最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

106 The real rulers of this earth(地球の真の支配者たち)

2012-11-26 12:36:11 | 日記
106 世界の謎とつながる岩船石
Mystery of Iwafune Rock which is closely connected with the Mystery of the World

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In this video I'd like to talk about the close connections between the smallest Rock in Nara, Japan and the largest scale of msytery of the world. They are closely connected to each other, I mean.
Nara is a sort of place which is the center of ancient Japan as well as the place where the whole history of Japan started.
Through this eries of videos I'd like to say that the real ruler of the world is not humans but Aliens whom you may call "our God".
The world as well as the Sakafune Rock are all arranged beforehand and we live in the world which had been created by THEM.
This is only one of the evidences of the fact.
And I am finding that the real ruler of this world is not humans but "THEY".
"THEY" are the rulers, who arranged this earth as they wished, which I have found in this serioes of videos.
We should be more modest or hunble, otherwise the existence of humans would be in a crisis.
Remeber again that the ruler is not humans.

There mya be some mistakes in this video but I shall correct them in the kfollowing videos, for which I thank you.
Hiroshi Hayashi, Japan
Nov.26th 2012

このビデオを通して、私は明日香村岡にある小さな(あくまでも世界と比較して「小さい」という意味ですが、その岩が、世界の謎と深くかかわっていることを示します。
酒船石の謎は99号までに解けましたが、世界の謎との関係については、今、その謎解きが始まったばかりです。
どこかに見落としやまちがいがあるかもしれませんが、それについては、追々、つづくビデオの中で訂正していきます。
またこまかい細部について、誤差やエラーがありますが、それはそのまま残しておきます。
後日、別のところで、ふと気がついたときに、解けるということが、よくあります。
ここにも書きましたように、謎は、始まったばかりです。
これからも謎解きをつづけていきます。

なおタイトルに「私たちは地球の支配者ではない」と書きました。
地球の支配者と思うのは勝手ですが、今回、謎の点と線を考えているうちに、私は真の支配者は別にいることを知りました。
もっとはっきり言えば、私たち人間は、(彼ら)に操られているだけです。
つまり今、人間に求められているのは、その謙虚さです。
その謙虚さを忘れたとき、私たち人間は、本物の危機に直面するのではないでしょうか。
日本のみならず、世界各地に残る、(彼ら)の痕跡が、それを示しています。

2012年11月26日
はやし浩司

105 Mystery of Iwafune-ishi, Naea, japan

2012-11-24 14:43:18 | 日記




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 11月 30日
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選ばれました!

【1】(謎の点と線・岩船石)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【105 岡寺・岩船石遺跡の謎】

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http://youtu.be/5ThTaFUfGU4

105+ In Nara, Japan, there is a giant rock, called "Iwafune-ishi" or "Iwafune Rock".
This is a short story about the mystery of the rock, since it has got two strange holes on the top.
Who made this?
And how did THEY make this?
and what for?
My wife and I have been there to examine the rock by ourselves in order to know which direction the Rock shows.
And I found some more mysteries about the Rock.
The rock was carved on the bottom of the rock.
There are not any bits of rocks when the rock had been carved.
Where are they?
Anyway it is a very strange rock in Japan.
See this video and enjoy the mystery of Japan with me.

And please remember that all copyrights and ideas belongs solely to Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city Japan.
Search "Hiroshi Hayashi" and write to me for permission to use my ideas, for which I thank you very much.
Nov.,24th 2012
This is the report about it.

(105)2012年11月24日

11月22日、私とワイフは、奈良県岡寺にある、岩船石遺跡を見てきました。
その岩船石がどちらの方角を示しているか、知りたかったからです。
が、あいにくと周囲は深い竹藪に囲まれていて、それはできませんでした。
かわりにいくつかの謎も発見しました。
岩船石は、矢田寺の王石と同じように、底の部分まで削り込んでありました。
また削ったら出るはずの、岩がありませんでした。
案内板には、この岩はもとからここにあったというようなことが書いてありました。
であるとするなら、削ったときにできる、削りカス(小岩)のようなものが周囲に散らばっていてもおかしくないですね。
が、そんなものは見あたりませんでした。

また岩は花崗岩ですが、周囲には花崗岩らしきものは、この岩船をのぞいてありませんでした。
人間が造ったとするから、話がおかしくなるのです。
またこの岩を中心に、奈良盆地全体が、方向指示板であることもわかりました。
奈良盆地……そこはまさに奈良文明と呼ぶにふさわしい地域です。
古代文明をつなぐ謎の点と線、今回は奈良盆地です。
謎の酒船石(謎、解決版)と併せて見てくださると、おもしろいかと思います。
詳しくは、「はやし浩司」で検索。
トップページから、「謎の古代文明」へとおいでください。
なお盗作、流用は、厳禁です。
リンクは、自由です。
どうかご協力ください。
はやし浩司

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)へ】(後篇)

○南海高野

 紅葉、真っ盛り!
車窓から見える深い山々の景色は、まさに絶景。
色とりどりのじゅうたんを、山一面にかぶせたよう。
その間から、いく筋もの白いモヤが立ちのぼる。
霧のような小雨。
そこはまさしく天界の世界。
シルクスクリーンを通して見る、天界の世界。 

○高野山・奥の院

 高野山金剛峰寺に着くと、宿坊に行き、荷物を預けた。
一乗院。
今夜の宿。
その足で、奥の院へ。
霧雨。
ささなくともよいと思いながら、傘を開いて歩く。
司馬遼太郎が、「不思議なほど平ら」という意味が、そこでわかった。

 確かに平らだった。
不思議と言えば、不思議。
山奥にこれだけの平地は、珍しい。
……というより、私は見たことがない。
最近の造成地ではない。
少なくとも1200年も昔の話。
その中央を割って、清流が流れていた。
こうした山間部では、水が命。
水がなければ、生活できない。

 ワイフと私は、奥の院をぐるりと一周し、再びバス停に戻った。
午後3時ごろだった。
で、そこから一度、金剛峰寺に戻り、そのまま一乗院へ。

○一乗院

 寺である。
坊舎である。
総本山を構える寺は、参道に坊舎を並べる。
その坊舎が、宿泊施設になっている。
「宿坊」という。
参拝客が望むなら、写経体験もできるという。
宿坊の案内書によれば、こうある。

『弘仁年間(840年~)に、善化上人によって開かれて以来、約一千以上もの長きに渡り、法灯を受け継ぎ守り続けてきた一乗院……』と。

 一千年!

○緊張感

 今夜は、その宿坊に泊まる。
というか、今までに経験したことのない懐かしさを覚える。
久しぶりに実家へ帰ったような懐かしさ。
祖父母が、隣りの部屋で、眠っているような懐かしさ。

祖父はいつも、祭りの夜は、私の手を握って歩いた。
私も寒い夜は、祖父母のふとんの中に潜りこんで寝た。
中学生になってからも、ときどき、そうした。
そんな思い出が、つぎつぎと現れては消える。

……古い木の香り。
湿った森の香り。
時折、道路を走る車の音。
ふと目を閉じると、そのまま60年前の私に、そのまま戻ってしまう。

 ……先ほど、食事を終えた。
何もかも、ただ珍しく、それにおいしかった。
それに楽しかった。
ワイフが何かと知ったかぶりをしながら、料理の説明をしてくれる。
「これは柿を焼いたものよ……」とか、など。
それを聞きながら、ひとつひとつ、味をかみしめる。

 静かな、今までに経験したことがないほど、静かな食事だった。

 じゃらんでも、口コミ人気度(満足度)、1位。
雑誌でも、この一乗院がイチバンに紹介される。
それに、異論はない。

 部屋は「栗」。
18畳の大広間。

○削ってできる破片

 この8月から、『古代文明をつなぐ謎の点と線』について書いてきた。
今も書いている。
1日1作が、ノルマ。
そういうノルマを課さないと、すぐだらけてしまう。
だから1日1作。

 仲間はいない。
ライバルもいない。
前人未踏の世界。
が、謎は途切れない。
ひとつの謎が解けると、その向こうに、もうひとつの謎が待っている。

 たとえば今日、私は、益田の岩船を見てきた。
いろいろな説がある。
あるが、どれも人間がその場で削ったという説が、柱になっている。
ならば、どうしてその岩船のまわりの地質調査をしないのか。
人間が削ったのなら、削ってできる岩の破片が残っているはず。

 が、私が見たところ、削ってできた破片はなかった。
赤茶色の地面が、岩船に、そのままつづいていた。
もっともこうした地面は、1000年もすれば、腐葉土などが重なり、地層を作る。
が、同時に、山の斜面だから、土も流れる。
削った岩の破片が、そのあたりにころがっていても、おかしくない。
が、ここに書いたように、私が見たところ、破片はなかった。
岩船の下をのぞいてみたが、やはり破片はなかった。

