最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●1月25日号マガジンより

2010-01-25 08:10:13 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 1月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クリスマス+正月

 最近、いろいろな従兄弟(いとこ)たちと、電話でよく話す。
「いろいろ」というのは、私には、60数人もの従兄弟がいる。
みんな、それぞれに年を取った。
話しながら、しみじみとそれを感ずる。
みんあ、がんばっているなあ、と。

 そういう従兄弟たちを思いやりながら、また1歳、年を取るのかと、ため息をつく。
新しい年を迎えるたびに、「1年、無事に生きられてよかった」という思い。
「また、1年、過ぎてしまった」という思い。
新年を迎えるたびに、いつもこの2つが、複雑に心の中で交錯する。
私としては、「今年は、さらに充実した年にしたい」と思いたいが、自信が半分。
不安が半分。

 で、今日は12月24日。
クリスマス・イブ。
ワイフはケーキを作るとはりきっている。
私は朝から、新パソコンの設定にかかりっきり。
のどかな朝。
庭では、スズメたちが餌をついばんでいる。

 ワイフへのプレゼントは何にしよう……?
まだ考えてなかった。

 ……私もがんばろう。
どこまでできるか、わからないが、やるしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●頭のキレる子ども(Smart Kids)

+++++++++++++++++++++++

頭のキレる子どもと、そうでない子どもがいる。
どこがどうちがうか。
ひとつには、頭のキレる子どもは、スパスパと、
まるでかみそりで、ものを切るかのように、
ものを考える。
考えるというよりは、何かテーマを与えると、それに
食いついてくる。
切り込んでくる。

反応も早いが、反応の仕方も、的確。
無駄がない。

一方、そうでない子どもは、反応が鈍い。
頭の中で、思考が回り道をしているような感じになる。
モタモタしている。
テーマを与えても、「どうでもいい」といったふうに、
逃げてしまう。
先天的なちがい、つまり遺伝子のちがいによる部分もないとは
言わない。
それはある。
しかし結果としてみると、頭のキレる子どもは、
良循環の中で、ますます頭がキレるようになる。
そうでない子どもは、悪循環の中で、ますますそうでなくなる。

+++++++++++++++++++++++

●特徴

 頭のキレる子どもの特徴を並べてみる。
たまたま私の目の前に、何人かの恵まれた子どもたち(小学生)がいる。
今日は、ワークブックの日。
月に1回は、ワークブックの日と定めて、学校の教科書に沿った勉強をしている。
しかしどの子どもも、1~2年分、飛び級をして、勉強している。

 まず気がつくことは、(1)目つきが鋭いということ。
眼球は、その子どもの脳の中をのぞく、窓と考えてよい。
眼球の中をのぞけば、その子どもが頭のキレる子どもかどうかが、わかる。
動きに無駄がない。
時折、視線がキラッキラッと動くことがあるが、そのつどちゃんとした目的がある。

 一方、そうでない子どもは、目つきそのものが、どんよりとした感じになる。
無目的に視線を動かす。
フワフワしている。

 つぎに気がつくことは、(2)的確性。
頭のキレる子どもは、目的に向かって、まっすぐと切り込んでくる。
言い換えると、「集中力」ということになる。
その集中力がある。
同じ(10)の力をもっていても、(10)の力すべてを、一点に集中させる。
そうでない子どもは、力を拡散させてしまう。
つまり頭がキレるかどうかは、集中力で決まる。
さらに鋭い子どもになると、スキがない。
ツンとした緊張感に包まれる。

 が、何よりも重要なのは、(3)切り込みということになる。
だから「キレる」という言葉を使うようになったのかどうかは知らないが、あたまのよい
子どもは、どんどんと切り込んでくる。
「AだからB……BだからC……CだからD……」と。
ちょうどドミノ倒しのドミノのように、ちょっとしたきっかけを与えるだけで、「ハイハイ、
わかりました!」と言って、自分で理解してしまう。

