最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

弥勒菩薩像の謎(弥勒菩薩半跏思惟像)byはやし浩司

2013-02-25 23:42:27 | 日記
206 中宮寺・弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の謎
【中宮寺の弥勒菩薩像は、ガンダーラ・釈迦立像のコピーだった】
(Mystery of Statue of Miroku Bosatsu in Chugu-ji Temple ,Japan)

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http://youtu.be/8ZZoqzv6wdQ

中宮寺・弥勒菩薩像は、どこから来たのか?
聖徳太子とは、いったい何者なのか?
聖徳太子は、574~622の人物と言われています。
一方、日本が唐の長安へ遣隋使をはじめて送ったのは、600年。
聖徳太子は、それ以前から手際よく、仏教の準備をしていたことになります。
が、繰り返しになりますが、法隆寺(中宮寺)に残る弥勒菩薩に、その謎が隠されています。
弥勒菩薩は、まさしくガンダーラの弥勒菩薩と一致します(はやし浩司説)。
百聞は一見にしかず。
みなさん自身の目で、お確かめください。
なぜか?
その謎と、答えもこのビデオの中に収録しておきました。

Where did Japanese Buddhism come from?
Who was Shotoku Taishi?
These are the greatest mystery of Japan and here is the answer.

なおこれらはすべて、私、はやし浩司が発見した事実です。
どなたも転用、流用、盗用できません。
禁止です。
2013年2月25日


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Hiroshi Hayashi+++++Feb.2013+++++はやし浩司・林浩司



【南紀勝浦・熊野古道へ】(謎の点と線、検証旅行)2013年02月24日(日曜日)

○7時10分発

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

熊野古道を見たかった。
自分の目で確かめたかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 7時10分発の新幹線に乗る。
目的地は南紀勝浦。
熊野古道。

○目的

 熊野古道を、自分の目で見て確かめる。

(1) 敷石の大きさ
(2) クセ

 まず大きさ。
ポイントは、人間が運べるような岩かどうかということ。
写真でみるところ、とても無理(?)というのも、かなりある。

 またここでいう「クセ」というのは、まさにクセ。
写真で見るかぎり、それぞれの敷石には、クセがある。
絵画の世界でいう、筆のタッチ。

日本画のように精緻で、ていねいに造った道がある。
ゴッホのように、荒々しいタッチの道がある。
モザイク画のような道もあれば、神社の参道のような道もある。
それぞれ、はっきりとした個性をもっている。

 私の判断では、4~5種類、ある。

○エイリアン説

 ウィキペディア百科事典によれば、「雨量が多いから、石畳にした」とある。
が、これは(こじつけ)。
田舎生活を知らない、都会人の空想。

 石といっても、種類がある。
雨がつづけば、石にもコケが生える。
山深い、湿ったところなら、なおさら。
そうなったら、もう歩けない。
ツルツルとすべる。
平らな石ならまだしも、丸石だったら、足をすべらせ、足をくじく。
河原の石の上を歩くことを想像してみればよい。
山道で足をくじいたら、万事休す。
季節によっては、そのまま凍死……ということにもなりかねない。

 なお、最近の子どもたちは、河原の石の上を歩くことができない。
「こわい!」と言う。

(補記:実際には石といっても、大門坂で見るかぎり、ザラザラした石で、雨の日でもだいじょうぶのよう。)

○ボスニアン・ピラミッド

 ボスニアのビソコ(サラエボの近く)に、巨大なピラミッドが見つかった。
3個も見つかった。
2005年というから、たったの8年前。
メキシコのテオティワカン、ギザのピラミッドをはるかにしのぐ大きさである。
「ボスニアン・ピラミッド(Bosnian Pyramids)」と呼ばれている。
3個のピラミッドは、それぞれ「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」、「地球のピラミッド」と呼ばれている。

 発掘は、まだ始まったばかり。
が、巨大な、明らかに加工された石が、つぎつぎと発見されている。
道かどうかはよくわからないが、道と思われる個所には、びっしりと石が敷き詰めてある。
写真で見たところ、幅は、50センチ~1メートル前後、長さは2~3メートル、厚さは、30センチ前後もある。
(これでもまだ、小さい方。)
そういった石……というより岩が、びっしりと、大都会で見る通路のように並べられている。

