最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●最前線の子育て論byはやし浩司(12-28)

2009-12-28 08:01:31 | 日記
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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●BW教室から

●チン毛

 小学4年生の子どもたちが、ヒソヒソと何やら話している。
A君が言った。
「お前、本当に、生えているのか?」
B君「生えているよオ~」
A君「本当か?」
B君「まだ、産毛だけどね……」と。

 横には女児がいる。
前には、私というおとながいる。
先週、何かの拍子に、A君が、「生えている」と漏らしたのを、B君が覚えていた。

私「そういう話は、してはだめ。セクハラになる!」と。

が、それを横で聞いていたC子さん(女児)が、すかさず、こう言った。
「そんな話、学校で、たくさん聞いている!」と。

私「学校で?」
C「保健体育の時間に、先生が話してくれた」
私「先生が?」
C「そうよ……。教科書の最後に、絵が載っていた。私、あれを見て、気持ち悪かった…
…」
私「どうして、気持ち悪かったの?」
C「だってさア、アレが、ダラ~ンとぶらさがっていたもん」と。

 つまり男性のアレが、ダラ~ンとぶらさがっていたというのだ。

私「どうして、ぶらさがっていたら、気持ち悪いの?」
C「だってさあ、あんなふうに、ぶらさがっていないもん」と。

 それを聞いて、みなが、笑った。

男児たち「お前さア、見たことあるのかア? エッチだなア……」と。

私「あのなあ、ふつうは、ダラ~ンとぶらさがっている」
C「ギャー、気持ち悪い!」
私「ヘビじゃないんだからさア……。気持ち悪いというのは、おかしい」
C「ギャーア、ハハハハ」と。

 「性」というのは、不思議な二面性をもっている。
ただの器官としての(性)。
性欲を燃え上がらせるための(性)。
男も女も、この2つの間を、行ったり来たりしている。
その中から、無数のドラマが生まれる。
小学4年生というと、この二面性に気づき始める年齢ということになる。


●世界一すばらしい人

 年長児のクラスで、「世界でいちばん、すばらしい人はだれか?」という質問をしてみた。
当然、「ママ」とか、「お母さん」という言葉が返ってくるものとばかり思っていた。
が、いくら促しても、そういう言葉が出てこない。
中に、「アラン・ドロン」と答えた子どももいた。
しびれをきらして、私が、「お母さんだろ!」と言うと、みなが、「ゲーッ」と。

 これには驚いた。
うしろの席には、母親たちが、みな参観している。

私「あのなあ、そういうこと言うと、お母さんが悲しむよ」
子「だって、うちのママ、全然、かっこよくないもん」
私「あのなあ、そういうことを、人の前で言ってはだめ」
子「だって、本当だもん」と。

 つづいて、「世界で、いちばん大切な人はだれか」とも聞いてみた。
このときも、「パパ」とか、「お父さん」という言葉が返ってくるものとばかり思っていた。
が、やはり、そういう言葉が、いつまで待っても、出てこない。

私「あのなあ、パパだろ。パパが、いちばん大切だろ」
子「パパだってエ~。ゲラゲラ」
私「あのなあ、そういうことを言うと、君たちのパパは悲しむよ」
子「ママがいるから、いい……」
私「もう、お前たちは、いったい、何を考えているんだ。許さん!」
子「許さん……てえ?」
私「全員、おしおきだ」と。

 ……こうした様子は、YOUTUBEに収録しておいた。
興味のある人は、どうか、見てほしい。
子どもたちの明るい笑い声を、楽しんでもらえるはず。

(注)本当は、子どもたちの表情をカメラに収めたいのだが、このところ肖像権という
のが、うるさくなった。
私自身は、子どもたちにとっても、よい思い出になるから、カメラに収録しておきたい
のだが……。
この時期の子どもたちは、数か月単位で、表情も様子も、どんどんと変わっていく。

BW公開教室・11月号は、以下のアドレスから……。

http://bwhayashi.ninja-web.net/page009.html

どうか、お楽しみください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人がもつ悪魔性について

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イギリスでは、『抑圧は悪魔を作る』という。
慢性的な抑圧状態がつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることをいう。

ここでいう「抑圧状態」というのは、いわゆる
心が押し殺された状態をいう。
言いたいことも言えない。
したいこともできない。
不平や不満が押しつぶされ、心が石のようになる。
そういう状態をいう。

