最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●幼児にかけ算を教えてみる(BW実験教室)

2011-02-18 23:50:57 | 日記

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司


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【年中児に、かけ算を教えてみる】(BW実験教室byはやし浩司)

●年中児(4,5歳児)にかけ算を教えてみました。
 結果は、どうかご自身でご覧ください。
 同時に、幼児のもつ可能性を、どうか再認識してください。
 「幼児だから、脳の構造も幼稚」と考えるのは、明らかにまちがっています。


(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●勉強嫌いな子ども

++++++++++++++++++

勉強嫌いな子どもには、大きく分けて
2つのタイプがある。

(1)意識的に「嫌う」子ども
(2)無意識のまま、「嫌う」子ども。

意識的に嫌う子どものばあいには、まだ
指導ができる。
その(意識)をつかむことができる。
ああでもない、こうでもないと声に出して
抵抗する。
このタイプの子どもは、まだ指導が可能。

しかし無意識の世界から、原発的に
嫌う子どももいる。
このタイプの子どものばあいには、指導は
たいへんむずかしい。
子ども自身の意思の力でも、どうにも
ならない。
自覚を促すのは、不可能とさえ言ってよい。
もっと奥深いところから、子どもを操る。
「嫌い」という思いが、心の奥で固まって
しまっている。
それを溶かすのは、容易ではない。
……というより、不可能。

+++++++++++++++++

●SE君(小3)のケース

 SE君(小3男児)は、幼児期から多動性があった。
静かな落ち着きがなく、騒々しかった。
少し油断すると、周囲を巻き込んでは騒ぎ、時にはレッスンそのものを破壊した。
瞬時に気分が変化し、ものの考え方も、直情的、直感的。
SE君が、AD・HD児であったかはどうかということはさておき、そのSE君は、
学年を追うごとに、ますます勉強嫌いになっていった。

 そのSE君が、大きく変化したのは、小学3年生になったときのことだった。
学校で、担任の先生が替わった。
神経質できびしい先生だった(母親談)。
明らかに無理な学習、強制的なしつけ、あるいは強圧的な叱り方が、日常化していた。
母親はこう言った。
「学校では、うちの子には居場所がないみたいです」と。
つまりみなから、邪魔者扱いをされている、と。
SE君が、勉強から逃げるようになったのは、そのころからである。

 ただ嫌いというのではない。
「さあ、この問題を考えてみよう」と言っただけで、表情が暗くなってしまう。
体中から骨が抜けたように、姿勢が崩れてしまう。
マンツーマンで教えても、まったく効果はない。
いたずら繰り返し、時間をつぶす。
きつく指示しても、そのつどぐずぐず言い、勉強にとりかからない。

 その様子を見ていると、自分の意思で拒否しているというよりは、SE君自身が、
自分をもてあましているといったふう。
そんな印象をもつ。
つまりSE君は、心のもっと奥深いところで、勉強に対して拒絶反応を示している。
こういうとき「原発的」という言葉が正しいかどうかはわからないが、心の奥深く
で反応しているという点で「原発的」という言葉を使う。
SE君自身の意思が感じられない。
俗な言い方をすれば、同じ勉強嫌いでも、「根が深い」。

●症状をこじらせる

 一般論として、AD・HD児の指導が困難なのは、その子どもがAD・HD児だから
ではない。
それまでの無理なしつけが、症状をこじらせてしまう。
それが指導を困難にする。
本来なら、小学3年生くらいを境に、自己評価力、自己管理力、自己認識力が育って
くる。
そのころになると、自分で自分をコントロールする力が育ってくる。
見た目には、生活態度全体が落ち着いてくる。

 が、中には、症状をこじらせてしまうケースがある。
とくにSE君のように、境界線上にいる子どもは、そうである。
先生も親も、「何とかなる」と考え、無理をする。
はげしく叱ったり、きびしく指導したりする。
その無理が、症状をこじらせる。

●あきらめは悟りの境地

 小学3、4年生までに、こうしたこじれた症状がでてくると、それ以後、
勉強が好きになるということは、まずない。
(おくれる)→(逃げる)→(ますます嫌いになる)の悪循環の中で、あとは行き着く
ところまで行く。
では、どうするか。

