葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

松井秀喜

2006年05月13日 17時56分32秒 | 日記 ・ 雑記録
ヤンキースの松井が骨折退場、連続試合出場の夢が絶たれた。
彼が野球選手としての技量に秀でているだけでなく、
ファンやマスコミに対する律儀さから、好感を持って迎えられていただけに
そしてまた、彼の律儀さを具現化するものとして連続試合出場を掲げていたようだから
彼の今回のアクシデントを残念に思う。 無念だろう。
早さ、高さ、強さを競う記録ではなく、
終わりのない、連続して出場する記録への挑戦がいかに困難かを知らされた。
本人の努力以外に、運や、神の加護がなければ達成できるものではない。
それにつけても、衣笠の偉大さよ。

ところで、
昨年末から今年にかけて、新しい時代のプロ野球選手の思考、行動を垣間見た。
(米大リーグ主導で、運営に問題はあったが)
日本で最強のチームを編成しよう、というときに松井、井口、金本が下した決断だ。
ナショナルチームに選抜されることを辞退する、という決断だ。

プロ野球の選手は身体が資本だから、正規のシーズンを考えれば、
シーズン前の大切な時期を自分のことだけに専念したい気持ちはわかる。
価値観の相違もあろう。
(私は彼らの人生に責任を持てないから、言う資格はないのだろうが)
日本人で最強のチームを作るときには、
野球ファンとして単純素朴に、松井に参加して欲しかった。

彼らが、日本チームの一員として大会に参加することよりも、
自分を、自分が所属するチームを最優先させるというのなら、
ならば、
松井、井口、金本の、今シーズンのお手並みを拝見しようじゃないか、
という意地悪い気持ちが心の片隅に芽生えたことを否定しない。

果敢に、飛球に突進した松井には気の毒だが、これが現実だ。
保証された未来はない。 保証された未来はないから、松井は考えられる最善を選んだ。
ただ、運と、神の加護がなかった。
人生では運と神から見放されるほうが多い、と思うけど。

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角島灯台(定期訪問)

2006年05月13日 09時08分57秒 | 日記 ・ 雑記録
「灯台めぐり」 への私の傾注について家内は、
はじめは感心し、次第に呆れ、今は何も言わなくなった。
交通費以外の出費は少ないし、行けば適度な山歩きで健康的、と好意的にみてくれる。
とりわけ、月一のペースで訪問する角島灯台行きは歓迎されているようだ。
途中の 二見 と言う半農半漁の集落に 二見饅頭 の店があり、
そこのカステラがめっぽう美味くて、お土産に買って帰るから、だ。
だから私は、角島に行きたくなったら、「カステラを買ってくる」 と告げて家を出る。
その瞬間、家内の顔がほころぶ。

昨日、家内の喜ぶ顔が見たくて、重い腰を上げて角島に向かった(笑)。
今年に入って5回目の訪問だ。
夜には崩れる予定の空模様も、昼間は好天気だ。
山口県はどこを走っても道路は完璧だ。 交通量も少ない。 政治の力だ。
角島大橋は、旅行業者の人気投票で、中四国第7位だそうな。
島に渡れば、おおはま食堂の あら炊き定食 が 1000円。
そして極め付きは、いつ見ても、何回見ても秀麗な角島灯台の灯塔。

訪問5回目ともなれば、カメラを構える位置も次第に難易度を増す。
より低くから、より高くから、より遠くから‥‥。
でも、角島灯台って、どうも写真映りが良くない。
平坦な岬で、灯台から海岸線まで少し距離があるから、これだ! というポイントがない。

とんでもない場所で、道路の法面をよじ登っていたら、
後方から、「その先には何もないよ」 とおじさんの声。
灯台を写すのに いい角度を探している、と告げたら 「こっちの方がいいよ」。
で、反対側の法面をよじ登った。
おじさんの傍まで行ったけど、たいした写真は撮れなかった。

ところがこのおじさん、灯台に隣接する土地の所有者で、
灯台を一般公開するに当たって周囲を整備する際、その土地を手放した方だった。
話し好きの方らしく、灯台の話、歴代灯台守の話、角島の話、角島沖の好漁場の話、
果ては青森・大間のマグロの話まで、延々小一時間! 立ち話をした。

