしょうが、私はそのような選択を評価します。

でも、臓器移植とか脳死を考える場合に、「命」とは何かという事についてどう
考えているかで、結論は正反対になってしまいますよね。臓器移植賛成派には、
「死んだらそれまで」という考え方が多いと思われます。

人の命というものを、この肉体というものに限定して考えるなら、それを延命出来る
可能性のある臓器移植に賛成する人達の論理は正しいのかも知れません。

それでも脳死患者から臓器を取り出す時に「涙を流したり」「のた打ち回ったり」
することがあるという事実を知っても、脳死は死であると認める気持ちに変わり
ないのでしょうか。

どっちみち脳死になったら「痛みも苦しみもない」と考えるのか、「脳死状態で
生きてる事になど意味が無い」と考えるのか・・・



そして臓器移植にかかる巨額な費用の問題があります。多くの臓器移植のケースで
「不特定多数の人達からの募金」が行われています。この募金の対象者になった
場合(職場や学校などの組織で募金を募る場合)それを拒否することは、「余程の
ケチ」か「冷たい心の持ち主」というレッテルを貼られてしまう恐れがあります。

私も過去2回ほど、このような「半強制的な善意の募金」に従わざるを得ませんで
した。個人的に臓器移植には反対だからといって募金を拒否する勇気はありません
でした。

世の中には、きっと私と同じように、臓器移植(脳死)を認めていなくても募金を
してきた人達は沢山いるだろうと思います。でも、決して口に出して「私は臓器移
植に反対だから募金はしません」とは言えないでしょう。

たぶん表向きは「喜んで」募金に応じざるを得ない人が大半だと思います。1人
あたり「たった500円か1000円の募金」だとしても1万人でやっと5百万円
か1千万円です。おそらく数万人かそれ以上の規模の人達からの募金がなければ、
余程の資産家でもない限り脳死のドナーからの臓器移植は無理な話です。

そして募金で集まったお金で手術しても、余った多額の額を返済するわけでも何ら
かの寄付にまわすわけでもないケースが多いという事を、相当以前の話だけど、
作家の家田荘子氏がTVで話していたことを覚えています。

当時は子供の臓器移植のためにオーストラリアに行くケースが多く、集まった多額
の募金を使い切るために、現地で一軒家を借りたり、高級車を買って病院通いを
したり、毎週のように高級レストランで豪華な食事とか、派手な退院パーティーとか、
多くの家族の目に余る行為に呆れた話をされていました。

現在はそこのところがどうなのか、何か圧力でもかかったのか、そういう事を口外
する著名人を知りません。最近はアメリカに行くケースが多いようなので、そこまで
金銭的な余裕はないかも知れません。

でも募金額もきっとそれに合わせていると思われますし、我子可愛さとはいえ成功
(延命)が約束されたわけでもない臓器移植のために、死んでいるという証明も
出来ない人間の臓器を取り出して我が子に移植する行為のために「見ず知らずの何
万人もの人達」から巨額な募金を受け取るということ拒否しないという点では今も
変わりはないでしょう。

「命を救う」という美名の下に、「子供の命を救いたいという親の気持ち」に対す
る同情心ゆえに、客観的で冷静な思考が傍らに押しやられているように思います。

 ※独り言…事故で亡くなったマシュー君とお母さんへのメッセージに対する甘い
      評価にも、こういう心理(情に掉させば流される)が働いているかでしょう
      か。夏目漱石の「草枕」の冒頭にあるこの言葉、ホント名言。

というような訳で、まだ理由はあるけれど、臓器移植をしないという選択はもっと
もっと尊重されるべきものだと思います。





脳死を人の死と認めることには反対です…④

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

先日、衆院での脳死法案(A案)通過には、正直驚きました。まさか一番可決して
欲しくなかった案が通過したなんて…

国会の先生方は、はっきり言って平均年齢も若いわけじゃないからもっと保守的に
この問題を考えていると思っていたけど、見事に憶測が外れてしまいました。

それにお仕事柄お付き合いも多いから、今までに多くのお知り合いの方を亡くされ
ているだろうから、きっと人の死という事に対しては慎重な態度表明をするのでは
ないかという期待も見事に裏切られてしまったようです。

それにしても一体全体、国会のお偉い先生方は何を考えて「A案」に一票を投じたの?
もしご自身の子供や孫が「脳死状態」になったら臓器移植に応じる覚悟はあるの?