 詳しくはビデオNO205で紹介したので、興味ある人は、そちらを見てほしい。
そのビデオの中で、私は、こう言った。

「熊野参道にはエイリアンが関与していたと言うと、笑う人がいるかもしれない。
だったらボスニアン・ピラミッドは、どうなのか。
あれを見て、人間が造ったと言う人がいたら、もっと笑われる」と。

 書き忘れたが、炭素年代測定(Carbon Dating)によれば、ボスニアン・ピラミッドは、2万5000年前に建てられたという。
「2500年のまちがいではないか」と思った。
思って、あちこちのサイトを調べた。
やはり、2万5000年前、だった。

 2万5000年だぞ!

○新幹線

 豊橋を過ぎた。
つぎは三河安城。
名古屋を、8時08分発の南紀線で、南紀勝浦に向かう。

○睡眠不足

 このところ毎日、朝方、どうも気分が晴れない。
睡眠不足ということは、よくわかっている。
昨夜も、早く床に就こうと思いつつ、結局は、午前0時になってしまった。

 軽い頭痛。
花粉症によるものなのか、偏頭痛によるものなのか。
睡眠不足がつづいても、同じような症状が出る。
判断がむずかしい。

○中宮寺の弥勒菩薩

 中宮寺(法隆寺の一部)に、弥勒菩薩・像と呼ばれる仏像がある。
「半跏観音(はんか・かんのん?)」と呼ばれている。
その弥勒菩薩について、昨夜、調べた。
ウリ2つというか、ガンダーラに残っている釈迦立像と、顔が同じ。
鼻の長さだけはちがうが、それを除いたら、同じ。
たがいに縦に半分に切ってつないでも、まったく違和感はない。
同じ。

 ……この事実を、どう考えたらよいのか。
中宮寺の弥勒菩薩は、日本の仏師が造ったということになっている。
使われた木材は、クスノキ。
ある本には、中国や韓国には、クスノキはないと書いてあった。
別の本には、クスノキは、もともとは、中国から来たものとあった。
どちらにせよ、この日本では、海沿いの温かい地方にしか自生しない。
奈良周辺に、クスノキは、あったのだろうか。

 ……などという遠回しな言い方は、やめよう。
あの弥勒菩薩像(国宝、切手の図柄にもなっている)は、日本とガンダーラを自由に行き来できる人、つまりエイリアンによって作られた。
それについては、ビデオNO206の中で、話した。

○疑問

 私がたった1日調べただけで、そこまでわかった。
つまり中宮寺の弥勒菩薩(半跏観音)と、ガンダーラの弥勒菩薩は同じ。
だとするなら、つまり私のような素人が調べても、1日でわかったのだから、専門家はどうなのか。
疑問!
「そんなことにも気づかなかったのか」ということにもなるし、あるいは、気づいていたのかもしれない。
しかし何ごとにつけ、この日本で事実を話すには、勇気がいる。

 弥勒菩薩像という国宝にケチをつけるのは、タブー?
国宝だぞ!
口が裂けても、エイリアン作とは、言えない。

学者の悪いところ……ウソは言わないが、本当のことも言わない。
仮に「同じ」ということになれば、今度はその説明に窮(きゅう)する。
可能性はいくつか考えられる。

(1) 同じ仏師が彫った。……ありえない。石造と木造である。
(2) 中宮寺の弥勒菩薩は、ガンダーラ製……ありえない。
この日本でも、クスノキは、海側の土地にしか自生していない。
(3) ともに同じデータをもとに、エイリアンが加工した。……ありえる。

○墓説

 ボスニアン・ピラミッドの発掘がつづいている。
世界中から、ボランティアの若い人たちが集まっている。
「さぞかし楽しいだろうな」と思う。
うらやましい!
みんなでワイワイ騒ぎながら、巨大ピラミッドを発掘する。
そこは夢のような世界にちがいない。

 で、そのピラミッド。
だれかの墓でなくて、よかった。
ほっとした。
というのも、世界中どこでも、そうした遺跡は、「墓」になっている。
エジプトや日本を例にあげるまでもない。
後の権力者たちが、みな、自分の墓に仕立ててしまった。

 が、もしそのピラミッドが、500年前、1000年前に発見されていたとしたら、どうだっただろうか。
やはり、時の権力者たちの墓になっていたにちがいない。
 
○8時08分

 名古屋を8時08分発の南紀1号(特急)に乗る。
勝浦へは、11時39分に着く。
3時間半!

