最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(1)

2010-01-14 08:41:12 | 日記


●Art is long, life is short
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「Art is long, life is short」は、日本では、人生は短いが、芸術は死んだあとも、長
く残ると解釈されている。しかしこれはまちがい。もともとの意味は、ヒポクラテスが、
「医療の技術(art)を手にするには、人生(life)は短すぎる」と言ったことによる。それ
が誤訳されて、西洋に伝わった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●左右の感覚

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時事通信に、一枚の写真が載っていた。
興味ある写真だった。

時事通信の記事は、つぎのように伝える。

『・・・戦車が進む雪原の沿道に「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と書かれた標識
のほか、韓国南部の都市「金海」の表示もあった。韓国の高速道路を進撃するのを想定し
ているとみられる』(以上、時事通信)と。

つまりあのK国が、軍事訓練をしたという。
そのときの写真が公表された。
写真には、どこか時代遅れの小型の戦車(TANK)
と同時に、「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と
書かれた看板が載っていた。

それについて、時事通信は、「韓国の高速道路を進撃する
のを想定しているとみられる」とコメント書いている。

いつものことだから、記事自体には、興味はない。
興味をひいたのは、写真のほうだった。
戦車は、向かって左側から、右側に走っていた。
またそういう写真だった。
その写真に私はひきつけられた。

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●常識?

 私はその写真を見たとき、一瞬、「あれっ!」と思った。
「向きが逆ではないか?」と。

 つまり報道された写真どおりとするなら、戦車は、北、つまり中国、もしくはロシア側
に向かって進んでいることになる。
そういう印象をもった。
K国が、韓国を「進撃する」というのなら、向きは、向かって右側から左側にしなければ
ならない。

 が、そのすぐあと、私は私のまちがいに気づいた。
日本から見れば、たしかにおかしい。
しかし一度、K国の首都のP市に視点を置いてみると、そうではない。
この(向き)でよいことがわかる。
P市に住む人たちなら、何もおかしく思わないだろう。

●進撃?

 こんなことはありえないが、そこで私は、こう考えた。
あくまでも想像上での話である。

 仮に私が住む遠州地方と、東北地方が、戦争状態になったとする。
そのとき私が、プロパガンダ(情宣)用の写真を撮ることになったとする。
そのとき私は、東北に向かう戦車を、どちらの向きにするだろうか、と。

 このばあい、私なら、戦車の向きを、向かって左側から右側に走っている写真を載せる。
(もちろんその写真を張る場所にもよるだろうが・・・。)
右側から左側に走っている写真だと、何だか退却しているような感じになる。

 もう少しわかりやすくするために、図示してみる。

(→■→)・・・東北地方に進撃(矢印は戦車が進む方向)
(←■←)・・・東北地方から退却

 こうした感覚には、個人差がある。
だから逆に考える人もいるかもしれない。
あるいは東北地方に住んでいる人なら、どちらの向きにするだろうか。

●老後の親

 こうして考えてみると、私たちがもっている常識的な感覚というのは、ずいぶんといい
かげんなもであることがわかる。
そのとき、自分がどういう立場にいるかだけで、それがいとも簡単に、ひっくり返ったり
する。
こういう例は、多い。

 たとえば親と子どもの関係。

 私たちの時代には、子どもが老後の親のめんどうをみるという意識は、当たり前のこと
だった。
常識以上の常識だった。
が、今は時代が変わった。
子どもたちの意識も変わった。
もう13年も前の調査だが、「老後の親のめんどうをみる」と答えた青年男女は、5人に1
人もいない(内閣府調査)。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! 
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80~90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている(19
97年)。

●親子関係

 こう書くからといって、私の息子たちを責めているのではない。
批判しているのでもない。
私の息子たちも、今の若者たちの、ワン・オブ・ゼム。

 その息子たちと会話をしていても、老後の私たちのめんどうをみるという気持ちが、ま
ったくないことがわかる。
そういう雰囲気さえ、ない。
「家族を大切にする」とは言うが、今の若者たちにとっての「家族」というのは、自分と
配偶者、そして子どもたちでつくる家族をいう。
そこには親の姿は、どこにもない。
影もない。

 むしろ立場は逆で、子どものほうが、親に援助してもらうのが、当然と考えている?
わかりやすくするために、それを図示してみると、こうなる。

(親←子)・・・私たちの世代の考え方(矢印は援助の方向)
(親→子)・・・今の若者たちの考え方

●私たちの老後

 私たちは、私たちの老後を、そういう前提で考える。
幻想こそ、禁物。
もしあなたが、まだ幼い自分の子どもをみながら、「私はだいじょうぶ」「うちの子にかぎ
って・・・」と考えているとしたら、幻想以外の、何物でもない。

