ちーむ☆ものくろ

黒色ダップー犬と飼い主の日々のつぶやき。
ときどき白黒ネコと茶色の犬の話も、ね。

90歳になる親友のこと

2021-06-09 | 日常・つぶやき

ゆうらさんは元気です。日々平穏で これと言って書くこともないので。

今日は友達の話でも書きましょう。興味がない方はスルーしてね。

 

今朝 2週間ぶりにNちゃんに電話した。

コロナワクチン接種を受けたかどうか 気になってたから。

私の親友のひとり。Nちゃん。

ときどきブログの話の中に登場していた 元職場 某大学病院で一緒だった 婦長(師長)さんです。

なんと実母より年上。今月で90歳になります。

生涯独身で 今はこれまた17歳の柴犬マロンとの二人暮らし。

(犬の世話はとても親切なお隣さんと 友人たちが協力しているので心配無用。でもいよいよマロンが弱ってきて

そろそろお迎えがくるのかな・・・・な様子なのも気になっての電話 でもありました)

Nちゃんと出会ったのは 私が病院に就職した20代後半 Nちゃんが60歳少し過ぎたころ。

Nちゃんは定年を迎えてたけれど 豊富な看護の知識と 抜群の英語力をかわれて 病院の受付で

どの科に行ったらいいのかわからない患者さん等の 案内の仕事に就いていました。

私は看護部サイドの事務として働いていたので 接点が多く いつの間によくしゃべるようになり

気が付いたら 月にいちどは 一緒に食事に行ったり 映画やショッピングに行ったりする仲になっていました。

ライオンキングを一緒に観たのもNちゃんです。

年に1度は温泉旅行や Nちゃんのお父さんの代からある別荘に遊びに行ったりもしましたね。

車で10分以内のところに住んでいるのに 文通なんてこともしてました。いやいや これは今もです。

陶芸が趣味で プロ並み。

年の差なんて まったく気にならない。下の名前で呼び合っちゃう。

話もすごく合う。本当に友人 親友と呼べるひとなんです。

さすがに90になるから ときどき同じ話をされることもあるようになったけど。

元気で明るいNちゃんです。

それはきっと 彼女が生きてきた過程がそうさせているのかな と思います。

 

Nちゃんのお父さんは 明治生まれの作家であり 翻訳家でした。

(お母さんとは私もなんどかお会いしましたが 年をとっても良家のお嬢さん 

というような 物静かな方でした お父さんはすでに亡くなっていたので会っていません)

小さい時 お正月になるとお父さんの新年の挨拶周りに連れて行かれて。

なかなか終わらない 大人のおしゃべりや宴会にうんざりしたらしい。

けど 「お年玉もらえたから よかったかな」 とNちゃん。

なんとね。毎年 島崎藤村からお年玉もらってたのよ~。

「あらまー そんな有名な 歴史的? 人物から??」って言ったら

「ふつーのおじさんだったよ」って ふつーに言った(笑)

家にあった藤村さんが気に入ってたお皿を 町の資料館に寄付したNちゃん。

「持っててもねぇ。一応藤村先生のだったから 寄付しといたよ」

だそうです(苦笑)

 

話を戻しましよう。

題名を言ったら みなさんほぼご存じの 映画にもなった本を 日本で初めて翻訳したおとうさん。

「今だに印税が時々入るよ」と 何年か前にNちゃんが言ってたなぁ。 

Nちゃんが高校を卒業するころ(その頃高校に行く女子も少なかったんじゃないかな)

おとうさんが

「これからは世界に目を向けていかなくてはいけない時代だ。お前も海外に行っていろいろ学んできなさい」と言って

「もう手配はしてある」とも言われ ニューヨークに行かされたのでした。

その頃 Nちゃんはほとんど英語はしゃべれず。飛行機もなく 1か月以上船に乗って渡ったそうです。

カトリックなので おさうさんの手配した? ニューヨークの教会に居候 暮らしたそうです。

「英語もしゃべれないし 突然ニューヨーク なんて不安じゃなかったの?」って聞くと。

「全然平気だったなぁ。ワクワクするほうが勝ってた(笑)」だそう。

このおとうさんにして このムスメな感じ?(苦笑)

教会のお手伝いしながら 英語を覚えた。看護の勉強もした。

すこししゃべれるようになったら またそれもワクワクとなって。

休日はいつもニューヨーク中心街の駅に行ってたそうです。

その駅は日本でいうところの東京駅みたいな感じで 地方から上京してくるひとが多い。

イコール ニューヨークに疎い人が多く 「私はこの街の住人よ」みたない恰好と顔つきで駅に立っていると

道や場所を聞かれる。それに英語で答えて サンキューって言われるのが とっても楽しかったんだって(笑)

何年かそこで暮らし 英語力も抜群になったNちゃん。日本に帰国する前には これまた船でイギリスに渡り。

イギリスを1周 旅して スエズ運河を通ったり?して 船で帰国。

それからは 日本の病院で看護師として定年まで働き 定年後も必要とされ 一緒の病院に数年勤務しました。

イギリスで知り合った友達ともずっと交流。なんどか日本にも遊びにきてましたね。

Nちゃんと同じくらいのお友達だったから 元気でいらっしゃるか・・・・・どうかな・・・。

若い頃 ずっと海外にいたせいか 考え方が同年代の方とは かなり違うんですよね。

聴く音楽も クラシック以外に ロックも聞いちゃう。

「バンヘイレンていいよねぇ」なんていう時もありました。最近はどうなのかな?(笑)

でも決して演歌は聞きません(あ。演歌好きなご高齢の方 ごめんなさい。)

2年ほど前 家の中で転び 首を負傷し 一時寝たきりになってしまった時には 

はじめてNちゃん 弱気になった。 

友人みんなに「今までありがとう。さようならだね」なんて言って。

「ちょっとちょっと 私 さよならなんていわれちゃったんだけど?」

「私も言われたよぅ」と 友人中に嵐を巻き起こしたけれど。

あるとき夢の中にお母さんが出てきて「あなたはまだ来なくていいのよ」と言われてから

俄然生きる気になって 今はすっかり元通り。

「コロナが終わったらさ また草津の温泉にでも行こうよ あー 草津は遠いかぁ。じゃ箱根でもさ」

っていうようになり ほっとしています。

 

気になっていたワクチンはまだ接種していないそうでした。

が お隣さんがちゃんと予約してくれて 今月末に打つ予定らしく そちらもほっとしました。

「車と免許がなくなった(友人の勧め? お願いで? 返納した)から どこにも行けないからさー。

近いうちに遊びに来てよね」で 電話が終わりました。

そうだね 感染対策万全にして おしゃべりに行くね。マロンにも会っておかないとね。

 

最近は「自分史」を書いているNちゃんです。

どうやらそれを 私たち友人への遺品 プレゼントにするつもりらしいです。

盛りだくさんの内容になること間違いなしですが。

それはまだまだ先のプレゼントになってほしい と願っています。

 

90歳 もうすぐだね。

Nちゃん お誕生日 おめでとう。