 日本は、狭いようで、結構、広い。

 天気は快晴。
絶好の行楽日和(びより)。

○心配

 心配なことが、ひとつある。
というのも、今夜の宿は、ホテル浦島。
洞窟風呂が人気。
それはそれでよいのだが、もし地震が起きたら……?
さらに勝浦からは、船でホテルに渡ることになっている。
津波が襲ってきたら、どうなるのか?

 私は、心配性。

(補記:その心配は、まったくなかった。
私たちの泊まった部屋は、8階。
同じホテルには、山の上に建つ、山上館というのもある。)

○大阪

 来週中には、大阪へ行ってみたい。
大阪の西側古墳群(大仙陵古墳を含む)と、その反対側にある東側古墳群。
その中間あたりに、小さな池があり、中に、島がある。
円形のきれいな島である。
その島を見たい。

 その話を、大阪に住む友人のNR氏に話すと、同行したいとのこと。
段取りは決めていないが、今は、認知症の母の介護で、たいへんらしい。
NR氏の予定に合わせて、スケジュールを組むつもり。

 なおその島を中心に、西側古墳群と東側古墳群は、奇妙な位置関係を保っている。
私は、その島を基準点(Datum Point)と判断している。
エイリアンが、世界のあちこちで、使っている方法である。
つまり一つの基準点を決め、そこを基準に、あちこちの拠点を決めている。
最大のものは、私が知るかぎり、フィルザバード(Filzabad)である。
釈迦の生誕地のルンビニ(Kunbini)への、基準点にもなっている。

 その島が基準点になっていても、何もおかしくない。

○65歳

 そのNR氏に昨日、メールを書いた。
「私ももう、65歳。
あとがありません。
が、何としても、あのUFOの正体を突き止めてやりたいのです」と。

 今さら、恥も外聞もない。
まっすぐ前に向かって、突き進むしかない。
だれのためでもない。
自分のためである。
よくて10年。
へたをすれば、あと5年。
その前後で、ボケる。

○ボケ

 何よりも不安なのは、ボケ。
すでに始まっている。
日々に、脳みその働きが悪くなっていくのを感ずる。
記憶力も、鈍ってきた。
英語力も、低下してきた。
注意力も、散漫になってきた。

 そのことは、同窓会などに出てみると、よくわかる。
みな、自分ではそう思ってはいないのだろうが、みな、ボケてきた。
話の内容そのものが、浅薄になってきた。
デリケートな話ができない。
「エ~とだねエ~」「ア~ア」「ウン、マア~」と言ったあとは、お決まりの俗説。
「男というのはネエ~、はやし君、決断力で決まるんだよ」と。

 私は毎日、幼児~高校生と接している。
よけいにそのちがいが、よくわかる。

○田丸謙二先生

 恩師の田丸謙二先生が、激痛に苦しんでいる。
鎌倉の病院から、メールが届いた。
昨夜もメールを出したが、返事がない。
いつもならすかさず返事をくれるのだが……。

 だいじょうぶだろうか?

