西堀→田島(隣地境界橋)
鴻沼資料館
鴻沼(こうぬま)資料館の成り立ち
鴻沼一帯は低湿地だったため、上流から流入する水や、台風などの出水等で、たびたび稲作に大きな障害が与えられていました。そこで、昭和31年(1956)近隣の人々が集まって鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合を結成し、排水路の改修や、下流部の田島地内での鴻沼排水機場の設置を行いました。
組合は、このような地域の開発の歴史を後世に残すため、地域住民から寄贈された民俗資料を基に、この資料館を設置しました。平成4年に組合は事業完遂により解散しましたが、資料館は、その後を受けた清算法人鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合から浦和市に寄贈され、平成7年7月からは浦和市立郷土博物館(現・さいたま市立浦和博物館)の分館として公開されてきました。
平成13年5月、さいたま市の誕生とともに、鴻沼資料館は、浦和くらしの博物館民家園の分館となり、平成23年4月からはさいたま市立博物館の分館として現在に至っています。
鴻沼
現在では「高沼」と表記しているものが多いのですが、もともとは「鴻沼」と書きました。
江戸時代に、現在の下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。
その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水の代わりの用水として「鴻沼用水」という名称で、以降 270年にわたる長い間近隣の水田を潤すことになりました。この「鴻沼用水」はまさに、市内東部にある「見沼代用水」のミニチュア版だったのです。
鴻沼用水
下落合から鴻沼低地をはさんで東縁と西縁に分かれて南下し、周辺の新田を潤していた水路です。井沢弥惣兵衛為永が享保13年(1728)に利根川から引いた見沼代用水西縁から分水し、新都心駅南側の高台橋で中山道をくぐり、新田開発されたこの地域と、下流部の新田を潤していました。しかし、現在ではその役割を終えています。
利用案内
開館時間
9時から12時
休館日
- 月曜日・木曜日(祝日にあたる場合は開館)
- 祝日の翌日(土曜日・日曜日・祝日は除く)
- 年末年始(12月28日から1月4日)
入館料
無料
交通案内
- JR武蔵野線西浦和駅下車、徒歩約12分
- JR埼京線中浦和駅下車、徒歩約12分
- JR京浜東北線浦和駅から、国際興業バス西堀経由北浦和駅行き『西堀』下車すぐ