 破片はあるのか、ないのか。

 あれば、人間が(=「人間が」)その場で、大きな岩を削ったという可能性もある。
が、なければ、やはりその岩は、別のどこかから、運ばれてきたことになる。

(あるいは削った破片を、どこかで処分したということも考えられる。
が、そんなことを、当時の人たちが、わざわざするだろうか?
最近でこそ、「ゴミはお持ち帰りください」という注意書きをよく見る。
が、それとて、この20~25年前に始まったこと。
私が子どものころには、そんな注意書きなど、どこにもなかった。)

○学者の怠慢

 益田の岩船にしても、明日香村の酒船石にしても、学者のすべきことは、その周囲の発掘調査。
人間が削ったというのなら、その破片を探すべき。
その上で、「人間製作説」を説くべき。
が、そういうことはいっさい、しない。
しないまま、「人間が作った」ということを、当たり前ように考えている。
それを前提としている。
これを学者の怠慢と言わずして、何という。

○百歩譲っても……

 百歩譲っても、こんな疑問も残る。

 ではなぜ、酒船石にせよ岩船にせよ、底部が奥へ丸く削ってあるのかということ。
矢田寺の王石にしてもそうだ。
上部や側面が削ってあるのは、私にも納得できる。
が、どうして底部まで削ってあるのか。
底部の一部が外からでも見える。
やかんの底のように丸くなっている。

岩船についても、すでにだれかが掘って調べた形跡がある。
その部分だけを見ても、底部が丸くなっているのがわかる。
もし人間が彫ったのなら、(あなたならあなたでもよいが)、底部まで丸くは彫らない。
彫っても意味がない。
無駄。

 ……削ってできる破片など、見つかるわけがない。
なぜなら、これら2つの岩は、人間がその場で削ったものではないからだ。
だいたいそれらの岩の周囲に、その岩以外に、花崗岩など、どこにもないのは、どういうわけか?

 考古学者の悪いところ……。
自分たちにとって都合の悪い事実は、できるだけ隠そうとする。
聞かれたら答えるが、それまでは黙っている。
まさに、お役人根性。
自分たちにとって都合のよい事実だけを並べて、自説を展開する。
もしそうでないというのなら、「底部は丸いです」とでも、公表すればよい。
「削った破片は、見つかっていません」でもよい。
仮にそれが何であるにせよ、底部まで丸く削る必要はない。
もし人間製作説を説くなら、どうして丸く削ってあるのか。
まず、それを説明すべき。

○鳥人間(鳥頭人間)

 で、新たな謎。
それについては、先に書いた。
鳥の頭をもった人間。
今夜はできないが、明日、家に帰ったら、すぐ調べなおしてみる。
が、だからといって、日本に鳥人間がいたと言うのではない。
解説書によれば、インドにいたという鳥人間を伝え聞き、仏像にしたということらしい。

この鳥人間は別として、しかしこの日本にも、長頭人間は、いた。
あのエボシ(烏帽子)が、その証拠。
……ということになる。

○エボシ(烏帽子)

 またまた、とんでもない意見。
自分でもよくわかっている。
ほんの少し前の私なら、そう思っただろう。
長頭人間と、エボシ(烏帽子)を結びつけるのは、あまりにも強引。
飛躍のし過ぎ。
が、逆に、なぜエボシ(烏帽子)なのか?
あなたはそれを考えたことがあるだろうか。
帽子であるにせよ、あれほど、非合理的な帽子はない。
しかもエボシ(烏帽子)に似た帽子(?)をかぶった人が、世界中の遺跡で見つかっている。
シュメール、エジプト、ヨーロッパ……。
そしてこの日本。

 私は当初、日本は、調べる必要はないと考えていた。
古代文明というときは、黄河、長江を中心とする中国文明、エジプト文明、メソポタミア文明、それに少し遅れて、インダス文明をいう。
中南米のマヤ文明、インカ文明も、それに並ぶ。
が、これはとんでもないまちがいだった。
嘘だと思うなら、つぎのようにしてみるとよい。

(1) 高野山金剛峰寺とプレア・ビヒア(カンボジア)を線でつなぐ。
(2) 敦煌と、クロスポイント(EAST)を線でつなぐ。
 
 クロスポイント(East)というのは、ギザ→モヘンジョダロ→プレア・ビヒアをつないだ線の延長線と、赤道との交点をいう。
最重要のクロスポイントである。

(1)と(2)の2本の直線は、たがいに90度の角度を守り、きれいな十字架を作る。
しかも左右対称。
高野山金剛峰寺を頂点にしてみると、さらによくわかる。
これはほんの一例だが、ほかにもいろいろある。

 だいたいおかしなことは、あれほどまでに天照大神を信じていなかった私が、信ずるようになったこと。
それまでの私は、……ごく最近まで、天照大神の話を、おとぎ話か何かのように考えていた。
が、それはとんでもないまちがいだった。
『謎の点と線』をつないでいくうちに、伊勢神宮はもちろん、あちこちの由緒ある地点が、線でつながってしまった。
とくに驚いたのは、敦煌と雲崗の石仏を線でつないだときのこと。
その線は、真直線で、伊勢神宮の内宮へつながった!

 偶然とは、とても言えない。
つまりそういうことが重なり、私は、天照大神を信ずるようになった。
正確には、その存在を信ずるようになった。
確かに天照大神は、存在した!

 同時に、世界の文明に、「奈良文明」を加えるべき。
その価値はじゅうぶん、ある。

○夜中の1時

 一乗院では、午後9時ごろ、就寝した。
今朝の早朝勤行に出てほしいと、食事の世話をしてくれた若い僧が言った。
そのため午後9時。
が、これが裏目に出た。
体が、昼寝と誤解したらしい。
夜中の0時(12時)ごろ、目がさめてしまった。
時計が手元になく、もう朝だろうと思って起きた。
が、午前1時。

○1日20枚

 やることもないので、こうしてパソコンに向かう。
今日のノルマは、残り、14枚。
1日、20枚の原稿を書くことにしている。
現在、26枚だから、残り14枚。
計40枚、……つまり2日分。

 人間は、1日や2日、眠らなくても、どうということはない。
万事、自然体。
そう自分に言い聞かせ、今、この文章を叩いている。

○ユートピア

 私もときどき、空想にふけることがある。
今日も、電車の中で空想にふけった。
空想を楽しんだ。
こんな空想だった。

 どこかの国。
そこでは国民はすべて、真・善・美の探究者。
希望すれば、だれでも入国できる。
が、週に2日の労働が、義務付けられている。
老若男女の区別は、ない。

2日は義務だが、3日以上の労働は、だめ。
職種は、自由に選べる。
職種によって、働いた分だけ、その国のポイント(通貨)が与えられる。
腕に巻いた記憶装置に、その通貨が記憶される。

 たとえば農作、清掃、料理、介護、教育など。
運転手業もあれば、接待業、建設業、もある。
みなが敬遠する仕事ほど、ポイントがたくさんもらえる。
楽な仕事ほど、ポイントが少ない。
得意分野を生かし、みなに喜ばれれば、ポイントがたくさんもらえる。
そうでなければ、そうでない。
そのポイントで、買い物ができる。
食事もできる。
医療も受けられる。

 が、その国を出るときには、ポイントは、ゼロになる。
ポイントの譲渡は、できない。
貯金もできない……イコール、私有財産は、保有できない。
また入国したときに、一定のポイントが与えられるが、ポイントがゼロになったら、その国からの退去が求められる。  

 その国の住人たちは、ただひたすら、信(研究)、善(哲学、宗教)、美(芸術)を追求する。
週2日の労働さえ満足にこなせば、食事、医療など、生活に関することは、ほとんど無料。
つまり理想郷(ユートピア)。

○長髪の男性

 ここ、宿坊では、住職以下、僧たちはみな、頭を丸めている。
その頭を見ていたとき、京都市内のホテルで見た若い男のことを思い出した。

最上階に、大浴場があった。
そこでのこと。
こんな男性がいた。
年齢は30歳前後。
体はだらしなく、太っていた。

 その男性は、私が脱衣所に入るときから、長い髪の毛をドライヤーで乾かしていた。
2つのドライヤーを、両手にもち、両側から乾かしていた。
……というか、脱衣所全体に、不潔臭がただよっているのが、気になった。
髪の毛は、背中半分ほどまで、下へ垂れ下がっていた。

 私は2度目の入浴ということで、湯につかり、そのまま時間を過ごした。
不潔臭は、浴場内にも漂っていた。
よほど長い間、風呂に入っていなかったらしい。

 で、驚いたのは、私が風呂からあがるときも、まだ髪の毛を乾かしていたこと。
最初は、「あんなにドライヤーを当てたら、いつかハゲてしまうのに」と思った。
が、やがて、こう思った。

「時間がもったいない」と。

 女性のことは知らない。
長い髪の毛の人はいくらでもいる。
しかし髪の毛の手入れというのは、結構、たいへん。
長ければ長いほど、そうらしい。
が、その分だけ、時間を無駄にしている。

 人生もその分だけ、永遠に長ければ、それでよい。
そうでなければ、そうでない。
が、髪の毛の手入れだけで、20~30分も浪費するというのは、バカげている。
1週間につき3回洗髪するとして、計1時間半。
1年で、計75時間!
だから床に就いてから、私はワイフにこう言った。