○断る

 ふと考える。
もしだれかが私に、「君を東大の総長にしてやろう」と言ったとする。
日本国の総理大臣でもよい。
(そんな人は、絶対に、いないが……。)
が、今の私なら、断る。
今の私には、そんなことをしている時間がない。
お金は嫌いではない。
もっとほしい。
しかし事務、事務、事務……の仕事に、どれだけの意味があるというのか。
なったところで、どうしようもない。
その世界で、それに狂っている人には、それがわからないかもしれない。
地位や肩書など、タヌキの屁(へ)にもならない。

 今、私にとっていちばん大切なのは、「時間」。
私が私でいられる時間。
時間こそ、財産。
昨日も高校生に、こう話してやった。

 「命というのは、時間のことだよ」
「生きるということは、時間を大切にすることだよ」と。

 だから改めて、自信をもってこう書く。
「今の私なら、断る」と。

○紀伊半島

 紀伊半島に入ると、空が曇ってきた。
厚くて低い雲が、空を覆っている。
窓ガラスが曇っているのか、外が曇っているのか、外の景色も曇っている。
 「次は、鈴鹿」という電光掲示板が流れた。

 ……空はやや、黄土色。
花粉雲かもしれない?

 横を見ると、朝食を終えたワイフが眠っている。
のどかな列車。
ジーゼル車特有の、心地よい振動音が、床下から響いてくる。

(補記:あとでわかったが、窓ガラスが、全体に汚れていた。)

○ひと眠り

 たった今、目を覚ました。
紀伊長島に着くときだった。
一度、この町の公会堂のようなところで、講演をしたことがある。
親子同席の、ガヤガヤした会場だった。
宿は近くの民宿だった。
窓の外の景色を見ながら、そんなことを思い出した。

 南紀勝浦までは、あと1時間半。

○不可能ではないが……

 その昔も、人口は少なかったはず。
太古の昔には、もっと少なかったはず。
再び熊野古道の話。

 太古といっても、こと熊野街道については、いつごろのことかよくわからない。
ヤタガラス(=鳥頭人間)がいたころのことだから、卑弥呼のあと、400年前後までの時代をいう。
熊野本宮大社といえば、ヤタガラス。
三本足のヤタガラス。
(韓国や中国では、「三足烏」という。)
そのころに、そういう道ができた。
つまりそこが第一の謎。

 たとえば1個の岩を、4~7人で運んだとする。
4~5個で、30センチ(長さ)の舗装ができたとする。
1メートルの道を作るのに、18~20人。
石切り場がどこにあるかにもよるが、1日、2~3往復が限度ではないか。
仮に2往復としても、18~20人で、1日、2メートル前後の道を作るのが、精一杯。
それが1キロ(長さ)となると、500日。
10キロとなると、1000日。
100キロとなると、1万日。

 人工(にんく)の数を、10倍の200人にしても、1000日。
数百キロ(長さ)ともなると、そのまた数倍。

 それほどの財力は、どこにある。
そもそも労働力は、どこにある。
不可能ではないが、現実との連続性がない。

 が、これらの謎も、舗装された岩を見れば、わかる。
岩の質、色、並べ方を見れば、わかる。

 窓の外の景色を見ながら、そんなことを考えた。

(補記:大門坂を見るかぎり、石は大部分が、同じ色をしていた。
20%くらいが、それらとは明らかにちがう色をしていた。
おおまかなところは、大きな石で、エイリアンが造った。
残った、すきまなどは、小さなで、人間が造った。
小さな石といっても、おとながやっと持ちあげられる程度。)

○官僚主義国家

 またまたグチになる。

 この日本では、肩書がないと、研究(?)も、思うようにできない。
どこに電話をしても、まず、私の肩書を聞く。
「ただの研究者です」などと答えると、みな、口調を変える。
「アッ、そう」というような言い方をする。
もちろん仏像や絵画を見せてもらうのは、夢のまた夢。
実際には、不可能。

 相手の気持ちもよくわかるから、私は何も言わない。
黙って引き下がる。
で、そういう自分の気持ちをよく知っているから、私は逆に、相手がだれであろうとも差別しない。
相手自身を見て、判断する。
逆に、いくら肩書があっても、高慢な人とは、話をしない。
少し前も、H大学の教授という人から、連絡があった。
浜松で会いたいというから、会った。
が、その高慢な態度に驚いた。
まさに「来てやった」という態度だった。