また「悪魔的」というのは、ズバリ、人間らしい心の崩壊をいう。
道徳の崩壊、倫理の崩壊につづいて、善悪感覚の
麻痺、心の温もりの消失、やさしさの欠落……とつづく。

で、ここが重要だが、一度、心の崩壊、つまり
心が壊れると、修復は、たいへんむずかしいということ。
私が知るかぎり、心が一度壊れた人が、そのあと、
再び人間らしい心を取り戻したという例はない。
何とかごまかして、それらしく取り繕う人はいるが、
基本的には、変わらない。

1920年代にあいついで見つかった、野生児を
例にあげるまでもない。

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●悪魔性

 「悪魔」とまではいかないにしても、「悪人」と呼ばれる人は多い。
しかし悪人といっても、心の問題だから、外からはわかりにくい。
「私は悪人です」というラベルを、張っているわけでもない。
さらにタチの悪いことに、このタイプの人ほど、仮面をかぶる。
(よい人)ぶる。

 だから私は、「悪魔」というよりは、「悪魔性」という言葉を使う。
「悪魔的」でもよい。
内に潜んで、外に顔を出さないから、「悪魔性」という。
その悪魔性は、ときとばあいに応じて、その人の心を裏から操る。

●反動形成

 この悪魔性は、0歳から4、5歳の幼児期前期までに作られると考えてよい。
それ以後も、『抑圧は悪魔を作る』という格言は正しいが、修復が不可能という
状態にはならない。
しかし0歳から4、5歳までに、一度この悪魔性が作られると、先にも書いたように、
以後、修復するのが、たいへんむずかしくなる。

 ひとつの例として、「嫉妬」をあげる。
たとえば下の子どもが生まれたとき、上の子どもが、赤ちゃん返りという症状を
示すことがある。

 ネチネチと赤ちゃんぽくなるのを、マイナス型とするなら、下の子どもに対して
暴力的になるのは、プラス型ということになる。
マイナス型とプラス型の両方を、あわせもつケースも少なくない。

 そのとき、上の子どもが、(よくできた、いい兄(姉))を演ずることがある。
これを心理学の世界では、「反動形成」という。
本当は下の子が憎くてしかたないのだが、その心を見抜かれると、自分の立場が
なくなる。
そこで上の子どもは、(いい兄(姉))という仮面をかぶることで、人の目をごまかす。

 こうした一連の反応は、本能的な部分で起こるため、本人にも仮面をかぶっている
という意識はない。
が、その裏で、上の子どもは、大きく心をゆがめる。
それがおとなになってからも、いろいろな形に姿を変えて、残る。

●欲求不満

 一般的に、長男、長女は、生活態度が防衛的になる。
「防衛的」というのは、ケチで、ため込み屋になりやすいということ。
嫉妬深く、用心深く、かつ疑り深い。

 親にすれば、「兄(姉)も弟(妹)も同じようにかわいがっています」ということ
になるが、兄(姉)にすれば、「同じように」という部分が、そもそも不満という
ことになる。
下の子どもが生まれるまでは、100%の愛情を受けていた。
それが下の子どもが生まれて、半分、あるいはそれ以下に減ってしまった。
それが不満ということになる。

 このばあいは、慢性的な愛情飢餓状態になる。

 言い忘れたが、「抑圧」といっても、2種類、ある。
外発的な抑圧(たとえば過干渉、過負担など)と、内発的な抑圧(愛情飢餓、
欲求不満)である。
どちらも子どもの心に対して、同じように作用する。

●ケチ

 この文章を読んでいる人で、長男、長女の人は多いと思う。
その中でも、ケチの人は、多いと思う。
ためこみ屋の人も、いる。
あのフロイトも、肛門期に、たとえば愛情飢餓の状態になると、ケチになりやすいと
説いている(※)。
しかしそういう人でも、その原因が、自分の乳幼児期にあると気がついている
人は少ない。
だいたい、自分がケチであるということにすら、気がついていない。

 たいてい長い時間をかけて、自分のケチを正当化してしまっている。
「私は倹約家だ」「質素こそ、生活の旨(むね)とすべき」「私は無駄づかいは
しない」と。
だからむしろ、「私はすばらしい人間」と思い込んでいる。
そしてそうでない人を、「浪費家」とか、「愚かな人」と、さげすんでいる。

 ため込み屋にしても、そうだ。
モノを捨てることができない。
そのため部屋中、家中、モノであふれかえることになる。
ひどくなると、ゴミまで、ため込むようになる。
もっともこの段階になると、心の病気がからんでくるため、単純に考えることは
できない。

 ともかくも、ケチな人は、自分がケチだとは思っていない。
その人がケチであるかないかは、そうでない人から見て、わかること。
自分では、わからない。
つまりそれくらい、自分を知ることは、むずかしい。
いわんや、悪魔性をや、ということになる。

