最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●8月3日(2)

2009-08-03 10:15:08 | 日記


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●『北朝鮮の不思議な人民生活』(宝島編集部・宝島社)

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数日前、『北朝鮮の不思議な人民生活』(宝島社)という
本を買ってきた。
その本の感想を一言で表現すれば、題名どおり、「不思議」。
「今どき、こういう国もあるんだなあ」と、驚くばかり。

で、その話は別に、とくに私の関心をひいたのは、中国との関係。
現在、6か国協議は崩壊し、日本と韓国は、K国を除く、
5か国協議の開催に力を入れている。

が、中国は基本的には、制裁会議には、消極的。
アメリカは、K国と対話重視の姿勢を崩していない。
が、この本を読んで、中国がなぜ、K国に対する制裁に
消極的なのか、それがよくわかった。

K国と中国は、たがいに密接にからみあっている。
中国の企業家たちだけは、自由にピョンヤンに出入り
することができる。
工場を建てることもできる。
(年間、1万5000人もの中国人観光客がK国を
訪れているという。
これに対して、日本人観光客は、たったの400人弱。)

そしてこうもある。

「04年以後、中国の対北朝鮮投資熱は、(中国側の)
国策的な後押しを受けたものと思われる」と。
そして日本の制裁が強まれば強まるほど、(中国側に
とっては)、「その分だけ、ビジネスチャンスがふえる
だけ」と。

中国は、K国を、国策的に取り込もうとしている。
そのため中国はK国の制裁に加わりたくても、加われない。
そんな内部事情が、この本を読んで、よ~くわかった。

それにもう一言。

「ふつうの日本人は、K国には行かないほうがいい」。
「ふつうの……」というのは、向こうの人たちと
何もつながりのない、ごくふつうの日本人という意味である。

この本の筆者は、在日朝鮮人(?)と思われる。
そんな人でも、旅行記の最後を、こう結んでいる。

「……車が最終検問所を過ぎ、中朝友誼橋にさしかかった
時、『やっと自由世界に戻ってきた』と本気で喜んだ。
中国側の旅行社の担当者の姿を中国側の国境ゲートで目に
したとき、全身の力が抜けてしまった……」と。

 K国という国は、そういう国らしい。

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●のろわれた(?)家系

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少し前、「のろわれた家系」という題で、エッセーを
書いた。
それに対して、「私の家系は、もっとすごい」という
メールをもらった。
転載は不許可ということなので、大筋だけ、かいつまんで
書かせてもらう。

その人は、6人兄弟の、上から三番目。
今年、50歳になるという。
仮にX氏としておく。
 
兄、姉、(X氏)、妹、弟、弟。

6人兄弟なのだが、うち、離婚した人、4人。
残りの2人のうち、かろうじて家族円満なのは、X氏だけ。
もう1人も、別居状態。
うち、家族(夫婦、子ども)の中で自殺者を出した兄弟、3人。
だから「私の家系も、のろわれています」と。

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 単純に計算すれば、離婚率、80%以上。
自殺者を出した割合、50%となる。
しかしX氏は、こう言う。

「原因は、すべて私たちの両親にあります。
さらに言えば、父親の両親(=X氏の祖父母)にあります」と。

 もっともそれぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
離婚するにせよ、自殺するにせよ、それぞれの思いをもって、そうする。
私のような部外者が、あれこれ詮索したところで、意味はない。
どう詮索したところで、その一部を知ることさえできない。
いわんや、「率」だけを見て、とやかく言うのは許されない。
たまたまそういう不幸な事件が重なった……とも考えられる。

 が、そのX氏は、こう言う。
「祖母が、精神的に欠陥のある人でした。
その影響を私の父が受け、家庭の中は、私が子どものころから、メチャメチャでした。
父は祖父の財産を乗っ取り、小さなスナックを開きましたが、斜陽になると、自ら
放火。
多額の保険金を手に入れました。

そんな家族ですから、はやし先生が説く、『親像』とか、『家庭像』などといった
ものは、私の生まれ育った家には、まったくありませんでした。
だから兄弟姉妹は、バラバラ。
その結果が今、です」と。

 X氏の兄弟たちはみな、幸せな家庭作りに失敗した。
3人の家族(妻、長男、二女)が自殺したことについても、もし幸せな家庭作りに成功
していれば、なかったかもしれない。
「のろわれた家系」ではなく、「なるべくしてなった家系」ということになる。
X氏からのメールを読んで、そんな印象をもった。

Xさん、メール、ありがとうございました。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●精神医学

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発達心理学と精神医学。
似ているようで、似ていない。
まったく異質。
先ほど、統合失調症(精神分裂病)の
診断基準を読んでみた。
内容はともかくも、用語の使い方が、
私が知る世界のものとは、大きくちがう。
そこに興味をもった。

たとえば、「陰性障害」という言葉。
「眼球運動の非円滑性」という言葉もある。

「精神医学の世界では、こんな言葉を
使うのか」と、改めて、その世界の広さに
驚いた。

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●某、精神医学者のHPより抜粋(診断基準)