 たとえばたまたま今、目の前の子ども(小3)が、こんな問題を解いている。

「体□、□草の□に入る漢字を書け」(小5国語ワークブック)と。

 答は、「質」。
だから「体(質)、(質)草」。

 しかし小学生が、「質草」という言葉を知っているわけがない。
で、私が「質だよ」と教えると、「質草って何?」と聞き返してくる。
そこで「お金を借りるとき、時計とかカメラを相手に渡すときがある。
それを質草というんだよ」と教えると、すかさず、「お金が返せなかったら、
取られてしまうの?」と。 

私「お金が返せなかったら、時計とかカメラは、取られてしまうよ」
子「だったら、損だ。だれかにカメラを売ったほうがいい」
私「でも、お金を返せば、カメラは戻ってくる」
子「古いカメラでもいいの?」
私「もちろん価値のあるカメラでないといけないよ。
相手の人は、お金を返してもらえないときは、そのカメラをだれかに売って、お金を取り
戻すよ」
子「高く売れたら、残りは、返してもらえるの?」
私「それはない」
子「だったら、やっぱり、損だ」と。

 こういう会話が、ポンポンとつづく。

●習慣の問題

 先にも書いたように、(遺伝子のちがい)は、否定できない。
「頭のよい親の子どもは、頭がよい」。
しかしそれとて、こうも考えられなくもない。
つまり子どもは、日常的に頭のよい親に接している。
親の影響を受ける。
そのため思考するという習慣を、自然と身につける。

 たとえばこんなことがある。

 私は小学生の高学年になると、中学生のクラスなどにその子どもを置いて指導する。
上級生の(勉強ぐせ)を、もらうためである。
この方法は、きわめて効果的である。
イギリスでも、カレッジ制度の中で、それが応用されている。
……というより、イギリスのカレッジ制度を、私は、まねさせてもらっている。

 とくに頭のキレる中学生の間に置いたりすると、効果的である。
半年もすると、その上級生の勉強ぐせのみならず、思考力というか、思考回路そのものを
身につけてしまう。
つまり頭がキレるようになる。

 このばあい、脳の神経細胞(シナプス)が発達したというよりは、頭の中に新しい回路
(ニューロン)ができたと考えるほうが、自然である。
つまり神経細胞は、生まれながらにして数が決まっているが、回路(ニューロン)は、環
境によって、できる。
環境の中で、子どもは自ら、それを脳の中に作っていく。

 私の書きたいことが、もうわかってもらえたと思う。
頭のよい子どもは、環境の中で、そうなっていく。
それが(考えるという習慣)につながり、さらにそれが良循環となって、頭のキレる子ど
もになっていく。

 たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、親がボケーッとした生活を、日常的にし
ていて、どうして子どもが頭のキレる子どもになるというのか。
子どもは日ごろの、何でもないような会話を通してでも、自らの思考回路を作っていく。
その逆の、極端な例が、野生児ということになる。
オオカミに育てられれば、オオカミ程度の思考力しかない子どもになる。
(野生児については、何度も書いてきたので、ここでは省略する。)

 簡単に言えば、子どもは、頭のキレる人に接すれば、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
その責任の第一は、親ということになる。
が、親だけではない。
もちろん教師も、その中に含まれる。
頭のキレる教師に接すれば、子どもは、頭のキレる子どもになる。
そうでなければ、そうでない。
(教師だからといって、みながみな、頭のキレる人ばかりではないぞ!)

