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脳死を人の死と認めることには反対です…②

2009年06月29日 | 脳死・臓器移植

以下は小野寺光一氏のメルマガ「政治経済の真実」6月16日号からのものです。

 
脳死は人の死ではなく、まだ生きている状態である。痛みを感じる状態である。
なによりも心臓が動いているということはまだ脳の基本的な部分(脳幹)は生きて
おり、死んではいないのだ。単に情報を判断する脳が機能しなくなった状態である。



臓器移植法案は廃止すべきである。

(脳死について)現在、「脳死は人の死である」と勝手に決めて移植法案改悪を
しようとしている。もともと人殺し法案と言われている臓器移植法をさらにひどく
する結果になってしまう。経済政策では、中小企業がまだ必死に生きているのに、

「あなたは死にそうですからもう死んでいることにします」といって外資の「死体
を食べるファンド」に会社の死体をくれてやる政策を小泉竹中がやっているが、
その経済政策路線そっくりである。

               (中略)


記憶が取り出せず、言語機能もなくし外部とはまったくコミュニケーションがとれ
ないが、まだその人は生きているのである。まだ息をしているのである。

たとえば、脳死と似ている人に、アルツハイマーやぼけ老人というのがある。脳が
部分的に死んでしまっている人たちである。部分脳死の人たちである。

彼らは脳が萎縮してしまい、小さくなってしまっている。つまり80%脳死の人
たちである。政治家の主張の「脳死」を「ぼけ老人」に置き換えてみる。つまり
ぼけ老人が部分的に脳死になっていき、90%ぐらい脳が死ぬと寝たきり老人に
なるだろう。

それが100%までいったのが脳死、100%脳が機能しなくなったぼけ老人、
植物人間という状態である。

「見るからに生きているように見えるから臓器移植なんてのは私は賛成できない」
と野中という政治家は発言していたが、生きているように見えるのではなく実際に
生きているのである。

単に臓器移植のために死んだことにしたいだけだ。患者が痛かろうが、外部とまったく
意思疎通ができないことをいいことに考え出された手法である。




K野たろう氏のメルマガから(K野太郎)臓器移植法の改正の検討会。
ヒアリングを受けて。脳死は人の死だというのは譲れない。そうでなければ
心臓移植のために心臓を摘出している医者は人殺しになってしまう。

→(脳死をぼけ老人に書き換えたたとえ話)「ぼけ老人(=脳死)は人の死だ」と
いうのは譲れない。そうでなければ心臓移植のために心臓を摘出している医者は
人殺しになってしまう。


(小野寺光一)→実際にやっていることは、脳死の臓器摘出は「人殺し」そのもの
である。だから、反対が多かったのだ。だから以前、一度、臓器移植が一度解禁に
なりながら、「あまりにもむごい」として廃止になったのである。

いきながら殺しているからだ。患者は実は痛みを感じているのである。脳死の人は
臓器を取り出されるときにはたからみてものすごく苦しみを感じているのが伝わって
くると医者が言っている。涙を流す患者もいる。

つまり医者にしてみれば、脳が動かなくなってまったく意志疎通が外部ととれなく
なってしまった状態の生きている人を「生きながら」心臓をえくりとっているのと
同じことをやっているのである。

昔アステカがいけにえにやっていたことと同じことを現代でやっている。当たり前
だが、生きながら心臓をえぐりとられるほうは恐ろしいほどの痛みを感じるらしく
「脳死の人が涙を流す」と医者はいう。

だから医者が「殺人をやっているみたいで」嫌がるのである。実際にやっている
ことは相手が意思疎通できないとしても殺人そのものである。



(K野太郎)だが、脳死は人の死とは思えないという人達の気持ちをくみ取らなけ
ればならない。そこで...一、脳死は人の死である

一、脳死と判定されるためには法的脳死判定により脳死判定が必要一、法的脳死判
定をやるかどうかに関して、自己決定権を与えるつまり、脳死は人の死という大原
則は曲げられない。



(小野寺光一)→まったく自分たちの政治的都合から、「脳死は人の死」という
ことを主張しており、真実を追究する観点が欠落している。

はたから見て、勝手に「お前はすでに死んでいる」と勝手に判断して臓器を取り
去るのである。

               (中略)


(小野寺光一)→実際に脳死して、「生きているのに外部とは連絡をとりえない」
事態に陥っている人間が、生きている前から「脳死反対」をしていても、家族が、

「借金を返すため」「臓器を売るならお金になるから」と思って、「臓器移植に
賛成」してしまったら、その、「脳死をしているが、実際には生きている人」は
恐ろしい目にあう。

いきながらにして臓器をえぐり取られるのである。そして何も外部と意思疎通が
できない。

すごいのは、交通事故で脳が完全に停止した人つまり脳死であるとされている人が
その3ヵ月後に子供を出産した例まである。つまり脳が機能しないだけで生きて
いるのである。

臓器移植というのは「金になるビジネスである」から当時強引に導入されてしまった
経緯がある。政治家の勝手で決めているのである。脳死を人の死だと、定義する
ことは、単に金儲けのために人を犠牲にして合法的に殺してしまうためである。

古来、人は本当に死亡した場合でもお通夜という形式で、1日くらい、霊魂が肉体
から離れるのを待っていた。もし本当に死んでからすぐにお通夜もなく火葬して
しまったら、まだ肉体と霊魂が完全に分離していないうちに火にくべられることに
なる。

本当に霊魂が肉体から離れたら急速に肉体は腐り始めるがまだ脳死状態では、霊魂
が肉体から離れていない。つまり人間の死ではない。

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