葡萄舎の屋根の勾配は45度。
かなり急傾斜だが、道路の法面はもっと勾配がきつい。
登るときは草をつかみ、ネットに指を突っ込んで必死に登ったが
とても降りられるシロモノではない。
大きく迂回して車に戻ったが、その道中におじさんの立派な邸宅があった。
そこでまた立ち話。
話の途中で、昭和42年というキーワードが出てきたので
おじさんの歳を聞いたら、私と同年だった。 チャンチャン。

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灯台への鎮魂歌

2006年05月12日 10時40分34秒 | 燈台めぐりノート
「梅雨の中休み」 は聞くけど、「梅雨のはしりの中休み」 なんてあるのだろうか。
あってもなくても昨日はそんな一日だった。
昼前から雲が切れ始め、青空の下でのドライブにいざなった。
時間的には市域の外は無理だろう。 彦島へ。

かつて、関門海峡沿いの海岸にはいくつもの灯台が並んでいた(という)。
海峡の北西の入口 ・ 六連島に始まり、台場鼻、山底ノ鼻、金ノ弦岬、大山ノ鼻、
巌流島、火ノ山下、東南の入口に満珠島、ざっと8基。
対岸の北九州市側にも数基あるから、さしずめ灯台銀座だったが、その多くが廃れた。
おびただしい数の灯浮標を設置することで燈台の存在理由がなくなった、
これが直接の理由だ。
現役で船の航行を見守っているのは、六連島、台場鼻、満珠島の3基だけになった。

灯標として海中に設置され、陸に上がって灯台となり、廃止の決定を下され、
文化財として生きながらえている 金ノ弦岬灯台 は当ブログで取り上げた。
灯塔が撤去され、跡地が潮流信号所に転用された 火ノ山下灯台 は
親サイトで取り上げている。
この2基はいい。
文化財として保存されるのも、時代の要請に応えて形を変え船の航行に貢献するのも。

巌流島灯台が数年前に撤去されたのは知っていた。
撤去と前後して島が整備され、市民に開放されたイベントとの島として再開発するなら
赤白に塗り分けられた灯塔は格好のシンボルになったろうに‥‥。
大体において長州人は、いとも簡単に建造物を撤去するのが好きだ。
萩城の天守閣など、他藩に先駆けて率先して解体撤去してしまった。
保存し、現存していれば、萩市の観光収入はもっと多かったろうに。

あと2基、私が確認していない灯台がある。
大山ノ鼻灯台、山底ノ鼻灯台。 共に彦島にある。
現存しているという人も居れば、撤去されたという人も居る。 一見にしかず。

採石場の傍らに大山ノ鼻灯台はあった(という)。
採石場の管理人(らしき人)が、海面を指差して、
「ここに3年前まで燈台があった。 業者が撤去して行った」
打ち寄せる波間に、基礎部分だったのだろうコンクリート片が転がっていた。
やはり、無くなっていたか‥‥!

造船で栄え、造船業の衰退と共に不況に陥った下関を象徴するように、
無様にドックの形骸をさらした造船所跡地に隣接して山底ノ鼻灯台はあった(という)。
その海岸に初老の男性が携帯用の椅子に腰掛けている。
聞けば、「謡いの練習をしているのだ」 と言う。
ひと気の無いところで、薫風に吹かれ、
聞こえるのは波の音と、海峡を行きかう船のエンジン音。 ここなら迷惑はかかるまい。
謡いのおじさんも、海面を指差して、在りし日の山底ノ鼻灯台を語ってくれた。

結局、私が灯台めぐりに立ち上がるのが、3年遅かった!
今は、礎石が海岸に散乱して波に洗われているだけだった。
2基の灯台は無念だろうが、波の下を照らしている、と思うことにしよう。
ここは壇ノ浦に連なる大瀬戸だ。
平知盛に敗戦を告げられた二位の尼が、孫である安徳天皇を抱いて入水している。
数え年8歳の安徳天皇が 「尼御前、私をどこに連れていくのか」 と問うと、
二位の尼は 「波の下にも都はございましょう」 と答えた場所だ。
波の下を照らしてやればいい。