 「精神分裂病」で検索していたら、つぎのような診断基準が、目にとまった。
トップページをさがしたが、そこには何もなかった。
しかたないので、そのまま、一部を、参考までに、転載させてもらう。

+++++++++++以下、診断基準+++++++++

(認知行動障害)

【1】 基礎障害(分裂性鈍化) ・・・・ 認知障害、陰性症状

(1)中核障害
A、「 連合障害 」 (思考途絶、自生思考など) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
認知障害(思考力障害)
(関連障害:短期作業記憶障害、注意持続障害、眼球運動の非円滑性)

(2)周辺障害
B、「 交流能力・同調能力の著しい低下 」:自閉状態(発話と自発動作の減少)・・・ 
陰性症状
C、「 感情表出の減少 」(硬い表情)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
陰性症状
D、「 アンビバレンス 」(感情的な判断の困難、意思決定の困難)・・・・・・・・・・・・・・ 
認知障害

(精神病症状)
【2】副次的症状 ・・・・ 急性症状 陽性症状
(1)妄想状態
  1、「 妄想気分 」  (理由のない自生的な恐怖感の持続)
  2、「 被注察妄想 」 (不気味な不安感を伴う被注察感)
  3、「 妄想知覚 」  (全てが自分に関係しているように感じられる)
  4、「 確信的妄想 」 (訂正不能な思い込み)

(2)幻覚
  1、「 思考化声 」  (考えた事が声として頭の中で響く)
  2、「 体感幻覚 」  (体中を虫がはっている感触)
  3、「 会話性幻聴 」 (存在しない声が聞こえる)
  4、「 幻視 」     (存在しないものが見える)

 (3)自我障害 (させられ体験:自分の思考や動作が自分の意志から乖離する)
 (4)思考伝播 (自我障害の一種:自分の思考が他人に伝わってしまう)
 (5)緊張病性運動障害 (意味なく暴れたり、石のように固まってしまう)
 (6)著しく混乱した(disorganized)会話 (会話が脱線して意味が通じない)  

(その他の認知・行動障害)
   1、「 易疲労性 」 (思考力・動作能力)
   2、「 社交恐怖 」 (対人恐怖)
   3、「 トゥレット症候群 」 (表情筋チック(状況と無関係の"しかめ面")、言語性チック(攻撃的な独り言))

(生理的症状)
   1、不定愁訴 (頭痛、頭重、身体硬直(肩こり等)、全身倦怠、心拍亢進など)
   2、不眠、昼夜逆転 (生命時計の失調)
   3、社交恐怖 (金縛り)

+++++++++++以上、診断基準+++++++++++++

●独特の用語

 統合失調症について書くのが、目的ではない。
ここでは、その用語の使い方について考えてみたい。
私の知らない用語が、ズラリと並んでいる。
たとえば……。

思考途絶、自生思考、交流能力、同調能力、アンビバレンス、思考化声、感情表出の減少、自我障害、会話性幻聴、易疲労性、社交恐怖、言語性チックなどなど。

 その中でもとくに私の注意を引いた言葉が、「アンビバレンス」という英語。
アンビバレンスとは、どう綴るのだろう。

「unbibakence」?
「umbivalence」?

 手元にある電子辞書(EX-word)を縦横に調べてみたが、それらしい単語は見つからな
かった。
逆に、「認知障害」を和英辞典で調べてみたが、それでも見つからなかった。
精神医学の世界では、常識的な言葉にちがいない。
それにしても、興味深い。
たとえば「感情表出の減少」とは!

 顔による感情の表現が乏しくなることをいったものだが、それにしても「うまい」いう
か、「的確」というか……。
とくに私の世界では、使わない用語である。
こんな用語を使ったら、それこそ親たちは、チンプンカンプンになってしまう。

「お宅のお子さんは、感情表出に乏しく、交流能力に問題があります。ほかに自我障害、
易疲労性なども見られます。言語性チックにも注意してください」と。

 ほかに気になったのは、「眼球運動の非円滑性」という用語。
たしかにこのタイプの人は、目つきが定まらず、ギョロ、ギョロとあたりを見回したりす
る。
それを「眼球運動の非円滑性」と言うらしい。
だったら、「目つきがギョロギョロする」でもよいのではないか?

 そう言えば法律の世界にも、法律用語というのがある。
たとえば「無限軌道車」と言えば、「キャタピラーのついた車」をいう。
タンクやブルドーザーがそれに当たる。
私はその言葉をはじめて知ったとき、ハタと考え込んでしまった。
「無限軌道車とは何か?」と。

 精神医学者たちは、こういう用語を縦横に操りながら、自分の専門性を維持しているの
だろう。
たいへんよい勉強になった。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●反乱

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近く、実兄と実母の一周忌がある。
私の属する宗派では、盆供養というのはしない。
そのかわり、一周忌では、その法要を派手にする。