●心の壊れた人

 以前、私にこんなことを話した人がいた。

 その人(男性、60歳くらい)は、車を運転しているとき、車をどこかの塀に
ぶつけたらしい。
そのため塀の一部というか、1メートル前後にわたって、大きく傷をつけてしまった。
それについて、その人は、得意げに、(「得意げに」だ)、こう言った。

 「林さん、あんなのいちいち謝りに行っていたら、かえって補修費を請求されるよ。
だからぼくはね、帰り道、わざと自分の車を、山の崖に当ててね、車に傷をつけた。
そうすれば、自分の車は、保険で直してもらえるからね」と。

 私が「それって、当て逃げになるのでは?」と言うと、その人は、こう言って
笑った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、あの家は、バーさんのひとり暮らしだから」と。

 一見すると、あっけらかんとして、朗らかな人に見えるが、心が壊れた人というのは、
そういう人をいう。

●私のばあい

 その人を非難しているのではない。 
私も、あの戦後のどさくさの最中に生まれ育っている。
道徳観も倫理観も、希薄な時代だった。
みなが、心のより所を見失い、「マネー」「マネー」と言い始めた時代だった。
家庭教育の「カ」の字もない時代だったと言っても、過言ではない。
少なくとも、今という時代と比較すると、そうだった。

 だから道路でお金やモノを拾っても、それはすべて拾った子どものものになった。
「交番へ届ける」という発想そのものが、なかった。
ある時期などは、大きな磁石にヒモをつけ、それで川の中をさらって歩いたこともある。
それで鉄くずを集めて、鉄くず商へもっていくと、結構なお金になった。
父が一日かかって稼ぐ金額より多く、稼いだこともある。
もっとも、それは悪いことではなかったが……。

 実は、先に書いた、塀に当て逃げした男というのは、私の子ども時代からの
知人である。
同じ価値観を共有している。
つまり相手の男は、私もまた同じような人間だろうということで、その話をした。
事実そのとおりだから、反論のしようがない。
反論のしようがないから、今、私はそういう自分の中に潜む悪魔性と、懸命に
闘っている。
私も油断すれば、ふとあのころの自分に戻ってしまう。

小ずるくて、インチキ臭い。
ウソは平気でつく。
人をごまかしても、罪の意識が薄い。

それを「たくましさ」と誤解する人もいるかもしれないが、ほんとうのたくましさは、
生き様の中で試される。
逆境の中で、どう生きていくか。
その生き様の中で試される。
ずる賢い人のことを、「たくましい人」とは、言わない。

●『抑圧は悪魔を作る』

 ここに書いたことだけでも、乳幼児期の子どもの育て方が、いかに重要なもので
あるかが、わかってもらえたと思う。
内的抑圧にせよ、外的抑圧にせよ、『抑圧は、悪魔を作る』。
そしてその悪魔性は、生涯にわたってその人の心の奥深くに住み、その人の心を
裏から操る。

 こうした悪魔性の恐ろしいところは、その悪魔性そのものよりも、悪魔性に毒される
あまり、大切でないものを大切なものと思い込んだり、大切なものを大切なものでない
と思い込んだりするところにある。
つまり時間を無駄にする。
積もり積もって、わずかな利益と交換に、人生を棒に振る。

●終わりに・・・

 先ほどケチについて書いた。
ひょっとしたら、あなた自身のことかもしれない。
あるいはあなたの周囲にも、そういう人がいるかもしれない。
が、私が知っている人の中には、家族よりも金儲けのほうが大切と考えている人もいる。
妻や子どもですら、自分の金儲けの道具くらいにしか考えていない。
私たちから見ると、実に心のさみしい人ということになるが、しかしそういう人を
だれが笑うことができるだろうか。

 この世界で、抑圧を受けていない人はいない。
いつも心のどこかで、じっと、それに耐えている。
毎日が、抑圧との闘いであると言っても過言ではない。
そのため、多かれ少なかれ、悪魔性は、だれももっている。
悪魔性のない人は、いない。

 大切なことは、その悪魔性に気がつくこと。
つぎに大切なことは、その悪魔性に毒されないこと。
これは人生を有意義に生きるための、大鉄則と考えてよい。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ケチ論

 ケチと倹約については、たびたび書いてきた。

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子どもの自慰とからめて、人間の心は
乳幼児期に作られることを、再確認してほしい。

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【子どもの自慰】

●自慰

 子どものばあい、慢性的な欲求不満状態がつづいたり、慢性的な緊張感がつづいたりす
ると、何らかの快感を得ることによって、それを代償的にまぎらわそうとする。代表的な
ものとして、指しゃぶり、髪いじり、鼻くそほりなどがある。