 実は、私もそう考えていた。
心のどこかでそれを信じていた。
だからこと学費について言えば、身銭を削って、息子たちに与えてきた。
どれだけ苦労しても、「苦労した」という泣き言を、息子たちに言ったことはない。
むしろ余裕があるような顔をして、息子たちには心配をかけないようにしてきた。
が、そんな親の気持ちなど、息子たちというより、今の若者たちには、通じない。  

 だから私はあえて言う。
『必要なことだけはしなさい。その限度をわきまえている親のみが、真の家族の喜びを与
えられる』(注)(バートランド・ラッセル)と。

(注:イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセ
ル(1872~1970)は、こう書き残している。
『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれ
ど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを
与えられる』と。)

●ものの考え方

 遠州地方から東北地方を見る。
反対に東北地方から遠州地方を見る。
それだけで、戦車の向きが逆になる。

 同じように、若者たちの世界から老人を見る。
老人の世界から若者たちを見る。
それだけで、ものの考え方が、180度変わる。

 どちらが正しいとか、正しくないかということを論じても意味はない。
ただ言えることは、私たちも、かつては若者であったということ。
そして今の若者たちにしても、確実に、いつかは老人になるということ。

 が、今の若い人たちに、いくら警告しても意味はない。
若い父親や母親にしても、そうだ。
「それは幻想ですよ」といくら説いても、意味はない。
この問題だけは、自分が老人になってみないとわからない。
まず、苦労に苦労を重ねて、自分の子どもたちを育ててみる。
学費を払ってみる。
その結果として、それぞれが自ら発見していく。
今、言えることは、それだけということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 内閣府 親のめんどう バートランド・ラッセル)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2010年1月7日

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今日は、アメリカに住むデニースさん(嫁)の
誕生日。
時差が11時間ほどあるため、祝いの電話を
かけるタイミングがむずかしい。

Happy Birthday, Denise!
Hiroshi & Akiko Hayashi, Japan
Jan. 7th 2010

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●2050年には、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)。

 今日の夕刊に、こんな記事が載っていた(中日新聞)。
それによれば、2050年には、なんと、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)に
なるという。
比率でいえば、37・8%(2050年)。

2050年といえば、40年後。
現在、25歳前後の人が、満65歳になるころには、日本中は、老人だらけ・・・という
状態になる。
(今でも、老人だらけだが・・・。)

 こういう記事を読むと、がぜん、私は闘争心がわいてくる。
団塊の世代は、たくましい。
ちょっとやそっとのことでは、くたばらない。

●平均寿命は、男性79歳前後、女性86歳前後

 現在の統計によっても、男性の平均寿命は79歳前後、女性の平均寿命は86歳前後。
その一方で、「健康寿命」という言葉がある。
健康寿命というのは、「健康でいられる年齢」ということ。
平均して、(平均寿命)-(10年)が、健康寿命ということらしい。
それによれば、男性の健康寿命は、満69歳前後、女性の健康寿命は、満76歳前後。
残りの10年は、病気との闘いということになる。
そういう意味では、ポックリと死ねる人は、まだ幸福(?)ということになる。
私も、できれば、ある日、突然、ポックリと死にたい。

 しかしこの世の中、生きるのもむずかしいが、死ぬのもむずかしい。
生きたいと思いつつ、生きることのできない人も多い。
が、死にたいと思っていても、死ぬことができない人もいる。
ア~ア。

●うつ状態

 正月明けから、調子が悪かった。
ずっと悪かった。
が、今日(7日)になって、やっと、調子が戻ってきた。
完全にうつ状態。
何を考えても、憂うつ。
何をしても、憂うつ。
気が晴れない。
そんな状態だった。

 が、今日は山荘へ行き、ワイフと日なたぼっこ。
縁側に椅子を出し、日光に当たりながら、ウトウトと眠った。
気持ちよかった。
それがよかった。
目が覚めたとき、周りの世界が一変しているのに、気がついた。
そして私は、こう宣言した。

「これからは、自分の人生を生きてやる!」と。

●子離れ段階論

 人は順に親離れし、子離れしながら、歳を取っていく。
しかし急に親離れし、子離れするのではない。
ちょうど階段を上り下りするように、何かのきっかけで、トントンと、親離れしたり、子
離れしたりする。
トントン・・・、とだ。

 で、最終的には、夫婦であれば、(2人ぼっち)、ひとりであれば、(独居老人)となる。
またそれを恐れる必要はない。
どうせそうなる。
みんなそうなる。
死後、白骨化した状態で、他人に発見されるかもしれない。
しかしそれも、それ。
それでもよい。

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