寺での供養が済んだあと、親類縁者、一堂に
集まって、飲み食いの席をもうける慣わしに
なっている。

が、私はこう決めた。

(1)実兄の一周忌はしない。
(2)実母の一周忌は、寺で、私とワイフだけで
すます。

それが私たちの結論。
X市に住む従姉のYさんが、「そうしたら」という
アドバイスをくれた。
だから、そうする。

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●親

 親にもいろいろある。
みながみな、森進一が歌う、『♪おふくろさん』に出てくるような親とはかぎらない。
中には、子どもを罵倒しながら、好き勝手なことをしている親もいる。
好き勝手なことをしながら、他人の前では、仏様のようなフリをする。
Aさん(65歳・女性)の母親もそうだ。
あまりにわがままに、Aさんは、いつもこう言っている。
「母に、殺意すら覚える」と。

 晩年の母はともかくも、私の母も似たような親だった。
生涯にわたって、自分で職をもったことは、一度もない。
稼業は自転車屋だったが、ドライバーを握ったこともない。
家の上の掃除は母がしたが、その下の土間、仕事場の掃除、窓ガラス拭きなどは、
すべて私たち子どもの仕事だった。

●他界

 が、昨年、実兄が死に、実母が死んだ。
そして今年、一周忌がやってきた。
「どうするか?」。
悩んだ末の結論が、上に書いた、(1)と(2)ということになる。

 親類と言っても、叔父、叔母方が、2人。
伯父、伯母方が、2人。
それだけ。
あとは従兄弟たちだが、今は、疎遠になってしまい、行き来はない。
「今さらどうして親戚づきあい……?」というのが、私の本音。
それに私はもう自分の哲学を曲げてまで、法事はしたくない。
必要なことは、すべてした。
実兄、実母の百か日の法要までは、きちんとした。
しかし、そこまで!

●幻惑

 といっても、体の芯まで染み込んだ「幻惑(=苦悩)」を、心から抜き去るのは
容易なことではない。
本能に近い部分にまで染み込んでいる。

私たちは生まれるとすぐ、もろもろの「刷り込み」を経験する。
親子関係もそうだが、ほかに家族関係、親戚関係など。
こうした関係が、「家族自我群(=呪縛感)」となって、私たちの心をがんじがらめに
している。
だから苦しむ。
もがく。

 ずるい親になると、そうした「家族自我群」を使って、逆に、子どもを束縛する。
先に書いたAさんの母親も、そうだ。
自分は昼間は寝ているから、よい。
が、夜中になると、大声で、こう叫ぶという。

「ああ、腹減った!」
「何か食わせてくれないと、死んでしまう!」
「長生きして、損した!」と。

 Aさんは一晩中、自分の耳を押さえて眠るという。
が、それもこのところ限界にきた。
慢性的な不眠がつづき、精神状態もおかしくなってきた。
うつ病薬、精神安定剤の量も、ふえてきた。
だからAさんは、こう言う。
「死ぬまではめんどうをみるが、死んでも、葬式はしない」と。

●決別

 もし上に書いたような(1)と(2)を実行すれば、私のことを悪く言う親類は、
何人か出てくるだろう。
悪口を言うために、てぐすねをひいて、待っている。
(……というのは、私の思い過ごしかもしれない。
が、いいふうには、言わないだろう。)

 が、私は、こう思う。
「もう、いいかげんにしてほしい!」と。
あるいは「いつまで私を苦しめたら、気が済むのだ!」と。

 もちろんお金の問題ではない。
法事の費用のことを言っているのではない。
これは私の主義、主張の問題。 

 私はもうこれ以上、自分の主義、主張を捻じ曲げたくない。
安易な妥協で、もうこれ以上、自分の人生を汚したくない。
ゆいいつの方法は、私の主義、主張を、関係者に理解してもらうことだが、
それをするのも疲れた。
また、それを理解できるような人たちなら、まだよい。
しかしこのところ、ますますたがいの間の(距離)を感ずるようになった。
そうでなくても、みな、加齢とともに、脳みその活動が鈍くなってきている。
説明しようにも、説明のしようがない。

●私は私

 私は、「私は私」という生き方を貫いてきた。
が、そこに親類、縁者が加わると、とたんにそれができなくなる。
夏目漱石も、小説『こころ』の中で、似たようなことを書いている。
どんな高邁な哲学や思想をもっている人でも、一度、家族自我群の中に巻き込まれると、
私が私でなくなってしまう。

 だから「勇気」ということになる。
私はもう、人が何と言おうと気にしない。
言いたい人には言わせておけばよい。
私自身の人生も、それほど長くない。
だから「勇気」ということになる。
その勇気がないと、「家族自我群」による「幻惑」から、自分を解放させることは
できない。

 が、そう割り切ったとたん、気分がスーッと軽くなった。
楽になった。
もちろんだからといって、実兄や実母の死を軽くみているわけではない。
新調した仏壇は、私の家の中でも、いちばんよい場所に安置してある。
折につけ、手を合わせている。
が、それ以上に、どうして法事が必要なのか。
もしそれで「成仏」なるものができないとするなら、私は自分が死んだら、
あの世で真っ先に抗議活動を始める。
そんなバカげた仏教が、どこにある!

 ……ということで、私の気分を軽くしてくれた従姉には、さっそく礼の品々を、
昨日贈っておいた。

 Yさん、ありがとう!

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