 今は時代も変わった。
(学歴)よりも(一芸)。
おとなになる道はひとつではない。
そう考えて、別の道を用意する。
勉強で追いつめれば追いつめるほど、ますます症状をこじらせてしまう。
さらに言えば、『あきらめは、悟りの境地』。
あきらめるべきものは、あきらめる。
子どもの心というのは、不思議なもの。
親ががんばればれば、がんばるほど、逆効果。
「まだ、何とかなる」「こんなはずはない」と、思えば思うほど、逆効果。
が、あきらめ、子どもを受け入れてしまうと、子どもも気が楽になるのか、そのときから、
伸び始める。

 ただし表面的な「あきらめ」ではいけない。
心底、あきらめる。
「うちの子は、こんなもの」と。
それが子どもの心に風穴をあける。

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Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●生きているだけで、もうけもの

2011-02-18 09:39:50 | 日記
●もうけもの人生

++++++++++++++++++++++

ワイフの父親は、戦時中、ラバウルに向かった。
3000人の兵士とともに、ラバウルに上陸した。
が、そこで終戦。
父親の話によれば、生き残って帰ってきたのは、
そのうちの、たったの300人。
(ラバウルでは、約13万人の日本兵が戦死。)

だから生前の父親は、いつもこう言っていた。
「申し訳ない、申し訳ない」と。
私も、1、2度、その言葉を耳にしたことがある。

「自分だけ生き残って帰ってきて、申し訳ない」と。
そのことが大きく関係したかどうかは、知らない。
しかし、がんで手術することになったときのこと。
ワイフの父親は、二度と自宅に帰ることはないと覚悟したのか、
身辺をきれいに整理して、病院へ向かった。

 が、手遅れだった。
開腹はしたものの、そのまま縫合。
それから約1か月後、ワイフの父親は他界した。
私も何度か見舞いに行った。
が、ワイフの父親ほど、すばらしい死に様を見せた人を、
私は知らない。
私が病院へ行くと、いつもベッドの上で正座していた。
かなりの激痛があったはずだが、ただの一度も、
「痛い」とは言わなかった。

そして最期の最期のときも、家族が見守る前で、
自らいくつかの管をはずし、静かに息を引き取っていった。
まったく動ずることはなかった。

私はその話をワイフから聞き、「人は、こんなにも
すばらしい死に方ができるものか」と、驚いた。

+++++++++++++++++++++++

●もうけもの

 ものが見える、音が聞こえる、風を肌で感ずる……。
それだけでも、すばらしいこと。
そのすばらしさに気づいたら、身のまわりのもろもろの問題は、そのまま霧散する。
それを学生時代の友人は、こう表現した。
「もうけもの」と。

 友人はすでに10年近く、がんで、闘病生活をしている。
毎日薬をのみ、週に1度は病院へ行き、月に一度は検査を受けている、と。
「あのなあ、林(=私)、がんなんてものはなあ、見つかったら、切ればいい。
切ったときから、5年は生きられる。
その5年は、もうけものなんだよな」と。
励ますつもりで電話したのだが、かえって励まされてしまった。

●人生、50年

 昔は「人生、50年」と言った。
その前の江戸時代には、平均寿命は45歳前後だったという。
それを思えば、今の私はとっくの昔に死んでいても、おかしくない。
その私が63歳になった今も、生きている。
これを「もうけもの」と言わずして、何と言う?

 そこで重要なことは、その(もうけもの)の人生を、どう生きるかということ。
さらに言えば、密度。
だらだらと無益に100年生きるよりは、たとえ1日でも、有益に
生きたほうがよい。
『朝に道を聞かば・・・』(論語)というのは、そういう意味である。

●健康寿命

 が、私が「もうけもの」と言うときには、もうひとつ別の切実な問題がある。
老後の資金の問題である。
できれば死ぬ間際まで働き、ポックリと死にたい。
そうすればだれにも迷惑をかけることなく、死ぬことができる。
が、そうはいかない。

