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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2月 28日号
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★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●1月8日(仕事初め)
+++++++++++++++++
今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。
で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。
+++++++++++++++++
●ネチネチした話し方
ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。
言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。
「キニョウ~ウ(昨日)~、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ~」と。
よく「メリ-・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ~ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。
デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。
●原因?
原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)
依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。
が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。
●相談
母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。
こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。
顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。
が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。
●結論
結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。
しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。
もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)
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●子どもを知る心理学(1)
【子どもを知る心理学】 by はやし浩司
●心の別室
子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「偉い」を廃語に
何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●摂取理論
初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。
幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。
よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。
こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。
幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。
集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!
私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。
私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。
たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。
こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。
また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●パブリック・コミットメント
まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●プラトー
子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●気負い
不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ピーターパン・シンドローム
おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもの「顔」
子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●共依存
酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。
(補記)
●共依存
依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。
もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。
しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。
夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)
それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。
一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。
こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。
ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。
それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。
つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。
が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。
ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。
「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。
子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。
ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。
で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。
理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。
一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。
こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。
親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。
生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。
娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。
その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。
息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。
その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!
その女性は、つぎのようなメールをくれた。
「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。
いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。
で、その先は……。
今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。
そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。
女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。
こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。
このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
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今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。
で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。
+++++++++++++++++
●ネチネチした話し方
ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。
言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。
「キニョウ~ウ(昨日)~、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ~」と。
よく「メリ-・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ~ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。
デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。
●原因?
原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)
依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。
が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。
●相談
母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。
こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。
顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。
が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。
●結論
結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。
しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。
もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)
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●子どもを知る心理学(1)
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●心の別室
子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。
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●「偉い」を廃語に
何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●摂取理論
初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。
幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。
よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。
こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。
幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。
集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!
私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。
私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。
たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。
こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。
また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●パブリック・コミットメント
まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●プラトー
子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●気負い
不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ピーターパン・シンドローム
おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子どもの「顔」
子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●共依存
酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。
(補記)
●共依存
依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。
もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。
しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。
夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)
それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。
一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。
こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。
ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。
それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。
つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。
が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。
ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。
「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。
子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。
ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。
で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。
理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。
一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。
こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。
親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。
生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。
娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。
その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。
息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。
その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!
その女性は、つぎのようなメールをくれた。
「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。
いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。
で、その先は……。
今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。
そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。
女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。
こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。
このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司