「進化論的に考えると、女性は、ますますバカになっていくよ」と。

 ある女性(日本でも有名な教育者?)などは、テレビの出演の前に、2~3時間もかけ、化粧をしているという。
テレビ局のディレクターが、そんな話をしてくれた。

私など、もちろん、化粧などしたことがない。
テレビの出演のときも、そうだ。
ありのまま。
髪の毛を整えるときも、一度、水か湯で髪の毛を濡らし、あとはクシでとき、それでおしまい。
ものの数分もあれば、それですむ。

 一方で、不潔臭。
一方で、長髪。
その男性は、私が浴衣を着終わるころ、脱衣所へやってきた。
相変わらず、臭かった。
いつもなら、私は声をかける。
が、その声も出なかった。

 が、ここは宿坊。
住職をはじめ、僧たちは、みな頭を丸めている。
長髪の人はいない。
それを見ながら、私はこう思った。
「だから頭を丸めるのか」と。

○『10年かけてなった病気は、10年かけて治せ』

 ワイフが先ほど、トイレに起きた。
「寝ないの?」と声をかけてくれた。
「うん」とだけ、私は答えた。

 静かな夜。
音もない……というより、耳鳴りがひどい。
先週、風邪をひいた。
喉の痛みが消えなかった。
内科へ行くと、抗生物質の薬を処方してくれた。
が、翌日、今度は耳鼻科へ行くと、反対に「抗生物質はやめたほうがいい」と。

 どうであるにせよ、薬の服用で、のどの痛みは消えた。
が、いつもそうだが、消炎鎮痛剤をのむと、しばらくの間、難聴になる。
今が、そのとき。
耳鳴りとともに、音がよく聞こえない。
こういう状態が、数日間つづく。

薬の服用は、できるだけやめたほうがよい。
東洋医学では、こう教える。

『1日かけてなった病気は、1日かけて、治せ。
1年かけてなった病気は、1年かけて、治せ。
10年かけてなった病気は、10年かけて、治せ』と。

 早く病気を治そうとするから、無理が生まれる。
その無理が、いろいろな副作用を引き起こす。

○寝なおし

 少し眠くなってきた。
寝なおす。
ワイフは頭を向こうにし、軽いいびきをかいている。
が、それにしても広い部屋だ。
10畳間が、2つ。
昨日、18畳間と書いたが、数えなおしてみたら、20畳間。
いや、10畳間と8畳間。
計、18畳間。
やはり18畳間だった。
私の家の居間は、20畳間。
が、その部屋よりも広く感ずる。
和室というのは、そういうもの。
視点が低い分だけ、部屋が広く見える。

 部屋は広ければ広いほどよい。
気分が安らぐ。
反対に狭い部屋は、落ち着かない。
圧迫感を感じたとたん、抑うつ感から、憂うつ感へと変化していく。
今夜は、いつまでもこうしていたい。
しかし明日は、通常通りの仕事がある。
朝、一番で浜松へ帰らなければならない。
……ということで、再就寝。

○11月23日

 窓ガラスを叩きつけるような大雨。
その音で、夜中に、2度、3度、目をさました。
で、今は、午前5時30分。
早朝勤行の支度もできた。
こたつに入り、その時刻を待つ。
本堂で、住職が早朝勤行をする。
その早朝勤行に参列する。
(「参列」というのも、おかしい。
「参加」、あるいは「出席」と書くべきか。)

 それが終わったら、朝食。
そのままチェックアウト。
(こうした寺でも、「チェックアウト」という言葉を使っている。)

○南海電鉄

 今は、帰りの電車の中。
山あいの崖の上を、ゆっくりと電車は走る。
深い森の中。
今は、こうして電車で行き来できる。
が、平安時代の昔は、そうではなかっただろう。
京の町(=京都)から高野山へ。
空海が歩いたであろう道筋を、ふと頭の中で想像する。

○人間業(にんげん・わざ)

 岩船を見た瞬間、私はこう思った。
「これは人間業(わざ)ではない」と。
そして同じ私が、今、こう思っている。
「空海は、人間ではない」と。

 こんな人里離れた山奥に、道場を開いた。
信者が参詣するといっても、普通の参詣ではない。
普通の参詣でないことは、この山々を見ればわかる。
大阪からでも、歩いて行けば、1週間はかかる。
そんな話を、寺の僧に話すと、こう言った。
「昔は、もっとかかったのではないですか」と。

 歩くだけでもたいへん。
その上、標高860メートル。
空海は、京の町で出会った不思議な男に、現在の高野山に招かれたという。
その男と、この高野山にやってきたという。
で、そこに「不思議なほど平らな」(司馬遼太郎)土地があることを知り、空海は、現在の真言宗高野山を創建する。

 が、ここがおかしい。
その第一。
空海は、どうやってこの高野山へやってきたのか。
なぜその男の招かれたのか。
いくら招かれたといっても、立地条件が、あまりにも悪すぎる。
「道場」といっても、いわば学校。
一方、それを支える檀那(だんな=パトロン)や、信者がいなければ、学校は成り立たない。
信者にしても、命がけ。
が、そんな高野山に、一時は1000を超える寺院が建ち並ぶ、一大都市が形成された。
不思議と言えば、不思議。
人間業とは、とても思えない。
不可能ではないだろうが、人間業とは、とても思えない。
つまり現在に至るまで、高野山金剛峰寺がそこにあること自体、私には人間業とは、とても思えない。

 当然、何か別の力が働いたとみるべき。
少なくとも、私はそうみる。
それがデタラメと思うなら、あなたも一度、高野山に登ってみることだ。
私がここに書いたことを思い出しながら、登ってみることだ。
「どうしてこんなところに……」と思ったところで、あなたも思考が停止してしまうはず。

○操られる人間

 人間は、たしかに操られている。
どういう力によるものかは、知らない。
しかし操られている。

 突飛もない話に聞こえるかもしれない。
しかし高野山は、空海が金剛峰寺を創建する前から、そこにあった。
位置関係を調べると、高野山は、敦煌やプレア・ビヒアができると同時に、その(位置)が決まっていた。
言い換えると、空海は、そこにそのあと、案内されたにすぎない。
が、この話はここまで。
あまりにも突飛もない話。

 が、つぎのことを話したら、あなたも、私の意見に納得するだろう。

○不思議な因縁

 何度も取りあげた。
で、もう一度。

 比叡山延暦寺の本堂と、高野山金剛峰寺を線でつなぐ。
この線を、直線(A)とする。
その真中間に、矢田寺がある。

その矢田寺へ、空海が、23、4歳のとき訪れている。
矢田寺に残る縁起には、そんな話が載っている。

 つまりこのときまだ、高野山金剛峰寺は、なかったことになる。
矢田寺は、金剛峰寺よりずっと古い。
「矢田寺は、法隆寺が建立されたと同時期に、建てられました」と。
矢田寺の住職は、そんな話もしてくれた。

 で、その矢田寺の参道は、まっすぐ西安、つまり唐の長安を指している。
「矢田寺を創建したのは、三蔵法師の2番弟子です」と。
唐の長安とのつながりは、深い。

 で、その直線(A)と、90度の線を、矢田寺からまっすぐに引くと、その線は、伊勢神宮を直撃する。
簡単に表現すると、つぎのようになる。

(金剛峰寺)―――――――――――(矢田寺)――――――――――(延暦寺)
                   |

                   |
                 (伊勢神宮)

 が、この図を見て、あなたはおかしいと思わないだろうか。
この図によれば、矢田寺は、金剛峰寺と延暦寺の、ちょうど中間にある。
1~2キロの誤差は出るが、誤差ではない。
昨日、この高野山へ来てみて、はじめて知った。
金剛峰寺から奥の院の間だけでも、4キロもの距離がある。
どこを点に取るかによって、距離も、当然、ちがってくる。

 で、話を戻す。

 この図を見たら、少なくとも金剛峰寺と延暦寺のあとに、矢田寺ができたことになる。
が、実際には、矢田寺のほうが先。
空海が、20数歳のときに、矢田寺を訪問していることでも、それがわかる。
つまり高野山は、空海がそこを道場と決める前から、高野山になることが決まっていた。
そうでなければ、これら4点の位置関係が、説明できない。
できるとすれば、「偶然」という言葉を使うことだが、私は、もう聞き飽きた。

 ちなみに矢田寺の参道をまっすぐ西へ進めば、先にも書いたように、西安へ行く。
西安……唐の長安である。
これも偶然か?

○新幹線

 10時40分発のひかりに乗った。
浜松で停車する。
久しぶりの2泊3日の探訪旅行。
成果はあまりなかった?
それともあった?