というより、それくらいのことは喜んで受け入れるという決意も無しにA案に賛成
したとするなら、「国家の舵取りをお任せできる政治家としては」すでに脳死状態
だと判断したい気持ちです。

古今東西、いや人類の歴史始まって以来の「死の定義」は、「崇高なもの」である
はずです。現在の西洋医学という限られた狭い立場からの「延命の可能性があると
いう仮定を前提にした臓器移植」のために、何ゆえに「崇高な死の定義」まで踏み
にじる必要があるのでしょう?

脳死を人の死と認める国会の先生方に、自らが犯している愚行を理解してもらう
のは無理みたいだけど、いつかは必ず「日本の議会史の汚点」として見られる時代
が来ると確信しています。



かく言う私自身も家族を脳死で亡くした一人です。もともと脳死を認めていたわけ
ではなかったけど、実際に経験した立場として嫌というほど「脳死が死ではない」
ことを思い知らされました。

我家の場合、事故で頭に損傷を受けてしまい、集中治療室に入れられましたが脳内
の出血がひどく、その後脳死状態になってしまいました。

だから今までの記事①~③にあるような内容は他人事として転載したわけではなく
共感・実感です。実際、亡くなる前の面会時間には涙を流していました。集中治療
室は1日に3回か4回の面会時間(1回30分)があるのですが、その亡くなる前
の面会時間の時に涙が流れて、きっとそれが別れの挨拶だったのでしょう・・

上記と矛盾するけど、正確に言うと「最後の面会時間」はもう1回ありました。
でも、その時にはもう亡くなっていたのです。これは信じてくれなくても構わない
けれど、私にはわかったのです、もう魂が抜けてしまっていたのが。

治療室に入るなり、そこに横たわっているのが息をしている肉体ではなくて、石の
ように冷たい物体に感じました。その時に、何故昔から遺体のことを「亡き骸」と
呼ぶのか、骨身に沁みて分かりました。「ああ、魂が抜けてしまったから亡き骸と
言うんだ。でもどうして…まだここにいるの?今どこにいるの?」

その時は「何故皆には分からないのだろう?」という気持ちが結構強かったけど、
今考えると一般的にはそれが普通なんでしょうね。「私には魂が抜けているのが
分かった…」なんて言っても、白い目でみられるか、精神か頭の状態に同情される
かが関の山だったでしょう。


でも、やはり(だから)脳死に対しては「反対」の声を上げずにはいられません。




脳死を人の死と認めることには反対です…③

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

以下は、五島メンタルクリニック様のHPからの転載です。

 
(A)臓器移植が正しい医療ではない理由

1:医療は与えられた患者一人で完結すべきであるのに、移植は第三者を巻き込む。
その巻き込み方は様々であるが、本来「脳死」臓器移植は殺人、心臓停止後の角膜・
腎臓移植は死体損壊、生体肝移植などは傷害の罪に当たるはずである。

2:臓器移植は本質的に人肉食(カンニバリズム)に通ずる残酷な行為であり、
人肉食が許されないのであれば、臓器移植も許されるべきではない。

3:移植は自分が生きる為に他人の死を期待する医療で、未来永劫にわたって人間
精神の荒廃を招く。臓器提供者の善意はなるほど貴重なものであろうが、その善意
は残念ながら善意で終わらず、人の欲望を増幅させる効果を持つ。

4:移植は人を単なる部品の集まりと見る人間機械論で、これは人の命の唯一性を
否定するものであるが、移植後免疫抑制剤の投与を要することや、心肺同時移植を
受けた患者が臓器提供者の性格や食べ物の好みをすっかり受け継いだ実例などは、
臓器が交換可能な万人共通の機械部品とは異なることを示し、その論理の破綻は明
らかである。

5:移植推進派は移植を受ける側(レシピエント)の命のかけがえがないことを強
調する一方で、臓器提供者(ドナー)の命のかけがえのなさは無視して人の命に軽
重をつけ、更に部品交換を強行することで命のかけがえを狙うという二重の誤りを
犯している。

6:人は他の人格を必ず目的として扱うべきでこれを手段としてのみ扱ってはなら
ぬというカントの定言律は、時代と国境を越えて通用する普遍的道徳律であり、こ
れこそが人を他の動物から区別する条件だとされる。臓器移植はまさに他の人格を
手段としてのみ扱うものであり、移植推進派は人であることを放棄するつもりなのか?

                   
(B)脳死状態を人の死と認めるべきではない理由

1:身体が温かく、皮膚の色もよい脳死状態の人を死体と思えないのは人情の自然
であり、また脳死状態からの妊婦の出産も何例も報告されている。

2:心臓が止まって身体が冷たくなって行くことで泣く泣く愛する者の死を受容れ
るという誰にも納得できる死の基準を用いるのは、人類何万年の経験智であり、
文化である。

3:脳死を個体の死と見て全ての臓器・組織をばらばらに摘出してよいなら、将来
的には首のすげ替えまで行き着くのを禁止する論理はないが、それを認めるか?