健康寿命は、(平均余命)―(10年)という。
男性について言えば、健康寿命は69歳前後(79歳-10年=69歳)。
そのあと10年ほどは、もろもろの病気を繰り返す。
79歳ごろ、寿命が尽きる。
その「10年」が問題。
私だけの問題ではない。
ワイフの問題もある。

 元気で仕事ができればできるほど、資金がたまる。
その資金で、有料老人ホームに入ることができる。

●無縁死

 最近、話題になっているのが、「無縁老人」「無縁死」。
最初にその言葉を知ったときには、私も少なからずドキッとした。
しかしこのところ、心境が変わってきた。
「それもいいのではないのかな」と。

 つまり無縁老人になろうが、無縁死をしようが、それはそれ。
……というか、古今東西、ほとんどの人は、皆、そういう死に方をしている。
それを「悪いこと」とか、あるいは「あってはならないこと」と考えるから、
話がむずかしくなる。

「老人」になるまで生きられただけでも、御の字。
若くして死んでいく人のことを思えば、なおさら。
それはちょうど、シワの数を心配する、若い女性に似ている。
歳を取れば、だれだってシワはふえる。
どうしてそれが悪いことなのか。

 喜んで無縁老人になり、無縁死をすればよい。
またそうであるからといって、それを「不幸なこと」と決めつけてはいけない。
大切なことは、それ以上に、「今」をどう生きるかということ。
有意義に、どう生きるかということ。
方法は簡単。
ただひたすら懸命に生きればよい。
結果は、かならずあとからついてくる。

●結果
 
 こう書くと、そうでない人たちにたいへん失礼な言い方になるかもしれない。
しかし私は、こう思う。
「63歳の今、こうして元気で仕事ができるだけでも、ありがたい」と。
頭のほうも、いまのところ心配なさそう。
そういう私を見て、ワイフはこう言う。
「私たちはラッキーだったわ」と。
大きな病気はしなかった。
大きな事故もなかった。

 が、私はそうは思わない。
20代の後半から、60歳になるまで、私は運動を欠かさなかった。
毎日、2単位(1単位=40分)のサイクリングをつづけた。
頬を切るほど冷たい風の中でも、欠かさなかった。
その結果が、「今」ということになる。

●放心状態

 はからずも今回、私はがん検診で、「死」をそこに感じた。
自分の限界を、そこに感じた。
「私も、ここまでか」と。
しかし不思議なことに、あれほどまで日ごろは、死を恐れていた私が、冷静だった。
もう少し取り乱すかと思った。
事実、30歳前後のとき、脳腫瘍を疑われたときには、放心状態になってしまった。
病院からどのように家に帰ったか、覚えていない。
途中でワイフが車で拾ってくれたが、ワイフはこう言った。
「あなたは幽霊みたいだった」と。

 その夜は、1歳に前後になったばかりの長男の顔を見て、泣き明かした。

 その同じ私が、冷静だった。
その理由のひとつが、ワイフの父親ではないかと思う。
父親は、「死んでいて当たり前」という前提で生きていた。
今の私について言えば、「死ぬのが当たり前」。
それを思えば、一日、一日、生きているだけも、ありがたい。
意識したわけではないが、いつの間にか、私はその精神を引き継いでいた。
そこで今は、こう思う。
「生きているだけでも、もうけもの」と。

●もうけもの人生
 
 ここ数日は、のんびりとさせてもらっている。
今朝も、午前8時起き。
しかし昨日から、運動を再開。
今日から原稿書き、再開。
明日からは、また午前5時ごろ起きる。

 ただ頭の活動は、たしかに鈍くなってきた。
新しい発見も、少なくなってきた。
何よりも心配なのは、ものごとに対する関心が薄れてきたこと。
ニュースサイトに目を通しても、そのまま読んで終わってしまう。
「これではいけない」とは、思う。
思うが、そのまま終わってしまう。

 (そう言えば、最近、「電子マガジンをやめようか」と思うことが多くなった。
それもそのひとつ。)

 生きることに、めんどう臭さを覚えるようになったら、おしまい。
だから今日もがんばる。
がんばろう!

2011年2月18日朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司