最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●10月16日(2)

2009-10-16 16:31:44 | 日記


● 事実にまぜてウソをつく
ズル賢い人の常套手段。1、2度、ボランティア活動をしただけなのに、それをもとに、
「毎週のように駆り出されて苦労しています」などと言う。あるいは1度しかして
いないボランティア活動を、角度を変えて、いろいろな話に仕立てる、など。そういう話術にたけている。

 ズル賢い人は、もともと小心で臆病。その上卑怯で、他人の批判、批評を許さない。
いつも人の目を盗んで、こまかい計算を重ねる。

で、こういうズル賢い人が近くにいたら、遠ざかること。
「いろいろな人と仲よくするのはいいこと」と言う人もいるが、ことズル賢い人に関して
言えば、遠ざかったほうがよい。
何かアクションがあっても、相手にしないこと。
反応したとたん、逆に利用されてしまう。
もともと口がうまいから、反感を買うと、今度はあなたの悪口が言いふらされる。
つきあっても、得るものは何もないばかりか、あなた自身も、その毒気に染まってしまう。

つまり人は、善人になるのは、難しい。
しかし悪人になるのは、簡単。
山登りに似ている。

 上り坂は苦しいが、下り坂は楽。
私も一時期、そのズル賢い人と、親密につきあったことがある。
が、おかしなもので、そのときはその人が、ズル賢いということがわからない。
が、離れてみて、はじめて、それがわかる。
同時に、そのときの自分も、いかにズル賢かったかがわかる。
だから遠ざかるのがよい。

 中には、ズル賢いことを自慢する人もいる。
あるいは自分の妻がズル賢いことを、自慢する夫さえいる。
「うちのカミさんは、値段を値切るのがうまいよ」とか、何とか。

(はやし浩司 ずるい人 ずる賢い人 小ずるい人 ずるい人間 ズルイ人間 ズルい人
ズル賢い 不誠実な人 はやし浩司 不誠実)

(補記)

●なぜ人はズル賢くなるか?

 ズル賢い人を傍から観察してみると、第一に哲学のなさを感ずる。
一貫した哲学がない。
「一貫した」というよりは、「哲学の連続性」がない。
ものの考え方が享楽的で、その場その場で、哲学らしきものが、変化する。
もっと言えば、状況、あるいは相手に応じて、生きざまそのものが変化する。
金権教、あるいは親絶対教の信者であったりする。
ある女性(65歳くらい)は、何をどう誤解したか知らないが、私との会話の
中で、思わず、こう口走ったことがある。
「そんなことをしたら、貯金が減ってしまう」と。
たいていは金銭的な欲得感に支配され、その中でますますズル賢くなっていく。

が、それよりも気になるのは、自分で考える脳みそをもっていないこと。

 ときに「ハッ」とするようなことを口にするが、たいていはだれかの受け売りに
すぎない。
少しでも自分の脳みそで考える習慣が身についていたら、ズル賢いことを、恥じるはず。
一見、利発だが、心に余裕がなく、小さな世界で動き回っているだけ。
その(狭小さ)が、それを見る者を不愉快にする。
 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●法事論

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今度、私自身が法事を執り行う立場になって、こんな
ことを知った。
「親の法事をしっかりとする人は、人格者である」という
考え方をする人が、意外と多いということ。
「親の法事もしないようなヤツは、子ども失格だね」と
言った人もいた。

私は、率直に告白するが、仏教式の法事には、意味を
認めない。
私の祖父も父も、墓参りをしたのを見たことがない。
(母は、ほとんど毎日、寺に足しげく通っていたが……。)
祖父や父が、仏壇に向かって、手を合わせている姿さえ、
記憶にない。
そういう私が、どうして、今、法事なのか?

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●法事

 宗派にもよる。
寺にもよる。
住職にもよる。
しかし全体としてみると、日本の仏教は、カルト化している。
この問題に決着をつけないかぎり、日本の仏教には、明日はない。
現に若い人たちを中心に、仏教離れが急速に進んでいる。
法事にしても、おそらく、我が家に関していえば、私の代で最後になる。
長男はしないだろうし、二男は、クリスチャン。
三男は遠くに住んでいるし、考え方もちがう。
私の教育が悪かったのか。
3人とも、先祖の墓参りをしたことなど、数えるほどもない。