 ただひとつ言えることは、自分の足と目を使って確かめること。
今回、私は、空海の気持ちになり、高野山をながめた。
それはとてもよいことだ。
空海の熱い思いが、そのまま理解できた。
空海は空海で、この日本のことのみならず、世界のことを真剣に心配していた。
それがよくわかった。

 さらに一乗院の住職は、今朝、勤行が終わったあと、こう説法した。
「大切なことは、今を輝かせて生きることです。
それが大師様(空海)の教えです」と。

 その生き様は、釈迦が法句経の中で説いた、実存主義そのもの。
私の生き様、そのもの。
仏教のすばらしい点は、この1点に集約される。

○空海

 が、それだけではない。
空海がしたことは、人間業ではない。
そのことも、よくわかった。

 ……それでも私を疑うなら、自分で調べてみたらよい。
繰り返しになるが、こうする。

(1)大和郡山にある矢田寺を探してみる。
(2)その矢田寺の本堂の前につづく参道を、まっすぐ西方向に延ばしてみる。
この作業は、正確であればあるほど、よい。
その参道は、真直線で、中国の西安につながる。
空海が学んだ、唐の長安である。

 また矢田寺の山号は、「金剛山」。
「金剛山矢田寺」。
名前からもわかるように、高野山金剛峰寺とは深い縁でつながっている。
これを「偶然」と言うのなら、すべての事実が偶然ということになってしまう。

 さらに驚くべきことに、(3)金剛峰寺と延暦寺の中間に、王石という、巨大な球形の岩がある。
ワイフと私が、「何かあるはず」と思って調べ、偶然、その岩を発見した。
が、それだけではない。
それと同じ岩が、(4)山添村にもある、などなど。
これらすべてが偶然ということになってしまう。

 が、偶然ではない。
すべてが計画されていた。
今の私は、そう思う。
でないと言うのなら、謎は原点に戻る。

 ワイフと私が、あの夜見た、あのUFOは、何だったのか、と。
事実は事実。
だれにも消すことはできない。
つまりその事実がある以上、ワイフと私は、この先も謎を解くための旅をやめない。

○豊橋

 新幹線は、もうすぐ豊橋。
目を閉じれば、そのまま眠ってしまうだろう。
そんな眠気を横に感じながら、パソコンを叩きつづける。
叩きつづけなければ、眠ってしまう。
家に帰ってから、もう一度、眠りなおそう。
そう思いながら、叩きつづける。
(はやし浩司 2012-11-23)


(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 高野山 一乗院 高野山金剛峰寺 益田岩船 謎の岩船 岩船の謎 空海の謎 謎の空海 はやし浩司 益田 岩船 はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 南海高野 南海電鉄 河内長野 駅員 林 南海電車 河内長野 林 林駅員 すばらしい駅員 親切な駅員 高野山 河内長野 駅員 はやし浩司 林 浩司 鳥人間 長頭人間 鳥頭人間 興福寺 迦楼羅像(かるら・ぞう) 益田岩船 益田の岩船 岡寺駅 はやし浩司 益田岩船 高野山金剛峰寺)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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謎解きの旅(高野山)+鳥頭人間の謎(Mystery of Bird-Head Man)

2012-11-23 15:46:50 | 日記




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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 11月 26日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

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【高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)へ】(前篇)
104 Bird Man and Long-Head man by Hiroshi Hayashi 迦楼羅像の謎(鳥頭人間).

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Mystery of Bird-Head Man.
There is a very strange-shaped statue in Kofukuji-Temple in Nara, Japan.
The Mistery is that what was on the head of this stutue.
The clue to solove this mystery is there in Edfu, Egypt.

In this video I'd like to talk about a long-head man, too.

鳥頭人間の謎。
奈良の興福寺に残っている、迦楼羅(かるら)像の謎について。
いったいこの像は、頭の上に何を載せていたのでしょうか。
その謎について考えてみます。

頭の長い長頭人間についても、考えてみます。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/HVcrsTpuuHE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/HVcrsTpuuHE

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

○探訪旅行

 たった今、新幹線に飛び乗った。
今夜は奈良のビジネスホテルに一泊。
明日は、予定では、益田の岩船石を見たあと、高野山に登る。
高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)を探訪。

 ともに、謎のかたまり。

 時刻は午後2時57分。
書き忘れたが、今日は、11月21日、水曜日。

○水瓶説

 もちろん、「船」ではない。
「岩船」といっても、船ではない。
歴史家のだれかが、そういった名前をつけた。
あるいは地元のだれかが、そう呼んでいたのかもしれない。
その岩船……今では、「水瓶(がめ)説」が、一般化している。
水を貯(た)めておくための、「瓶(かめ)」?

 が、ものごとは、常識で考えたらよい。
幅は、1.6メートル四方。
深さは、せいぜいあって1メートル。
その穴が2個。
計、2.6立方メートル。
それぽっちの水を貯(たくわ)えておくために、わざわざ岩を掘りぬくバカはいない。
だいたい、その水は、どこから来るのか?

○貯水タンク

 私も山荘を建築するとき、貯水タンクを設置した。
容量は1000リットル(1立方メートル)。
ポリ製の貯水タンク。
価格は、今でもよく覚えている。
農協で手配してもらった。
3万4000円。
雨水をそこに貯える。
万が一のときは、トイレの水洗などに、その水を使う。

が、そのタンクの水は、一度も使うことはなかった。
またそれぽっちの水では、何の役にもたたない。
毎年2~3月は、渇水期に入る。
ひどいときには、12月に入ることから雨量が減る。
その状態が、数か月以上、つづく。

 岩船が貯水タンクだったという説を主張する人たちは、恐らく、都会に住んでいるのだろう。
蛇口をひねれば、いつでも水が出る。
そういう生活しか知らないから、自然の中で生きるということが、どういうことか知らない。

 たった2.6立方メートル。
そんな水、貯えても、どうしようもない。
しかも山の上。

○道路標識説

 批判はやめよう。
私が今、確かめたいのは、ただひとつ。
岩船が、どちらの方向を向いているかということ。
それによって道路標識説が、実証できる。

 が、その写真がない。
インターネットで公開されている写真は、どれも、写真、写真、している。
構図としては、おもしろい。
が、何の役にもたたない。
私が見たいのは、その角度。
それが示している方角を示す写真。

○殷墟からイースター島

 が、地球規模で見ると、岩船の位置は、はっきりしている。
殷墟(Yinxu)と、遠く離れたイースター島を、直線でつないでみるとよい。
(殷墟そのものは、場所を特定することができない。
が、その一部は、「小屯村」として、残っている。
その小屯村と、イースター島を直線でつないでみるとよい。
その直線は、直撃というわけではないが、益田の岩船の近くを通る。)

 岩船というのは、そういう位置にある。
……ということは、つまり私の仮説によれば、岩船は、一方で殷墟の方向を示し、他方で、イースター島の方向を示している。……はず。

○益田の岩船

 ……ということは、益田の岩船は、かなり古い時代の遺跡ということになる。
殷墟、イースター島……という地名が並ぶことからも、それがわかる。
さらに言い換えれば、奈良盆地に栄えた奈良文明(はやし浩司の命名による)は、殷墟、イースターと並ぶ、古い文明だったということになる。

 これに対して、比較的新しい遺跡は、テオティワカンを指し示すことが多い。
さらに比較的新しい遺跡は、近隣の遺跡を指し示すことが多い。
たとえば矢田寺(奈良県の大和郡山)。
由緒ある寺である。
その寺の参道は、まっすぐ西安(唐の長安)につながっている。
正確に直線を取れば取るほど、そうなっている。
その西安(長安)は、比較的新しい文明に属する。

○直線

 手法としては、こうすればよい。
反対に、長安や殷墟から、その地点に線を引いてみる。
そのとき、もし直線がそちらを向いているなら、その直線はどこかと重なる。
よい例が、ナスカ平原の直線。

 ランダムに選んだ近隣の遺跡から、平原に向かって直線を引いてみる。
その遺跡がそれなりに体裁を整えているものであればあるほど、かならずその直線に一致する直線を、平原に見つけることができる。

 ナスカ平原に描かれた直線は、方向を示す直線である。

 ……と書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「あれだけ無数の直線があるのだから、1本くらい、重なるのがあっても不思議ではない」と。
が、実際に直線を引いてみると、そうでないことがわかる。
平原の直線が長ければ長いほど、それこそ100分1度単位、1000分の1度単位まで、角度が合わなければ、重ならない。

 たとえば、ナスカ平原には、「グランド十字架」(私がそう呼んでいるだけだが)という十字架がある。
無数の線の中でも、ひときわ目立つ。
2本の白い直線である。
その縦線は、一分の狂いなく、テオティワカンへとつながる。
横線は、同じく一分の狂いなく、ナイル川沿いのエジプトの古代文明へとつながる。

○スケール

 このように謎の点と線をつなぐ作業は、スケールが大きい。
ばあいによっては、地球を半周する。
そういうスケールと比べると、奈良盆地は小さい。
全体として見ても、ひとつの点に過ぎない。
そんな小さな点の中で、点を線でつないでも意味がない。
たとえばあの酒船石にしても、それぞれの線の示す方向にある、寺や神社を結びつけて考える学者がいる。
 まちがっているとは断言できないが、異星人は、もう少しスケールが大きい。
地球を、いつも宇宙から見ている。
 
 しかしそのばあいでも、つまり近隣の寺を示す地図であるとしても、わざわざ岩に彫る必要はない。
丘の上にでも立ち、「~~寺が、あちらだ」と言えば、それですむ。
酒船石も、益田の岩船も、山の中腹にある。