もしこうした文化論を移植推進派がなお単なる感情論だと強弁し、もっと理性的に
議論せよと主張するのならば、彼等は以下の科学的事実に反論する義務がある。即ち、

4:脳死状態で体温が正常に保たれるのは、脳の体温調節中枢の機能健存を示すも
のであり、また脳の視床下部からの或る種のホルモン産生も認められている。現在
脳死状態での世界最長生存記録は、5歳の時に脳死に陥ってから16年以上生存して
いる小児で、その間身体的にはほぼ正常の発育を示している。

5:脳幹死をもって人の死とする英国で、ドナーの皮膚切開による血圧上昇(即ち
脳幹機能の存在)、心拍促進や体動が多数例で見られ、1985年に報告されている。
現在欧米では脳死ドナーの臓器摘出手術時に麻酔をかけており、旧厚生省の臓器摘
出マニュアルにも麻酔器の設備が示されているのは、脳死患者が痛みを感ずる(即ち
生きている)ことを移植医が知っているからに他ならない。

6:1998年にサンパウロ国立大学脳外科教授から筆者宛に届いた外傷性脳虚血の動
物実験成績では、脳血流がある程度減少すると、シナプスの機能が抑制される為脳波は
平坦になって脳死判定基準を満たすが、脳細胞は生きており、脳を冷やすと脳血流が
増して脳機能は回復するという。

これはまさに日大で始められた脳低温療法の画期的成果を実験的に裏付けるもので
ある。一方この時人工呼吸器を止める無呼吸テストをすると、脳血流が臨界値以下
に低下して脳細胞は死んでしまうので、同教授は無呼吸テストは脳死の診断法では
なく作成法だと結論しており、脳死判定基準から無呼吸テストは削除すべきであろう。

なおこの成績からは、真に不可逆的な脳機能の廃絶は脳低温療法を行って見なけれ
ば診断出来ないことが結論され、貴院における法的脳死判定で「脳機能の回復不能
が分かった」と主張される先生の論理には根拠がないと言わざるを得ない。

7:脳死問題に関しては、国際的に著名な3人の学者の編集で、11名の著者の論文
を集めた単行本Beyond Brain Death:The Case Against Brain Based Criteria
for Human Death,Dordrecht,Kluwer Academic Publishers,2000が出版され、哲学的、
文化的、医学的、すべての面から、脳死状態は人の死ではないことを徹底的に論考
しており、筆者も1章を執筆している。



脳死を人の死と認めることには反対です…②

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

以下は小野寺光一氏のメルマガ「政治経済の真実」6月16日号からのものです。

 
脳死は人の死ではなく、まだ生きている状態である。痛みを感じる状態である。
なによりも心臓が動いているということはまだ脳の基本的な部分(脳幹)は生きて
おり、死んではいないのだ。単に情報を判断する脳が機能しなくなった状態である。



臓器移植法案は廃止すべきである。

(脳死について)現在、「脳死は人の死である」と勝手に決めて移植法案改悪を
しようとしている。もともと人殺し法案と言われている臓器移植法をさらにひどく
する結果になってしまう。経済政策では、中小企業がまだ必死に生きているのに、

「あなたは死にそうですからもう死んでいることにします」といって外資の「死体
を食べるファンド」に会社の死体をくれてやる政策を小泉竹中がやっているが、
その経済政策路線そっくりである。

               (中略)


記憶が取り出せず、言語機能もなくし外部とはまったくコミュニケーションがとれ
ないが、まだその人は生きているのである。まだ息をしているのである。

たとえば、脳死と似ている人に、アルツハイマーやぼけ老人というのがある。脳が
部分的に死んでしまっている人たちである。部分脳死の人たちである。

彼らは脳が萎縮してしまい、小さくなってしまっている。つまり80%脳死の人
たちである。政治家の主張の「脳死」を「ぼけ老人」に置き換えてみる。つまり
ぼけ老人が部分的に脳死になっていき、90%ぐらい脳が死ぬと寝たきり老人に
なるだろう。

それが100%までいったのが脳死、100%脳が機能しなくなったぼけ老人、
植物人間という状態である。

「見るからに生きているように見えるから臓器移植なんてのは私は賛成できない」
と野中という政治家は発言していたが、生きているように見えるのではなく実際に
生きているのである。

単に臓器移植のために死んだことにしたいだけだ。患者が痛かろうが、外部とまったく
意思疎通ができないことをいいことに考え出された手法である。




K野たろう氏のメルマガから(K野太郎)臓器移植法の改正の検討会。
ヒアリングを受けて。脳死は人の死だというのは譲れない。そうでなければ
心臓移植のために心臓を摘出している医者は人殺しになってしまう。