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梅雨のはしり

2006年05月11日 09時50分51秒 | 日記 ・ 雑記録
ニュースで 「梅雨のはしり」 なる言葉が使われ始めた。
沖縄は梅雨に入っているから、この地方に 「はしり」 があってもおかしくないが
梅雨から始まる4ヶ月間は私が最も苦手とする季節だ。

今朝の占いでは、
  臨時収入あり、利息は少なくても貯蓄に回せ
とあった。 とらぬ狸の皮算用だが、臨時収入にもピンからキリまである。
はっきりしているのは、宝くじは買わないから、とてつもない金額の収入はありえない。
もし、億単位の金が転がり込んだら、迷わず梅雨がない土地に移り住む。
下関はいい土地だが、梅雨がない所には敵わない。
入梅してからの4ヶ月を思うと、気が滅入る。
昨日買ったTシャツには 「吸汗速乾」 などとシールが貼ってあり、
一も二もなく飛びついたが、それでどれだけ夏場がしのげるというのか!
ま、藁をもすがる心境だ。

14日に家内を小旅行に参加させ、20日は (私が) 博多でワイン会。
2つ3つ灯台めぐりをしながら博多に入り、翌日は豊予海峡、豊後水道に足を延ばす。
26日か27日には葡萄舎にお客様を迎える。
入梅前に楽しむだけ楽しんでおこう。

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雨の日に買い物

2006年05月10日 15時46分04秒 | 日記 ・ 雑記録
春先にも雨が続いて、GWが中休み、そしてまた予報どおりに雨、雨。
瑞穂の国 ・ 日本として、これだけ雨水が溜まれば稲の作付けは大丈夫だろう。

夏物の衣料を補充する要があって、さて買い物に、と思ったが
この強い雨に濡れずに買い物をするとなるとデパートしかない。 下関大丸へ。
しかし、デパートの衣料ってどうしてあんなにも高いのだろう。
1万円というポロシャツの値札を見て、とたんに購買意欲が萎えた。
で、隣の書店に。 下関で最大、西日本でも有数の大きさらしい。

この大型書店が進出して、かなりの摩擦があった。、
それまで数10m離れた場所で営業していた地元企業の既存書店が悲鳴を上げた。
同じフロアで隣接していれば、客は当然大きい店に足を運ぶ。
ざっと見渡したところ、客数の比率は、既存書店1 : 大型書店9
既存書店は死活問題だと大騒ぎしたが、この趨勢は変わるまい。 存亡の危機だ。
教科書販売を一手に握っているからといって、どれほどの力になるのだろうか。

既存書店は下関生え抜きの企業だから、市民感情に訴えると言っていたが、
現実には1 : 9 の集客力の差になっている。
下関の市民は既存書店に愛着も同情も感じていないように見える。
そりゃそうだろう。
ネットで本を注文すれば3日で届くご時世に、
旧態依然、取り寄せるまで平気で2週間待たせていたのだから。
とうに私は、本を買う時は小倉で、と決めていたが、
これで小倉まで出かけなくて済む。

食品、衣料、電器に始まった大手資本の席捲は書籍の分野に及んで、
よほど特化しないと中小は生き残れなくなった。
感ずること無きにしも非ずだが、どうしようもなかろうなァ。

今日の教訓。
1 「灯台」 の本を探しても見つからない。 「岬」 の本を探すべし。
2 (私のようなビンボー人に) バーゲン以外ではデパートの衣料は買えない。

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ハロー、グッバイ

2006年05月09日 08時48分10秒 | 日記 ・ 雑記録
「私の灯台」 を検索していたら、気になるサイトが載っていた。
三重県のヒデ先生の 「私の灯台巡り」
私のサイトで言うなら 「ふるさとの灯台めぐり」 と似たような灯台巡りをなさっている。
だから、灯台への登り口を探しあぐね、道なき道を這い上がる。
その苦労と、たどり着いた時の喜びは、私とまったく同じだ。
広い世界、似たような方、同好の士はいるものだ。 なんだか、嬉しい。
コメントしたら、メールでご挨拶をいただいた。
  「私の灯台巡り」  http://toodai.cocolog-nifty.com/toodai/