○支配者

 今日、道を歩きながら、ワイフがこう言った。
「地球の支配者は、人間ではないわね」と。
そう、その通り。

 ほとんどの人間は、(私もその中の1人だが)、地球の支配者は、人間と思っている。
かりに異星人がいるとしても、異星人が支配者などと思っている人は、少ない。
きわめて少ない。

 が、真の支配者は、異星人。
私たちが「神」と呼んでいる、その人たち。
ただ、人口が極端に少ない。
これははやし浩司説だが、平均寿命と人口は、反比例する。
仮に平均寿命が2倍になれば、人口は2分の1になる。
平均寿命が10倍になれば、人口は10分の1になる。
人間を養える「ワク」「食糧」が、一定のときは、そうである。

 異星人の寿命がどれくらいかは、知らない。
平均寿命を仮に3000歳とするなら、人口は、現在の50分の1でなければならない。
(平均寿命を60歳で計算する。)
旧約聖書に出てくる神々は、3000~4000歳くらいだったという。

 ここで言えることは、数の多少によって、支配者であるかどうかは決まらないということ。

○火山

 たびたび火山の話を書いたので、一言。
今日、ワイフが、おもしろいことを言った。

「異星人たちは、火山がもつ熱エネルギーを、UFOの動力源にしているのでは?」と。

たまたま今朝の日経新聞は、EV(電気自動車)に関し、全国に2000か所、電力スタンドをふやすと伝えていた。
どこかの自動車会社が、それを計画しているという。

 その記事を読みながら、ワイフがそう言った。
が、ありえない話ではない。
火山、とくに溶岩の中に入っていき、その熱を、エネルギーに換える。
それでもって、空を飛ぶ。
かなりSF的な発想だが、おもしろい。

(人間も、溶岩の熱を電気的エネルギーに変えることができたら、エネルギー問題も、かなりの部分まで解決できるのでは?)

○伊吹山

 もうすぐ米原。
長いトンネルに入った。
このトンネルを抜ければ、右に伊吹山が見えるはず。
そんなことを思いながら、ふと気を抜くと、ワイフがこう言った。

「だいぶ紅葉してきたわ」と。

 窓の外に目を移すと、そこに伊吹山がくっきりと見えた。
同時に、ふもとの山々が、紅葉しているのがわかった。
澄み切った秋の1日。
夕日を遠くに浴びながら、オパールのように輝いていた。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/HVcrsTpuuHE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/HVcrsTpuuHE

○空想

 再び、支配者の話。

 支配者なら、支配者でよい。
ならばなぜ、私たち人間の前に、姿を現さないのか。
チラチラと、自分たちの乗っているUFOは、見せる。
が、その程度。

(そう言えば、このところその見せ方が、大胆になってきたように感ずるが……。
自分たちの存在を隠そうとしなくなってきた。
そんな印象をもち始めている。)

UFOから出てきて、握手でもしてくれればよい。
が、そういうことはしない。

 それが人口の問題。
つまり「彼ら」は、圧倒的に、少数。
少数派。
恐らく全体でも、1000人単位くらいしか、いないのではないか。
寿命が長い分だけ、人口も少ない。
つまりそれが「彼ら」の、弱点ということになる。

 勝手な、誠にもって勝手な空想だが、私はそう思う。

○脳細胞

 が、ここでまたまた、別の疑問が生まれてくる。
人間なら人間でもよいが、寿命が長くなればなるほど、人間は賢くなるのか。
仮に寿命が3000歳になったとしよう。
人間は、その分だけ、賢くなるのか。

 が、答は、「NO!」。

 理由のひとつに、脳細胞の数には限りがあるということ。
脳細胞は再生しない。
日々に死滅していく。
その数、1日あたり、20万個前後。

 が、それだからこそ、つまり再生しないからこそ、人間は、10年前、20年前の記憶や性格を、そのまま引き継ぐことができる。
もし脳細胞がそのつど再生していたら、いつの間にか、私は私でなくなってしまう。
性格も変わってしまうだろう。
10年ぶりに会ったら、たがいに「あなたはだれ?」となってしまう。
それでは困る。

 つまり寿命が50倍になったからといって、利口になるということはない。
賢くはなるが、利口にはならない。
脳細胞というのは、そういうもの。

○産道

 で、では、脳細胞をふやすためには、どうすればよいか。
頭を大きくすればよいということになる。
が、そうは簡単なことではない。
この問題の前にたちはだかるのが、「産道」の問題である。

 頭が大きくなればなるほど、母親の産道をくぐり抜けるのがむずかしくなる。
現に、今、人間のばあい、女性にとっての出産は、苦しみそのもの。
もし人間の子どもの頭が、今以上に大きくなったら、女性は、だれも子どもを産めなくなってしまう。

(あるいはまだ頭の小さい、未成熟な段階で、新生児を産むという方法もある。
それについても、人間の子どもがすでにそうであるということになる。
人間は未熟なまま生まれる。
またそうでないと母親の産道をくぐり抜けることができない。)

 人間の子どもは、まだ頭が小さく、母親の産道をくぐり抜けられる大きさのときに、生まれる。
馬などは、生まれても、その日のうちに自力で立つことができるという。
それを考えるなら、人間は、生まれるのが、1年半は早いということになる。

○長頭人

 それでも脳細胞をふやそうとするなら、方法は2つ。
ひとつは、頭を長くする。
事実、そういう骨格をもった人間(?)の遺骨が、世界のあちこちで発見されている。
頭が細長く、とがっている。
ふつうの人間の2倍ほどの長さがある。
そういう頭蓋骨なら、脳細胞がふえても、母親の産道をくぐりぬけることができる。

 で、そのことと関係があるのかどうかはわからない。
わからないが、古代文明の中に出てくる異星人、もしくは異星人らしき人たちの中には、頭の長い人がいる。
あるいはそれを隠すため、とんがり帽子のような、長い帽子をかぶっている。
日本のエボシ(烏帽子)も、そのひとつ。
神主たちがかぶっている、あの帽子である。

 不思議なことに、長い帽子をかぶった神は、全世界で発見されている。
エジプトの神殿に描かれた絵を、例にあげるまでもない。

 もうひとつは、脳細胞を小さく、さらに精密にする。
昆虫などは、あんな小さな脳みそであるにもかかわらず、かなりのことまでできる。
蚊などは、アポロの月着陸船のようなことを、平気でやってのける。
人間も、さらに進化すれば、そうなるかもしれない。

○謙虚さ

 この地球の支配者は、人間ではない。
人間ではないということは、人間も、もう少し謙虚になったらよいということ。
「ここは日本だ。日本人の国だ」と言うのは、その人の勝手。
しかし異星人にすれば、「何を言っている、バカめ!」となる。
少なくとも、神や仏の目から見ればそうだろう。
たとえて言うなら、山の中で縄張りを争い、喧嘩を繰り返しているサルのようなもの。
「やめろ」と言っても、やめるわけがない。
そのよい例が、人間ということになる。

 小さな島の領有権を主張し、争っている。
「オレのものだ」「いや、オレのものだ」と。
その愚かさ。
そのバカ臭さ。

○幾何学(きかがく)

 異星人を神の中の神と呼ぶことに、私は抵抗を感じない。
というのも、釈迦にせよ、キリストにせよ、はたまたムハンマドにせよ、みな、異星人の指導を受けている。
受けていることは、『古代文明をつなぐ謎の点と線』を見みればわかる。
主だった文明は、幾何学的な秩序を保ち、しっかりと線でつながっている。

 が、全知全能かというと、どうも、そうでもなさそうだ。
ここで「幾何学的」というのは、そういう意味。
異星人たちは、とくに60度、120度という数字にこだわっている。
つまり幾何学的であるという点で、全知全能ではない。
全知全能なら、数字や形に、こだわる必要はない。

○服従と忠誠

 もう少し異星人論をつづける。

 カナダのアルバート州に、「インディアン・ヘッド」と呼ばれる、美しい絵がある。
自然の産物ということになっている。
が、あの絵を見て、だれが自然の産物と思うか。
写真をそのまま、大地に彫り刻んだような絵である。

 詳しくは、以下の動画を見てほしい。
私の脳みそを疑うのは、あなたの勝手。
しかし自分の脳みそまで、疑ってはいけない。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/lFipYxCslpE?list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA&amp;hl=ja_JP" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

 この絵こそ、まさに神の中の神が描いた絵である。
拝んだところで、どうにもなるわけではないが、拝むとしたら、この絵に拝んだらよい。
尊さでいうなら、神社や寺、神殿や教会で拝む「絵」や「像」よりも、はるかに尊い。
その絵というのは、ほかならぬ神の中の神によって、描かれた絵である。
神の中の神によって、直接、描かれた絵である。