 そういう意味では、「教育」というのは、ものを教えるだけが教育ではないということ。
むしろ(教えずして教える部分)のほうが、重要。
またそれから受ける影響力のほうが、子どもにとっては、大きい。
アインシュタインもこう書いている。

 『教育とは、学校で習ったことをすべて忘れてしまったあとに、残っているもの』と。

 ……ということで、頭のキレる子どもについて、書いてみた。
が、誤解しないでほしい。
教える立場のものが、いつも教えるのではない。
その点、年齢は、あまり関係ない。
私のばあい、頭のキレる子どもに接すると、反対に、私のほうが大きな刺激を受けること
がある。
相手は子どもだから、知識や経験こそ少ないが、こと頭のキレについては、上下はない。
実のところ、私自身は、頭のキレる子どもと接しているのが、楽しい。
教えていても、おもしろい。
ときに教える立場であることを忘れて、子どもとのやりとりに夢中になることがある。

 ついでに……。
だからといって、私がどうと言うのではない。
しかしこういうことも言える。
「頭のキレる人には、頭のキレる人がわかる。
しかしそうでない人には、そうでない」と。
もっとわかりやすく言えば、「頭のよい人には、頭のよい人がわかる。
しかしそうでない人には、それがわからない」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 頭のよい子ども 頭のよい子供 頭のキレる子供 
鋭い子供 子供の集中力)

【補記】

『バカな人には、利口な人がわからない。利口な人からは、バカな人がよくわかる』
『愚かな人には、賢い人がわからない。賢い人からは、愚かな人がよくわかる』
さらに、
『自分がより利口になってはじめて、それまでの自分がバカだったことを知る』
『自分がより賢くなってはじめて、それまでの自分が愚かだったことを知る』
また、逆にこうも言える。
『バカな人は、自分がバカということがわからない。利口な人は、自分がバカということ
がわかる』
『愚かな人は、自分が愚かということがわからない。賢い人は、自分が愚かということが
わかる』

 こうして考えていくと、いかに自分のことを知るのがむずかしいかがわかる。
私はこのことを、どこか認知症ぽい女性(60歳くらい)と話していて気がついた。
バカでもわかるようなくだらない話を(失礼!)、その女性は、私にくどくどと説明した。
そこで私が、「私は、そんなバカではないと思いますが……」と言うと、突然、大声で私に
こう言った。
「私だって、バカじゃ、ありません!」と。

 私は、「あなたが思っているようなバカではない」と言ったつもりだった。
またその女性を、バカと言ったわけではない。
が、その女性は「バカ」という言葉に、過剰に反応した。
自分がバカと言われたと、勘違いした。

 私も、母を見舞うついでに、老人ホームにいる老人たちを観察させてもらったことがあ
る。
そのとき気がついたが、ああいった施設にいる老人で、自分をバカと思っている老人はい
ないということ。
一日中、「飯はまだかア!」と、叫んでいる女性(90歳くらい)もいた。
食事がすんだ直後でも、そう言って叫んでいた。

 そういう女性を、バカというのも、失礼なこと。
それは、よくわかっている。
しかしその女性は、私自身の近未来像。
私もやがて、その女性と同じようなバカになる。
まちがいなく、そうなる。

だから最後に、こうも言える。

『自分がバカになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』
『自分が愚かになりつつあるときは、だれもそれに気がつかない』と。

老後の恐ろしさは、まさに、ここにある。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●12月16日(水曜日)

今朝は、ふとんに入りこむ冷気で目が覚めた。
あわててワイフにしがみつく。
が、時計を見ると、6時。
自分に号令をかけて、ふとんから出る。

トイレから出ると、すぐウォーキング・マシーンに。
10分も歩くと、体がポカポカしてきた。
そのまま服に着替えて、書斎へ。

あとはいつものルーティーン。
自分で書いた『老後論』(12月16日マガジン)を
読んで、「そうだ」「そうだ」と、何度も納得する。
当然のことながら、自分で書いた原稿を読むのは
気持ちがよい。
スーッと頭の中に、思想がしみ込んでいく。
(当然のことだが……。)
さあ、今日も始まった。

●暖気

あまり寒いのもよくないが、暖かいのもよくない。
ものを書くには、ある程度の(きびしさ)が必要。
その(きびしさ)がないと、脳みそそのものが、眠ってしまう。
だらけた体では、仕事はできない。
同じように、なまけた頭では、文章は書けない。

が、今朝の寒さは、格別。
足の先、手の先が、ツンと冷える。

ところでおとといの夜、映画『パブリック・エネミー』という映画を観てきた。
あんな凶悪犯人でも、仕立て方によって、ヒーローになってしまう。
昔観た、『ゴッド・ファーザー』もそうだった。
よくできた映画だった。
星は4つの、★★★★。
少し採点が甘いかな?