 ……この教授について文章に書くのは、今回がはじめて。
キリスト像の研究で、有名な教授だった。
あるキリスト像を、コンピューターで解析していた。
NHKテレビでも、放送されたことがある。
たぶんそういう人なら、名刺一枚で、好き勝手なことができるのだろう。
国宝級の仏像だって、自由に見られるにちがいない。

 が、私には、それができない。
できないまま、人生、65年を生きてきた。
その結論。
この日本は、官僚主義国家(=権威主義国家)。
日本人は奈良時代の昔から、その世界から、一歩も外に出られないでいる。
骨のズイまで、その精神が浸み込んでいる。

○熊野

 電光表示板に、「次は、熊野」とあった。
私は「次」という漢字を、めったに使わない。
「つぎ」と書く。
同じように、「子ども」は、「子ども」と書く。
「子供」とは、書かない。

 どうでもよい話だが、表示板を見ながら、そんなことを考えた。

○エイリアン

 熊野古道には、謎を解くカギが隠されている。
つまり熊野古道を詳しく調べれば、エイリアンの性格がわかる。

 話はそれるが、たとえばギリシア彫刻とガンダーラ彫刻は、よく似ている。
似ているというより、同じ。
同じエイリアンが関与している。

 一方、エジプトの神殿の壁画は、みな、よく似ている。
統一性がある。
平面的で、イラストぽい。
図柄にしても、真横から見た図が多い。

 さらにインド西部の遺跡の仏像は、肉欲的で、ごちゃごちゃしている。
像と像が、複雑にからみあっている。
像というより、建物全体が、ひとつの作品になっている。

 私はこうしたちがいを見ながら、こう思った。
「みな、好き勝手なことをしている」と。

○自由

 こうした現象は、子どもの絵画指導のときに感ずる。
もちろん私には、私の画風がある。
好みもある。
だからといって、それを子どもに押しつけてはいけない。
それぞれの子どもには、それぞれの個性がある。
その個性を、うまく、引き出す。
伸ばす。
簡単に言えば、それがどんな絵であっても、「じょうずだね」と。
それだけを繰り返し、その子どもの個性を引き出す。
伸ばす。

 が、共同作業になると、そうした個性が、平均化される。
大作はできるが、面白味が消える。

 同じように、熊野古道を見たとき、こう思った。
「どうして、統一性がないのだろう?」と。
これほどまでの山道でありながら、作風がみなちがう。
部分によっては、極端なまでに、みなちがう。
指導者がいれば、そういうことはない。
指導者の指導により、統一性が生まれる。

 つまりエイリアンの世界では、みな、平等。
上からいろいろな指示は受けるのだろうが、それを受け取ったエイリアンは、自由。
自分の思いどおりのことができる。
たとえばピラミッド。

 アンコールワットピラミッドと、テオティワカンのピラミッド(月のピラミッド)は、同じ。
たがいに半分で切って、つなげても、同じ。
同じエイリアンが造った。

 が、同じ遺跡でも、日本の古墳とは、まったくちがう。
同じUFOの発着台と考えるなら、どうしてこうまでちがうのか?
が、それについても、日本の古墳は、別のエイリアンが造ったと考えると、わかりやすい。

○ワイフ説

 これに対して、ワイフは、こう説明する。
「その場所、場所に応じて、その土地の特徴を生かしているのではないのかしら?」と。
一理ある。

 たとえば石造物が好きなエイリアンでも、この日本では木造物を残している。
そういったちがいは、あるのかもしれない。

○エイリアンの性格

 このことは空路についても言える。

 たとえばこの日本には、何種類ものエイリアンがやって来ている。
やって来た時代も、ルートも、それぞれ、みなちがう。
あくまでも推察だが、おおざっぱに言えば、つぎのよう。

 たとえば卑弥呼の時代には、エイリアンは、仁徳陵を中心にやってきた。
空路は、クロス・ポイント中国を経由した。
が、つづく獣頭人間の時代には、直接、エドフ神殿(エドフ)からの空路を使っている。
一度、クロス・ポイント北西ヨーロッパを経由し、直接、日本へ乗り込んでいる。
日本各地に、稲荷(キツネ)神社ができたころのことである。