 ……というような話を、先日、義兄に話したら、興味深そうに私の話を聞いてくれた。
で、その上で、こんな会話をした。

義「そのインデァン・ヘッドに拝んだら、何か、ご利益(ごりやく)はあるのかね?」
私「何もないですよ」
義「だったら、寺や神社で拝んでも、無意味ということになってしまう」
私「そうですよ。もともと宗教というのは、教えを求めてするもの。ご利益を求めてするものではない。そうでしょう?」
義「しかし教えのない宗教というのも、あるよ」
私「そうですね。……これは私の印象ですが、神の中の神と呼ばれている人たちは、人間に対して、絶対的な忠誠と服従を求めていますね」
義「ああ、それはぼくも感じている」と。

 神の中の神が、マヤやインカの人たちに対して、どのような教えを教えたかは、私は知らない。
が、何も天文学だけを教えたわけでもないだろう。

(そう言えば、そういった教えの話は、ほとんど残っていない。
考えてみれば、これはおかしなことだ。
2012年の12月xx日に、地球は滅ぶというような話は出てくるが、それは「教え」ではない。)

 一方、若い女性を生け贄(いけにえ)として、神に捧げたというような話はよく耳にする。
ピラミッドの頂上から、穴の底へ落としたという話も聞いたことがある。
神もずいぶんとひどいことをするものだと思いたいが、最近の調査によれば、骨は、ほとんど残っていないという。
ということは、うわさで言われているような、生け贄というのは、なかったことになる。
あるいは、若い女性が穴の底に落ちる前に、異星人たちがその命を救ったのかもしれない。

 ともあれこうした話で、共通して一貫性をもっているのは、「服従」と「忠誠」である。
神の中の神は、人間に対して、絶対的な服従と忠誠を求めている。
「教え」よりも先に、絶対的な服従と忠誠を求めている。
が、なぜか?

○不完全な生き物

 要するに人間に対して、こう言っている。
「お前たちは不完全、きわまりない生き物である。
この宇宙で生き残りたければ、私たちに服従し、忠誠を誓え」と。

 が、この言葉を反対に読むと、こうなる。

「さもなくば、お前たちを滅ぼすぞ」と。

 そういう点では、神の中の神は、私たち人間が考えているほど、甘くない。
やさしくもない。
とくに驕(おご)り高ぶった人間には、容赦しない。
堕落した人間には、容赦しない。
旧約聖書には、そういった話が、ぎっしりと載っている。

○11月22日

 話がどんどんと飛躍してしまった。
が、最近は、こういう話がおもしろい。
視点が、広い。
自分をいつも、宇宙の一角に置く。
そこからものを考える。

 反対にそういう視点でものを考えていると、視点の狭い人がよくわかる。

 ……ここから日が変わって、11月22日。
今、奈良の近くの、新大宮(近鉄線)の駅前にある、スーパーホテルというところに泊まっている。
その窓の外の景色を見ながら、この原稿を書いている。
時刻は、午前6時。
周囲は、まだ真っ暗。
遠くを、ゆっくりと電車が走っている。
走っている途中で車内の電気をつけたから、始発か何かなのだろう。
それをしばらく、ぼんやりとながめる。

 ……低い山々が、周囲に連なっている。
目を凝らして見ると、それがわかる。
朝が近い。

 ……今日の予定。
益田の岩船を見る。
つづいて高野山へ。

○ワイフ

 こう書くと、「?」と思う人もいるかもしれない。
実は、こうしていつも私を外へ誘い出すのは、ワイフ。
私ではない。

 ……私自身は、それほど行動派ではない。
が、ワイフはちがう。
「電車に乗っているだけで、幸せ」などと言ったりする。

で、やってきた。
岩船の方角を調べるためだけの目的。
新幹線を乗り継いでくると、2泊3日で、軽く10万円を超える。
が、それについても、ワイフは、こう言っている。
「3万円もあれば、台湾へ行けるんだってエ」と。
そのうち、台湾へも、足を延ばすかもしれない。

 高野山については、司馬遼太郎が、「不思議なほど平ら」(記憶)と言った部分を確かめたい。
司馬遼太郎は、どこを見て、そう思ったのか。
またどうして「不思議なのか」。
それを知りたい。

○11月22日

 今朝は、あまり気分がよくない。
昨夜食べた、韓国料理が、腹の中でまだガポガポしている。
油ぽい料理だった。
消化不良を起こしているらしい。

 が、朝食は、6時半から。
したくは、できた。
これから朝食。
そのあと、すぐ出発。
ラッシュアワーは、避けたい。

○近鉄・橿原線(かしはら)線

 午前7時の電車に乗ったが、すでにラッシュアワー。
一度、大和西大寺で乗り換え。
そこから橿原線に乗る。
「かしはら」と読む。
……やっと読めるようになった。
今月は、この奈良へ、2度もやってきた。

 ワイフは、「つぎは葦嶽山(あしたけやま)ね」などと、のんきなことを言っている。
不思議な山で、日本のピラミッドと呼ばれている。
それもそのはず。
中国の西安(長安)と、矢田寺を線でつなぐと、葦嶽山は、その直線下にある。
(法隆寺とつなぐと、直線は、葦嶽山のやや下方を横切る。)
さらにクロスポイント(東)から仁徳陵へ線をつなぐと、葦嶽山は、仁徳陵から、90度、左に曲がった位置にある。
葦嶽山は、どこからどうながめても、あやしい。

 が、かなりの高山。
冬場は、遭難の危険すらあるという。
葦嶽山に登るのは、早くても来年の春。
がまんしよう。

○益田岩船

 たった今、益田岩船から帰ってきた。
そこから歩いて20分ほどのところにある、岡寺駅。
電車を待つ。
この先、フルイチという駅、つぎに河内ナガノという駅で乗り換え、さらに高野山に向かう。
先ほど、駅員さんが、そう教えてくれた。

 で、その岩船。
写真で見るのと大ちがい。
巨大。
見た瞬間、ぞっとした。
同時に、ほっとした。

 どこからどう見ても、人間業(わざ)ではない。
それがわかった。
だからほっとした。

 なお穴の深さは、1メートルもない。
私が考えているように、オベリスクの土台としてはじゅうぶんだが、水瓶ではない。
またオベリスクを立てるには、北のほうに、5~10度、傾いている。
あのままあの穴に、石柱を立てたら、北に傾く。
それにかなり背の高いオベリスクを立てなければ、周囲の木々の間に埋もれてしまう。
立地条件はよいが、立地場所はよくない。
オベリスクを立てるのを、途中で放棄した。
そう考えると、納得できる。
少なくとも、私の頭の中は、すっきりする。

 ……しかしそれにしても巨大だった。
最初、下から見上げたので、よけいに大きく見えた。
なおこれは私が以前からもっていた疑問。

 なぜ異星人たちは、コンクリートを使わなかったか。

 理由の第一。
鉄筋でも入れなければ、コンクリートは、すぐボロボロになる。
それにコンクリートというのは、意外と工事がめんどう。
時間もかかる。
それよりも巨石をもってきて、それをレーザー光線のようなもので、カットしたほうが楽。
強度もじゅうぶん。

 岩船を見ながら、私はそんなことを考えた。

○案内板

 岩船の案内板が、2か所にあった。
ひとつは、小山に登る手前。
もうひとつは、岩船の南下。
しっかりと読んでみたが、どこにも「異星人」の文字はなかった。

 考古学者たちは、「異星人」という言葉を使うと、それだけで拒絶反応を示す。
視野が狭い。
小さい。
重箱の隅(すみ)をほじくり返すような研究(?)ばかりしている。

 それにもし今、異星人の存在を認めると、自己否定の世界に陥ってしまう。
「今まで、私は何をしてきたのか?」と。
研究者にとって自己否定ほど、恐ろしいものはない。
全人格を否定されるようなもの。

 しかしそこにそれがあるなら、それを認めたらよい。
人間業でないものを、人間業とがんばるから、自己矛盾の世界に陥ってしまう。

 一方、私は自由。
自由人。
考古学など、もとから興味はない。
学者の世界など、もとから興味はない。
が、どちらが本筋かと言えば、私のほう。

 謎の点と線を結んでいけば、やがて年代もわかってくる。
たとえばナスカ平原の直線。
どの線がどの遺跡につながっているかを調べる。
つぎにナスカ平原の直線で、どれがどの直線の上になっているかを調べる。
つまり下の直線ほど古い。
上の直線ほど新しい。
それがわかれば、遺跡の年代が、段階的にわかる。
そういう調べ方もできる。

○岡寺駅

 ホームはがらんとしている。
ホームの椅子には、私とワイフ、それに若い女性が1人。
景色はすっかり晩秋模様。
空は鉛色に、どんよりと曇っている。
目には見えないような、霧のように細い雨が降っている。
寒い。
こんな日に高野山に登るのもどうかと思うが、ここまで来た以上、登るしかない。

 10時01分発の、電車がやってきた。

○近鉄線

 このあたりの路線は、蜘蛛の巣のようになっている。
路線図が手放せない。
というか、どこをどう電車が走っているのか、さっぱりわからない。
方向感のすぐれた私だが、その私でも、さっぱりわからない。
加えて窓の景色は、どこも同じ。

 が、ふとこう思った。
何度も、思った。
「こんなところに住んでみたい」と。
毎日、あちこちを調べて歩いているだけで、楽しい。

○迦楼羅像(かるら・ぞう)