 一方、私もワイフも、息子たちには、何も期待していない。
一応仏教徒ということになっているが、法事をしてくれなくても、一向に気にしない。
遺骨にしても、散骨でも何でもよい。
気が向いたときに、気が向いたように処分してくれればよい。
むしろ「法事など、するな」と遺言を残している。
「そんなヒマがあるなら、自分を磨け!」と。

●人それぞれ

 信仰は教えに従ってするもの。
先にも書いたが、その(教え)をきちんとしている宗派もある。
寺もある。
住職もいる。

 しかし今は、そのほとんどが儀式化し、宗教そのものが形骸化している。
本来、人々の魂の救済が目的である信仰が、金儲けの道具として利用されている。
それがだれの目にも、わかるようになっている。

 で、その反動というわけでもないだろうが、おかしな占星術や、占い、カルトが
勢力を伸ばしている。
スピリチュアル(霊)・ブームもそのひとつ。
人々が、もともと救いにならないものを救いと思い込んで、右往左往している。
こうした愚劣な社会現象を引き起こしているのも、宗教、なかんずく仏教の責任と
考えてよい。

 先頭に立って、そうした社会現象と戦うべき宗教が、だんまりを決め込んでいる。

 で、私はある高校生(高1女子)に、こう聞いてみた。
「仏教をどう思うか?」と。
するとその高校生(女子)は、こう言った。
「仏教というと、古臭い感じがする」と。

 今、古美術が、ボトム(最悪)状態にある。
古銭、古切手、古物が、二束三文どころか、むしろ引き取り料を請求されるほど、
売買が低迷している。
私の印象では、仏教も、同じ(流れ)の中にある。
現在は、その過渡期ということになるが、そのあとのことは、私にもわからない。
再び仏教ブームが来るのか。
それとも仏教は、このまま衰退していくのか。

 しかしこれだけは言える。
それを大切な行事と思っている人は、それを大切にすればよい。
人、それぞれ。
私は干渉しない。
が、世の中には、そうした行事に意味を感じない人もいる。
いるが、だからといって、そういう人を、批判したり、「おかしい」という
レッテルを張るのは、やめてほしい。
自分の頭で考えて、そう言うのならまだしも、そうでないなら、やめてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本の仏教 法事)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月15日

●民主党政権(Our Next Cabinet of Japan)

 「民主党の勝ちすぎ」という意見が、ネットをにぎわしている。
その一方で、AS首相(現在、まだ首相)が、「就任直後に選挙をしていたら、こんな
ベタ負けはしていなかったはず」と、おかしなことを言っている。

 自民党がここまでベタまけしたのは、AS首相、彼自身に原因がある。
「AS首相だけには、勝たせたくない」という民衆の思いが、民主党の大勝利への
原動力となった。

 で、たしかに民主党の勝ちすぎ。
その反動はやがて現れてくるはず。
現在、民主党は、HT代表が「代表」なのか、OZ氏が「代表」なのか、よくわからない。
「権力の二重構造」という言葉が、よく使われる。
HT代表は、OZ氏に対してだけは、敬語を使っている。
何か、おかしい?

 
●今、「反米」は、たいへんまずい!(Why now “Anti-US Policy”?)
I can understand the Minsyu-Party (Democratic Party) dislikes USA, but why now
“Anti-USA Foreign Policy”? We need USA and we do not need China for our safeties of
Japan. We don’t have to open the back-door for a big lion, which wants to go away from
Japan now. Or why do we dare to do so now?)

 民主党政権は、かねてより、「対米追従外交」に強く反対している。
首相顧問になった、TJ氏(私の三井物産時代の同僚)も、たびたび「対米追従外交」に
反対の論文を発表している。

 しかし、今は、ま・ず・い!

 親アジア、新中国も結構だが、まだそこまで時期が熟していない。
同時に、今、日本がアメリカに見放されたら、この先日本はどうやって国際外交を
展開していくつもりなのか。
すでにボスワースは、かねての予想通り、米朝直接交渉に動き出している。
もし米朝間で、「友好条約」(名称は何でも構わない)のようなものが結ばれたら、
日本はそのときこそ、万事休す。

 日本は単独で、あのK国と対峙しなければならない。
アメリカの軍事力という後ろ盾を失う。
すでにK国は、中国を介して、戦後補償費を日本に打診してきている。
その額、驚くことなかれ、100兆円!
「払え! さもなければ戦争!」と、K国はしかけてくるはず。
そのとき日本は、どうするのか?