鳥羽一郎の4曲を、4週間かけてマスターしたことに味をしめ、
田端義夫の 「ふるさとの灯台」 にチャレンジした。 CDを買った。
昭和歌謡のいい歌だ。
3日間、私が葡萄舎に居ようが居まいが、
葡萄舎ではこの歌が繰り返し繰り返しミニコンポから流れた。
歌詞をほぼ覚え、曲想も分かった。
しかし、だがしかし、
田端義夫の広い音域にどうしても太刀打ちできない。
3日間がんばって、‥‥断念した。 
CDを買うときの危惧が的中した。 こんなこともあろう。

「お別れ公衆電話」 の松山恵子さんが亡くなった。
酔った時には、独特の唄いまわしを真似したもんだ。
シルクロードを撮り続けた 並河萬里氏も亡くなった。
下関大丸での写真展を観に行って、毎日新聞の取材を受け、記事になったこともある。
人の世、か。 合掌。

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静香、転身見事!

2006年05月08日 09時14分58秒 | 日記 ・ 雑記録
予定され、予想されていたとはいえ、荒川静香がアマ・スポーツから引退した。

頂点にまで登りつめてしまった今、
自分の演技力向上に見極めをつけ、後進の進境を推し量り、
4年後をシュミレーションすれば当然の選択だ。
身勝手な周囲の期待を黙殺し、自分を大事にした華麗な転身だ。
華麗な演技を追及した人物には、華麗な引き際こそがふさわしい。
誰もがやりたくてなかなかできない、終焉の美学だ。
荒川静香って、アタマの良い娘なのだろう。 羨ましいほどに見事だ。

同じスポーツで、4年後にまで執念を持続させると宣言した娘もいる。
執念が実れば新しい神話の誕生だが、素人から見れば、悲惨な姿がちらつく。
演技を終えたときの、彼女特有の泣きそうな顔は好きじゃないが、
4年後には笑顔でフィニッシュを迎えられればいいが。

人生では決断するタイミングが何度か訪れる。
決断を誤る場合も、決断のタイミングを逃す場合もある。
自分の生き方、生き様、人生に、明確な指針を平生から持っていないと
岐路を過ぎてからたどる道は月とすっぽんだ。

そういえば、私は何度も決断を誤った。
決断をするに至るまでのひたむきな努力を怠ったのも複線として、ある。
忸怩たる想いはあるが、人生に巻き戻しは効かない。
唯一つ、私の人生は 「いい人」 に恵まれた。 胸を張れる誇り、だ。

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朝日夕刊1面 灯台守

2006年05月07日 17時48分05秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜はワイン会に出かけたから夕刊を読んでいなかったが、
朝、食卓に夕刊が置いてあった。
よほどニュースがなかったのだろう。
朝日新聞 (西部版) 夕刊の1面トップは、なんと灯台の記事。
見出しは 「灯台守 消えゆく」 「残る女島 近く無人に」 とある。

4月現在、全国の灯台は3337基ある。
昭和10年には142基の灯台に住み込みの職員 (灯台守) がいたが、
灯台の自動化、無人化が進んで、現在は2基が有人灯台として残っていた。
そのうち青森の龍飛埼灯台が無人化となり、
残るは長崎の女島(めしま)灯台だけとなった。
その女島灯台も年内には無人灯台になり、全国から有人灯台がなくなる。
という記事だ。

因みに、
♪ご覧 あれが「竜飛岬」 北のはずれと
石川さゆりが眉間にしわを寄せて唄った 「津軽海峡冬景色」 だが、
正しくは「龍飛崎(たっぴさき)」 で、灯台名は 「龍飛埼(たっぴさき)灯台」だ。
龍飛「崎」 は岬全体を指し、灯台が建つ岬の先端は 龍飛「埼」 となる。
もう一つ
「女島」 は東シナ海に浮かぶ男女群島の島で
灯台守の悲哀を描いた映画 「喜びも悲しみも幾年月」 の舞台となっている。

私が灯台ファンになった年は、たまたま、
全国の灯台から灯台守がいなくなる、灯台史に残る年となった。
灯台守が過酷な勤務を強いられてきたことを思えば当然の成り行きだろうが
船と船人の航海と安全を見守る灯台が、
無機質な自動化と遠隔管理で明かりを灯し続けるのは、一抹の寂しさを禁じえない。
勝手な郷愁だろうが‥‥。