→(脳死をぼけ老人に書き換えたたとえ話)「ぼけ老人(=脳死)は人の死だ」と
いうのは譲れない。そうでなければ心臓移植のために心臓を摘出している医者は
人殺しになってしまう。


(小野寺光一)→実際にやっていることは、脳死の臓器摘出は「人殺し」そのもの
である。だから、反対が多かったのだ。だから以前、一度、臓器移植が一度解禁に
なりながら、「あまりにもむごい」として廃止になったのである。

いきながら殺しているからだ。患者は実は痛みを感じているのである。脳死の人は
臓器を取り出されるときにはたからみてものすごく苦しみを感じているのが伝わって
くると医者が言っている。涙を流す患者もいる。

つまり医者にしてみれば、脳が動かなくなってまったく意志疎通が外部ととれなく
なってしまった状態の生きている人を「生きながら」心臓をえくりとっているのと
同じことをやっているのである。

昔アステカがいけにえにやっていたことと同じことを現代でやっている。当たり前
だが、生きながら心臓をえぐりとられるほうは恐ろしいほどの痛みを感じるらしく
「脳死の人が涙を流す」と医者はいう。

だから医者が「殺人をやっているみたいで」嫌がるのである。実際にやっている
ことは相手が意思疎通できないとしても殺人そのものである。



(K野太郎)だが、脳死は人の死とは思えないという人達の気持ちをくみ取らなけ
ればならない。そこで...一、脳死は人の死である

一、脳死と判定されるためには法的脳死判定により脳死判定が必要一、法的脳死判
定をやるかどうかに関して、自己決定権を与えるつまり、脳死は人の死という大原
則は曲げられない。



(小野寺光一)→まったく自分たちの政治的都合から、「脳死は人の死」という
ことを主張しており、真実を追究する観点が欠落している。

はたから見て、勝手に「お前はすでに死んでいる」と勝手に判断して臓器を取り
去るのである。

               (中略)


(小野寺光一)→実際に脳死して、「生きているのに外部とは連絡をとりえない」
事態に陥っている人間が、生きている前から「脳死反対」をしていても、家族が、

「借金を返すため」「臓器を売るならお金になるから」と思って、「臓器移植に
賛成」してしまったら、その、「脳死をしているが、実際には生きている人」は
恐ろしい目にあう。

いきながらにして臓器をえぐり取られるのである。そして何も外部と意思疎通が
できない。

すごいのは、交通事故で脳が完全に停止した人つまり脳死であるとされている人が
その3ヵ月後に子供を出産した例まである。つまり脳が機能しないだけで生きて
いるのである。

臓器移植というのは「金になるビジネスである」から当時強引に導入されてしまった
経緯がある。政治家の勝手で決めているのである。脳死を人の死だと、定義する
ことは、単に金儲けのために人を犠牲にして合法的に殺してしまうためである。

古来、人は本当に死亡した場合でもお通夜という形式で、1日くらい、霊魂が肉体
から離れるのを待っていた。もし本当に死んでからすぐにお通夜もなく火葬して
しまったら、まだ肉体と霊魂が完全に分離していないうちに火にくべられることに
なる。

本当に霊魂が肉体から離れたら急速に肉体は腐り始めるがまだ脳死状態では、霊魂
が肉体から離れていない。つまり人間の死ではない。

脳死を人の死と認めることには反対です…①

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

以下の記事はhttp://pikaia.v-net.ne.jp/sign.htmlからの引用です。


 
日本の皆様へ
「脳死」臓器移植反対・国際共同署名への参加よびかけ


「脳死」宣告を受け自分が生きていくのに不可欠の臓器を摘出してもよいとした
ドナーの数は、世界的に、減り続けています。
なぜか?「脳死」に疑問を持つ人が増えているからではないでしょうか?

「脳死」移植が日本より早く行われている国々では、早く行われていたがゆえに、
問題点も顕在化しています。英国で巻き起こっている「脳死で臓器摘出する手術中
に患者がのたうちまわる」というような事実。米国で、ドナー不足を、交通規制の
緩和(すなわち交通事故を増やす)で解消しようという計画があった事実。殺人が
らみの臓器売買の横行や、病院ぐるみの臓器売買の事実など。

このような事実から、「移植先進国」といわれる国々でも、「脳死」に疑問を唱え
る人々や、「脳死は人の死」を前提とした「脳死移植医療」に疑問を唱える人々が
たくさん存在しています。そのような人々の中から、「脳死」移植に反対する声明
を世界に発進したグループがあり・・・・・