 ときを同じくして、鳥頭人間がやってきた。
顔がカラスに似ていたことから、日本では、「ヤタカラス」と呼ばれるようになった。
熊野へやってきたのは、この鳥頭人間である。
興福寺に残っている、「カルラ像」というのは、その鳥頭人間をいう。

 さらに聖徳太子の時代には、ギリシア→ガンダーラ→ルンビニ(釈迦の生誕地)→プレア・ビヒアを経由し、(以上は、真一直線)、そこから那智大社を経由し、法隆寺へ来ている。
先に書いた、中宮寺の阿弥陀如来像も、そのころガンダーラから、日本へもたらされた。

 さらに仏教が本格的に入ってくるころになると、テオティワカンから北極、そこからクロス・ポイント・日本を経て、日本へやってきている。
東大寺ができたころのことである。
そのころ、かなり力のあるエイリアンが、日本へやってきた。
八幡大菩薩と、日本では呼ばれている。
13世紀前後と考えてよい。

ちなみに、宇佐神宮と太宰府天満宮、西都原古墳群を線でつないでみるとよい。
直角三角形が、狂いなくできる。
(これら三者は、卑弥呼九州説の論争地となっている。)
できるばかりか、一方は、270度の真西、一方は180度の真南を向く。
さらに一辺は、他の一辺の2倍になっている。
誤差は、数キロもない。

 もちろん卑弥呼の前にも来ている。
が、そのときは、来ただけ。
葦嶽山、皆神山、富士山を目印にした。
出雲大社の位置も、そのころ決まった。
(位置が決まるというのと、実際の神社が建つというのは、別。
誤解のないように!)
皆神山→葦嶽山、皆神山→富士山の2本の直線は、90度になる。

 ちなみに、出雲大社からナスカに線を引くと、ナスカに2本の線を見つけることができる。
出雲大社が、当時、それだけ重要だったことを示す。
これに対して、敦煌→雲崗の仏像を結び、その線を正確に延長すると、伊勢神宮の外宮へやってくる。
また出雲大社から西都原の距離と、出雲大社から伊勢神宮(内宮)までの距離は、同じ。
誤差は数キロもない。

(なお以上の話は、まだ輪郭レベルの話。
近く、私なりに年表化してみたい。)

 それぞれみな、性格がちがう。
熊野古道でみるように、みな性格がちがう。

○ホテル浦島

 ロビーこそ大病院風。
が、トンネルを通り、部屋へ。
日昇館、8813号室。
(ホテルは、本館、日昇館、山上館の3つに分かれている。)
8階という最上階。
「地震が来てもだいじょうぶ」と、部屋へ入ったとたん、そう思った。

が、まあ、それにしても驚くほど広い。
島全体が、ひとつのホテル。
トンネルだけでも、100~200メートルは、ある。
私はいろいろなホテルや旅館に泊まったが、こんなダダ広いホテルは、はじめて。
それがいいのか、悪いのかは、わからないが、ともかくも広い。

 部屋も広く、20畳以上。
トイレ、バス付。

(補記:レストランまでは、500メートル近く、あった。
名物の巨大洞窟風呂へは、そんなわけで入らなかった。
帰ってくる間に、風邪を引きそうだった。)

○温泉

 部屋で一息つくと、そのまま温泉へ。
同じ日昇館内にある、玄武洞。
が、そこでまた仰天。
洞窟風呂とは聞いていたが、まさに洞窟。
その洞窟が、不思議。
ホテル全体が、まさに遺跡。
仲居さんに話を聞くと、昔の熊野水軍の基地があったところです、と。

 窓の外には、ほぼ直角に切り込まれたような絶壁が立っている。
その間に、明らかに(?)人工的に掘られたような洞窟。
(もちろん仲居さんをはじめ、フロントの従業員の人たちは、それを否定するが……。)
見方によっては、熊野古道より、はるかにおもしろい。
が、明日は、早朝に、ホテルを出なければならない。
昼からは、仕事が待っている。