「灯台守」 が死語となる。
私の灯台めぐりは、ついに一人の灯台守とも顔をあわせないまま続けることとなる。
これも時代の流れ、か。 嗚呼。

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05/06 Club Vendange 80

2006年05月07日 12時07分30秒 | ワイン会の記録
開催を1週間繰り上げて 「日和庵」 にて行う。
欠席3名で、6名が参加。 存分に飲めた。

Veuve Clicquot Ponsardant Rose N.V.
Auxey-Duresses Blanc 2000 d'Auvennay Leroy
Corton Charlemagne 1995 Antoine Chatelet
Ch. Leoville Poyferre 1994 St. Julien
Ch. Haut Brion 1996
Argiano Brunello di Montalcino Riserva 1980
Noble One 2003 De Bortou 1/2

「日和庵」 は下関の中心にありながら、名にしおう交通不便な場所。
25mはあろうかという坂道を登りつめるから、喉は渇き腹は減る。
横なぐりの雨は想定外だったが、苦労してたどり着いただけのことはあった。

小さなオードブルの盛り合わせ
渡り蟹と空豆のガトー仕立て & ヤリイカのタルタル薬味添え
鱧のムニエル 白アスパラ、グリーンアスパラ、新ごぼうのフライ添え
茄子と黒オリーブを載せた鱸のロースト イカ墨とトマトのピューレ
キィウィのシャーベット
子羊のロースト アーモンドと香草の香り 赤ワインソース
フロマージュ
サブレとレモンのムース グラタン風

ロケーションは抜群、雰囲気もよい。
料理は非の打ち所なし。
私がこれだけ手放しで褒めることは滅多にない。 満足した。

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男の港 下北漁港 他2曲

2006年05月06日 09時44分29秒 | 日記 ・ 雑記録
今年に入ってから灯台に夢中の私だから、
カラオケで唄う歌くらい 「灯台」 が入った歌を、と思ってチャレンジしたのが
鳥羽一郎の 「男の港」。 これは一週間かけてマスターした。
私が言うところの 「マスター」 とは、
歌詞を全て覚えて、人前で唄っても恥ずかしくない程度だが‥‥。

で、どうせ8曲入りのCDを買ったのだから、と 「下北漁港」 もモノにした。
星野哲郎の作詞だから、この歌ははずせない。
似たような海の男の歌ばかりでも面白くないので、
およそ鳥羽一郎らしからぬ 「カサブランカ・グッバイ」 もマスターした。
この歌の作詞は内館牧子だ。 粋がる男のブザマな結末を描いて、この歌はいい。

もう一曲マスターした。 「男宿」。
惚れた女がいて、その女には好きな男がいて、
惚れた女に愛想をつかさせて、好きな男と駆け落ちさせる、という
いかにも演歌らしい演歌だが、演歌の世界を馬鹿にしてはいけない。
これは日本人の心情の深淵だ。
   それとなく紅き花みな友にゆずりて
   そむきて泣きて忘れ草つむ
と詠んで、
与謝野鉄幹と晶子の前から姿を消した、山川登美子だっているじゃないか。

かくして、この1ヶ月は鳥羽一郎の4曲をマスターするのに没頭した。
カラオケのお師匠さんから合格点をいただいたから、もうよかろう。

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黄砂度

2006年05月05日 10時33分37秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎から空を見上げて、その日の天候を予測するとき、
観天望気の対象となるのは、北西の四王司山だ。
標高392mの低山だが、
勢いを無くした中国山地が海に没するこの地では、まずまず目立つ山だろう。
冬は平地に降った雪がすぐに溶けても四王司山には残るし、
四王司颪(おろし)と名づけた季節風が吹き降ろす山だ。
雲がかかれば、当然、雨だ。

この季節、私は四王司山の霞み具合で、今現在の黄砂の度合いを判断する。
四王司山の木々がはっきり見えれば黄砂は少ない日だから、
灯台へ行こうか、となる。
自然の移ろいに合わせて、晴耕雨読などと言葉もあるが、
私の場合は、山見えれば動き、山見えざればサテ今日は何をしようか。