 毛布やボタンなどが手放せない子どももいる。指先で感ずる快感を得るためである。が、
自慰にまさる、快感はない。男児というより、女児に多い。このタイプの女児は、人目を
気にすることなく、陰部を、ソファの角に押し当てたり、直接手でいじったりする。

 そこでこういう代償的行為が見られたら、その行為そのものを禁止するのではなく、そ
の奥底に潜む原因、つまり何が、慢性的な欲求不満状態なのか、あるいはなぜ子どもの心
が緊張状態にあるかをさぐる。そのほとんどは、愛情不足もしくは、愛情に対する飢餓感
とみてよい。

 で、フロイトによれば、人間の行動の原点にある、性欲動という精神的エネルギー(リ
ビドー)は、年齢に応じて、体のある特定の部分に、局在するという。そしてその局在す
る部分に応じて、(1)口唇期(生後~18か月)、(2)肛門期(1~3歳)、(3)男根期
(3~6歳)、(4)潜伏期(6~12歳)、(5)性器期(12歳~思春期)というように、
段階的に発達するという。

 が、それぞれの段階に応じて、その精神的エネルギーがじょうずに解消されていかない
と、その子ども(おとな)は、それぞれ特有の問題を引きおこすとされる。こうした状態
を「固着」という。

 たとえば口唇期で固着を起こし、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、口唇
愛的性格、たとえば依存的、服従的、受動的な性格になるとされる。肛門期で固着を起こ
し、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、肛門愛的性格、たとえば、まじめ、
頑固、けち、倹約的といった性格になるとされる(参考、「心理学用語」渋谷昌三ほか)。
 
●代償行為

 男根期の固着と、代償行為としての自慰行為は、どこか似ている。つまり男根期におけ
る性的欲望の不完全燃焼が、自慰行為の引き金を引く。そういうふうに、考えられなくも
ない。少なくとも、その間を分けるのは、むずかしい。

 たとえばたいへん強圧的な過程環境で育った子どもというのは、見た目には、おとなし
くなる。まわりの人たちからは、従順で、いい子(?)という評価を受けやすい。(反対に、
きわめて反抗的になり、見た感じでも粗雑化する子どもも、いる。よくある例は、上の兄
(姉)が、ここでいう、いい子(?)になり、下の弟(妹)が、粗雑化するケース。同じ
環境であるにもかかわらず、一見、正反対の子どもになるのは、子ども自身がもつ生命力
のちがいによる。強圧的な威圧感にやりこめられてしまった子どもと、それをたくましく
はね返した子どものちがいと考えると、わかりやすい。)

 しかしその分だけ、どちらにせよ、コア・アイデンテティの発達が遅れ、個人化が遅れ
る。わかりやすく言えば、人格の(核)形成が遅れる。教える側からみると、何を考えて
いるかわかりにくい子どもということになる。が、それではすまない。

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。
このタイプの子どもは、反抗期にしても、反抗らしい反抗をしないまま、つぎのステップ
に進んでしまう。

 親によっては、そういう子どもほど、いい子(?)というレッテルを張ってしまう。そ
してその返す刀で、反抗的な子どもを、できの悪い子として、排斥してしまう。近所にそ
ういう子どもがいたりすると、「あの子とは遊んではダメ」と、遠ざけてしまう。

 こうした親のもつ子ども観が、その子どもを、ますますひ弱で、軟弱にしてしまう。中
には、自分の子どもをそういう子どもにしながら、「うちの息子ほど、できのいい息子はい
ない」と公言している親さえいた。

 しかし問題は、そのあとにやってくる。何割のかの子どもは、そのまま、生涯にわたっ
て、ひ弱で、軟弱なまま、陰に隠れた人生を送ることになる。しかし大半の子どもは、た
まったツケをどっと払うかのように、さまざまな問題を起こすようになる。はげしい反抗
となって現れるケースも多い。ふつうの反抗ではない。それこそ、親に対して、包丁を投
げつけるような反抗を、繰りかえす。

 親は、「どうしてエ~?」「小さいころは、あんないい子だったのにイ~!」と悲鳴をあ
げる。しかし子どもの成長としては、むしろそのほうが望ましい。脱ぎ方に問題があると
しても、そういう形で、子どもはカラを脱ごうとする。その時期は、早ければ早いほどよ
い。

 反抗をしないならしないで、子どもの心は、大きく歪(ひず)む。世間を騒がすような
凶悪事件を起こした子どもについて、よく、近所に住む人たちが、「どちらかというと目立
たない、静かな、いい子でしたが……」と言うことがある。見た目にはそうかもしれない
が、心の奥は、そうではなかったということになる。

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