 あえて日本側から、「反米」を唱えなくても、すでにアメリカは、日本を見捨てている。
こちらが「あなたが好きではありません」と言う前に、相手は、日本を見捨てている。
だったら、なぜ今、あえて火に油を注ぐようなことをするのか?
逃げようとしているライオンに、どうして裏門を開けてやるようなことをするのか?

 鳩山外交の道筋がまだ見えてこないが、ここは慎重に!
「対米追従外交反対」を唱えるのは、K国が崩壊したあと。
今日本にとって重要なことは、ただの一発でも、K国のミサイルを、日本に
落とさせないこと。
もしそれでも「対米追従外交反対」を唱えるなら、日本中に、核シヘルターを用意し、
日本の子どもたち全員に防毒マスクを用意してからにしたらよい。

 今の日本は、丸裸以上に丸裸。
鉄道や道路を使って、戦車や大砲の移動もままならない。
仮に一発でも、東京の中心に、ミサイル(核、生物、化学)が落とされたら、それだけで
日本の経済は、奈落の底へと叩き落とされる。
勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。

 政治、なかんずく国際政治は、(現実)が基本。
現実だけを見て、考える。
「卑怯だ」「おく病だ」と言われても、気にしてはいけない。
とくに戦争は、始めるのは簡単。
終えるのは、その100倍も、むずかしい。
今のイラク、アフガニスタンを見れば、それがわかるはず。

 「反米親中」も結構だが、何も今、あえて「反米」を唱えなければならない理由は、
どこにもない!
頭を冷やせ、民主党!
頭を冷やせ、TJ氏!
私のことを覚えているか?
あなたは私のうしろの席にいて、よくいっしょに社内の英会話研修に通った。
あのときの「林」が、私だ。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●古里

++++++++++++++++++

古里と決別して、2週間が過ぎた。
心静かな日。
穏やかな日。
今は、記憶という電車に、
ゆらゆらと揺られて
ぼんやりと乗っている。

古里は日に日に遠ざかり、
昔の風景が、窓の外を流れる。
そこに60年という歳月があるはずなのに、
その厚みが、まるでない。
ぼんやりとした、陽炎(かげろう)のよう。
「だれのことだったのか?」
「本当に私のことだったのか?」

父が酒を飲んで暴れたこと。
学校から家に帰るのがいやで、
道草を食いながら、遊んで帰ったこと。

その一方で、祖父に手をつながれ、
夜祭の道を歩いたこと。
川で、みなと、泳いだこと。
そういった思い出が、つながりなく、
窓の外を流れていく。

すべてが終わった。
今ごろはあの家には、私の見知らぬ人が
出入りしているはず。
あの部屋、あの土間、あの階段。
父もいない。
母もいない。
祖父母もいない。

みんな、そのときは懸命に生きていた。
日々に新しいドラマを作り、
しゃべったり、笑ったりしながら生きていた。
それが、あとへあとへと、
どんどんと消えていく。
闇の中へと、どんどんと消えていく。

さみしい?
切ない?
しかしそれ以上に、私は今、解放感に
浸っている。
「家」から解放された、解放感。
心の鎖がはずされた、解放感。
そう、この軽快感。

いったい、あの家は何だったのか?
みなが懸命に守ろうとしていたものは、
何だったのか?

窓の外には、ぼんやりとした景色が
つぎつぎと現れては、また消える。
今はその景色を追いかける気力も弱い。
疲れた体をシートに沈め、
静かに心を休める。

そのうちこの電車も、どこかの駅に
着くだろう。
着いたら、そこで降りて、
またゆっくりと考えよう。

++++++++++++++++++

【思い込み論】

●200本のヒット数

 アメリカのイチローが、9年連続で、200本のヒット数を記録したという。
その瞬間、試合を見ていた人たちは、総立ちになって、イチローを祝福したという。
「すばらしい」と書きたいが、ふと意地悪な心が顔を出す。

 これは何も野球にかぎらないことだが、「たかが(失礼!)、棒で、ボールを叩いただけ
ではないか?」と。
「ひょっとしたら、私たちは、それをすばらしいことと思い込んでいるだけでは
ないのか?」と。

 こんなことを書けば、この日本では、私のほうが袋叩きにある。
それはよくわかっている。
それに私は何も、イチローを批判しているわけではない。
「野球がつまらない」と書いているのでもない。
私自身、イチローのファンである。
先の日米戦では、私も、涙を流してイチローの活躍に感動した。

 私が書きたいのは、その先。
つまり「思い込みについて」。


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