ちーむ☆ものくろ

黒色ダップー犬と飼い主の日々のつぶやき。
ときどき白黒ネコと茶色の犬の話も、ね。

戦争 悪いことはたくさんあっても いいことはひとつもない

2013-08-15 | 戦争と平和

今日は終戦記念日です。

私の母方の祖父は6人兄弟。1番上だけが女子、あとの5人はすべて男子。
この5人すべてが戦争にかりだされました。
長男、私にとっての祖父は内地勤務でした。
日本軍の大きな火薬庫が湘南地方にあり、そこに勤務して役職にもついていたそうです。
戦時中に火薬庫が爆撃に合い、大変なことになったようですが、祖父は生き延びました。
二男と五男は終戦後、無事に帰還。四男は戦時中に病気になり戦地から戻されましたが、病院で亡くなったそうです。
みんなそれぞれ大変な状況を生き延びたり、力尽きたりしたのです。


このひとは三男。

そして彼の遺品の写真の一部と日記です。






一緒に戦ったであろう、若き男子が並ぶ写真や、軍艦の写真。
軍艦の大砲が火を吹く瞬間、空を飛ぶ戦闘機。
見ていると悲しく、怖くなるくらいのリアルな写真ばかりです。

ほかには勲章みたいなものも何個かあります。



彼は戦闘機のパイロットでした。



戦闘機の写真もあります。

彼は本来は若き男子たちに戦闘機の操縦を教える教官でした。
が、戦況が悪化するとともに「若い者たちだけを行かすわけにはいかない。自分が率先していかなければ若い者がついてこない」と、自ら飛んでいったそうです。
出陣と決まってから、家族にお別れのつもりだったのでしょう、実家の上空と自分の卒業した小学校の上に戦闘機で飛んできて、何度か旋回して飛び去って行ったそうです。
それから何日かしてから、彼は敵の軍艦に激突したか、はたまた敵の飛行機に打たれ、海に撃沈したか。
命を果たしました。

これらの遺品とともに「遺骨」と称して桐の小さな箱も届いたそうです。
箱を振るとカラカラと、中でものが転がる音がしたそうです。石だったようです。
そうですよね、海に散ったのですから、遺骨なんてあるわけがありません。

それと、この時計。

これも彼の遺品のひとつ。めざまし時計です。
これは私の祖父が大事に大事に、祖父が亡くなるまで使っていました。
子供のころ、夏休みに祖父の家に泊まりに行くと、朝祖父の部屋でこの目覚まし時計が鳴ります。
目覚ましの音はゼンマイをまわし、起きる時間にセットしておくと鳴りました。
音は「軍艦マーチ」という軍歌です。
祖父が亡くなって時計は放っておかれていましたが、私にとっては祖父の遺品、思い出でもあるし、「この時計がまわらなくなってはいけない」という、なんだか切羽詰まったような、責任のような気持ちに駆られて、私が引き取りました。
今でも時々ゼンマイを巻いて、軍歌を鳴らして、こわれないように、動かしています。



彼は毎日この時計の軍歌で目覚めていたのでしょう。
どんな気持ちで目覚めて、音を止めたのでしょう。
自分の命は今日限りかもしれない。毎日思ったことでしょう。
夜、明日の時間をセットするときも、今日一日生き延びた。明日はどうなるのだろうと、不安に駆られて眠ったことでしょう。

彼は28才で戦死しました。
戦争がなければ彼の人生はもっともっと長く、輝いた人生を送れたと思います。
ぎくしゃくしている部分もあるけど、今の日本は近隣国とそれなりに平和を維持しています。
アメリカとは「友好国」でもありますよね。
戦死した彼らは今の日本を見てどう思うのでしょう。
自分たちの死は無駄にならなかった、平和になってよかったと思うのか。
今やお互いの国を自由に行きかう私たちを見て、自分たちの死はなんだったのか、と思うのか。
私は時計のゼンマイを巻くたびに、ふと考えます。


祖父は私たち孫によく戦争の話をしてくれました。
そして言いました。
「戦争、悪いことはたくさんあるが、いいことはひとつもない」と。

私もそう思います。
たくさんの大切な命を犠牲にして正しいもの、よいものは生まれないと思います。

彼らの命を、戦争で犠牲になった人々の命を。
そして「平和」を大切にして、私たちは生きていかなくてはいけませんね。



欲を持たず、譲る気持ち、分け合う気持ち、思いやる気持ち。

忘れずに持ち続けて生きたいと思います。