 古市(駅名)で、電車を待つ。
そのとき1枚のパンフレットが目に留まった。
その表紙に、私はクギ付けになった。
驚いた。

 エジプトのEdfu神殿で見た、鳥人間そっくりの像が載っていた。
迦楼羅像(かるら・ぞう)である。
場所は、奈良の興福寺。

 体は人間だが、頭は鳥。
だから鳥人間。
(正式には、「鳥頭人間」という。)
アジア人離れした、大きな目。
耳はあるが、最大の特徴は、クチバシ。
やや上向きの、カラスのそれのような大きなクチバシ。
(興福寺の案内書によれば、「クチバシはスズメのようで、猛禽類の鳥ではない」とある。
が、驚くべきことは、先にも書いたように、Edfuの鳥人間にそっくりということ。)

 さらにここでもうひとつの謎が解けつつある。

 Edfuの壁には、5種類の人間が描かれている。
鳥人間もその1人だが、頭の長い、長頭人間も描かれている。
その長頭人間。
この日本にもいたらしい。
その名残が、あのエボシ(烏帽子)と思えば、納得がいく。
さらに言えば、シュメールの神。
あの神も、長い頭を隠すためか、長い帽子をかぶっている。

○迦楼羅像(かるら・ぞう)(2)

 謎はまだつづく。
興福寺の迦楼羅像(かるら・ぞう)の頭頂部をよく見てほしい。
その上に何かがあったかのように、出っ張り部はある。
が、その上には何もない。
それについて、案内書は、「立派なトサカのような飾りがあったはず」と書いている。
が、ちょっと待った!

 Edfuの鳥人間はみな、頭の上に、卵(あるいは卵らしい物体)、もしくは独特の飾りをもっている。
それを思い出すなら、迦楼羅像(かるら・ぞう)の頭の上には、同じく卵があったとみるべき。
もしかざりなら、髪の毛がじゃまになる。
が、Edfuで見るような卵なら、あの程度の接着部で、じゅうぶん。

○南海高野(河内長野)

 河内長野(南海電車・駅名)でのこと。
河内長野から、高野山へ向かう。
そのとき周遊券を買うと、いといろな特典がつく。
そこでのこと。

 で、周遊券を買った。
往復で、2人分で5000円弱。
ロープウェイの乗車券、バス代も含まれている。
久しぶりに、「安い」と思った。
片道、おとな1名、1200円ということになる。

 私たちは、プラットフォームで電車を待った。
そのときのこと。
周遊券を売ってくれた若い駅員(男性)が、追いかけてきた。
こう言った。

「帰りは、河内長野でおりるのではなく、新今宮でおりてください。
(浜松へ帰るなら)、そこからJRに乗ってください。
そのほうが料金が安くなります」と。

 手には、新しい周遊券をもっていた。
が、さらに驚いたことに、私たちが1000円札で払うことも考え、つり銭ももっていた。
私は過去65年間、いろいろな電車に乗ってきた。
いろいろな駅員に会ってきた。
しかしここまで親切な駅員に会ったのは、はじめて。

 私とワイフは、笑いながら、差額を払い、新しい周遊券を手にした。
同時にワイフが1000円出すと、駅員は、手にした釣銭を、ワイフに渡した。

 南海電鉄に、この駅員あり!
名前は私と同じ、「林」。
胸のネームプレートには、そうあった。

(余計なことだが、南海電鉄の経営者の方へ、

 小さな駅の駅員だが、こういう人物を、経営者は大切にしたらよい。
誠実で、感じがよく、しかも機転がきく。
私たちのような見知らぬ者(stranger)にも、ここまで親切にしてくれる。
上司にペコペコ、客には不親切。
そういう若い人が多い中、こういう男性に出会うと、ほっとする。
こういう若い男性が、南海電鉄の未来を支える。
いいか、だれも見ていないところ。
だれにも評価されないところ。
そういうところで、ここまでしてくれる。
私の仕事は、人を見ること。
その私が言うのだから、まちがいない。)

 日本は、まだまだすばらしい国だぞ!

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Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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102 Mysteries of Rocks in Nara, Japan

2012-11-21 12:18:33 | 日記
○102 謎の山添村の長寿岩&謎の矢田寺の王石
(Giant Rocks in Yamasoe-Mura Village and King's Rock in Yatadeta Temple, Nara)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/paDCOLNLpUk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/paDCOLNLpUk

There is another giant Rock in Nara, about which I know from a book.
My wife and I found a giant rock near yatadera temple, Nara.
But there is a very look-like rock in Yamasoe-mura, village, Nara, Japan.
This is the story about the Mystery of the Rock.

私とワイフが発見した「王石」にそっくりな巨石が、別の場所で見つかりました。
山添村という村の、センターの中です。
驚きました。
ウリ2つというか、形も大きさも、ほとんど、同じです。
今回は、その岩(長寿岩と呼ばれています)の謎のついて考えてみたいと思います。


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2012++++++はやし浩司・林浩司

○103 益田岩船の謎
(Giant Rock "Masuda Iwafune" in Masuda, Nara, Japan)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/BNhqfJjUWE4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/BNhqfJjUWE4

This is the second video about a giant rock in Masuda, called "Masuda Iwafune", Nara, Japan.
Here in this video I'd like to think about the mystery of the rock, why it was there.
The mystery has just began and I am also sure that the important thing is to keep thinking as Einstein said.

もう一度、岩船石について考えてみます。
なぜ、あの石(岩)が、そこにあるのか。
考えれば考えるほど、謎?ですね。

今回も「謎の点と線」方式で、考察を加えてみます。
大切なことは、アインシュタインも言っているように、考えつづけることです。
謎は始まったばかりです。2012/11/21記


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2012++++++はやし浩司・林浩司

101 Mystery of Buddha's Birthplace by Hiroshi Hayashi

2012-11-19 22:33:03 | 日記
【101・釈迦の謎(釈迦の謎の生誕地)】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/uPJQUheaLUk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/uPJQUheaLUk

○釈迦の謎

 今朝は、釈迦の謎について調べた。
以前も、何度か、調べた。
が、釈迦といっても今回は、釈迦の「生まれ」の謎。
「生まれ」については、謎が多い。
場所とか、生まれ年のことではない。
そういったことは、その道のプロに任せておけばよい。
ここでいう「生まれ」というのは、だれがどのようにして、釈迦を釈迦にしたかということ。

○フィルザバード

z1

たとえば『謎の点と線』をつないでいくと、奇妙な事実にぶつかる。
たとえばフィルザバード(Firuzabad)。
真円形の美しい形をした都市である。
が、広すぎて、ごく最近まで、その住人たちは、自分たちが円形の町に住んでいることにすら気がつかなかったという。
(以下、「円形都市」とする。)
直径が約2キロ。
そのフィルザバードには、何本かの線が走っている。
道である。

道というのは、古代文明の中でも、建物よりも長くそのまま残ることが多い。
一度でき、そこを人が通るようになると、そのまま残る。……残りやすい。

その中の一本の道が、円形都市を真一文字に横切るようにし、そしてそのまま釈迦の誕生地にまっすぐつながっている。
「一分の狂いもなく」である。
(「一分」という言い方には問題があるが、別の言い方をすれば、「ズバリ」。)
つまりフィルザバードは、明らかに、釈迦の生誕地を指し示している。

○謎の交差点

a30

 もうひとつ、釈迦の生誕地を示している円形がある。
といっても、その円形は、私が発見した。
そのいきさつは、つぎのようである。

 まずモヘンジョダロと、北極を結ぶ。
つぎにギザと、敦煌を経て、殷墟(跡)を結ぶ。
その交点をクロスポイント(A)とする。
重要なクロスポイントである。
言うなれば、道しるべ。
この道しるべに従い、四方八方へ、線が走る。
が、そのクロスポイントには、何もない。
遺跡らしいものも、ない。

 そこで「何かあるはず」と思い、調べてみると、それが「あった!」。
円形の公園である。
不思議な公園である。

(どう不思議かは、ビデオを見てほしい。
このビデオは、けっしてみなさんを裏切らないはず。)

その公園にも、同じような道があり、その道を真一文字に延ばすと、やはり「一分の狂いもなく」、ルンビニにつながっている。

 それを今朝、まずビデオ化した。

○釈迦の謎

 となると、ここで大きな謎にぶつかる。
これら2つの地点は、釈迦が生まれる前から、そこにあったはず。
時代的には、ギザのピラミッドがあり、モヘンジョダロがあった時代である。
となると、その時代から、これら2つの地点は、ルンビニを指していたことになる。
もしこのとき、つまり線を延ばしてみたとき、そこに「狂い」が生ずれば、私は、この説を引っ込める。
が、何度も書くが、「一分の狂いもなく」である。
(こういうときは、逆に、ルンビニから、フィルザバード、クロスポイント(A)に、直線を引いてみるとよい。
どうつながるかは、そのとき、よくわかる。)

○もうひとつの可能性

 あるいは、もうひとつの可能性がある。
フィルザバード、クロスポイント(A)は、釈迦の活躍以後、建設されたという可能性である。
が、フィルザバードはともかくも、クロスポイント(A)は、釈迦が誕生したと思われる以前に、すでにあった。
フィルザバードにしても、ギザ→モヘンジョダロ→プレア・ビヒアを結ぶ線上にある。
「ライン」の中でも、メジャー中のメジャー。
最重要ラインである。

 ……フィルザバードが、いつ、どのようにしてできたかを知れば、同時に釈迦が生まれた年を、ある程度特定できるかもしれない。
しかし住人ですら気がつかなかった、円形都市である。
人間わざとは、とても思えない。
つまりそれほどまでに真円に近い都市を築くのは、とても人間わざとは思えない。

○計画されていた?