私の観天望気は定時観測ではないから、
口惜しいのは昼過ぎに四王司山を眺めて、山容がくっきりと見えるときだ。
こんな黄砂が少ない日を無駄にして!
単純な日々だ。

ニュースになるほどの黄砂の日を5、黄砂を感じない日を0、とする私の黄砂度で、
今日の黄砂度は1。 五月晴れとは程遠いが、こどもの日としては雨が降らなくてよかった。
世間ではUターンの混雑が始まっているらしい。
田舎町で、何もしないでGWを過ごす。 これもあり、か。

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赤間神宮 先帝祭

2006年05月04日 10時27分05秒 | 日記 ・ 雑記録
5月に入って天候は安定している。 日向は暑いくらいだ。
社会人になってから、その全てをサービス業に従事した私にとっては、
GWはただ忙しいばかりで、世間一般の楽しみには縁遠い。
それでも、世間の皆さんが街や山野に繰り出すときに好天なのは喜ばしい。

この時期、西日本で最大のイベントは博多の 「どんたく」 だ。
それとは比べようもないが、
下関では21回目を数える 「しものせき海峡まつり」 が行われている。
いろいろな催しが行われている(みたい)だが、
昨3日の人出は38万人だったという。
平成の合併で隣接の郡部をかき集めて辛うじて30万に達した街だから、
38万の人出は 「すごい」 と表現してよかろう。

筆頭は、旧暦の3月24日(昨日)に行われる赤間神宮の 「先帝祭」 だ。
821年前、二位の尼に抱かれた安徳天皇が早鞆の瀬戸に入水した日だが、
生きながらえた女官が、命日には正装に威儀を正して参拝、香華を手向けたという。
時移り、昭和41年から先帝祭のハイライトは上臈(じょうろう)道中 ・ 上臈参拝で、
主役は5人の太夫だ。 安徳天皇と上臈は結びつかないが、
江戸時代に入って、遊郭の主人が、女官たちの真心と美風を後世に伝えようと、
お抱えの遊女に参拝をさせたのが先帝祭の起源だ(そうだ)。
5人の太夫は下関舞踊協会が近郊を含めた地域のお嬢さんから選んでいる。
外八文字を披露しながらパレードするのは大変だろうが、
選ばれたお嬢さんには晴れ舞台だ。
雨の年もあってお気の毒だが、昨日はお天気が良すぎたかもしれないが、雨よりはいい。

私は下関市民になって30年近くになるが、先帝祭に出かけたことがない。
一つはGWが稼ぎ時だったことと、一つは下関の交通事情だ。
下関は、本州の西南端に角度30度で突き出た半島だ。 周囲330度は海だ。
赤間神宮を中心とした狭いエリアの唐戸地区に、下関の人口を上回る人が溢れれば、
その道中の渋滞は推して知るべし。
でも、死ぬまでに、一度は観ておきたい。 JRなら、渋滞はないから。

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2006年05月03日 09時12分16秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎では、建国記念日以外の祝日には必ず国旗を掲げる。
たまに忘れることもあるが、今日は憲法記念日だから、改まった気持ちで掲揚した。
昨日は祝日ではないが旗を掲げた。
家内の誕生日だったから日の丸ではなく、フランスの三色旗だったけど。
祝日に限らず、葡萄舎の玄関先に旗を掲げるのは珍しいことではない。
ワイン会を行う日はいつも 「旗日」 だ。 昔は三色旗、今はいろいろ。
葡萄舎では、国旗を掲揚するときに旗竿を使わない。
軒先の滑車にロープを通して、うやうやしく国旗をくくりつけ掲揚する。
くわえ煙草をしながらだから、うやうやしくないかもしれないが‥‥。

私はよほど旗が、旗振りが、好きなんだろう。
中学・高校の運動会で、応援合戦は最も血が沸く瞬間だったし、
学園闘争真っ只中の学生時代はクラスの旗を作った。
同郷の友人が実姉宅に下宿していて、そこの姉さんが裁縫上手だったので
デザインを起こして縫ってもらった。
いい旗だったが、仲間がその旗を持って機動隊に突っ込み、証拠品として没収された。
その後、旗は返却され、卒業時に仲間7人で旗を7つに裁断し、
それぞれが一片を持って全国に散った。
そういえば、あの旗のきれっぱしはどこへ行っただろう。