○熊野古道

 熊野古道は、人間が造ったと言われれば、それまで。
不可能ではない。
古道を覆う岩にしても、不可能ではない。
しかし前にも書いたように、連続性がない。

 途中で立ち寄った茶店の女性は、こう話してくれた。
「天皇の行幸が何度もありましてね。それで古道を整備したのです」と。

 つまり天皇が歩きやすくするために、岩で舗装した、と。
私はこの説に、「?」マークをつけたい。
「そんなことのために……」と思ったが、それは言わなかった。

が、それはともかくも、ではなぜ、天皇がここまで足を運んだのか。
それほどまでに天皇を、引きつけたものは、何なのか。
むしろそちらのほうが、謎。

那智大社の横に隣接する、那智寺の職員の話を聞いた。
それによれば、仁徳5年の時代に、この地に、滝の神様と熊野の神様が2人やってきたという。
それが現在の那智大社の始まりという。

 ということは、滝の神様というのは、エイリアン社会の土木課の職員、熊野の神様というのは、総務課の職員、ということになる。
総務課の職員というのは、つまりは、鳥頭人間。
まず土木課のエイリアンが、岩を削り、滝を造った。
古道を造った。
同時の総務課のエイリアンが、人間を指導した。

SF的な話をとしては、おもしろい。
ワイフにその話をすると、ハハハと笑った。
(不謹慎な話で、ごめん!)

 が、どうしてこんなところまで、天皇は、400人にもの従者(茶店の女性の話)を連れて、何度もやってきたのだろう。
何が、天皇をして、そこまで動かしたのだろう。
謎といえば、そちらのほうが、はるかに謎。

○収穫

 熊野古道の建設には、明らかにエイリアンたちが関与していた。
私は、現地で、その物的証拠を見つけた。
それについては、家に帰り、ビデオ化したあと、文章にしたい。

 ただここにも書いたように、熊野古道そのものについては、不可能ではないということ。
人間でも作れなくはない。
現地の人たちが総出で、がんばって造ったと言われれば、それでおしまい。
それに古道といっても、すべてが舗装されているというわけではない。
舗装されているところもあれば、そうでないところもある。
私は、すべての古道が舗装されていると思った。
が、これはまちがいだった。

 が、同時に、古道の横に、2メートル近くもある、大きな岩石も見つけた。
まるで切り取られたかのように、一面は、真平らに、平たくなっていた。
私の想像によれば、まず巨石をもってくる。
それを細(こま)切れにして、道に並べた。
大きな岩石は、その残り物ということになる。

が、これとて、何ら、証拠にならない。
「たまたまここにありました」、「岩石が平面なのは、割れたからです」と。
そう言われたら、反論のしようがない。

 が、それでも証拠はあった。
ハハハ、見つけたぞ!
本当だぞ!
エイリアンが関与していたという、物的証拠!
確たる証拠。
乞う、ご期待。

○ジグソー・パズル

 今回のビデオを作るようになって、もう7か月になる。
その間、私は、いつもジグソー・パズルを解いているような気分になった。
つまりあらかじめ、答が用意してある。
私がすることと言えば、その答をもてきて、穴に埋めるだけ。

 中には、私のしていることを、(こじつけ)と思っている人もいるかもしれない。
が、事実は、逆。
向こうのほうから、答がやってくる。
今回も、そうだ。
熊野古道は、エイリアンが造った。
そう思いながら調べていると、証拠は、向こうのほうから、やってきた。

○午前3時

 昨夜(24日)は夕食後、そのまま就寝。
食事中も眠りそうになるほど、強烈な睡魔を覚えた。
で、目を覚ましたのが、午前3時。
現在、午前4時15分。
2013年2月25日月曜日、早朝。

 窓の外が明るいので、朝かなと思った。
が、真夜中だった。
明るいと思ったのは、ホテルのどこかのライトが照り返していたためだったらしい。
今しがた窓の外を見たが、月は出ていなかった。

 「もう少ししたら、眠りなおそう」と、今、そう思った。
あくびが立てつづけに、2、3度、出た。

○帰り

 今、津(つ)へついた。
先ほどまで、眠っていた。
2時間ほど、眠っていたことになる。
名古屋は近い。

○AD・HD(集中力欠如型多動性児)