 つまり釈迦の誕生は、釈迦が誕生する前から、すでに計画されていた。
ビデオの中では、「arrange(計画)」とか、「planned(計画)」とかいう言葉を使った。
となると、またまた大きな謎が生まれる。
「だれによってか?」と。

 ……と、まあ、ここに書くまでもない。
「だれ」というのは、地球を宇宙的視野で見ることができた人。
モヘンジョダロやギザ、さらには敦煌を知っていた人。
またそういった遺跡を、(現在は遺跡だが)、作った人。
釈迦を人間の指導者にしようと、もくろんだ人。
そういう人によって、釈迦は、この世に生み出された。
釈迦は釈迦になった。

……と考えざるを得なくなる。

○釈迦の教え

 こうして考えていくと、釈迦の教えは、(イエス・キリストの教えもそうだろうが)、異星人そのものの考え方を表したものということになる。
またそう判断して、まちがいない。

 キリストについても、同じことが言えるはず。
が、キリストの生誕地であるベツレヘムにしても、エルサレムにしても、宇宙的視点で見ると、エジプトのギザと重なってしまう。
釈迦のケースように、点が見つからない。
点が見つからないから、線でつなげない。
たとえばベツレヘムとエルサレムの距離は、長くて7~8キロしかない。
1時間で歩ける距離である。

 ついでながらそれを知ったとき、私のワイフは、こう言った。
「そんな狭い世界だったの?」と。

 乗り物のない時代の話である。
当時の人たちの行動半径は、そんなものだったかもしれない。
キリストにしても、(その狭い世界)で、真理(神理?)を説いた。
それが世界に広がった。

○異星人との対話

 異星人は、人間の生活と、深くかかわってきた。
それを今朝、再確認した。
が、それだけではない。

 釈迦だけで、(恐らくキリストも)、宗教を広めたわけではない。
釈迦は宗教を開き、それを説いた。
それは事実だが、それを広めたのは釈迦自身ではない。
弟子たちが広めたということも考えられるが、弟子だけの力でも足りない。
つまり、ここで別の作戦部隊が動き出す?

 たとえば仏教にしても、アショカ王によるところが大きい。
アショカ王が、仏教を国教とした。
キリスト教は、言うまでもなく、ローマの国教となった。
それ以後、仏教にせよ、キリスト教にせよ、勢力を急拡大させる。

 つまり異星人たちは、ときの権力者を、うまく使った(?)。
改宗させるなら、まずトップから……と。
そんな構図も、こうした『謎の点と線』から、浮びあがってくる。

○真の支配者

 結論を先に言えば、地球の本当の支配者は、人間ではない。
私たちが「異星人」と呼んでいる、宇宙人である。

(これについて、オーストラリアの友人は、こう言った。
「地球上に住んでいるなら、エイリアンではないよ」と。
「Alien」というときは、「外星人」をいう。
地球に住んでいるなら、「エイリアン」、つまり「異星人」とは言わない、と。)

 ともあれ、人間は、その配下でうごめく、別生物ということになる。
少なくとも、異星人の目から見れば、そうだろう。
繰り返しになるが、異星人が「主」、人間が「従」である。

 で、その間を埋めたのが、釈迦であり、キリストであり、それにムハンマドということになる。

○一線

 で、その証拠というわけでもないが、異星人たちは、しっかりと一線を守っている。
人間と自分たちを、はっきりと区別している。
そのことは、古代遺跡と呼ばれる遺跡を見れば、よくわかる。

 ここでいう「区別」というのは、人間は人間として、明らかに下等生物として、「下」に置いていた。
こうした関係は、たとえば人間とサルの関係を知れば、わかる。

 私たちが野生のサルを飼いならすとき、餌は与えるが、決してピストルの使い方までは教えない。
教えたら、たいへんなことになる。
それがここでいう「一線」である。

 異星人たちは、人間に対してさまざまな工作を行った。
指導もした。
今の今も、それをしている。
が、その一線だけは、しっかりと守っている。
いろいろ教えてはくれるが、そこまで。
ピストルの使い方のようなことは、人間には教えない。
つまり私たち人間は、サル。
異星人にしてみれば、サル同然。

○天文学

 で、あえて一言。

 何が天文学だ!、と。

 どこの遺跡でも、学者と呼ばれる人たちの間で共通している言葉は、天文学。
天文観測所。
何かにつけ「天文」という言葉をよく使う。
あのナスカ平原にしても、その流れを受け、こんな説を唱える学者がいる。
「何本かの線は、夏至、冬至のときの太陽の昇る位置、沈む位置と一致しました」と。

 バカめ!
(はっきりと「バカ」と、私は書く。)
たかが夏至や冬至の日の、日の出、日没の方向を知るために、平原に何キロ~10キロもの長い線を引く?
しかも宇宙からでしか、それがわからない。
どこのだれが、そんな線を引くか!

 ともかくも、何かにつけ、「天文」という言葉をくつける。
「天文」という言葉をつければ、それですむと考えている。
そうかもしれない。
しかし「天文」では、腹はふくれない。
生きていかれない。
何万人もの人たちが、何年もかけ、ピラミッドのような無用の長物ばかり作って、どうなる。
どうする。
あの益田岩船(明日香村)にしても、夏至・冬至説があるのには、驚いた!

 つまり一連のピラミッドにしても、本当に天文観測所なら、異星人たちはそれを、人間のために造ったのではない。
自分たちのために、人間を奴隷として使い、それを作った。
目的はわからないが、恐ろしく数学の好きな人たちである。
すべてが数字で動いている。

 言い換えると、私たち人間も、そうした一線を知った上で、逆に異星人とつきあう。
過大な期待は禁物。
それに、先日も書いたが、異星人には、人間がもっているような感情はない。
映画『スタートレック』に出てくるスポック博士のような異星人を、想像すればよい。
そういう人たちである。

○神と仏

 釈迦の生誕地は、ここに書いたように、いろいろな場所からつながっている。
フォルザバード、クロスポイント(A)は、そのうちの2か所に過ぎない。
そうした事実から、私はこう思う。
釈迦は、自分の力だけで釈迦になったのではない。
釈迦には、私たち人間の人知をはるかに超えた力が働いた。
それを「仏」というのなら、それはそれで構わない。
人間の神や仏の向こうに、さらに大きな、宇宙全体を包む神や仏がいたところで、私は驚かない。

 が、だからといって誤解しないでほしい。
私は神や仏を否定する者ではない。
むしろ逆。
それがどんな神や仏であったも、構わない。
もし私たちが知っている神や仏の向こうに、さらにそれを統括する神や仏がいるなら、その神や仏を知りたい。
そのために、こうして謎を解いている。

 私たちが広大な宇宙を見て、神や仏を感ずるように、異星人たちは、さらに広大な宇宙を見て、神や仏を感じているのかもしれない。
それを異星人は、私たち人間に伝えた。
釈迦やキリスト、ムハンマドを使って、伝えた。
そう考えると、宗教の向こうにあるものが、見えてくる。
つまり仏教も、キリスト教も、イスラム教も、本(もと)はひとつ。
それをバラバラにしてしまったのは、ほかならぬ、私たち人間ということになる。

○終わりに

 ……ということで、釈迦の生誕地にまつわる謎は、底なしに深い。
人間の歴史そのものに、深く、食いこんでいる。
そのため、もし釈迦の生誕地についての謎が解ければ、宗教の謎そのものも解けるかもしれない。

 釈迦やキリストは、だれなのか。
ムハンマドは、だれなのか。
どこから来たのか。
だれによって指導されたのか。
私たち人間に、何を教えようとしているのか。
何が目的なのか。
ついでに将来のこととして、私たちをどうしようとしているのか。
そういった一連の謎が解ける。

 つまり釈迦が生まれたとき、すでにフィルザバードの円形都市の中に、ルンビニを示す道はあったのか。
すでにクロスポイント(A)の円の中に、ルンビニを示す道はあったのか。

(もうひとつの可能性は、釈迦が生まれたあと、それぞれの地点に道を書いたという可能性もある。
が、もしそうなら、なぜ、そんなことをしたのか。
目的は何か。
そんな謎も生まれる。)

 ともかくも久しぶりに今朝は、釈迦の謎に迫ってみた。
大切なことは、問いつづけること。
答は、かならず、向こうからやってくる。
私はそれを信じている。
2012/11/19記

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Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2012++++++はやし浩司・林浩司