「旗好き」 は歳をとっても変わらず、旅に出れば行く先々で旗を買う。
国旗は、フランス、トルコ、キルギス、トルクメニスタン、アルゼンチン。
州の旗は、チリ・パタゴニア、アルゼンチン・フェゴ島。
それぞれが気に入ったから買ったのだが、トルクメニスタンが特に好きだ。
自国旗として好きな国旗が選べるなら、迷わずカナダを選ぶ。

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ブリザーズドフラワー

2006年05月02日 23時55分53秒 | 日記 ・ 雑記録
誕生日のお祝いに、一日前の太巻き寿司一本では格好がつかないから、
プレゼントを買いに走った。
下関大丸では、熊本から ブリザーズドフラワーの業者が出店していて、
紫と濃い青の薔薇をあしらった小品を買った。
以前は結婚記念日と誕生日のプレゼントを欠かさなかったのに、
最近はなおざりになるときも間々あったので、
最低限のプレゼントは必要だろう。

八十八夜

2006年05月01日 22時08分25秒 | 日記 ・ 雑記録
明日は立春から数えて八十八夜。
♪夏も近づく八十八夜 と唄うから、夏が近づいて暑くなって当然だろうが、
今日の中部・関東は真夏日だとか。
下関も、ジッとしていても汗ばんでくる異常さ。
この汗は高温から来るものではなく、ジットリとした蒸し暑さから来るものだ。
夏場の過ごしにくさの前触れみたいで、なんとも憂鬱だ。

中央アジアの旅を続ける間は乾燥した暑さでどうにか凌げたが、
トルコのアナトリア高原を過ぎてイスタンブールに近づくと、
とたんに湿潤気候になって、10月でも汗ばんだのを思い出す。
肥満体を殺すに刃物はいらない、湿度の80%もあればいい。
あ~あ、嫌な季節の到来だ。

ところで、八十八夜の明日。 家内の誕生日だ。
これまでは誕生日が近づいても、誕生日の当日になっても、
誕生日の 「た」 の字も言わない家内だったが、
今年はなんだか前日からかまびすしい。
心境の変化は感じ取れないが、周りにいると煽られて
一日前だけど、太巻き寿司を作ってやったりして‥‥。
誕生日当日の明日は、いったい何をどうしたものか。

連休の谷間の今日、建材問屋が営業日だったので、かねてからの計画を実行に移した。
畳1枚大のウッドラックパネルを買い求め、
燈光仮面さんからいただいた角島燈台のポスターを貼り付け、
更にそれをコルクボードに貼り付けた。
イメージ通りに仕上がって、私としては納得のいく出来栄えだ。

改めてご連絡はするが、(中旬には家業も落ち着きそうだから)
燈光仮面さんにお見せしなければなるまい。
ワイン好きのお嬢さんの2・3人も連れて、飲みに来て下されば嬉しいが‥‥。
灯台に嵌った私の今年を象徴する、記念碑的作品を是非ご覧いただきたい。
実に、嬉しい。

30日分の薬を貰いに、K先生と、H先生の病院を回った。
連休の谷間の診察日だから患者が多くて、どこでも待たされた。
ある先生は順番を差し繰って、別の診察室で診て下さった。
ワイン会でご一緒する先生だから特別扱いしてくださるのだけれど、
待っている方々に申し訳ない気持ちがしないでもない。 複雑だ。

1ヶ月前の血液検査の結果、中性脂肪を除いては全て良好!
長いあいだ私を診てきた先生が驚くほどの数値だったから、私はメチャ嬉しい。
あと13年くらい生きたいと思っていたが、もう少し延びるかな。

今夜から明日にかけて、親サイトのアクセスカウントが44444に到達しそうだ。
根拠のある、意味のある数値じゃないが、
いつからか数え始めて、同じ数字が並ぶのは嬉しいじゃないか!
踏んだ方からご連絡いただいたときの準備はできている。

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