ガタガタ……。
先ほどワイフが、朝のお茶を届けてくれた。
「ヒーターをつけたら?」と言ってくれた。
しかしヒーターをつけたとたん、眠くなってしまう。
「あとで居間へ行くよ」と言った。

それにしても今朝は、寒い。
今、動画のアプロードをしている。
それがすんだら、居間へ行くつもり。
おなかもすいた。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

●内面対話法(内的対話法)(自分を知るために)


++++++++++++++++++++


自分を知る……つまり「私」の中の深層部(=深層心理)を
知るためのひとつの方法として、「内面対話法」というのがある。
(この名称と方法は、私が考えた。)


簡単に言えば、頭の中に、別のだれか(=自分)を思い浮かべ、
その人と対話をすることによって、自分の心の
奥深くに潜む「私」を知るという方法である。


++++++++++++++++++++


【方法】


 静かな場所を選ぶ。
周囲は、暗いか、薄暗いところがよい。
目は閉じる。


 閉じると、あたりはぼんやりとした暗闇に包まれる。
その闇の向こうに、問いかける相手を想像する。
ぼんやりとした輪郭(りんかく)程度でよい。
その相手というのは、あなた自身でもよいし、別のだれかでもよい。
その相手に向かって、いろいろ、問いかけてみる。
問いかけながら、その答の中から、自分で気がつかなかったものを見つけていく。


●対話


 問いかける内容は、何でもよい。
何か、あなたが今、悩んだり、苦しんだりしていることがあれば、それについて問いかけ
るのがよい。


問:あなたはだれか?
問:あなたは何をしているか?
問:あなたは何をしたいか?
問:あなたの心をふさいでいるものは、何か?
問:どうして悩んでいるか?
問:どうすればよいと思っているか?
問:何かよい方法を、あなたは知っているか?
問:あなたはどこに原因があると思うか?


 頭の中で、その相手がどう答えるかについては、何も考えてはいけない。
相手がだまっていたら、そのままにしておく。


 こうして自分に問いかけながら、その中から自分を発見していく。


●私のばあい


 いきなりやっても、ザワザワとした感じになってしまう。
就寝前、あるいは寝起き後がよい。
で、私は、この方法を、いろいろな場所で試している。
「私の中の私」に、いろいろ質問している。
いつの間にか、そういう習慣が、身についてしまった。


「そこにいる君は、だれか?」……(ぼんやりとした黒い影、無言)
「君は、なぜ、そこにいるのか?」……(無言)
「気分は、どうだ?」(何度も問う)……「ぼくは何ともない。お前はどうだ?」
「君は、暗いな」……「見た感じで、決めつけるな」
「何か、しゃべれ」……(無言)
「会話は嫌いか?」……「わずらわしい」と。


●本当の私


 子どものころから、私は快活な子ということになっていた。
しかし本当の私は、混雑した場所が嫌い。
集団の中に入ると、すぐ神経疲れを起こす。
旅行でも、集団で行くよりは、少人数、
あるいはひとり旅のほうを、好む。


 そういう(私)が、こうした内面対話法の中でも、顔を出す。
私は、自分では騒々しい人間だと思うが、しかし騒々しいところが嫌い。
とくにあの女性たちがする、おしゃべりが、苦手。
これには私の母や姉が、たいへんなおしゃべりで、口うるさかったことが関係している。

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