 乗客のほとんどは、ほとんど眠っている。
が、1人だけ、間断なくしゃべっている女性がいる。
30歳前後か。
ジェスチャが、大げさ。
低い声だから、じゃまにはならない。
しかし「間断なく」。
ボソボソ、ボソボソ……と。
途切れることがない。

 「あの人、ずっとしゃべっているの?」と聞くと、ワイフが「そうよ」と。

 AD・HDというと、男児だけの問題と考える人は多い。
しかし女児にもいる。
割合は、男児に対して、2:1程度ではないか(経験)。
多動性というより、多弁性が目立つ。
その女児がおとなになる。
おとなになっても、異常な多弁性だけが残る。

 特徴はここに書いたように、よくしゃべる。
考える前に、しゃべる。
しゃべりながら、つぎつぎと話題が変化していく。
強く注意しても、10~20秒も、もたない。
10~20秒後には、またしゃべり始める。

 内容は、もちろん浅薄。
脳の表面に飛来した情報を、そのまま音声に換える。
「置き換える」という意味で、「換える」という言葉を使う。

私「口を閉じていなさい」
子「閉じていればいいのね」
私「そうだ」
子「どうして閉じているの」
私「静かにしなさい」
子「それは、無理よ」
私「だから口を閉じなさい」
子「口を閉じていたら、しゃべれない」と。

 これはある女子中学生(2年)と話したときの会話である。

○那智勝浦駅

 ホテル浦島は、この大不況下でも、大繁盛。
昨日は、土日ということもあり、全館、満室!
1700人も宿泊客がいたという。

 が、今朝のこと。
ホテルから、駅のある那智勝浦の桟橋までは、船が行き来している。
その船で出発を待っていると、どやどやと人が乗り込んできた。
店員45人とあったが、実際には、60~80人ほどが、乗り込んできた。

 が、桟橋に着くと、みな、観光バスのほうに歩き始めた。
団体旅行客である。
で、電車のほうもさぞかし混んでいるだろうなと思いつつ、駅へ行ってみると、客は私たちと、ほかに2人だけ。
ホテル浦島からは、2人だけ。

 特急列車は、1時間30分~2時間に1本だけ。
その1本ですら、自由席は、4~5人だけ。
指定席は、ガラガラ。
1客車2~3人、ほど。

 理由は、わかりきっている。
料金が高すぎる。
今回も、浜松→南紀勝浦(JR)で、片道1万円以上(特急利用)。
2人で往復、4万円以上。
プラス、ホテル代。

 私がJRの社長なら、料金を半額にする。
その分だけ、周辺のサービス業で稼ぐ。

 そうそう、高いといえば、バス代。
南紀勝浦駅から、那智大社までの料金が、600円。
たった15~20分足らずの距離で、600円。
浜松市内の感覚で言えば、2倍以上!
これには驚いた。

○太平洋

 広々とした田園風景が広がってきた。
ワイフが、横から私にこう言った。
「どうして熊野なの?」と。

 私はグーグルマップの地図を、開いて見せた。

私「いいか、地球人の目で、地球を見てはいけないよ」
ワ「どういうこと?」
私「宇宙から地球を見てごらん。最初に目につくのは、海だ。大きな海だ」
ワ「水の惑星、ね」
私「そう。太平洋だ。太平洋を中心に見ると、なぜ熊野かがわかる」
ワ「……そうね」
私「太平洋をはさんで、ナスカと熊野は、ほぼ正反対の位置にある」と。

 日本という国は、太平洋の一端にある。
日本が神々の国になったのは、そのためと考えてよい。
そこに住んでいた日本人が、神々にとくに選ばれたというわけではない。

○四日市

 たった今、四日市に着いた。
とくに書くことはなし。

 そろそろ今回の旅行記も、おしまい。
田園風景は消え、かわって、工場や都会的な風景が、飛び込んできた。
風は強いらしい。
白い煙(蒸気)が、煙突に対してほぼ直角に、南の方角へと流れている。

 では、ここまで。

2013年02月25日


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2013++++++はやし浩司

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